オープンチュートリアルー3
今まで戦ったことなんてない。なんて思ったけれど、記憶がないから過去のことなんてわからない。
もしかしたら前からこんな戦いがあふれた環境に身を置いていたかもしれない。
強化された身体能力と言われても、違和感が出るほどの変化は見られない。だが、動体視力はよくなっているようだ。
初めの二発の蹴りを除いて、コンビニ店員の攻撃は俺にまともに入っていない。完璧にとまでは言えないが、蹴りを手か足でガードし、次の動きを考えることができるくらいの余裕は出てきた。
武器の具現化は想像がつかないから、今は考えない。
身体能力の上昇についても、コンビニ店員を上回るほどではない。
「動体視力だけじゃどうにもならないっ!」
大振りになったフックパンチを身を屈めて避け、その体勢からコンビニ店員の腹にアッパーパンチを打ち込む。
しかし、コンビニ店員はひるむ様子を見せず、相変わらず単調な攻撃を仕掛けてくる。
「武器の具現化は自分の起源、信念、一番大事なものを明確に想うことが大事だ。形にこだわるな、とらわれるな」
思い出そう。
ジェイソンの武器は鉈だった。あの化け物の根っこの部分は何だろう?
残虐、加虐、恐怖ーー
「なるほどな。何もない俺にできることは少ないな」
ジェイソンは自分が残虐であり恐怖を与えるために素手ではなく、鉈という武器を選んだ。
たいして、俺は在り方を決められるほどの過去はない。
だから、真似事から始めようと思う。
赤子は親の真似をして言葉を覚えるように、俺は他の武器の具現化を真似る。
いつか……本当の、自分だけの武器の具現化ができるようになるまで。
「これは、結構重いな」
右手には確かに重みのある金属物が握られていた。
持ち手の部分も錆びて、刃も欠けている。
殺すための武器ではなく、傷つけることを目的とした武器。むしろ、苦しめるためにわざと殺しにくい性能をしているといっても過言ではない。
「それが適合者の異能によって生み出せる武器、魂装だ」
「魂装……ジェイソンと一緒っていうのはゾッとしないな」
「何はともあれ目的は達成できた。もう十分だな」
スミレはコンビニ店員の首元に手刀を放ち、気絶したコンビニ店員の身体を支える。
「とりあえず帰ろう。開の家でちゃんと説明するよ」
「ああ、頼む。今、何が起こっているかくらいは知っておきたいからな」
とりあえず、コンビニ店員の中にいたほかの店員は正常だったので、その人に預け、救急車を呼ぶように言って、その場を去った。
家近くのもう一つあるコンビニで朝食用の食パンと牛乳を購入し、帰宅した。
手を洗い、何も入っていない冷蔵庫に牛乳を入れてスミレと向き合った。
何度見ても浮世離れした容姿だ。
艶やかな黒髪は肩の少し上で切りそろえられたショートカットながらも、子供っぽさは感じない。
「まず、契約の願いを言っていなかったな」
「あ、ああ。俺を生かすことだっていっていたな」
「そうだ。こうも早く聖槍が現れてしまった以上、事情を話すよ。少し長くなるから肩の力を抜いて聞いてくれ」
肩の力を抜けって言われても中々言葉通り抜けるわけじゃない。
彼女の表情は少し暗く、重要なことを放そうとしているのが分かる。
「まず、夏季崖が散布したニゲラウイルスに適合した開のような存在は適合者と呼ばれる。超常的な力を手にし、人の理から外れた者たちだ。そしてそんな彼らのなれの果てが私のような契約者となる。適合者がさらにその先を望み、自身の存在まで奇跡に売り渡した愚か者が契約者だ」
彼女自身を侮蔑する言葉に苛立ちも何も感じられない。
侮蔑しながらも、その選択に後悔はないのかもしれない。
「契約者となった者には願いというよりも使命がある。その一つが聖槍の破壊だ。明日の用事はそれだった。だが、予想以上に今回の聖槍の力が強い。さっきのコンビニ店員のように、聖槍自身の防衛機能が発動している」
「防衛機能?」
「ああ。聖槍は人間が使うことで完全支配能力を発揮する。この力で人の精神を侵食し、自身を守る兵隊を作っている」
「自信を守るって意思があるみたいじゃないか」
「よく気付いたな。聖槍には意思がある。本当の姿は槍だが、背中に羽を生やした天使の姿で顕現する。おそらく明日の聖槍は強いだろうな」
槍っていうイメージから離れていくけれど、どう考えてもこの世界にあっていいものではなさそうだ。
完全支配能力なんてものはおそらく人間の手に負えるものではないだろう。
聖槍の防衛機能でさえ、平凡なコンビニ店員をあんな化け物じみた身体に作り換えた。悪意ある人間が持てばこの世界が壊れてしまうだろう。
「だから可能なら明日は大学に近づくな。契約者の私には聖槍を知覚することができる。明日の正午、大学に聖槍が現れる」
「近づかねぇよ!? 明日はやっと病院に行けるんだからな。……死なないのか?」
スミレが強いのは十分知っている。俺が行っても足手まといになることもな。
けれど契約者になった彼女の使命に危険じゃないものはない気がする。
「死なないよ? 契約者になった時点でこれは運命なんだ。天使に負けないから契約者なの」
そういった彼女は悲しそうに笑った。
陽が昇った。
せっかく朝食用のパンを買っていたのにも関わらず、彼女の姿はなく、代わりに『行ってきます』と置手紙があった。
俺は保険証を持って家を出た。
駅前の大きな総合病院の脳外科の診察を受け、いくつか検査をし、帰宅した。結果は明日分かるらしい。
そして昨日と同じファミレスでチキングリルセットを頼んだ。
昨日彼女があまりにもおいしそうに食べるから食べたくなったのだ。
午後一時半、帰宅。
彼女の姿はまだそこになかった。
「……やっぱり、心配だ」
戦闘がどれくらい続いたのかは分からない。
だが、素人の俺でも一時間半もの間、戦っていられないのは分かる。
何か問題が起こったと考えるべきだ。
スミレの言葉を思い出しながらも制止を振り切り、大学に向かう。
「っなんだこれは!?」
種は理解できる。天使が持つ完全支配能力で大学そのものを作り変えたのだろう。
校舎は面影を残さず瓦礫の城となり、積みあがったそれの周りには正気を失った生徒が配置されていた。
現状のすべては完全支配能力という言葉で片づけることができる。
「スミレ」
彼女の名前をつぶやく。
これまでの数回の戦いには彼女がいた。
けれど今は一人。
これからが初めての戦いだ。
手に鉈を握る。
面識はないが、同じ大がくに通う生徒を殺すわけにはいかない。もしかしたら細工開を知っている人がいるかもしれないし、そもそも俺に罪なき人を殺す覚悟はない。
手に汗を感じる。
走り、走る。
瓦礫の城の大きさが際立ち、人影が大きくなる。
「「「適合者一名、排除」」」
ぱっと見で十人以上いる。
だが、すべて素手だ。
この条件なら武器を持っている俺で突破できる。
「ふっ」
瓦礫のせいで足場が悪いが、天使の傀儡の彼らよりも動体視力のいい俺の足かせにはならない。
テンポよく、また一人と飛び込んでくる傀儡の頭に鉈の腹か回し蹴りを打ち込み、意識を刈り取っていく。俺の身体能力ではスミレのように手刀では意識を刈り取れない。
第一軍を切り抜け、そのまま走り抜ける。
俺に気付いた周囲の傀儡が寄ってくるのが視界の端に映る。
まずは、スミレと合流することが重要だ。
おそらくだが、夏季崖の横槍もあるだろう。ジェイソン相手では俺は歯が立たない。
もし聖槍が夏季崖の手に渡ったらと考えるだけで恐ろしい。
「ちょっと待てよ青年。おっさんも聖槍のところまで連れて行ってくれよ」
視線の先、瓦礫の小山に座る刑事がいた。