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レディ・キャロル・シエルバード


 ――夜半、眠っていたカロラインはふいに目を覚ました。


「……?」


 どうして目を覚ましたのかしら。ベッドの中で寝返りを打ったカロラインの耳がかすかな足音を捕らえた。ハッとして体を起こし、それから慌てて布団の中に潜り込む。カロラインは幽霊に会って喜べるタイプではなかった。


 コツ……コツ……という音が、部屋の前で止まる。


 ドキドキしながら目を固く閉じていたカロラインは、このまま何事もなく朝が来ることを神に願った。

 そのまましばらく経っても何も起こらない。


「……?」


 しだいに息苦しくなってきたカロラインは、何もないことにホッとして布団から顔を出した。


 眼が、合った。


 月明りを弾く淡い金髪はボサボサに乱れ、蒼いはずの瞳はどろりと濁り、吐血したのか口から流れた血液が顎から胸元まで滴っていた。


 憤怒の表情で睨みつけるレディ・シエルバードに、カロラインは悲鳴すらなく気絶した。


 朝日を浴びて目を覚ましたカロラインは、いてもたってもいられずにマーテルに泣き付いた。

 今日も朝からロビーでおしゃべりに興じていたマーテルたちは喜々としてカロラインを取り囲んだ。頼もしいやら怖いやらでカロラインは情緒がぐちゃぐちゃだ。


「まあ、レディに会ったの?」

「すごいじゃない! おめでとう、ミス・ドーン」

「羨ましいわ。わたくしのところには来てくださらないのよ」

「それで、レディはどんなお方でしたの?」


 号泣するカロラインにハンカチを差し出しながらも好奇心を隠しもせず聞いてくる。マーテルたちの勢いにカロラインは恐怖も忘れてきょとんとなった。


「どんなって……あの肖像画そのままの女性でしたわ。ち、血まみれで……、ひどく怒っているような顔でした」


 ここまで待ち望まれるとレディもかえって出てきづらいのかもしれない。レディが気の毒になってきた。


「まあ、恐ろしい!」


 そんな嬉しそうに言われても。カロラインはなんだか怖がっているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。


「それで、レディは何かおっしゃって?」

「いいえ。目が合ったとたんに気絶してしまって……。目覚めたら朝でした」

「あらあら。それでそんな恰好なのね」


 あっ、とカロラインは我に返った。恐怖に駆られて部屋を飛び出してきてしまったが、ネグリジェのままだったのだ。


「失礼しました。身支度をしてきます」

「一人で大丈夫? ついていってあげましょうか?」

「大丈夫です。こんなに気持ちの良い朝ですもの」


 どちらかというと、レディより朝っぱらから集まっておしゃべりしていたマーテルたちのほうが怖い気がする。

 カロラインが着替えてロビーに行くと、考察がはじまっていた。


「わたくしたちではなくミス・ドーンのところに現れたのは、若いお嬢さんに嫉妬したからじゃないかしら?」

「あら、でもレディは享年十九だったはずよ。充分お若いわ」

「ミス・ドーンは今までの目撃者と違い、金髪に碧眼ですわね」

「どちらかといえばレディに似てらっしゃるわよね」

「わたくしはレディが怒っていらしたのが気になるわ」


 マーテルがカロラインに気づいて手を振った。


「あ、そうよ。それじゃないかしら?」

「それ?」

「どれのことですの?」


 一人に促されてカロラインも近くの席に着く。レディ談義の輪に加わった。


「ミス・ドーンはレディの外見に似ているわ。それなのに義妹にいじめられているなんて、レディが怒るのも無理はないんじゃないかしら」


 マーテルの考察に婦人方が一斉にカロラインを見た。


「そう……かもしれないわね」

「ありえそうな話だわ」

「なんといってもレディですものね」


 レディならやりかねない。はっきりいって言いがかりだが、カロラインも納得してしまった。


「では、レディはわたしを励まそうとしてくれたんでしょうか?」

「きっとそうよ。ミス・ドーンもレディを見習ってみたらどうかしら」


 マーテルは楽しそうに言ったが稀代の悪女を見習えとは無茶にもほどがあるだろう。どう頑張ってもカロラインにはできそうにない。


「でしたらもう少し……せめて血まみれは止めてほしかったですね」


 そう言って苦笑するに留めた。それができたら義妹にいじめられていないのだ。

 そうよね、とうなずかれるのは複雑な気分だ。


 カロラインだって好きでミュレルにあれが駄目これが駄目と言っているわけではない。カロラインが大切にしているものを、ミュレルが欲しいと言うからだ。駄目だめ否定しているとまるで自分がミュレルをいじめているような気がして、しかもミュレルが被害者面をするものだからカロラインは悪人になった気分になる。


 誰だって自分を悪だと見られたくはない。『義妹をいじめる女』と言われるのが怖くて、カロラインは外に出ることに怯えるようになった。レディのように、強くはなれない。


 この日、ダレンは来なかった。


 代わりにレディがやってきた。夜半、ホテル中が寝静まる頃、カロラインは胸騒ぎに目を覚ました。


 コツ……コツ……とヒールの音がカロラインの部屋の前で止まる。

 ごくっと喉を上下させた。別に喉が渇いているわけではない、気合いを入れるためだ。


「レ……、レディ・シエルバード……?」


 返事はない。カロラインがじっと見つめる前で淡い金の影がドアをするりとすり抜けた。


「きゃ……」


 悲鳴をあげそうになり、慌てて手で口を押える。マーテルたちとの会話を聞いていたのかレディ・キャロル・シエルバードに血の痕はなく、髪もきちんと整えられ羽の髪飾りがきらめいていた。


 ベッドの上で腰を抜かしたカロラインだったが、そのいかにも貴族令嬢といった佇まいに見惚れてしまった。一瞬だけだった。


 なぜならレディの瞳がやはり怒っていたからだ。


「あ……あ……」


 恐怖で涙目になり、少しでも遠ざかろうとベッドの上でもがくカロラインに、レディは憤怒の形相で顔を近づけてきた。


『ねぇ……なの……?』

「ひっ、ひいぃっ。レ、レディ……」

『わたくし……っ、おな、じ……っ?』


 レディ・キャロル・シエルバードの声がくぐもっている。口を開くたびに夜目にも赤い血がこぽりと溢れた。


 似ているから。自分と似たカロラインの体を乗っ取ろうというのだろうか――カロラインは好奇心に負けて話をしようと試みた自分を心底悔いた。


『今の……まま……では……です、わよ……?』


 うずくまり、ガタガタと全身を震わせるカロラインは顔をあげることもできなかった。ぽたり。何かがベッドに滴って、薄く目を開ければそれはレディの口から垂れた血液だった。


 怯えるばかりのカロラインの業を煮やしたのかレディの目が鋭くなった。ドン、とベッドが跳ねあがる。


「きゃあっ」

『ねえ……あなた……人が話をしている時はしっかり聞くものじゃあなくって……? ごふっ』


 それを言うなら人と話している時に血を吐くのもマナー違反だ。妙に冷静にカロラインは思った。


 吐血する幽霊はキャロル・シエルバードと名乗った。やはりあのレディ・シエルバードご本人様らしい。


「申し訳ありません……」

『よくってよ。ついうっかり吐血してしまうわたくしも悪かったわ』


 ついうっかりで血を吐かないでほしい。


 ひとしきりカロラインをびびり散らかして満足したのか、レディ・キャロル・シエルバードの幽霊はレディにふさわしい所作で挨拶をしてきた。それになんとか応え、カロラインも布団から出る。


『人を驚かせるのを生業にしているものだから……もう癖になっているようだわ』


 そんな生業ってある? 幽霊に生業が必要だとは思わなかったカロラインは彼女の生活に疑問を抱いた。


『昼間の話を聞かせてもらったけど……。あなた、今のままではわたくしのように、殺されてしまうわよ』


 それを忠告したくて出てきたという。

 殺される。物騒な単語にカロラインは目を見開いた。もとより身の危険を感じたからここに避難しに来たのだが、殺されるまでとは思わなかったのだ。


「殺される……? いえ、それより、レディは殺されたんですか?」


 知っている話と違う。キャロル・シエルバードは無念の自決を遂げたのではなかったのか。驚くカロラインにレディは「そうよ」とあっさり肯定した。


「だ、誰に……?」

『決まっているでしょう』


 わかりきったことのようにレディは言った。


『義妹……ミシェル・シエルバードよ』


 まさかと思ったことを言い当てられ、カロラインは絶句する。カロラインに生命の危機が迫っているとなれば犯人は義妹のミュレル以外にはありえず、だからこそレディが見かねて出てきたのだろう。


『失礼しちゃうわよね、勝手にわたくしを悪女に仕立てて。男を誑かして貢がせていたのも、いじめをしていたのも全部ミシェルですのに。都合の悪いことは書き換えてしまうのですもの。男って、勝手だわ』


 ぷりぷり怒るレディは血を吐きさえしなければかわいらしい女性だ。もうカロラインを驚かせるつもりはないらしい。


「その……化けて出るからでは……?」

『ミシェルに似た子を見ると、つい、ね』


 茶目っ気たっぷりにおどけてみせたレディだが、思い出したのか姿を一変させた。髪は乱れ、瞳はよどみ、血に濡れてゆく。


『あの断罪……ミシェルがディーン様を手に入れるためにしたあの小芝居。あんな嘘を信じる人はいなかったわ。わたくしを都合よく悪女にしていた男たちでさえ信じていなかった。だからわたくしは殺された……死人に罪を擦り付けるために! 殺されたのよ!!』


 レディの怒りに空気が揺れ、窓ガラスがビリビリと鳴った。


『わたくしが夜中に飲んでいた、ディーン様からいただいた精神安定の水薬……。毒とすり替えたのはわたくしが信頼していたメイドだったわ……』


 俯いたレディの肩は震えていた。泣いているのかもしれなかった。


 レディの手を握ろうとしたカロラインの手が彼女をすり抜ける。炎のように乱れていた髪がふわりと落ちた。


『信じていたのに……。あの子の恋人がミシェルに誑かされた一人だったの。このままでは罪に問われると言われて……馬鹿な子、わたくしに相談してくれていれば……あんなことにはならなかったのに……』

「レディ……。では、レーツェル公は? ミシェルと結婚したって聞いてますけど……」

『そうよ。復讐のためにね』


 ディーン・レーツェルがレディの義妹と結婚したのは彼女を監禁しておくためだった。そうしてレディを見殺しにした男たち――実兄であるジュリウス王子たちをミシェルの名で脅したのだ。ミシェルのおねだりをレディのものだとし、ミシェルをかばっていた男たちは、レディへの罪悪感と罪の意識から従うしかなかった。つまり、革命のきっかけとなったジュリウスの散財はミシェルの名を使ったディーンが仕向けたものだったのだ。

 脅し取った財宝を換金したディーンはそれで革命軍を組織した。完全なるマッチポンプである。


「そうなるとミシェルの転落死というのも怪しいですね」

『それはわたくしよ』


 さらっとレディが自白した。


「え?」

『この館はわたくしの実母から譲られた、形見のひとつだったの。わたくしが死んでミシェルの物にされてしまったけれど、母とディーン様との思い出が詰まった館で、あのミシェルが我が物顔で過ごすなんて。許せませんわ』


 レディが毒殺されたのもこの館である。自分が殺した義姉の死亡現場で暮らすというのもなかなか悪趣味な復讐だ。


『わたくしが現れた時のあの子といったら! 発狂したように悲鳴をあげて逃げ出して行ったわ。あんなに胸がすっとしたのははじめてよ!』


 どんなふうに化けて出れば怖がるか研究した甲斐があったわ。声をあげて笑ったレディはまたごふっと血を吐いた。どうやらそのおどろおどろしい姿は日々の研究の成果らしい。そりゃあこんな死にたてほやほや、恨みつらみを体現した、自分が殺した相手が化けて出て来れば泣いて逃げるだろう。想像したカロラインが身震いした。かといってミシェルに同情する気は微塵も湧いてこない。


 そのミシェルの幽霊は出ないのかとカロラインはちらりと思ったが、思い出の館に義妹が居座るのをレディが許すわけがない。どうやったのかは怖いので知りたくないが、殺されてふっきれたレディが追い出したのだろう。


「あの、レディ……」

『なにかしら?』

「こんなこと聞いていいのか……その、レーツェル公と天国に行こうとは思わなかったのですか?」


 カロラインの疑問にレディの蒼い瞳が悲しそうに伏せられた。

 歴史が事実なら、ディーン・レーツェルが死んだのもこの館だ。彼はレディと一緒に逝こうとしなかったのだろうか。


『やっぱり、あなたはやさしいのね……。ディーン様が逝かれたのは天の国などではなく地獄よ』

「そんな。レディを愛して、復讐しただけではありませんか」


 レディがゆるゆると首を振った。


『ジュリウス殿下のことがなくてもこの国はすでに破綻していたわ。風前の灯火であったものを拭き消したのはディーン様なのです。我が子に乳を飲ませることもできないほど母親が痩せ衰え、仕事を求めて家を出た父親は誰にも看取られることなく道端で死ぬ。ディーン様は私怨のために多くの民を犠牲にしました。……美談とされてしまったのは、あの方には不本意であったことでしょう』


 革命という言葉の華々しさは、その裏にある悲惨さをごまかすためのものでしかない。当時を生きたレディには、ディーンの行いを正義とすることはできなかった。


 カロラインは言葉を探したが、何をどう言えばいいのかわからなかった。


 すべては過去のことなのだ。真実はどうであれ事実を変えることはできない。ディーン・レーツェルは愛しいキャロル・シエルバードの思い出が詰まったこの館で、彼女を見ることすら叶わずに死を迎えた。


『あの時すべてに絶望して逃げるのではなく、ディーン様を信じて戦っていたら……。このような後悔はなかったのかしらね……』


 それは、自分のふがいなさを嘆いているのか、それともディーンを孤独に追いやってしまったことを悔やんでいるのか。


 淡い金の髪は乱れ、蒼い瞳は濁り、血で汚れたドレスをまとったレディはそう呟くと、窓に切り取られた夜の空を見つめてふっと消えていった。




レディを書いていて、娘を心配しすぎるお父さんを思い出したのは私です。

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[一言] マダムたちがすでに気になって仕方ない…!! そういえば子供の頃、祖母についていった温泉では同じ宿になったおばさまたちがよく相手の部屋でお茶飲んでおしゃべりしてたな~! 自分もそんなおばさまた…
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