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僕は完璧でありたいのである  作者: いとう
第三章 ナスフォ街の天才美少女
97/116

第八十三話 王都へ向かうのである②

またもや食事とトイレがメインの回


※若干汚い描写があります。食事中の方はお気をつけください。




 旅行2日目。

 残り日数は9日。


 大体楽しい旅行は気がついたら帰り道になっている。

 1泊2日とか2泊3日なんてあっという間だし、多分9泊10日も終わってみたら一瞬なのだろう。


 感じる時間の長さについての話を覚えているだろうか。

 端的に言うと時計を見たりして時間を気にすると、時間が長く感じるという話だ。


 そう。僕はこの旅行を少しでも長く感じられるように、頻繁に日付や時間を数えているのである。



 何はともあれ2日目。

 現在馬車に乗って移動中。停車予定だった駅は先客で埋まっていたので、次の駅を目指しているところである。


「ここってまだフェード領?」


「どうなのかしら?」


 ミシト町を出て山を1つ超えた。現在開けた地を馬車は走っている。

 左手には川、右手には畑が広がっているのである。


 ぽつぽつと民家があったりするし、フェード領のイメージとはちょっと違う。その隣の領は確かピニアス領だったか。僕の記憶が正しければ特徴のない一般的な領である。


 ラファは今日もテキストを読んでいる。


 たまに目の休憩がてら僕と一問一答をしたりしている。ついでに僕がうだうだと余計な情報を言ったりしている。


 …いやいや、余計ではないのである。

 教科書だけでは足りないような情報を付け足して教えてあげているのだ。理解が深まって、きっと受験の役にも立つはずである。


「着きました」


 御者台から鞭の音と、昨日と変わらない無感情な声が聞こえる。


 馬車が完全に停車したので外に出る。

 降りる用の階段を出せるのだが、僕には必要ないので飛び降りるのである。


「うぅ…寒ぅ…」


 本日の天気は曇り。

 ただでさえトールマリス王国の冬は寒いのに、太陽が見えないとなれば極寒の地である。


 ましてや水辺。


 手袋、耳当てまでつけて防寒対策万全だと言うのに、死ぬほど寒い。特に露出した顔面が寒いのである。



「トイレトイレ…」


 寒いとトイレが近くなる。

 馬車から出た瞬間に強烈な便意が襲ってきた。


 もしかしたら綺麗かもと期待していたが、駅なんてどこもそう変わらない。汚くて臭い穴に向かうのである。


 幸いなことに今日も他の客はいない。


 ささっと済ませてお昼ご飯でも食べるとするのである。




――――




 トイレを終えて馬車の前に戻ると、御者がたばこを吸っていた。


「ああ、失礼しました」


「いえいえ、お気になさらず」


 僕を見ると急いで消そうとしたが、別に気にすることなどない。休憩時間をどう過ごすかにまで口を出すつもりはないのである。


「馬って煙の匂いとか大丈夫なんですか?」


「嫌がられたことはありませんね。私に煙草を教えた先輩は運転中も吸ってましたし」


「へー。いつからこの仕事を?」


「荷馬車も含めたらもう15年になります。丁度お客様と同じ年齢の頃から人を乗せる仕事を始めました」


 御者のお姉さんは20代半ばのちょっとやさぐれた感じの人である。

 最低限清潔感のある服装はしているが、おしゃれに興味はなさそうで、動きやすさと暖かさを兼ね備えた機能性重視の格好をしている。


 焦茶色のフード付きケープの下のお顔は長い前髪のせいもあってはっきりとは見えないが、うっすらと黒瞳が覗いている。

 幼い頃から仕事をしているのにはそれなりの理由があるのだろう。


「慣れるまでは大変でした?」


「どうでしょう。仕事を苦に感じたことはありませんね。馬に乗って色々なところを旅するのは楽しくすらあります」


「王国はほとんど周りました?」


「いえ、まだ行ったことない場所も沢山ありますよ」


 お姉さんはタバコを地面に捨てて馬を撫でる。

 馬は静かに鳴きつつ頭をお姉さんの手に擦りつける。


「かわいいですね」


「触ってみます?」


「…噛みついたりされませんか?」


「どうでしょう。多分大丈夫ですよ」


 噛みつかれる可能性あるのか。


 手袋を外して、恐る恐る馬の首元に手を伸ばす。

 そっと毛並みに沿って撫でてみる。

 犬猫とは質感が全く違う。


「ブルルルルル…」


「お、怒ってます?」


「怒ってませんよ」


 馬は僕の方に顔を向けると、なんだかよくわからないが唇を上げて歯を見せつけてきた。

 笑っているようにも見えるが、馬鹿にされているようにも見えるのである。


「怒ってます?」


「一般的に求愛の顔って言われてます」


「な、なるほど…」


 まさかのキス顔だったのである。

 畜生相手とはいえ、求愛されれば悪い気持ちはしない。

 こいつめ。かわいいやつなのである。


「あと臭い時なんかもこの顔しますね。初めて煙草の匂いを嗅いだ馬もこの顔をします」


「え、それ嫌がってるとかではなく?」


「どうなんでしょうね。むしろ積極的に嗅ぎにきますし、求愛と同じ顔なら好意的なんじゃないですか?」


「つまり私から変な匂いがする可能性があると」


「トイレ行った直後だからかもしれませんね」


「て、手はちゃんと洗いましたよ!」


「駅のトイレは臭いですから」


 もしかして僕にあの匂いが染み付いているということだろうか。


 気になったので自分の袖の匂いを嗅いでみる。


 うーん…別に変な匂いがしたりはしない。

 人間にはわからないレベルに染み付いているのだろうか。


 それか僕自身の体臭の問題だったりして。

 

「さ、そろそろ出発なんで乗ってください」


「わかりました。よろしくお願いします」


 深く考えると嫌な気持ちになってくるので、求愛されたということにして納得しておくのである。

 

 

 急いで手を洗ってきてから馬車に飛び乗ると、ママとラファがお弁当を膝の上に乗せて僕を待っていた。


「ごめんごめんお待たせ」


「御者さんと何をお話ししてたの?」


「んー?なんだろ。ただの雑談かな」


 弁当箱を開くと大きなサンドウィッチが2つ。


 確か鴨と胡桃のサンドウィッチだったか。

 メインの具材の他にも葉物野菜やトマトも挟まっている。


 蓋の裏側にはメモが一枚。

 セサミのパンの方がチーズソースで、プレーンの方がマスタードソースとのことだ。



「「いただきまーす!」」「いただきます」


 マスタードソースの方から頂く。


 かなり厚さがあるので、僕の口のサイズでは綺麗に食べることが難しい。口の周りにいろいろついてしまうが、まあ仕方ないのである。


 こっちのマスタードはかなり辛いものが多い。

 その中でもこのサンドウィッチに使われているものは『黒辛香(こくしんこう)』という魔草の実で、1番辛い種類のものである。


 ツーンとした痛みと『黒辛香』の香りが鼻いっぱいに広がる。酸味は少し抑えめで、痛みと香りが抜けると甘じょっぱさが広がった。


 美味い。

 味も良いが食感もよい。

 パンから入って、野菜、鴨肉、そして胡桃と飽きない食感が楽しめる。

 胡桃は香りも食感も主張が強い。こりゃメインの具材と言われて当然なのである。


 飲み込み終わると、すぐ次の一口を頬張る。

 べちゃっと頬の方までソースがついたが、家族しか見ていないし気にすることはない。


「喉に詰まらせないようにね」


 正面を見るとママは非常に上品に食べている。

 口のサイズの差もあるのだが、ママは口の周りに食べカスをつけることなく食べているのである。


 やはり女性らしさという面ではママにはまだまだ遠く及ばない。僕は所詮中学生だということである。



 サンドウィッチを食べ進めていると、逆側から具材がはみ出そうになる。

 落としたら汚いし勿体無いので、ひっくり返して逆側から食べる。ちょっと見栄えは悪いが仕方ないのだ。


 このひっくり返した瞬間が1番おいしい。

 パンにたいして多すぎるほどの具材を味わえるのはこのタイミングなのである。



 無言で食べ続けていたらもうなくなってしまった。


 そのまま続けてチーズソースの方へと手を伸ばす。


「一旦お茶を飲んでお顔を拭かないと」


 ママにゴシゴシ口周りを拭かれる。

 どうせまた汚れるというのに拭く必要あるのだろうか。


 お茶を挟むのはナイスアイデアだ。

 一回口の中をリセットしないと勿体無いのである。


 水筒をあけてお茶を飲む。

 冷たいお茶だが、馬車の中はそこそこ暖かいので寒くは感じない。


 ちなみに馬車に暖房器具は備わっていない。

 ただ人の体温で温められているだけである。


 口をリセットしたのでチーズソースの方を食べる。


「!?うぅわっ!」


 とんでもないほどにチーズの香りがする。


 しかもめちゃくちゃ癖がある。


 なんのチーズかと言われても当てはまるものがない、めちゃくちゃ濃い牧場の香りみたいな感じだ。


 近い香りといえば動物の糞であろうか。

 そう考えると駅のトイレの香りが思い出されてきて、だんだんそれに似てる気がしてくる。



 これはだめだ。


 僕は苦手である。


「私のと交換してあげるよ」


 そんな姉を見て、隣に座っていた妹がマスタードの方を差し出してくる。


「え、いいよいいよ」


「大丈夫。私チーズ好きだから」


 そしてそのまま僕の食べかけのサンドウィッチを取り、僕の手にラファのものをくれた。

 ラファはこうなることを想定していたのかどうなのか、チーズの方から先に食べていたようだ。


「えへへ。ありがとねラファ。一口食べちゃってるからこっちも一口あげる」


「ん」


 隣にいるラファにあーんをしてみる。

 

 するとラファは普通に口を開けて食べてくれた。


 昔のラファからすると信じられないが、最近は姉とのスキンシップも適度に取ってくれるのである。



 馬車の中で家族と美味しいご飯を食べる。

 肌寒かったり狭かったりと、決して快適とは言えない馬車の中だが、その非日常感もまた一興ってやつだ。


 サリアやトゥリー達も昼休みを迎える頃だろう。

 学校を休んでいるという事実もまた、背徳感があっていいスパイスになっているのである。



 幸せいっぱい腹いっぱいである。




―――――――――――――――――――――――




「あ、丁度いい問題あった。トライス村が正式にペグロ領となった時のトライス族長とペグロ家当主の名前は?」


「『ガ・ノウヨ』と『ディード・ヨン・ペグロ』」


「正解正解。ガ・ノウヨの綴りも大丈夫?」


「大丈夫」



 時刻は19時半を回った頃。

 現在我々は、街灯が整備されていない山の中を走っている。


 窓の外は当然何も見えない。

 車内の灯りも最低限しかないので、向かいに座るママの顔が見えない程度には暗い。テキストを読める明るさではないので、ラファの勉強には僕が付き合ってあげているのである。



「そろそろ着きそうだね」


「ん」



 本日の宿はこの先『ペグロ領トライス村』である。


 ペグロ領は第一貴族領であり、他の領と比較して非常に裕福な領である。

 王国北部から王都へと繋ぐ流通の要所でもあるため、商業が盛んであったり、王都ほどではないが雷線の普及も進んでいたりと、人の活気がある領である。



 ただ、そんなペグロ領の中で異彩を放っているのが、今日僕たちが宿泊する『トライス村』である。



 トライス村はトライスの森の中にある村で、トライス族という部族が定住している。


 トライス族は王国誕生初期からの先住民であり、その信仰や習慣から未だに独立した社会を形成している。

 そのためトライス族には『王国法』が適応されない。


 言ってしまえば王国内にある別の国である。


 ガフェト・ラクスビア戦争以前から王国と親しくしていた部族であったため、滅ぼすことは勿論、属国として統合することもできなかったらしい。

 詳しい経緯は省くが、要するにお互いに危害を加えないことを前提とした上で、ペグロ家がトライス族を監督しているわけである。


 どういう感じでやっているのかは知らないが、ペグロ家が上手くやってくれているおかげで、僕たちがトライス村に泊まることができるというわけである。



 そういった理由があって、トライス村周辺ではいくつかの禁止事項がある。



 ひとつ目は魔術の使用である。


 トライス族は基本的に魔力を持たない。

 そのためトライス族の信仰では魔力を持つものを異教徒と認識しており、ごく稀に魔力を持って生まれてきてしまった子は忌み子として処理される。

 トールマリス王国との長い交流もあって、魔力を持つ王国民に危害を加えることはないが、魔術に対する嫌悪や恐怖は本能的に染み付いているのである。


 ふたつ目は狩猟や採取、それに準ずる行為である。


 トライス族は森に住む動物や植物を主食としている。

 彼らは森の生態系の一部であり、彼らを含めて森は数百年、数千年と安定した生態系が保たれている。我々が介入してそれを崩すようなことは絶対にしてはならないわけである。


 みっつ目は夜間の外出である。


 この夜間とは大体21時から3時の間であり、移動も含めた外出が禁止される。

 これはトライス族の夜間警備兵たちに誤って殺されないようにするためのルールである。魔術がないトライス村では21時になると全ての火が消されて真っ暗になるのだ。



 重要なものは大体このくらいだろう。

 あとなんか細かいのも沢山あるが、普通に過ごしていれば問題ない程度のものである。

 


 さて、そんなこんなで窓の外にほんのりと明るい光が見えてきた。

 まだ光源自体は見えていないが、木々が何かしらかの光を受け、やんわりとオレンジに色づいているのである。



「ママ起きて。もう着くよ〜」


 ぐっすりと眠っているママの両膝を掴んで揺らす。


 軽く揺らしただけでは起きなかったので、ちょっと強く揺らす。珍しく寝覚めが悪いのである。


「ん〜…。おはよ〜…」


「おはよ。もう着くよ」


「ん…。魔灯は消した?」


「森に入る前から消してるよ」


「よかった。ふたりともありがと」


 ママはゴソゴソと動いて降りる支度を始めた。

 馬車の中では靴を脱いだり、毛布を着たりしているため、降りる前には準備が必要なのである。


 僕も準備をしなくては。


 暗くてあまり見えないが、服装を整えてゴミや布団を片付ける。ついてから外出禁止時刻になるまで1時間ちょっとしかないので、できる限りの準備は今のうちにしないといけないのである。


 ちなみに今日の宿はレイラさんも一緒である。

 あ、レイラさんというのは御者さんである。


 今日は盗まれる危険がないので荷下ろしはしない。最低限の荷物だけ持って、あとは馬車の中に入れておくのである。

 トライス村は王国で最も治安がいいのである。


「…ちょっと。姉さんこれ」


 ラファが不機嫌そうに何かを僕に渡してくる。

 ラファの右手に摘まれたそれは30cmほどの布。

 そう僕の靴下である。


「ああ、ごめんごめん」


 寒いとか言いながら僕は靴下と靴を脱いでいる。


 それで思い出したがブラも外していた。

 こういうところはいつまで経っても男のままである。圧迫感のあるものはなるべく外したいのだ。


 昨日は灯りがあったから落ちていたのに気がついたのだが、見えないとつい忘れてしまう。

 まあめんどくさいから付け直さなくてもいいのである。どうせ厚着だし夜だし誰も気がつきやしない。


 靴下だけ履いてブラは適当に手荷物の中にしまっておこう。ママにバレたらなんか言われるので、後でバレないように洗濯物の中にぶち込んどくのである。



 窓の外から灯りが差し込んでくる。

 眩しくはないが、ママの顔が見える程度には明るい。


 外を見ると石でできた門の前にいた。

 レイラさんがトライス族の門番らしき人と話をしている。おそらく入村手続き中なのだろう。


 トライス族の特徴は黒髪黒瞳と褐色の肌である。

 身長は男女とも非常に高く、女性でも180cm、男性では2m程が平均らしい。


 レイラさんと話をしている門番の男性もめちゃくちゃ背が高く、馬車の窓からでは肩までしか見えない。レイラさんも背が低くはない(165くらい)のだが、そんな彼女がちびっ子に見えるほどである。


「実物見ると背めっちゃ高いね」


「羨ましい」


「え、姉心的には妹に2mは超えてほしくないよ」


「…そこまでは思ってないし。180くらいあったらかっこいいなって」


「あー……。いいよね、高身長」


 高身長。

 高身長、か。


 そういえば羨ましいはずだった。

 僕は身長にコンプレックスを抱えていたはずなのに、いつのまにか消えていた。


 僕は今の身長に満足しているのだ。

 妹より低くてもなんとも思わない。

 160cmいかなくてもなんとも思わない。


 めんどくさいことも多いが女性になれてよかったと思う1番の理由はこれだった。というかこれくらいしかなかった。


「アーニャも身長伸ばしたいの?」


 ちょっと感慨に耽っているママが心配そうに聞いてきた。ニュアンス的に「ごめんね。アーニャはママに似てるからもう伸びないと思うの」って意味が含まれているのだろう。


「ぜーんぜん。高身長もかっこいいと思うけど、私はもう少し低くても良かったくらいに思ってるよ」


「そう?ならよかったわ。……それよりアーニャ、その右手に持っているのは何かしら?」



 ママに言われて右手に目を向ける。

 そういえばバレる前にしまおうと思って忘れていた。


「ちょっと苦しくて」


「嘘つかない。旅行前にサイズ測って全部変えたでしょ?はしたないから外さないの。わかったわね?」


「…はーい」



 別に嘘ついたわけじゃないのに。

 ラファにもなんかすごい顔で睨まれる。


 やっぱり女なんていいことの方が少ないのである。




――――




 トライス村は実に部族らしい景観をしている。


 良い意味ですごく殺風景というか、日本よりもクラッシックなトールマリス王国よりさらに古典的といった感じだ。


 森の道からずっと舗装されていない地面が続き、建物は全て木製。

 ログハウスのような形ではなく、丸いテントのような形の家が不規則に並び、家のないスペースに2mほどの石でできた円筒が置かれている。円筒の上部には火が灯っていて、これが街灯の役割を果たしているのである。


 直接行ったことはないが、テレビで見たアフリカ部族の村のイメージとそう変わらない。なんだかまた別の世界に来たみたいで少し感動するのである。



 ただ残念ながら僕は古典的な暮らしがあまり好きではない。


 トイレや寝床は清潔であって欲しいし、食事も衛生的で美味しいものが好きだ。空調がない生活に耐えられる気はしないし、虫が出てきたらたまったもんじゃない。



 本日の僕たちの宿は村長であるロ・ノウヨさんのお家。


 こちらもパパが事前にアポイントを取っておいてくれたおかげで、すんなり宿まで辿り着けた。どうやら、パパがハンターだった頃の知り合いらしい。


 村ではいちばん立派な建物で、僕たち4人分の寝床を用意してくれてある。床から一段上がったとこに藁が敷いてあるだけだが、部屋自体が囲炉裏のおかげでほんのり暖かいので思っていたよりマシだ。それに馬車で使っている毛布もある。


 建物の中心にある大きな囲炉裏は円形をしていて、その周りに藁でできた座布団が敷いてある。座布団の正面にはそれぞれ食事用の石皿があり、囲炉裏にはでっかい石皿が鉄板のように設置されている。


 でっかい石皿には子鹿の半身が豪快に置かれ、鹿の上には見たことない葉っぱや木の実たちが載っている。

 獣の匂いを上回る爽やかな香り。上に載っているのはハーブの類だろう。



異教徒(アデム)の人には薄味かもしれない。ロンドはよく薄い薄いと文句を言っていた」


 配膳をしてくれているのはカシミ・ノウヨさん。ロさんの奥方である。


 包丁と呼ぶには無骨すぎるナイフで見事に切り分けている。縦に真っ二つにされた子鹿は内臓が取り除かれているため、インパクトはあるがグロくはない。


 囲炉裏を囲んでいるのは僕たち4人に加えて村長のロ・ノウヨさんだけ。カシミさんの席がないことから察するに、一緒に食べる文化ではないのだろう。

 トライス族の座り方は特殊で、あぐらのように両膝を開くが、足裏を揃えるようにして座る。ちょっとだけ座りづらいのである。


 

「申し訳ございません。父は特別濃い味が好きなので」


「アーニャが謝る必要はない。失礼なやつだが嫌なやつではなかった」


 まったく。ホストに出してもらったものにケチをつけるとは我が親ながら恥ずかしいのである。


 相手がこちらを軽んじているようなら文句を言いたくなるのもわかるが、ノウヨさん達は父にも僕たちと同じ食事を提供したはずだ。これが僕たちに敬意を払ってくれている食事であることくらいはドミンドでもわかる。


 それにそもそも味付けがそんなに薄いとも思えない。


 植物の下の鹿肉には、鮎の塩焼きくらい岩塩が塗られている。まだ食べてはいないが、十分な味付けがされているように見えるのである。


「kamcha kicha nopo kichacha kaucha」


 ロさんは姿勢を正すと両手を両膝に手を乗せ頭を深く下げる。タイミング的に食前の挨拶ぽいのでそれを真似する。郷に入れば郷に従えなのである。


「いただきます。という意味です」


 ロさんは王国語を話さないのでカシミさんが通訳をしてくれている。ロさんも話せはするようなのだが、族長は部族の言語以外を喋ってはいけない規則なのだそうだ。



 フォークや箸はないので鹿肉を手で掴んで食べる。


 若干熱いが火傷するほどではない。

 配膳されている間に、最初の方に皿に乗せてもらったものがいい感じに冷めているのである。


「あ、おいしい!」


「ほんとね!」


 ひとくち食べた瞬間に思わずママと目を見合わせた。

 ハーブの香りは昨日のパンよりもずっと馴染み深いもので、ローズマリーに少し柑橘系の香りを足した感じである。噛んでいると肉の香りが広がってくるが、血生臭さは全くない。

 岩塩は表面にしかついていないので、皿に落としながら分けて使う。見える分を全て落としても十分なほどに塩味がついている。野菜も味が濃くて美味しいし、いったいこれのどこが薄かったのだろうか。


「これは父さんが来た時と同じ味付けですか?」


 同じことを疑問に思ったラファがカシミさんに尋ねる。


「トライス族の伝統的な料理だ。調理法は全く変わらない」


「そうですか。父さんがバカ舌なだけなようです」


「micha kumimucha rondo mipo tomcha. po kaumaucha mipo mauchamu maumaucha」


「ロンド以外にも薄いと言った人はいた。男性と女性で違うのかも」


「えー。その人と父がおかしいだけだと思いますよ。父はうちの料理にも薄い薄いと文句を言いますし」


「hahaha!! gamcha gamcha」


「はっはっはっ。そうかもしれない」


「ガムチャです」


 パパは何にでも追加で調味料をかける男だ。もはや味見をする前にかけていたりもする。男の代表として挙げるにはあまりにも参考にならないのである。


 木のコップに入った水を飲むと、少しだけ変な香りがした。別に不味くはないのだが、おそらく川の水をそのまま汲んできた物なのだろう。ちょっとだけ抵抗がある。


 そういえばトライス村にはトイレとお風呂がない。


 トイレはその辺の木陰でするらしい。森の肥料として還元するのだそうだ。

 お風呂は3日に1回くらい川に行水に行くらしい。日中に行くらしいので、残念ながら僕らは今日水を浴びることはできない。まあ浴びられたとしても凍え死にそうだから遠慮していた可能性はある。


 明日王都に着いたらすぐお風呂に入るのである。


「ここから王都までって後どのくらいですか?」


 隣に座るレイラさんに聞いてみる。

 ケープを脱いだレイラさんを改めてみると、思っていたよりかわいい顔立ちをしていた。イメージの中ではもう少しイケメン系女子だったのである。


「2時間半くらいですかね。3時間はかかりません」


「もうすぐそこって感じですね」


「ですね。だからトライス村に泊まるのは私も初めてです。一般的には村の夜時間の前に通過できるように調整をするので」


「じゃあここに泊まるのは観光目的の人くらいですか?」


「あまり泊まる観光客もいませんから、ハンターくらいじゃないですか」


「?観光客ってあんまり来ないんですか?」


「gamcha. micha mipo mikacha」


「来ません。なにもないですから」


「意外ですね」


 意外である。


 僕のイメージというか、向こうにいた頃の感覚でいくと、こういった部族の村というのは一定数の人気があった。

 ましてや王国に存在する部族というのはトライス族だけだ。人気が一点集中することを考えると、観光客で溢れていてもおかしくない気がする。


 可能性として考えられるのは王国の人からすると、ただ不便なだけなのかもしれない。文化レベルの差がそこまで大きくないせいで観光地になり得ない可能性がある。


 確かに、田舎の方にはここまでではないにしろ古典的な生活をしている村もある。ケシ村だって日本人の感覚からすると部族的な村である。



「ハンターの人はよく来るんですか?」


「ここから東に向かうとそのまま魔物の森に入れるんです。だからそこへ向かうまでの宿として使う方は少なくないですね」


「なるほど父もそれできたんですね」


「gamcha」


「そうです。ロンドは頻繁にきてました」


 どうやらパパはこの村を活動拠点にしていたようだ。


 立地もいいし、宿代も安い。

 男だけのパーティならいい活動拠点かもしれない。



 いい機会ということでパパのハンター時代について聞いてみた。


 パパは昔からいい加減な人だったらしく、何日滞在するのかを聞いてもわからないの一点張りだったそうだ。

 森に行って2,3日帰ってこない日もあれば、逆にカシミさんの家で一日中ゴロゴロしてた日もあったらしい。

 パパがゴロゴロしている日に他のパーティメンバーは狩りを手伝ったりしていたとか。当時はセドルドさんを含めた4人パーティだったそうだ。


 当時からカシミさんに惚れていたロさんは、パパにカシミさんを取られるかもと心配になってプロポーズをしたそうだ。パパは知らないところで恋のキューピッドになっていたのである。


 ちなみにママは会話に参加するタイミングをうまく掴めず、食べ終わった皿をじっと見つめていた。



「(…姉さんちょっといい?)」


「ん?」


 レイラさん達と雑談をしていると、ママの後ろを通ってラファが肩を叩いてきた。


「(ちょっとお手洗いに行きたいから、灯りを持つの手伝って)」


「(別にいいけど、必要?)」


「(いいからきて)」


 トイレくらい暗くてもできるだろうと思うのだが、まあかわいい妹の頼みとあれば仕方ない。


「ご馳走様でした。ちょっとお手洗いに行ってきますね。食器ってどうすればいいですか?」


「そのままにしてくれていい。手を洗うのは家を出て右手の井戸だ」


「ありがとうございます。あとおトイレに行ってきますね」


 どうやらお手洗いという言葉は通じないらしい。

 まあでもベトベトで洗いたかったから丁度いいのである。


「糞尿は森でしてくれ。夜は狼も出る。必要なら着いていくが?」


「大丈夫です。妹に着いていきてもらうので。とっても強いんです、ラファは」


 ラファは魔術や魔導を使わなくても強い。

 僕は狼に勝てるかも怪しいが、ラファなら熊でも首を刎ねられるだろう。



 とりあえず全員食事を終えたので、4人で井戸に向かう。ロさんは囲炉裏の砂で手を洗っていた。とても真似はできない。


 あたりはまだ明るいが、もう20分程度で消灯の時間だ。急がないといけないのである。


「わかっているかと思いますが紙を持っていくのを忘れないように気をつけてくださいね。駅と違って森には紙もありませんから」


 手をハンカチで拭きながらレイラさんが注意してくれる。かわいらしいお顔なのに持っているハンカチはパパみたいな無地のボロ布で、そのギャップが萌えである。



 手を1番に洗い終えたラファは荷物を取りに戻り、早歩きで帰ってきた。


「これ、手持ちの灯り」


「はーい」


 ラファから手持ちランタンを受け取り森へ向かう。


「お姉ちゃんも後でするから変わってね」


「じゃあ姉さんが先にして」


 ラファにすぐランタンを奪われた。

 やっぱり僕の前にトイレをするのは嫌らしい。


 いや、僕だって流石に森の中でトイレとなると駅とは変わってくる。誰だってブツを見られたりしたら恥ずかしい。そこに性別は関係ない。


 ……まあ、仕方ない。

 姉は我慢する生き物なのである。


「待って、やっぱりママも行っておこうかしら」


 トイレに行きたいのか、1人でノウヨ家に帰るのが嫌なのか、ママもついてくるようだ。

 それを聞いたラファはたまに僕に向ける嫌そうな目をママに向けた。この目をしている時は何かが癪に障っている時である。


「では私がお供しますよ」


 その空気を察したレイラさんがママのお供をしてくれることになった。

 ラファの目つきが元に戻ったし、ラファはトイレに母親がついてくるのが嫌だったのだろう。


「えと、じゃあお願いするわね」


「はい。適当にタバコでも吸って待ってますので、気にしないでください」


 ということで二手に分かれて森に向かう。


 村から離れすぎず近すぎずの木陰に着くと、足元に先客のブツが落ちていた。ちょっと嫌なので次の木へ向かう。


 さっきの木より少し細くて頼りないが、誰も見てないし別に変わらないだろう。ここでするとするのである。


 なんだか旅行が始まってからまだトイレと食事しか思い出がない。移動中だから仕方がないとはいえ、これで2日目終了。危機感を覚える。



 まあ明日からはついに王都である。


 明日の予定は宿に着いたらまずお風呂に入る。

 その後散歩がてら天鱗学園までの道を予習して、適当な店でお昼ご飯を食べる。食べ歩きなんかになるかもしれない。


 午後からはラファの運動に付き合う。

 移動で2日間ほとんど体を動かせていないので、おそらく夜ご飯までずっとになるだろう。しんどいがこれも姉の仕事である。


 夜ご飯は路面電車に乗ってちょっと移動をして、パパの予約してある店でご飯を食べる。汗をかいていると容易に想像できるので、有名大衆食堂的なとこだ。

 ご飯を食べ終わったら宿に帰るのだが、多分ラファはもう少し体を動かしたいというだろう。受験前日くらいラファの気が済むまで付き合ってあげるつもりだ。


 宿に着いたらお風呂に入って寝るだけである。明日は大浴場などには行かず、部屋の風呂でゆっくりする予定である。


 ラファは受験が近づいてきて緊張しているだろうが、受験のない僕にとってはいよいよ旅行本番である。考えるだけで楽しくなってきた。


「終わったなら早くして」


「あ、ごめんごめん!   ――はい!もう大丈夫!」


 終わっているのに考え事をしていた。

 これがデパートのトイレならとんだ迷惑客である。


 急いでラファの元に戻る。

 ゴミ袋をラファに渡し、ランタンを受け取って次の木を探すのである。


「時間ないしここでいいよ」


「え、やだやだ。むりむりむり」


 それは無理だ。

 いくら姉でも無理だ。


「もう消灯時間になるから。次の木に別の人のがないとは限らないじゃん。それなら姉さんの方がまし」


「やだやだむりむりむりむり」


「いいからあっち向いて。で、しゃがんでいい感じに照らせるようにランタンはこっちに向けといて」


「やだやだやだやだ」


「はやくして」


 妹に強く言われてなす術なく後ろを向く。

 なんで僕がこんな目に遭わないといけないのか。


 今の所旅行中最悪の思い出である。

 恥ずかしさで言うなら人生総合一位である。



 あーあ。早く王都に行きたい。


 明日からはトイレなんてただの生活の一部なのである。こんな思い出に残るようなイレギュラーなトイレは存在しない。


 ラファも音を聞かれて恥ずかしい思いくらいすればいいのにと思ったが、ラファの方からはゴソゴソとしか音が聞こえてこない。


「…全然出てないじゃん。する意味あった?」


「最低。変なこと考えないで」


「ちょっとくらいお姉ちゃんに悪いと思って欲しいんですけど」


「はいはい。ごめんごめん、ありがとねお姉ちゃん」


 久しぶりのお姉ちゃん呼び。


 明らかに感情のこもっていないいい加減な言い方だが、なんか全て許せる気がしてきた。

 大体トイレどうこうくらいで騒ぐ姉もみっともない話なのである。



「…ん、まあいいでしょう」


 ちょっとだけマシな思い出に変わったのである。




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