レーツェル公が隠すもの
ホテル「レディ・シエルバード」はにわかに喧騒に包まれた。
腰を抜かして泣きじゃくるミュレルをカロラインがよしよしと慰め、記者たちは白骨死体にカメラを向け、ドレス姿のマダムたちは目の前で起きたホラー現象に癇癪を起して失神し、管理人のリンジー夫妻は本当に会った秘密の部屋と新発見に悲鳴を上げ、ひかえめにいっててんやわんやの大騒ぎである。
出てきたのが人骨だったので警察が呼ばれ、夜中にもかかわらず一報を受けた歴史学者が詰めかけた。
ドレス盗難未遂について、ミュレルが警察からこっぴどく叱られる一幕もあった。レンタル契約こそマーテルの取り成しでミュレルが結んだが、ヘアピン一本で鍵を開けた手口はあきらかに常習犯のそれである。カロラインは驚かなかった。カロラインの部屋で何度もやっていればそうなる。
ミュレルは涙が止まってもカロラインから離れようとしなかった。幼児退行しているのか「おねえさま、おねえさま」と繰り返している。
「もう晩餐会どころじゃないわね……」
残念そうに言ったのはマーテルだ。たしかにそうだが、今気にするのはそこじゃない。
マーテルの言葉にリンジー夫妻が我に返った。料理はすでに完成し、サーブを待っている状態である。中止となったらせっかくのごちそうはどうなるのか。捨ててしまっては張り切って作った料理と料理人が報われない。
縋るような視線にマーテルがうなずいた。
「そうね。料理は警察や記者さん、夜通しでのお仕事になるでしょうし学者の先生にもお出しして。ああもちろん招待客のみなさんにも。食欲のないお方でも、お部屋でスープかデザートなら召し上がれるかもしれないわ」
てきぱきと指示を出すマーテルは年長者の貫禄があった。
「ミュレル、デザートなら食べられる? 紅茶は? コーヒーのほうがいいかしら?」
「……食べる」
「飲み物は?」
「紅茶……ミルクとお砂糖たっぷりで」
「はいはい」
カロラインがデザートの乗ったワゴンを押そうとすると、離れるのを嫌がったミュレルが駄々をこねた。見かねたダレンがメイドに頼んでいる。
「きついお仕置きだったわね」
「おしおき?」
ミュレルがカロラインの胸から顔を上げた。涙は止まったものの緑色の瞳は潤み、頬がかさついてしまっている。
「レディよ。亜麻色の髪に緑色の瞳を持つ少女の前に化けて出るって、あなたも聞いていたでしょう。特にわたしはレディと同じ色をしているから、わたしに意地悪するミュレルを許せなかったのね」
「いやっ。怖い話しないでっ」
「これに懲りたら人の物を欲しがるのはやめなさい。いつか、本当に仕返しされてしまうわよ」
「ごめんなさいおねえさまっ。ごめんなさい……っ」
「レディに感謝して、改心なさい」
また泣き出したミュレルがカロラインの胸の中で何度もうなずいた。
ミュレルがカロラインから離れないため、この夜はカロラインのベッドで寝ることになった。姉妹とはいえ義理、父の再婚相手の連れ子であるミュレルと一緒に寝るのはこれがはじめてだった。あどけないというより年齢より幼い顔で眠るミュレルに、カロラインは素直にかわいいと思った。ミュレルが助かって良かった。この子を失わずにすんで、本当に良かった。
カロラインは眠れなかった。体は疲れているのに精神が高ぶっているのか妙に目が冴えてしまっている。ミュレルが熟睡しているのを確認して、カロラインは部屋を出た。
警察と学者は本当に夜通し調査をしているらしく、ホテル全体がどことなくざわめいている。ネグリジェだけでは心もとなく、カロラインはガウンを羽織った。
回廊に行くとレディの肖像は下ろされたまま、秘密の部屋の回転扉にはつっかえ棒がされて開いてあった。警官が一人見張りに立っていた。
レディの気配はない。ミュレルをかばい、レディに逆らったカロラインに怒っているのかもしれなかった。ごめんなさい、レディ。でも、わたしはミュレルを嫌っているけど、死んでほしいわけではないの。心の中で呟いた。
がっかりしながら階段を降りると、レーツェル公の肖像が目に入った。
「……」
古い館らしく、回廊だけではなくいたるところに絵画や、最近のものだろう写真が飾られている。その中でも肖像画は回廊に集中しており、レーツェル公は一人きりだ。
「レディの後ろには秘密の部屋があったけど、レーツェル公にも何かあるのかしら?」
こっそり確かめてみようとして周囲を見回したカロラインは、背後にいた男と目が合ってしまい飛び上がった。とっさにガウンの胸元をかき寄せる。
「きゃあっ?」
「あ、失礼っ」
男はまさかカロラインがネグリジェ姿だとは思わなかったのか、あわてて後ろを向いた。ホッと一息つく。
「あなたは……たしか、キートン先生」
「はい」
考古学者のキートンだった。カロラインにしがみついて泣くミュレルからレディの話を聞こうとして失敗していたのを思い出す。幽霊の話はともかく、ミュレルがどうやって物的証拠に至ったのかをしきりに問い詰めていた。記者たちもミュレルからコメントを得ようと次々話しかけ、結局ダレンに追い払ってもらったのだ。
正直なところあまり印象は良くない。カロラインは心持ち身を引いた。
「あの……何か御用でしたか?」
「いえ、その。先程は失礼しました。人骨を見たら幼いお嬢さんは怖がって当然です。忘れてました」
忘れるだろうか。考古学者はどこか常識がずれているのかもしれない。頭をかいて謝罪を述べたキートンにカロラインはやや警戒を解いた。呆れているのだ。
「レーツェル公の肖像は壁も含めて調査しましたが、何もありませんでした。他にも秘密の部屋がないか、館全体を調査する予定です」
どうやらさっきの独り言を聞いて、教えに来てくれたらしい。カロラインは赤くなった。考えてみなくともレディと対になったようなレーツェル公の肖像を調べないはずがなかった。
「そうですか……何か意味があるのかと思ったんですけど」
「私もです。ちょうど東西の、日が昇る方向と日が沈む方向にありますからね。レーツェル公からはかろうじてレディが見える程度。成人男性の足で五十歩ほどの距離がある。レディがうつむき加減なのに対し、レーツェル公は仰ぎ見る体勢です。これは何かあると考えても当然です」
キートンは流れるように語りだした。
「秘密の部屋が発見されたと聞いて、もしやレディ・シエルバードかレーツェル公の墓が見つかったのではと期待しました。」
ふいにひらめくものがあり、カロラインは胸を押さえた。そんなまさか、と思うものの、そうだとしたらどうしよう。
「あの白骨はどうやらレディと同時代の女性のようですね。どうしてあそこに入ったのかはわかりませんが、行方不明となっていたレディのメイドでしょう。レディの腹心といわれた人物です。断罪されたレディに殺されたのかもしれません。あの部屋には窓はありませんが空気孔がありました。そして警察の調べでは床におびただしい出血の跡があるそうです。閉じ込められたら最後、ネズミに食い殺されたのでしょう。いやはや、昔の貴族というのは残酷です」
それにしてもこの男、デリカシーがなさすぎる。人が大勢いて灯りもついているとはいえこんな夜中にネズミに食い殺されたなどと、女性に向かって言っていいことではないだろう。
もてないだろうな、と失礼な感想を抱きつつ、しかしカロラインはいかにも楽しそうなキートンに文句を言う気をなくした。
「キートン先生は、レディにお詳しいのかしら?」
「はい。私の専門ではないのですが……実はシエルバード家の血が入っていますからね。……できれば先祖の名誉を回復したいのです」
「えっ、レディの?」
レディは結婚前に毒殺されたはずである。子供がいたなんて話は聞いたことがなかった。
キートンは笑って首を振った。
「いいえ、分家の一つにすぎない末端ですよ。貴族が領主でなくなった上、レディの悪名がすごかったので、早々に平民に降ったそうです。ですが先祖はどうもレディが『悪女』だと信じていなかったようでして、疑問視する日記が残されているんです」
「……っ」
子供の時分にそんな話を聞かされて育ったキートンは、歴史に隠された謎にすっかりのめり込み、そのまま考古学者になった。ちなみに彼の専門はレディよりもっと昔の古代文明だそうだ。
「先生!」
「はいっ?」
カロラインは光明を見た思いだった。この人ならきっと、レディの無実を信じてくれる。レディが導いてくれたのだ。
「わたしの仮説を聞いてください。この館から少し行ったところに泉があるのはご存知?」
「はい、知ってます。青い鳥の小屋があるところですね」
「そうですそれです。あの小屋はレディのお墓なんです」
「――は?」
カロラインがおや、と思ったのは、ミュレルが秘密の部屋を開けた時の音だ。ミュレルが蹴飛ばした鍵の位置、そこだけ音が違っていた。
「小屋の床にもわずかに音の違う箇所がありました」
「待ってください。それならとっくに発見されているはずでしょう」
「ええ、そうです。でも、誰もそれを言うことができなかったんじゃありません? 秘密の部屋の扉は片方に体重をかけつつ足元のスイッチを押す方法でした。スイッチだけでは開かないんです」
そして扉が回転すれば開けた人物はそのまま閉じ込められてしまう。発見者が一人であれば……。
「秘密の部屋は内側から開けられる仕組みになっていましたか?」
「いいえ……。閉じ込められた人物は絶対に逃げられないようになっていました」
言いながらキートンが蒼ざめた。
レディの墓とその仕組みに気づいた『誰か』は、レディが男たちに貢がせたとされる財宝の存在を当然知っていただろう。こっそり墓を暴き、新発見を発表するその前に、お宝の一つ二つ頂戴しようとしていたのであれば。あるいは誰にも告げずに試してみようとしたならば。あのメイドと同じ運命を辿ったに違いない。
「……レーツェル公は秘密の部屋の存在を知って、レディの肖像画をあそこに飾り、動かさないようにと厳命されましたね」
確信をもってカロラインがキートンを見つめた。
「レーツェル公が……何のために?」
キートンはもはや疑っていないようだった。
「もちろん、愛するレディを守るためですわ」
「愛する……」
「ええ。レディを殺した人々に復讐した後の公は、レディを守ることに徹したのでしょう。レディのお墓には、愛と復讐の証があるはずです」
すべてはカロラインの仮説である。だがカロラインには、それが正しいと思えてならなかった。そうでなければこのタイミングでレディの無実を信じ名誉回復を希望するレディと血の繋がりがある子孫が来るはずがない。レディも、そしてレーツェル公も、きっとこの時を待っていたのだ。
「お墓を開ける際は、警察と救助道具を準備しておいたほうがよろしいでしょう」
カロラインは晴れ晴れとした気分で笑った。
考古学者といったらこの名前しか思いつかなかった。




