秘密の部屋には罪が眠っている
今回ぬるいですがホラー表現があります。
夕方が近づくと、ミュレルが呼び出した記者と思しき男が数人ちらほらと集まりはじめた。しかしミュレルは不満そうである。彼らは見るからにやる気がなさそうで、ドレス姿のミュレルに驚きはしたものの儀礼的に写真を一枚撮るだけだったのだ。彼らは地元の新聞社とオカルト系雑誌の記者で、ミュレルが狙っていた大手新聞社は一人もいなかった。
まあ、当然だろう。今さら学術的発見があるとは思えない、少女の戯言にも等しい幽霊話だ。現実的な新聞社や雑誌社が求めるのは政治的スキャンダルであり、本気にするほうがおかしい。どの段階でミュレルが呼んだのかは知らないが、来いと言われてホイホイ応じるほどどこも暇ではなかった。
カロラインはマーテルを押しのけるようにしてさも女主人のごとくふるまうミュレルをハラハラしながら見守っていた。
義妹としては迷惑ばかりだし、友人にもなりたくない。ダレンとのことを考えれば嫌いだと断言しても良かったミュレルでも、死んでほしいとまでは思っていないのだ。せいぜい自分のいないところで勝手にやっていればいい程度。幸福も不幸も祈らない。ミュレルだってカロラインの幸福を祈るどころか積極的に不幸に陥れようとしてくるのだからお互いさまである。そこにカロラインは後ろめたさを感じなかった。
ちょっと痛い目に遭って少しは反省しろ。そうは思うがあのミュレルで相手はあのレディである。すでに死んでいるレディにミュレルは対抗できないだろう。
「ローラ、大丈夫か」
ダレンが声をかけてきた。彼は紳士の正装、燕尾服姿である。社交でもスーツが多いせいか少し居心地が悪そうだった。
「今になって緊張してきたわ。……レディの悪名が酷くならないといいんだけど」
「そっちか」
ダレンが苦笑した。ミュレルのことも心配だが、どちらかといえばレディのほうがカロラインは大切だ。カロラインは心臓が不安に跳ね上がる理由をそう結論づけた。けしてミュレルではない。そんなはずがなかった。
ミュレルは当然ダレンがエスコートしてくれるものと考えていたらしい。ミュレルに見向きもせず、まっすぐカロラインの元に向かったダレンに信じられないといわんばかりの表情だった。他のマダムたちは気に入ったボーイをエスコート役にしている。孫と夜会に来たおばあちゃんみたいでなんだか微笑ましい光景だ。
「晩餐会の前に、異例ではありますがミス・ミュレル・ドーンが余興を披露してくださるそうです。なんとミス・ミュレル・ドーンはレディ・シエルバードとお会いになり、直々に秘密の部屋を教えていただいたそうですわ」
主催のマーテルはどうやら晩餐会の前に披露させることにしたようだ。そのほうが時代衣裳とあいまって会話が弾むと考えたのだろう。
ロビーに集められた招待客と記者、念のため管理人のリンジー夫妻も控えている。その前に立ったミュレルはレディと同じドレスを着て、興奮に顔を赤らめた。
「ミュレル・ドーンです。この度はわたくしのためにお集まりいただきありがとうございます」
この挨拶にはマーテルが口元を引き攣らせた。小道具の扇を持つ手に力が入り、ごまかすように口元を隠した。
「……あれは昨晩のことでございました。ふいに寒気がして目を覚ましたわたくしは、影のような光のような……そう、霊としか思えない、うつくしい女性がわたくしを手招いているのを見たのです」
やけに芝居がかった口調と手振りで語りはじめた。マーテルと打ち合わせをした時に台本まで作ったらしい。ミュレルが広げた扇に目を走らせているのを見るとカンニングペーパーが貼ってあるのだろう。
「ああ、神様! わたくしはレディにとり殺されてしまうのかと神に祈り捧げました。しかしそうではなく、レディは悲しそうな顔をして何度もわたくしを振り返り、手招いてくるのです。わたくしは思い切って、レディの後をついていくことにいたしました」
ミュレルはすうっと息を吸い込み、扇を持っていないほうの手を掲げた。
「すると、ああ、なんということでしょう! 『レディ・シエルバードの肖像』に吸い込まれるようにレディは消えて行ったのです! その壁に、細工がしてあることにわたくしはすぐ気が付きましたわ。そこで思い出したのです、この館にあるという、秘密の部屋を!」
秘密の部屋の話はカロラインが探していたから流れたものだし、ほんの数日前である。さも昔から噂されていたように言うのは演出が過剰だ。
「わたくしは思いました。これはレディがわたくしに名誉を回復せよと訴えているのだと。……わたくしはまだ秘密の部屋に入っておりません。どうか皆様には、この新発見の証人になっていただきたいと存じます」
ミュレルは優雅に一礼しようとしてふらつき、なんとか持ちこたえた。カンニングはともかくとちって恥をかくのではとハラハラしていたカロラインはホッとした。
「……ダレン、お願いできる?」
「……いいのか?」
「エスコートなしじゃ無理よ。お願い」
カロラインが小声でダレンにエスコートを頼んだ。試着して実感したのはエスコートの必要性である。とにかく重くてかさばる上に足元はヒールなのだ。支えてもらわないと歩くこともままならない。まして階段を上るのは絶対に無理。なぜ社交界にはパートナーが求められるのか疑問だったが体験してわかった。コルセット、ドレス、ヒールの三点セットで武装した女性がいつぶっ倒れても対応できるようにするためだったのだ。生まれたのが今の時代で良かったとカロラインはしみじみ思った。
動きたくても動けなかったミュレルは、やってきたダレンを見て泣きそうな顔をしていた。見かねて手を貸すべきか迷っていたボーイたちもホッとしている。
ダレンに手を取られてえっちらおっちら階段を上りきったミュレルは肩で息をした。
ただでさえ薄暗い回廊は夕暮れを迎えてさらに暗くなり、一種異様な雰囲気である。
「あ……っ」
誰からともなく声が上がった。ミュレルとダレンの後ろ、二人の間に挟まれるように、血で胸元を濡らした女性が恨めしげな顔をして立っている。レディだ。
「きゃああっ」
マーテルたちも気づいて悲鳴を上げた。どよめいた記者が、慌ててカメラを準備しはじめる。
「え?」
ミュレルが振り返るとレディが姿を消す。顔を戻すとまた現れた。悲鳴があがり、記者が指差し、そしてミュレルが振り返ると消える、を何度も繰り返した。
「?」
からかわれている。レディがおどろおどろしいぶん余計におかしかった。カロラインは吹き出さないよう頬の内側を噛み、ロングトレーンの裾を踏まないように階段を上る。
ミュレルは自分の背後にレディがいることにやっと気が付いたようで、同じく気づいたダレンを急かして『レディ・シエルバードの肖像』に向かった。
そういえば、とカロラインは手を取り合っているリンジー夫妻に声をかけた。
「リンジーさん、レディの肖像は動かしてはならないと聞いていますけど、秘密の部屋が肖像画の後ろにあるのなら動かさなければなりませんよね?」
「あ、あ、そ、そうでした」
「で、で、でも、レディが良いって言うなら……」
ガタガタ震えるリンジー夫妻がどうしようかと考える前に、『レディ・シエルバードの肖像』の中にレディが吸い込まれるように消えていった。と、同時にドンと回廊が揺れ、巨大な肖像画が壁から滑り落ちる。ポルターガイストとホテルの象徴ともいえる絵画の落下に「ひぃっ」とリンジー夫妻が悲鳴をあげた。
こりゃあ確実に何かあるぞ。カメラの用意はいいか。新発見か。幽霊の実在を証明した。記者たちが騒がしくなり、カロラインを押しのけて前に詰めかける。
スクープの予感に記者が率先して肖像画をずらし、ついに壁が露わになった。肖像画の痕が付いているが、一見すると何の変哲もないただの壁だ。
ドアはおろか取手もない壁に取りついたミュレルが「えっと」「アレ?」と呟きながら部屋を探す。いや、部屋の位置を確認していた。
さすがにカロラインも前に出た。秘密の部屋には罪が眠っている、とレディは言った。罪とは何なのか、カロラインは見たかった。
「あった! これだわ!」
ミュレルが歓声をあげて振り返り、カロラインを見つけてニヤリと笑った。その背後にレディが浮かび上がる。
淡い金髪は乱れて蛇のように踊っている。血走った蒼い瞳は虚ろに澱み、うっすらと微笑む唇からこぽっと血を吐いた。ボタボタとローブ・ア・ラ・フランセーズの胸元が濡れる。丸い乳房を伝う血はどこかエロティックだった。
「たしか、こうして……っ」
ミュレルが肩と手を使って体重をかけて壁を圧しつつ、さらに足元の壁を蹴り上げた。コォーン、と微かな音が響く。
途端、壁がくるりと回転した。体重をかけていたミュレルが部屋に吸い込まれる。
「きゃあっ」
「ミュレル!」
カロラインは、見た。
その瞬間、レディがミュレルの手を引いたのを。
カロラインがミュレルの腕を摑まなければ、ミュレルは回転する壁に巻き込まれて部屋に閉じ込められていただろう。
そう信じられる証拠が、ミュレルの足元に眠っていた。
ミュレル越しに見えた秘密の部屋には壁紙どころか窓すらなく、石の床が剝きだしだった。壁が開いたことで舞い上がった埃の中でメイド服らしき黒いワンピースと長い赤茶色の――女性のものだろう髪の毛、そして、ボロボロに砕かれた、かろうじて人の物とわかる頭蓋骨が転がっていた。
「お、お義姉様……」
「しっかり、ミュレル。少しずつ、体をこちらに戻すのよ」
誰もが息を飲み、一言も発せない中、カロラインが引き留めてくれなければ自分がどうなっていたのかを見せつけられたミュレルが震えながら義姉に縋りついた。
「う、動けないの……あ、し、足が……っ」
「ミュレル?」
恐怖から泣き出したミュレルの歯がガチガチと鳴っている。体を戻すどころかミュレルは少しずつ部屋へと引っ張られていた。
「あし、あ、あし、つかまれて……っ」
ぐん、と強い力でミュレルが足を滑らせた。
「きゃああああああっ、いやあぁぁっ」
「ミュレル!」
「ローラ!」
引きずり込まれていくミュレルをカロラインが抱きしめ、ダレンがカロラインを支える。
「レディ、やめて! 妹なの、血が繋がっていなくても妹なのっ!」
「おねえさまぁっ!」
「馬鹿で見栄っ張りで嘘つきで、人の物を横取りして笑ってる。大っ嫌いなかわいいわたしの妹よ!!」
突然引く力が消えた。
カロラインたちが回廊側に倒れ込む。
開かれた部屋の中、人の気配にどこからか現れたネズミがチッと鳴いた。




