第八十一話 爆裂漢襲来である
うちの学校には生徒がほとんど入らない部屋が3つある。
ひとつめは職員室。
文字通り職員達の部屋である。
ただ先生に用事がある場合や、どこかの教室の鍵を借りたい時などは職員室に入る必要がある。3つの中では最も生徒が立ち入る部屋である。
ふたつめは生徒指導室。
悪事を成した生徒が呼び出される部屋である。
うちの学校はとても治安が良いため、この部屋が使われることは滅多にない。喧嘩した生徒達がたまに呼ばれる程度である。
みっつめは校長室。
校長の執務室である。生徒が入ることはまずない。
この3部屋は西館の二階にあり、奥から校長室、職員室、生徒指導室の順番で並んでいる。
また、この3部屋は室内でも扉を挟んで繋がっていて、校長室で暇した校長は度々職員室に遊びにくるらしい。
そして僕は今、入学して初めて生徒指導室にいる。
部屋の大きさは教室の半分もなく、部屋の真ん中に大きなテーブルが置かれていて、窓側に先生が座るソファ、扉側に生徒が座るソファが置かれている。
テーブルもソファも黒で統一されていて、高そうな絨毯も相まって威圧的な雰囲気が醸し出されている。
さらに、窓側のソファには見慣れた教頭先生に加えて、教頭先生の倍は体積がある黒スーツのイカついおっさんが座っている。
黒スーツのイカついおっさんは赤茶色の髪をポマードでオールバックに固めて、額から鼻筋にかけてある古い刀傷を見せつけている。
黒縁眼鏡の奥に見える瞳は野獣のように鋭く、見るだけで燃え尽きそうな炎の色をしている。ボスの赤い瞳をさらにガスバーナーで炙ったような感じである。
職員室から案内されて生徒指導室に入ってみれば、そこはどこぞやの危ない事務所みたいな感じである。
「まずはハレアも座りなさい」
「は、はい」
教頭の指示を受けて席に着く。
テーブルにはお茶とお茶菓子が置かれているが、イカついおっさんが手をつけた様子はない。一瞬で喉が渇いてしまったのだが、僕が先にお茶を飲んでも良いものなのだろうか。
「そう緊張することはない。こちらのお方はただ君に会いたくて来ただけだそうだ」
「は、はい」
別に何かやましいことをしたから緊張しているわけではない。
それにおっさんがイカついから怯えているというだけでもない。
このおっさんからとてつもない圧力を感じるのは、このおっさんが僕よりも遥かにやばい強者だからである。
ゼト・アルマデルと同程度か、下手するとそれよりも強烈な圧力。
ピスケスよりは流石に劣るが、あの優しげな魔人と比較するとあまりにも見た目が怖い。
「初めまして。吾輩はガトルヘルド・ポエトニーである」
ガトルヘルド・ポエトニー
聞いたことがある。
確かエノーラちゃん(僕の初学校の頃の先生)の知り合いで、『爆裂漢』とかいう異名を持つ高校教師。
当時は天鱗学園で教師をやっているという話だったが、なにしろそれももう6年前のこと。今はどこの教師なのかは定かではない。
「初めまして。モルフィー先生からお名前を伺ったことがあります。確か天鱗学園で教鞭をとってらっしゃるのですよね」
「…ふむ、エノーラから聞いていた話よりも随分と礼儀のある子供であるな。いや、それもそのはずか。話を聞いてからもう5年以上経っているわけなのだから……ああ、いかにも。吾輩はカルア天鱗学園で教職に就いておる」
どうやらガトルヘルドはまだ現役で天鱗学園の教師らしい。
ならやって来た目的はひとつであろう。
「最初に断っておきますが、編入する気ありませんよ」
「吾輩も最初に断っておこう。我が校には推薦や特別生といった制度はない」
違った。
「では何用でこちらに?」
「貴殿の名はいま王都の教師で話題になっておる。ナスフォ街に天才が現れたと。実際に貴殿の試合を見たものは少ないが、その語られようからどんどんと話が広がってな」
「らしいですね。いろんな学校から声をかけられます」
「まあ彼らのことも許してやってくれまいか。貴殿の世代には特別優秀な生徒が多く、その生徒たちが皆我が校の付属中等教育学校に通っておるのだ」
「なるほど。焦っているわけですね」
「いかにも。だが貴殿が気にする必要はない。好きな学校に好きな時に入学すれば良い」
ふむ。残念ながら僕は天鱗学園に入学する気である。
他の学校には悪いが、やっぱり1番の名門校に入りたいし、僕たちの世代の天才達とも会いたい。
「さて、それでは本題だ。――貴殿は『ゼト・アルマデル』に会ったことがあるか?」
空気の重さが変わる。
そんなことは絶対にないのだが、返答次第では殺されてしまうのではないかというほどの圧力。
「……会ったことはあります」
「ふむ。奴の力量を正確に把握できたか?」
「正確に…完璧かどうかはわかりませんが概ね把握はしたつもりです」
「なるほどな。やはり、ここに来て正解だった。『アーニャ・ハレア』という名を聞いた時、エノーラの手紙を思い出した。彼女が何度も何度も天才だと語った生徒がついに中等教育学校に入学したことを、その才能は本物だったことを把握した。――そして、ナスフォ街の天才と聞けば長年の疑問と合わせて1つの答えに辿り着いた」
「『ユアラ・デトミトリではゼト・アルマデルに勝てるはずがない』ということですか。ユアラ様は天鱗学園の卒業生でしたね」
「いかにも。何者かが手伝ったのだとずっと考えていた。そしてその者が名乗り出ないことを不思議に思っていた。――そこに博学多才でありながら地元の学校に進学した貴殿の存在。つまりはそういうことなのだと悟った」
「私がしたのは作戦の企てと補助だけですけどね」
「それでも構わんさ。ゼト・アルマデルと手を合わせた者の話を聞きたかったのだ」
ようやくこのおっさんの目的がはっきりした。
ゼト・アルマデルの話を聞く。
そのためだけにわざわざやって来たのだ。
根掘り葉掘り聞く気はないが、恐らく何かしらかの因縁があるのだろう。
「…弟の、仇だ」
おっさんはここに来て初めて表情を変えた。
悲しみとも、怒りとも違う。複雑な表情。
仇とは口にしたが、ゼト・アルマデルに向けた感情は負の感情だけではないかのような、思い出を懐かしむような表情。
「弟は…ディートヘルドはゼト・アルマデルとエリカ・ルーンとパーティを組んでいた。当時の若手ハンターの中では群を抜いて優秀なパーティであった」
深く聞く気はなかったが、ガトルヘルドは語り始めた。
僕に聞かせるためというより、自分自身に語りかけるように。
「……どうにもまだ、理解が、納得が、事態の把握ができていないのだ。吾輩の記憶の中のゼトは、断じて人を殺すような男ではない。力を持っただけの子供であったディートヘルドとエリカを支えて、纏めた。立派な男であった。頼りになると、心から信頼していた。ゼトの遺体が見つからなかったとき、吾輩は寝る間も惜しんで探し続けた。弟は死んでしまったが、まだゼトは生きているのではないかと」
裏切られた。そう思って当然だ。
実際、あの卑劣な男はありとあらゆる人を裏切ったのだ。
だが、ガトルヘルドの声はまだ優しいままだ。
裏切られてなお、ゼト・アルマデルを慈しむように。
訝しげに見つめる僕の視線に気がついたガトルヘルドは、イカつい顔を崩して情けなく笑う。
「笑ってしまう話だ。吾輩は…俺は、ゼトのことを恨みきれていない。話は聞いた。ゼトが犯人なら全てのことに納得もいく。だからそれを疑ってなどいない。……だが、直接その姿を見ていない俺の中では、ゼトのイメージはあの時のままなのだ」
「…笑いませんよ。あの異常者はきっと周りの人を騙していたわけではないんです。信頼して、好意を持って当然だと思います」
「…詳しく聞いてもよいか?」
さっさと話を終えて部活に向かうつもりだったのだが、そういうわけにもいかなくなった。
この人にはちゃんと伝えてあげたい。
ゼト・アルマデルがどんな男なのかを。
部室の鍵くらいは誰か取りに来るだろう。
「あの男は根っからの異常者でした。ただ、その異常性が表に出たのはディートヘルドさんとエリカさんを殺したその時からなのだと思います。その時、衝動的なのか情動的なのか、『人を殺してみたい』と思ってしまったから犯罪者になってしまったのだと思うんです。そう思うことさえなければ、彼は普通に生活をして、普通に過ごしていたと思います。決して、殺すためや人を裏切ることを前提として信頼関係を築いていたわけではなかったんです」
あの男は人と違うように生まれてしまった。
同情なんてする余地もないが、あの男は普通の人よりも他人のことが好きな男で、その形が異常だっただけ。
好奇心を抑える倫理観を持って生まれなかったが故の凶悪犯罪者。不運が生んだ欠陥品。
「だから、ガトルヘルド様との友好的な関係は決して嘘ではなかったと思います。結果としてあの男は貴方を裏切りましたが、裏切ろうというつもりはなかったはずです」
「…随分とゼトを理解しているのだな」
「私と彼が似ているからだと思います。――ああ、私は別に人を殺したいとか思いませんよ。ただ、『こうなってみたい』とか『こうしてみたい』というような欲求は私もしばしば感じます。普通の人よりも世界に対する要求が高いんです」
「あまり、うまく理解ができないな」
「私も彼のことを完全には理解できませんよ。私には『やっていいこと』と『やっちゃダメなこと』の分別がつきます。彼にはきっとそれがなかったのかと」
「……近くにいる大人が、止めるべきだったのか」
「それは無理な話ですよ。止められたって火がついたならやりきります。だからこその異常者なんです」
「………なるほど、な。参考になった」
「そういえばそもそもはゼト・アルマデルの力量についての話でしたよね」
だいぶ脱線したが、最初はゼトの性格ではなく力量についての話だった。
一息ついたガトルヘルドがお茶を飲んだので、僕も続いて飲む。
飲むというより、飲みほす。
めちゃくちゃ喉が渇いていたのである。
そういえば教頭先生はずっと難しそうな顔をして座っている。1人蚊帳の外だが、話の内容が重いのであくびするわけにもいかないし、それはそれで大変だっただろう。
「ああ、気になっていたのはそこなのだ。貴殿はゼト・アルマデルに勝てると思うか?」
「まだ無理ですね。殺されます」
「ふむ。では高等学校入学までに勝てるようになるか?」
高等学校入学までというと後2年半。
んー。甘く見積もってもちょっと厳しそうである。
「在学中には勝てるようになるかと」
「なるほど。貴殿はどこの学校に進学する予定かもきいて良いか?」
「天鱗学園です。入学したらお世話になります」
「ふむ。――よし、わかった。それであればこれを入学試験の際に渡しなさい」
ガトルヘルドはスーツの内ポケットから白封筒を取り出すと、机の上に置いて僕の方へ渡す。
黒い机の上に白い封筒。
渡してくるのはイカついおっさん。
やっぱりなんか怪しい雰囲気である。
「推薦はなかったのでは?」
「推薦ではない。入試を吾輩が直接担当するための書類だ」
「……何をする気ですか?」
「吾輩と、全力の試合を」
正気かこのおっさん?
女子中学生相手におっさんが果たし状とか正気とは思えないが、この部屋に入室した時と同じイカつい無表情である。正気なのだろう。
「なるほど…。ゼト・アルマデルに勝てるかどうか知りたいってことですか」
つまるところそういうことだろう。
このおっさんは最初からそれだけを知るためにここまで来たのだ。
「いかにも。吾輩は事件が解明してからずっと考えていた。吾輩が自らの手でゼトを捕えたかったと。たが、本当に吾輩に捕えられたのかがどうしてもわからなくてな。本当にくだらない話なのだがそれがずっと、喉の奥に刺さる小骨のように引っかかっていたのだ」
笑ってくれ。と、情けなく笑う。
「くだらないですね」
そして今度は僕も微笑みを返す。
「ああ、まったくだ」
ガトルヘルドは笑いながらお菓子に手を伸ばす。
イカつい顔したおっさんが、憑き物が落ちたように晴れやかに笑うもんだから、僕もなんだか嬉しい気持ちになる。
いつのまにか一度席を離れていた教頭先生がお茶のお代わりを持って帰ってきた。
どうせ部活は遅刻だし、お菓子を食べながらエノーラちゃんとの話でも聞こう。
こうして僕の天鱗学園の入試内容は決定したのである。




