第八十五話 ラファ受験2日目なのである
カルア天鱗学園附属中等教育学校入学試験2日目。
検問所に並ぶ待機列は初日の3割程度。
これは初日の試験で7割の受験生が削られたことを意味する。
実際のところ、2日目3日目の試験はクラスの振り分け試験の意味合いが強い。列に並ぶ生徒の多くからは、昨日と比べるとほとんど緊張が見られず、参考書を開くことなく親族と話をしている生徒も少なくない。
天鱗学園は実力重視の学園ではあるものの、要求される学力は低くない。むしろ、王国内で5本指に入るほど筆記試験の難易度が高いとさえ言われている。
これは天鱗学園の求める『実力』に含まれる最低限の学力のレベルが、一般的な学力を遥かに上回るからである。
それゆえ、体を動かすことだけが得意な生徒では天鱗学園に入学することはまずできない。各初等教育学校の教師はそれをわかっているため、そういった生徒を推薦することはない。
つまり天鱗学園の試験を受けにきた時点で、入学できる最低限のレベルは超えていることになる。2日目の試験の結果だけで不合格を決めた受験生というのは、天鱗学園の長い歴史を辿っても数えられる程度しかいないだろう。
それでも入学試験は入学試験。
落ちる可能性がある以上、適当にこなそうと思っているような受験生はただ1人としていない。
初日と比べると若干緩んではいるものの、それでも張り詰めた空気の中、読まずか読めずか、明らかに周囲から浮いた家族がひとつ。
「それでね、そのあとゆきぴょんと多分その子じゃないかなって。だって機嫌良かったし、すっごいかわいい格好してたから!」
「へー。入学したらいきなりアリアちゃんと大喧嘩になるかもね」
「アリアちゃんそんなに怒ってるの!?そしたらやばいよ!ラファちゃんいい子だからミラが守ってあげてね!」
「!?」
「サラヘスに聞いた話だと相当怒ってたみたいだよ。『この学園には相応しくない!まるでカレンちゃんみたい!』って」
「えー!!それを言うなら『マルグルさんみたい!』じゃない?」
「僕だってカレンと比べれば随分静かなものさ」
「私だってお兄ちゃんよりはマシだと思うんだけどなー」
「この!どの口が言ってるのさ!」
「いひゃい!!ほうひょふはんひゃーい!!」
「あ、あの、お兄様お姉様…もう少々だけその…お、お静かに…」
騒がしい兄姉と、おどおどした妹。
目を惹く桃色の髪は第三貴族デイビス家の証である。
周囲から視線を集めているが、それに気がついているのは末妹だけ。受験生であるミラだが、参考書を読んでいる余裕なんてものはない。
「ほら!お兄ちゃんがうるさいからミラに怒られた!ごめんねー受験前にこんなうるさくしちゃって!」
「なにおう!?カレンのせいだよ!いつだってお父様に先に怒られるのはカレンの方なんだから!」
「今それ関係ないし!てか、しーーーっ!!ミラに勉強させてあげないと!でもミラはもう勉強しなくても余裕で受かると思うよ!だって私が受かってるし、10年前とかになるけどお兄ちゃんだって受かってるんだから!!」
「6年前ね、6年前。わかってると思うけど僕そんなにおじさんじゃないからね」
「い、いえ…、私じゃなくて、その、周りの子が…」
ミラに言われてようやくマルグルとカレンが周りの空気を理解する。3人に突き刺さる視線は、カレンのよく知る銀髪の少女よりも冷たい。
兄姉と違って小心者のミラには苦しい視線だ。
昨日ついて来てくれた母は、姉が同伴することを知ると、外せない用事ができたと言って逃げ出した。
父は本当に用事があるため、母の代わりに兄がついて来てくれることとなったが、これならいない方がマシだっただろう。
「あちゃー。これじゃラファちゃんのこと笑ってられないね!」
「そもそもそのラファちゃんもお姉さんのせいなんだろ?どこの家でも姉っていうのはどうしようもないもんだね」
「あー!!その発言はやばいよ!!ヘスちゃんもゆきぴょんもお姉ちゃんなんだからね!!お兄ちゃんは今とんでもない敵を作ったよ!!」
「大丈夫大丈夫。その2人を味方だと思ったことは生まれてこのかた、ただの一度もないからね」
注意したところで兄と姉の口は閉まらない。
唯一幸いだった点は、周囲にデイビス家を知る人間がちらほらいることだろう。3兄妹を知っている人間は、ミラに同情の視線を向けてくれている。
「はぁ…」
…せめてメイド1人くらいつけて貰えば良かった。
校内に入る前からミラの心は折れかけていた。
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2日目の試験内容は筆記試験。
天鱗学園の大教室を2つ使って行われる。
教室の前と後ろにそれぞれ2人ずつ不正防止のための試験監督がつき、各教室に2人ずつ受験生のサポートのための在校生が滞在している。体調不良やペンを落としたなどのトラブルには在校生があたることとなる。
大教室は教壇の前から放射状に席が並び、後方座席の視界確保のために階段型になっている。これはカルア闘技場や天鱗学園食堂と同じ建築様式であり、天鱗学園領内ではよく見られる形である。
ただし大教室は、授業で使う目的のものであるため、完全な円形ではなく扇形をしている。
大教室はエントランスと同様のデザインをしていて、学ぶ場所としては邪魔なほどに華美な装飾が施されている。
座席こそ全て木製だが、教壇は金細工が施された金属製のもので、教壇を中心にして広がる数席ごとに設けられた通路には、全て赤いカーペットが敷かれている。
壁面と天井には王国の歴史を元にした絵画が描かれ、教室後方の出入り口の両脇には初代カルア・ヨン・フェリヌアとトールマリス国王の石像が置かれている。
「試験時間の制限は御座いません。終わった方から順に私の元へ解答用紙を持ってきてください。解答用紙と引き換えに明日の受験案内を渡します」
全ての受験生が座席についたことを確認すると、教壇前に立つ男性教師が説明を開始する。
教室内には約300名の受験生がいるが、誰1人として音を出すものはいない。大教室は後方の席まで声が届くように設計されているため、これだけの静寂下であれば、大声を出さずとも男性教師の声は隅まで届く。
「当たり前のことになりますが注意事項をいくつか説明します。まず筆記用具以外の物を机の上に出すことは禁止します。防寒具や眼鏡の着用は可能ですが、それらを机の上に置くことは禁止となります。体調不良やその他いかなる理由があったとしても、試験中の離席は禁止します。離席する場合は手を挙げ補助員に解答用紙を渡し、その後は補助員の指示に従って行動をしてください。発声意外にも他の受験生の妨げになるような雑音を出すことは禁止します。ただし、咳やくしゃみ等の生理的なものは、常識の範囲内であれば問題ありません。万が一ですが問題用紙や解答用紙に不備があった場合はすぐに挙手をして知らせてください。その他、筆記用具を落としたなどについても全て挙手をして補助員に知らせるようにしてください。現時点で何か質問がある方はいますか?」
男性教師の説明を受け2名の受験生が手を挙げる。
1人は赤い髪をした女子生徒、もう1人は薄桃色の髪をした女子生徒。
「はい。まずはそちらの方から立ち上がって質問をお願いします」
男性教師は腕を真っ直ぐに上げた赤髪の女子生徒の方へと手を向ける。
「はい。フィグル領サルシーア初等教育学校のナタリア・クレインと申します。二点質問を申し上げます。一点目は試験時間についてです。制限はないとのことでしたが、万が一入学試験3日目までに終わらなかった場合はどのようになるのでしょうか。二点目は咳くしゃみ、腹鳴や放屁などが常識の範囲内と呼べない場合はどのようになるのでしょうか。以上二点、ご回答をお願いします」
勢いよく立ち上がったナタリアは大きな声ではきはきと質問をする。300を超える視線が自身に集まっても気にしている様子は全くない。
「質問ありがとうございます。一点目につきましては、こちらの方から試験時間について訂正させて頂きます。試験時間は天鱗学園の最終下校時刻の鐘が鳴るまでとさせて頂きます。二点目に関しましては、基本的に意図的なものと判断できない場合は不問といたします。意図的なものと判断した場合はその場にて不合格とし、速やかに退席させます。追加で質問点がありましたらお願いします」
「ありません。ありがとうございました」
「はい。それではそちらの方お願いします。名乗る必要はありません」
ナタリアが着席すると、おどおどと手を挙げていた薄桃色の髪の女子生徒が立ち上がる。
「え、えと……あの、い、いまならまだ、あの、お、お手洗いにいってもよろしいでしょうか…」
薄桃色の髪の女子生徒――ミラ・デイビスはナタリアとは違い、自信に集まる視線に怯えてうまく声が出せなかった。
「今ならまだトイレに行ってもいいかとの質問でしたが、それは不可とします。入室完了後、試験説明の開始をもって全ての離席を禁止とします」
「は、はい。ありがとうございました…」
教室の隅にいる生徒に質問が聞こえていなさそうだったため、男性生徒が質問を再度確認した上で回答する。
ミラは一応確認をしたまでで、特別便意に襲われているわけではないため、回答を聞いて大人しく着席する。
「他に質問がある方はいますか?」
ナタリアとミラ以外に質問がある生徒はいない。
大教室は再び静寂に包まれる。
「それでは、カルア天鱗学園附属中等教育学校筆記試験を開始します。手元の問題用紙と解答用紙を表向きにし、解答を始めてください」
一斉に紙を裏返す音が教室内に響く。
無音ではないものの、夜の森ほどに静かな教室内。
ペンと紙、呼吸と衣擦れ、限られた小さな音のみが教室全体から聞こえてくる。
全ての受験生が退出し、教室に音が戻ったのは試験開始から6時間後のことだった。
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天鱗学園を出て、昨日と同じ合流地点へと向かう。
母と姉が気に入ったらしい本屋と併設された喫茶店。
大通りに面した大きな建物の一階にあり、昨日と同様に今日も入店待ちの列が形成されている。
列整理をしている店員に合流だと伝え2人の下へ向かう。窓際のカウンター席に座った2人が通りから見えていたため、探すことなく合流できた。
「え、ラファ!?はやくない!?」
「あら!大丈夫!?なにか問題でもあったの!?」
挨拶することなく席に座ったラファに気がつくと、2人はパニックになり慌て出した。
アーニャが飲んでいるのはやたら大きいマグカップに入ったカフェオレ。トリシアが飲んでいるのは細長いグラスに入ったフルーツジュース。
アーニャの方は大丈夫だが、トリシアの方は手がぶつかっただけで倒れてしまいそうだ。
「危ないから慌てないで。何も問題とかないから。ただ覚えてたとこばっかり出たからすぐ終わっただけ」
ラファは挙手をして店員を呼ぶ。
ナタリアとミラの間をとった普通の挙手。
「そっかそっか。よかった。やばいよ。お姉ちゃん一瞬めっちゃ焦ったよ。でもそれならもう安心だね。受かったようなもんだ。うん。焦ったよ、ほんと。よかったよかった」
「まだ明日があるんだから勝手に終わらせて安心しないで」
「とか言ってラファだって安心してるくせに。表情見ればわかるよ」
「…まあ、受かったんじゃない?受かりはするだろうけど、受かるだけが目標じゃないから。いいクラス目指さないと」
「でもとりあえず受かったならママは嬉しいなー。あーでも受かっちゃったならラファが一人暮らしになることは決定しちゃうのね。ちょっとだけ寂しいわ。…ちょっとだけね」
本当はちょっとじゃなく寂しいのだが、母として娘に気を遣わせまいと、ちょっとだと言い張るトリシア。
が、2人の娘にはそんなのが強がりだとすぐにわかる。
「ママもラファも受験終わる前から受かった後の心配なんて贅沢だね」
「…姉さんが始めたんでしょ」
自分が1番最初に『受かったようなもんだ』なんて言い始めたくせに、2人を笑う姉に冷ややかな視線を向ける。
ラファは昨日会ったデイビス家の姉妹を思い出して、どこの家も姉なんてろくでもないと、そのデイビス家の嫡男と同じような感想を抱く。
「お待たせいたしました。ご注文をどうぞ」
店員の声を聞いて伸ばしていた手をメニューに下す。
「本日の紅茶って今日はなんですか?」
「本日の紅茶は養冬草とカルの葉の紅茶になります」
「じゃあそれのホットで。あとミックスサンドをひとつ」
メニューを指差しながら注文をする。
昼までにはまだ少し時間があるし、姉も本を読み始めたばかりなので軽食を頼む。
ここの喫茶店の座席は、入店時に時間を指定して購入する形式である。予想外にラファがくるのが早かったため、まだ1時間強残っている。
「店に来るまで今日は何してたの?」
「特に何もせずぶらぶらしてたよ。この辺りの大通り沿いは昨日まででほとんど見終わったし、適当に路地の方入りながら。意外に時間使っちゃったから私達もお店に入ったばっかりなんだよね」
「ふーん。何時間席取ってるの?」
「1時間半とってあるけど、どっか行きたかったらいつ出てもいいわよー」
「食べ物頼んだしいいよ。姉さんもまだ本持ってきたばっかりだし、お金ももったいないから時間いっぱいまで」
「大丈夫?体とか動かしたかったら別にいいんだよ。本なんていつでも読めるし」
「いいよ。3日目の試験は一晩で結果が変わるようなものでもないし」
「じゃあママはケーキを頼もうかしら」
「店員さん呼ぶ?」
「ラファの紅茶が届いたタイミングで頼むから大丈夫よ」
トリシアはケーキメニューを眺める。
写真のないこの世界では、メニューには絵と説明文が記載されている。
色も形も精密に描かれた絵は、実物のイメージと非常に近く、撮影用に飾れた写真よりも正確ですらある。食品サンプルや写真がなくとも、この世界で食事を選ぶ際に苦労することはない。
「お待たせいたしました。温かい本日の紅茶でございます。お好みでミルクをお使いください。こちらに失礼しますね」
「ありがとうございます。あと注文お願いします」
「はい。少々お待ちください」
店員はお盆を脇に挟み、制服のポケットからメモを取り出す。
「お待たせいたしました。ご注文をどうぞ」
脇を閉めながらメモを取っていると、店員の豊満な胸が強調される。
ラファは自分の胸を見下ろし、その後姉と母の胸元に目を向ける。特別大きな胸に憧れているつもりはないが、自分だけがほとんど膨らんでいない胸に、多少のコンプレックスは感じている。
「…お客様?」
「…あ、ごめんなさい。母さんどのケーキ?」
「えーと、ミルクシフォンケーキのトッピングをホイップでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
メモを元の場所にしまい、店員が立ち去る。
店員が見えなくなるまで、ラファの視線は彼女の胸に向けられたままだった。
「?ラファどうかしたの?」
「…いや、別になんでもない」
視線を正面に戻し紅茶に口をつける。
ラファは姉や母とは違って猫舌ではない。まだ少し冷えた体を温めるように熱い紅茶を飲む。カルの葉の爽やかな香りが広がる。
ちらりと右を見れば、本を片手にカフェオレを飲む姉と、楽しそうにメニューの絵を眺める母。
ラファは2人の胸を睨む。
カップを机に置くと、普段は入れないミルクをカップが溢れるギリギリまで注いだ。




