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僕は完璧でありたいのである  作者: いとう
第三章 ナスフォ街の天才美少女
96/116

第八十二話 王都へ向かうのである①

王都旅行編スタートです


※若干汚い描写があります。食事中の方はお気をつけください。




 首都と聞いて真っ先に思い浮かぶのは『東京』である。

 というよりも正確にイメージできるのは東京くらいしかない。


 勿論、他国の首都も名前や気候、風景、人口、面積などデータ的な部分は知っている。

 旅行に行った都市であれば空気感だってわかるが、それでも『東京』ほど正確にイメージはできない。


 東京のような小さな首都でさえ、その中には様々な種類の場所がある。

 大きな区もあれば、他県よりも田舎にすら思える市もある。大きな区の中でも東京駅や皇居の方などと、新宿や原宿の方などでは空気が全く違う。

 景観も違えば歩いている人の系統も違うのである。


 僕は東京ですら行ったことない場所がある。

 東京ですら完璧と言えるほど正確にはイメージできないのである。



 そもそも東京のイメージは、その他の道府県を知っていてこそ正確にイメージできる。


 他県からどのようにアクセスできるのか、どのように思われているのか、他県と比べた時の人種割合(ここでは出身地方の差も含む)の違い、時間感覚や金銭感覚の違いなど。日本における東京の特異性はその他の地を知らないと理解し得ない。



 つまり、その国の首都に行っただけでは首都のことを理解することはできないのである。




 さて、なぜ首都の話になったかと言えば、現在僕らハレア家がトールマリス王国王都に向かっているからである。



 王都はガポル村から見て南東にある。

 領主街であるポルメイウス市を超えてさらに南東へと向かう。ポルメイウス市まで6時間、そこからさらに26時間かかるらしい。


 32時間馬車の旅。

 当然休憩しないと死ぬので休憩を挟む。

 我が家の予定では朝5時に家を出て12時に昼休憩。12時半から20時まで移動。宿に泊まって次の日も同じスケジュール。3日目の朝に王都到着の予定である。



 トールマリス王国の王都は政治の面でも経済の面でも中心の地である。


 王の存在、五学院の存在の他に、大手商業組合の本拠地、ハンター協会の本部、教会の総本山もある。

 どの職種であろうと中心地は王都にあるのだ。有名な魔術研究所も王都にある。


 面積も広く、人口も多い。

 そこに商人や観光客までやってくるから常に賑わっている大都市である。


 そういう意味では広い東京というイメージだ。

 中心には王城、中央教会、そこから円が広がっていくように商人街、学生街などがある。

 参考までに面積は約5000㎢。千葉県くらいの大きさの円形都市である。



 王都は生活水準としての意味でも、文化的に最も発展している。


 王都内には所謂『路線バス』のようなものが走っていて、定期券さえ購入すればいつでもどこまでも乗り放題となっている。

 これは優秀な土魔術師と雷魔術師を大量導入して開発された、王国が誇る近代魔術の結晶である。


 街灯や家内灯は全て最新の魔術具で統一されていて、日本における電灯とほぼ変わらない形で使用できる。


 水道設備(水魔術)やガス設備(炎魔術)も基本的には全ての建物に完備されていて、どこでも衛生的に風呂やトイレ、料理ができる。



 それもこれも全ては王都内に張り巡らされた『雷線』のおかげである。


 雷線は雷魔術を運ぶ電線である。

 これが都市全域に張り巡らされていて、都市の各地に配置された魔法石から絶えず雷魔術によって魔力が各地に供給されている。

 つまりこれ一本で電線、水道管、ガス道管の役割を担っているわけである。


 この仕組みはパークス領でもポルメイウス市では少しずつ進められているらしい。僕は旅行に行ってないので詳しくは知らないのだが、ドルモンド様が色々教えてくれた。



 そんな王都に住みたいと思う人は王国各地に山ほどいる。それでも王都のキャパシティを超えるほどの人が集まってこないのは、王都に住めるのがごく一部の大金持ちだけだからである。


 王都騎士団、中央教会の神父、国王陛下からその価値を認められた研究者、王都の商売人等とその家族たちが主な住人である。


 そういった優秀な労働者の他に第三貴族が王都には住んでいる。

 第三貴族は『ガフェト・ラクスビア戦争』にて王国に滅ぼされた小国の王族達である。国王陛下自ら監視をするという意味合いもあって、王都で生活することを義務付けられている。

 まあ実際のところ、不満が溜まらないように何不自由ない生活をさせるという意味の方が強いだろう。領土を持つ第二貴族達よりもよっぽど優雅な生活をしているらしい。



 上記二例に加えた例外として学生達が住んでいる。


 王都にある学校のほとんどは、その校内に学生寮を持ち、地方から来た学生達はそこで生活をする。

 五学院等は特に出生を問わず優秀な生徒を集めるため、学生寮は無料、王都内の路線バス券も配布、食費も無料等の制度が敷かれている。とは言ってもその制度は特に優秀な生徒に向けられての場合が多い。


 五学院ではいじめが盛んだと有名だ。

 金持ちしかいない学校に貧民が入ってきたらそりゃいじめられるってもんである。そこには優秀な生徒への僻みもあるのだろう。



 だから実はラファが天鱗学園に入るがちょっとだけ心配である。


 ラファは人とコミュニケーションを取るのが得意ではないし、うちは裕福とは言っても王都に住む人達に言わせれば育ちが悪い田舎者だろう。

 ましてやラファが入るのは高校ではなく付属の中学。精神的に未熟な中学生ではさらにいじめが盛んだろう。


 ラファがいじめを気にするタイプにも思えないが、姉として妹がいじめられるのはいい気はしない。



 と、まあ入試前から入学後のことを心配している姉を他所目に、当の本人は馬車の中で黙々とテキストを読んでいた。



 現在時刻は正午。僕達はポルメイウス市を過ぎて4つ目の駅にいる。

 宿場町ではなく本当にただの休憩場所。馬を休める水飲み場兼馬小屋と、トイレくらいしかない。


 馬小屋はちょっとした屋根付きの小屋であり、馬車が2台止められる。2台と聞くと小さ過ぎると感じるかもしれないが、この手の駅は30分ごとにひとつくらいある。先客で埋まっていたら次の駅まで待てばいいだけの話なので、混雑することなんてほとんどないらしい。


 トイレは簡易トレイよりも酷いただの穴って感じで、穴に落ちたブツが水に流されてクソ貯めに放たれるってだけである。ちなみにクソ貯めはそれ専門の清掃業者が掃除するらしい。


 最悪なことにこのトイレには屋根しかない。

 雨と日光を遮るために柱と屋根があるだけなので丸見えである。他に客がいなかったからいいものの、いたとしたらトイレなんてできたもんじゃない。


 御者は馬の世話をしているのでこちらの方は見れない。

 それに今回は女3人旅ということで、雇ったのは女性の御者である。パパは仕事の関係で来れていない。



 汚いし、誰もいないとはいえ恥ずかしいし心の底から嫌なのだが、宿まではここからまだ7時間以上かかるし、背に腹は変えられまい。ママが終わったら僕も用を足すとしよう。


「ラファ先行く?」

 

「…姉さんが先に行って」


「私そんな緊急じゃないから後でも大丈夫だよ」


「私も大丈夫だから」


「でも待ってる間に他の人来ちゃったりしたら…」


「いいから先に行って」



 思春期のラファ的には僕よりも恥ずかしいだろうがトイレに行かないとは言わなかった。

 ラファはバカじゃない。今便意がなかったとしても宿まで持つかどうかわからないと言うことはわかるのだろう。


 そういえば中学生の時、校外学習のバスで漏らした奴がいた。

 富士山にいく途中だったのだが、事故渋滞に巻き込まれたせいで自分の便意計算をミスったのだろう。もともとはクラスの1軍的女子生徒だったのだが、その事故で一気に地位は転落。人気のある生徒だったからいじめなどには繋がらなかったが、その後は目立たないように生活していた。


 何が言いたいかというと、便意の有無に関わらずトイレは行ける時に行っておけという話である。僕に言わせればそんなこと当たり前の話なのだが、意外とそれをできない子供は多い。

 ラファはそれができる子だったので安心である。



 特に会話もなくママを待っていると、なぜか焦ったようにママは帰ってきた。


「あのね!ママが行く前からもともとすごい匂いだったからね!!」


 母親とて女性。

 自分の後にトイレに行ったら凄い臭かったなんて思われたくはないのだろう。


「そんな心配しなくても大丈夫だよ。ラファ、お姉ちゃんの後臭かったとしてもそれはもともと…」


「いいから早く行って。他の人が来たらとか言ったのは姉さんでしょ」


 ああ、なるほど。

 ラファが僕よりも後に行きたがったのは臭いを嗅がれたくないからだったのか。

 勘違いしないでほしい。僕にそういう変な趣味はないし、あると思われてもいない。


 自分の後にトイレに行かれたくないという気持ちは何となくわかる。家族相手だから何とも思わなかったが、これが部活の遠征とかだったら最後に行きたかったかもしれない。



 トイレに着くと激臭がした。


 今日の日付は12月10日。最後に業者がきてから時間が経っているのだろう。これ以上ないほどの臭さを誇っている。


 何の飾り気もない石床の中心に丸い穴が開いている。汚い話だが穴の周りは他の場所と比べてやたらと汚れている。穴からはみ出したり飛び散らせたりする連中が沢山いるのだろう。



 …なぜ僕はこんな汚いものを冷静に分析しているのだろうか。


 とりあえず僕は絶対にこぼさないように用を足すのである。大は勿論だが小とてこぼせばラファにバレる。



 人生で初めて用を出すことに対する緊張を覚える。


 小学校の頃の大会ですら緊張しなかったこの僕が。


 あの頃、世界で1番射撃が上手い自信があった。「登張(とばり)はしょんべんもつええぇ!下ヘイヘだ!下ヘイヘ!!」なんて言われたものである。



 そう。竿さえあれば僕は『下ヘイヘ』なのである。


 だが無い物ねだりをしてもしょうがない。


 それにこの丸穴を狙うなんてあの大会に比べれば難しくも何ともない。

 四天王最弱の『勾玉(まがたま)(じゅん)』ですらクリア可能だろう。


 ちなみに『勾玉の潤』の異名はその射撃の軌道から付けられた。クラスの女子達は彼がなんでそう呼ばれているのか疑問に思っていたことだろう。



 パンツを下ろすと余計に緊張が走る。


 竿を持たない現実を直視させられる。

 ライフルを持たず戦場に出された狙撃兵。一体何ができるというのだ。


 さっきまであんなに大きく見えた穴が、ゴルフのカップほどに見えてくる。


 ここにホールインワンしないといけないのだ。

 もはや大きい方すら不安になってきた。


 恐れることなどないはずだ。

 恐れているのは敵もまた同じ。いつ来るかわからない銃弾に怯えているのむしろ敵の方なのだ。



 大丈夫。竿がなくとも僕が下ヘイへであることに変わりはない。優れていたのはあのライフルではなく僕の射撃技術なのだ。


 一流は武器を選ばない。

 モシン・ナガンはなくとも恐るるに足らず。


 狙って撃つ。

 ただそれだけ。


 むしろ射撃技術という意味ではあの頃よりずっと優れているはずだ。



 馬車に積まれているライフルちゃん達を思い出す。


 王都までの安全のためという名目で全員連れたきたライフルちゃんたち。本来であれば王都まで行くのなら護衛のハンターを雇うのだが、そんなものは必要ないと僕が止めた。少しでもお金を節約するのである。



 ライフルちゃんたちのおかげで自信が戻る。


 感情を殺せ。

 息を殺せ。


 照準を合わせて、あとは撃つだけ。



 目標をセンターに入れてスイッチ。



 目標をセンターに入れてスイッチ。


 目標をセンターに入れてスイッチ。


 目標をセンターに入れてスイッチ。

 目標をセンターに入れてスイッチ。

 目標をセンターに入れてスイッチ。

 目標をセンターに入れてスイッチ。

 目標をセンターに入れて――






――――







「あのね!外にちょっとこぼれてるから気をつけてね!!私が行く前からあったから!!」


「言われなくても姉さんがこぼすとか思ってないから」




 日頃の行いに救われたのである。





―――――――――――――――――――――――




 1日目の宿はフェード領ミシト町。


 フェード領はパークス領南に位置する領である。

 パークス領より小さいものの、比較的大きな領だが、その7割は魔物の森なので居住地区は少ないのである。


 魔物の森の面積は広いが魔力濃度はそれほど高くない。

 そのため多くの採取系ハンターが拠点として活動している。魔法石や魔草など低レベルの森で取れる生活に必要なものの産出量は王国1位であり、『王国の倉庫』と呼ばれているのである。


 また、フェード領近くの魔物の森では、暇なハンターが入り口に駐在していて、護衛の押し売りをしている。

 僕たちは女子供3人旅ということで雇った方がいいとしつこく言われたがしっかりと断った。


 あの手の商売は悪質である。

 まあ魔物の森に入るのに護衛を連れて行かない奴らが悪いのだが、にしても価格が法外である。

 どこにあんな低レベルのハンターをそんな金で雇う奴がいるんだと思うのだが、副業として十分儲かる程度には客が来るのだろう。


 例えるのなら1駅2500円の電車である。

 そんなもの払うくらいなら歩くし、タクシーを呼んだ方が安いまである。


 低レベルのハンターなんてそんなもんだし、別に特段恨んだり蔑んだりはしない。彼らも金を稼ぐために必死なだけなのである。



 まあ僕たちには必要ないので、雇うことなく目的地であるミシト町まで着いた。


 ミシト町はフェード領で唯一の観光地である。


 街の建物は全て石造りで、装飾には魔石がふんだんにあしらわれている。夜になるとそれらが光って、イルミネーションのようになるのだ。

 森を抜けて山を少し登ったところにミシト町はあり、空気が澄んでいてい星が綺麗である。大きな町ではないがその景色の特異性から新婚旅行に訪れる夫婦も多いらしい。


 時刻はすでに20時。

 僕たちが町に入ると美しい景色が迎えてくれた。

 馬車から出れば星空もよく見えることだろう。



「起きて母さん。宿に着いたよ」


「ん〜…あれ、ねちゃってた…おはよラファ」


 そんなこんなで着いたのがこの『旅人の館イオア』。

 すごそうな名前をしているが、他の建物と外観はさほど変わらない。良くも悪くも普通の石造りの建物に魔石で飾り付けられているだけである。


 ただこの派手すぎない美しさが僕としては非常に好ましい。


 とりあえずライフルちゃんとブレイドくん達を持って馬車から飛び降りる。



 改めて見るとなるほど、美しい街である。


 綺麗な石畳の大通りには均一に街灯が設置されていて、寒空の下、古典的な灯りが暖かく灯っている。


 建物は全て町全体で統一された外観をしていて、テーマパークの1つのエリアのようである。

 派手すぎない魔石の輝きは星空の美しさを損なうことなく、全身360度どこを見ても息を呑む絶景と言えるだろう。


 山の20時はもう誰もが寝静まる頃なのだろう。

 いくつかの宿らしき建物を除けば、室内から漏れる灯りはない。それがまたいい味を出している。


 自分の口からこぼれる白い息にすら風情を感じる。



「姉さんも荷物を運ぶの手伝って」


「ああ!ごめんごめん!!」


「しー。2人とも夜なんだから静かにね」


 僕が景色を満喫している間にママとラファと御者で荷物を馬車から降ろしてくれていた。馬車と御者はすでにいなくなっているのである。

 馬車も御者も王都まで同じだが、宿は違う場所である。僕たちはせっかくの旅行だし、ラファの受験前にストレスを溜めたくないということで高級な宿に泊まるのだ。


 地面に置かれた荷物を持って部屋へと向かう。

 まずは鍵をもらわないとである。


「ごめんくださーい。予約していたハレアでーす」


 宿の内装は日本の旅館のようだ。

 靴は玄関で脱ぐ様式になっていて、石製の靴棚が左右に用意されている。スリッパは草履のような形。床は全て木張で、年季が入っているところも日本の旅館のようだ。


 一段上がると中心に植木のある広間。正面に受付、右手には団欒用の共同スペース。左手には各部屋へと続く廊下と階段。受付の右手の奥の方にはおそらく浴場に続くと思われる廊下がある。


 とりあえず盗難防止のため全ての荷物を宿の中に入れる。冬だし、ラファの受験用の正装もあるしで衣服が多い。今回は移動含めて9泊10日。

 当然洗濯して着回しするが、それでも大荷物である。


「っしゃいやせ〜。え〜お手紙で頂いた名前をフルネームでお願いしゃっす」



 荷物を運んでいるとエントランスに人が来た。ハゲ頭の快活そうなおっさんである。夜だから小声だが。


「ロンド・ハレアです。2階の梟部屋の」


 今回の旅で泊まる宿は全て、事前にパパが予約してくれてある。

 本来この世界ではアポイントなしが基本なのだが、妻と娘だけで旅をさせるのは心配だったのだろう。


「うっす。それじゃ、これ鍵。荷物運ぶの手伝いやしょう」


「ありがとうございます」


 パパが予約してくれたこともあって、こういった好意を素直に受け取ることができる。自分達で適当に選んだ宿で言われたら、盗まれるんじゃないかとかの心配をしなくてはならないのである。


「風呂、22時までなんで。飯の前にどうぞ。飯の準備できたら受付来てくだせえ。したら部屋まで持っていきやすんで」


「お風呂って受付の右奥の方のとこですか?」


「そっすそっす。奥行って。女性は左手っす」


「ありがとうございます」


「…部屋にお風呂ってあったりしますか?」


「ないっすよ。大浴場だけっす」


「わかりました。ありがとうございます」


 ラファは大浴場が恥ずかしいらしい。


 僕の中では、お風呂で裸を見られるのと、それ以外のとこで見られるのは感覚が違う。

 別にどちらもさほど恥ずかしくはないのだが、お風呂だとその恥ずかしさが皆無だったりする。これは日本人あるあるなのだろうか。それとも僕の心に僅かに残る日本男児あるあるなのだろうか。



 まあそんなことはともかく、部屋に着く。


 部屋はどちらかというと洋式である。

 床は廊下と変わらない木張だが、入ってすぐ左手に洗面所とトイレ、正面に荷物置き用の小部屋があって、そこから奥の大部屋に繋がる。大部屋に入ると左手に大きめのベッドが2つくっつけてあり、右手には石造の四角いテーブルと木の椅子が4つ。その奥には大きな暖炉が置かれている。

 暖炉の横、ベッドの奥からベランダに出られるようになっているようで、換気のためにその扉が開けられている。

 なので部屋は今凍えるように寒い。


「暖房つけときやすんで。風呂入ってる間にあったかくなりやすよ。あ、着替え持ったら行ってきていいっすよ。あと運んどくんで。タオルは棚にあるのつかってくだせえ」


「最後まで運びますよ」


「や、風呂の間荷運びくらいしかやることないんで。料理は女房の仕事なんす」


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」


 そういうことなら着替えと風呂道具だけを持って風呂へ向かおう。


 ラファとママも小声でお礼を言って着替えを用意する。2人ともコミュ力に難があるため今回の旅のコミュニケーション担当は僕である。2人は御者ともまともに会話をしていない。



 あ、僕の着替えはまだ1階だったのである。




――――




「おおーーすごーい!!」


 石棚が規則正しく並べられたシンプルな脱衣所から出るとそこは一面の湯煙。両脇に流し場が3つずつあって、正面には大きな浴槽。

 浴槽の手前右手側には扉があり、その手前に露天風呂という看板が立っている。ただし『注意!混浴!』と書かれている。


 まさに大浴場。


 脱衣所には何人か先客の形跡があったが、屋内にはいない。露天風呂に行っているのだろう。


 とりあえず右側の奥の流し場に向かう。

 流し場には石鹸系と桶が置かれた台があり、その奥に川のようにお湯が流れている。ここから水を汲んで体を洗うわけである。


 まずは体にお湯をかける。


「…ほぉ」


 ちょっと熱いくらいのお湯が疲れた体に染み渡る。

 一日中椅子に座ってたから体はバキバキ。早く湯船に浸かりたい衝動に駆られる。

 お腹が空いている時にお菓子をつまんだ感じである。


「ちゃんと髪も洗わないとだめよ?」


「大丈夫わかってるよ」


 急いで体を洗い始めた僕を見ると、何かを察したママが注意してきた。


 言われなくても大丈夫である。

 僕の美意識は高い。ヘアケア、スキンケア、全て怠ることはない。そのためにただでさえ多い荷物に加えて自分専用の風呂セットを持ってきているのだ。


「ラファもだからね〜」


 ラファは1人だけ僕たちと反対側の流し場にいる。

 頑なである。



 丁寧かつ迅速に体も髪も洗い終えて浴槽へと向かう。


 おっと危ない。タオルで髪をまとめなくては。



 誰もいない僕だけの大浴槽。

 正直露天風呂にも興味あるが混浴に入る勇気はない。


 とにかく浸かろう。

 外に行くかどうかは入ってから決めればいい。


 石で囲まれた浴槽を右足から跨ぐ。


「おおっ」


 そのまま左足。

 歩いて壁まで向かって膝を曲げる。


「ふぅぅぅ……」


 壁に背中を預けて肩までしっかりと浸かる。

 体の芯まで急速に温まっていく。


「ああぁぁ……ふぅぅぅ…」


 両手を広げて両肘を浴槽にかける。

 目を瞑ると今にも寝そうになる。


「やだアーニャ。ロンドみたい」


 隣にママが入ってくる。

 ラファは例の如く僕たちから離れるように隅っこに入ろうとしている。


「ラファもこっちにおいでよ。せっかくの旅行なんだから」


「お姉ちゃんが嫌だったらママの隣においで?」


「……はぁ」



 ラファは渋々と歩いてこちらに向かってくる。


 露骨に視線を逸らすのもおかしいので普通にラファを見る。

 ムキムキ過ぎず、程よく筋肉質な体。しなやかな手足は僕よりもすらっと長く、誰もが羨むようなモデル体型。

 半袖焼けを若干しているが、そこを除けば芸術品のように美しい体である。

 一体何が恥ずかしいというのだろうか。


 ラファ僕とママを見ると僕の横に座った。

 ママに勝ったのである。


「今日はお疲れ様」


「別に。姉さんも勉強付き合ってくれてありがと」


「お姉ちゃんにできることなら何でも頼ってよ」


 僕は本を読むと酔うので記憶の中から口頭で問題を出したりしながらラファの勉強に付き合っていた。中学受験レベルの内容ならほとんど頭の中に入っているのである。


 何度も言うがラファの頭は悪くない。

 一生懸命努力をしているし十分に天鱗学園のボーダーは超えているだろう。


 だが努力家のラファからするとこの程度の努力では安心できないらしい。暇な時間ずっと勉強していないと不安になるそうだ。



 天鱗学園附属中等教育学校の受験は3日制である。


 1日目が面接と一次実技試験。

 その場で合否が言い渡され、合格した人のみが2日目と3日目に進む。

 2日目が筆記試験。

 3日目が二次実技試験。


 2日目と3日目の結果を受けて合否が2月頭に発表される。天鱗学園のクラス分けは成績順なので、この段階でクラス分けも発表される。


 ラファの実力なら1日目はなんの問題もなく突破するだろう。面接はコミュ力を測るものではなく、人となりや目標を知るものと聞いた。ラファの強さへの真摯さは本物だ。

 ここでラファを落とすような学校なら入る価値がないとこっちから願い下げだ。


 問題は2日目、3日目。

 3日目はともかく2日目は緊張したら1発で落ちる可能性がある。


 まあ実力重視の学校だし、学力の審査が最も緩いはずだ。正直僕はラファが落ちると思っていない。


 でも本人が心配だと言うのなら、その心配を少しでも取り除くのが姉の仕事である。



 考え事をしていると右肩に重たいものが乗っかる。


「ラファ寝ちゃダメだよ」


「…ん」


「上がる?」


「…んん」


 もうダメそうに眠そうである。

 もう少ししたら上がるとしよう。


 露天風呂は帰りまでお預けである。

 帰りも同じ宿なのだ。



 よし。せっかくだし決めた。

 帰りは絶対に露天風呂に入る。ここで恥ずかしいとか言うのはあまりにも勿体無いだろう。


 満点の星空の下露天風呂に入るのだ。

 誰も周りの人を見たりなんてしない。ましてや女児の裸体なんて見る物好きはまずいないだろう。


 女児といえば、僕と比べてラファの方が大人っぽい体つきをしている。

 僕もそれなりに女性らしい体になってきたが、いかんせんまだ子供っぽい。メリハリが足りないというか、まあなんか『中学生』って感じである。


 対してラファはサリアほどではないが、すらっとしていて大人っぽい。筋肉のおかげかきゅっとくびれていて、おしりはぷりっと良い形をしている。胸はほとんどないが、それはそれでかっこいい。小6のくせに生意気である。



 と、考え事をしていると今度は左肩にも重たいものが乗っかってくる。ママである。


 ママは29歳。

 まだと言うべきか、もうと言うべきか。

 どちらにしろまだまだ若い。童顔なこともあって姉と言っても通じるほどである。


 2人の出産を経て太ったと気にしているが、一般的なレベルで見ると太ってなどいない。普通の範囲である。

 色白で胸も大きくて、女性らしく魅力的だ。



 そんなママの白肌が赤くなってきたのでそろそろ上がるとしよう。



「2人とも起きないと。上がってごはん食べたら寝ていいから」


「「んん……」」


「はい、もう上がるよ。3,2,1…はい!」



 眠そうな2人を無理やり起き上がらせて脱衣所に戻る。


 お風呂から上がったあとも僕は髪と肌のケアで忙しいのだ。ちゃんと起きて自分のことは自分でやってもらわないと困るのである。




――――




「ご飯お願いしまーす」


「しゃっす」



 浴場を出て部屋へ帰る途中、受付でご飯をお願いする。


 体はぽかぽかだが、一度外へ出るとやっぱり寒い。湯冷めする前に部屋へ帰るとするのである。

 

「ご飯何かな?」


「アーニャはなんでもいいなー。死ぬほど腹ペコ」


「ママも腹ペコ〜」


 ラファは相変わらず眠そうで、うとうとしながらついてきているがママは完全に目が覚めたようだ。馬車の中でめっちゃ寝てたし当たり前と言えば当たり前である。


 ママと2人でラファの手を引いて階段に登る。

 半寝のラファは2人で支えないと落ちそうである。



「!あったか!!」


 部屋に着くと程よい温度に暖まっていた。

 ちょっと肌寒いくらいなのかもしれないが、風呂上がりには良い温度。これからご飯を食べることを考えたら完璧である。


 荷物も綺麗に整頓されて置かれている。プロフェッショナルの仕事である。


 奥の椅子に僕が座り、手前の椅子にママとラファと座る。ママがついていないとラファはもう椅子からも転げ落ちそうである。


 ラファは強いとは言っても、小学6年生の女の子。


 受験勉強で疲れている上に長時間の馬車旅。

 寝るなと言う方が酷な話かもしれない。



 ――コンコンコン


 

 席について5分もしないうちに扉をノックされる。


「はーい」


「お待たせしゃした。こちら鴨のシチューと、冬野菜の温サラダ、パンはハーブ使ってるんでちょっと癖があるかもしれやせん。お飲み物は冷たいお茶になりやす。さーせんが、お時間の関係で30分後に食器の回収に参りやす。部屋の外の棚に置いておいてくだせえ。 ――明日は5時出発とのことなので20分前に参りやす。荷物の積み込みと支払いをするので必ず準備をした上でお待ちくだせえ。朝食と昼食のお弁当は出発前にお渡ししやす。朝食はこちらと同じパンと野菜のスムージー、昼食は鴨のベーコンと胡桃を使ったサンドイッチになりやす。お飲み物は皆様の水筒にお茶を入れさせて頂きやす。何かご不明な点はありゃすか?」


「いえ、ありません。ご丁寧にありがとうございます」


「しゃっす。おやすみなせえ」


「おやすみなさいです」


 丁寧に配膳を終えて旦那さんが出ていく。


 部屋中にはシチューのいい匂いが広がっている。

 ママはご飯に目を煌めかせて旦那さんの話を全く聞いていなさそうだったが問題ない。ママは時間にはめちゃくちゃきっちりしている人である。

 明日も4時前には起きているだろう。


「…んん…シチュー?」


「鴨のシチューだって。この辺りは鴨が美味しいらしいよ」


「…ん」


 ラファはシチューが好きである。

 あまり食事に対して好き嫌い言っているところを見たことがないが、冬にシチューを食べている時は露骨に嬉しそうにしている。

 ママもそれに気がついているから我が家の冬は週一くらいでシチューが出る。


 ちなみに僕も大好きである。


「じゃ、いただきましょっか!」


「ママも嬉しそうだね」


「主婦は人の作る料理を食べるだけでも嬉しいのよ〜。それにママ鴨も大好きなの!」


 子供みたいに微笑んで3人のグラスにお茶を注ぐ。



「はい、じゃあいただきます!」


「いただきまーす!」


「いただきます」


 それぞれ小声だがテンションは高い。

 旅行先、温泉上がり、暖炉の効いた部屋で大好物。


 わざと部屋の灯りを消して、暖炉と机の上の蝋燭だけにする。雰囲気がさらに食欲を掻き立てる。



「!!はふっ!」


 一口目からシチューを食べる。

 野菜を先に食べた方がいいみたいな話もあるが、そんなもん知ったこっちゃない。こんだけいい匂いをさせておいて食べるななんていうのが無理な話である。


 熱々だが猫舌の僕でもギリ食べられるくらいの温度。

 うちのシチューよりも少し濃いめの味付け。


 濃いめの味付けだが、鴨肉なので油が少なく、くどさは全くない。

 鴨の独特の味わいは日本と変わらない。

 シチューの味に風味が消されてそうなもんだが、意外としっかりと鴨の味がする。


 鴨肉以外の具材はほとんど溶けてしまっていて、姿が見えない。


 そこで温野菜とパンである。


 これらはシチューにつけて食べる用なのだ。


「おおーテリー芋もおいしいねー」


「ね〜」


 テリー芋は冬に収穫されるさつまいものような芋である。

 さつまいもより少し粘度が高く、甘みが薄い。

 特徴的なのは独特な香り。


 ああ、そうだ。

 里芋に近いかもしれない。


「ラファ、パン大丈夫?」


「大丈夫」


 なんのハーブかよくわからないが、ハーブを使ったパンは確かに癖がある。癖があるがパクチーほどではない。

 ちょっと酸味があって、しっかりとした歯応えがあって、ドイツパンに近い。


 普通に美味しく頂けるのである。


 


 パンをつけ、野菜をつけ、お茶を飲み、雰囲気も味わう。

 結構な量があったはずの夜ご飯がもうほとんどなくなってしまった。


 最後に残されたのは2切れの鴨である。

 僕は好きなものは最後にとっとく派なのだ。


「やだ、2人とも。そんな露骨に残しちゃだめよ」


 ラファの方を見ると、ラファも鴨だけを残していた。僕より1切れ多く。そしてシチューには初めから3切れしか鴨は入っていない。

 つまり、ラファはまだ1切れも鴨を食べていない。露骨過ぎである。


 ママの方を見ると、パン一口と鴨1切れが残っている。


 これが大人に許されるギリギリのとっておき方なのだろう。


「…人前じゃ気をつけるよ」


「…別に家族だけだからやってるだけだし」


 僕とラファは似たような言い訳をして鴨を味わう。


 ――ああ、うまい。

 やっぱり好きなものは最後に持ってきて、ゆっくり味わって終えたいのである。



 それを見たママは心から幸せそうに笑っている。


 ママからしたら1番のご馳走は娘の幸せそうな顔ってやつなのだろう。魔術で心なんて読まなくても、ママの顔を見たらそのくらいは簡単にわかる。




「「「ごちそうさまでした」」」



 3人ほぼ同時に食事を終えて、部屋の外の棚に食器を置きにいく。



「さむっ!」


「しー…」


 

 暖かい部屋から出ると、めっちゃ寒く感じる。

 この中で朝から晩まで働いている旦那さんは本当に偉大なプロフェッショナルである。


「…おやすみ」


 部屋にいち早く戻ったラファがそのままベッドに飛び込む。


 姉として寝かせてあげたい気持ちも山々だが、流石に歯磨きはさせないといけない。後少しだけ頑張らせるのである。


 荷物から3人分の歯磨きセットを出してママとラファに渡す。


「ラファ歯磨きしないと」


「……」


「お姉ちゃんが磨いてあげよっか?」


「…自分で磨く」


 お風呂に入って、ご飯を食べて、僕も死ぬほど眠くなってしまったが歯磨きはしないといけない。


 僕はじっくり磨くタイプなので、せっかくだからベランダに出て景色でも見ながら磨く。



「ふもぉーー…!」



 めちゃくちゃ寒いが圧巻の絶景。


 2階のベランダから斜めに見下ろすミシト町はまた違った景色をしている。

 もう少し高いところから見下ろすともっと綺麗なんだろうが、残念ながらこの町に3階建て以上の建物はない。


 だが2階でも十分綺麗である。

 星空と町が繋がって見え、魔石の光が空へと伸びているようだ。

 街灯と月が目立って輝いているが、決して悪目立ちはしていない。街灯は月とのバランスを取るために設置されたのではないかと思うほどに調律されている。


「ひあいへああ、いんひああへあえ」


「?」


 パパはこれを知っていて2階部屋を取ったのだろうか。

 ガサツなようで意外とできる男である。



 さて、名残惜しいがそろそろ歯磨きを終えて眠るとしよう。

 明日も朝は早い。それに旅行本番はまだまだこれからなのである。


 洗面台でうがいをして歯ブラシを洗う。

 こっちの世界の宿に備え付けの歯ブラシなんてないので、明日の朝忘れずに持って帰らないといけない。


 

 ベッドは大きめのが2つ繋がって置かれている。

 3人で並んで寝るのである。


「私真ん中がいい」


 許可を取らずに真ん中に仰向けで寝そべる。



 体が沈んでいく。


 瞼が落ちていく。



 寝そうである。



 右腕に柔らかい感触がくる。

 ママがくっついているのだ。


 左肩には少しだけラファの肩が当たる。


 控えめだがちゃんとくっついてくれる。



 ラファは僕よりちょっと体温が高い。




 パパは暑苦しい。




 そう言えばパパと最後に一緒に寝たのはいつだったか。









 ……





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