第八十話 新たな日常なのである
『日常』とは特殊なことがない状態を意味する。
この『特殊なこと』とは「今日は昨日一昨日と違うことが起きた」とか「今週は旅行だ」とか、そのくらいのことではなく、予想されていなかったようなイレギュラーやスケジュールから大幅に逸脱した事象である。
つまり学校生活においては、行事があったくらいでは非日常とはならないわけである。
最近感じた非日常は森での魔人との出来事。
その前はゼト・アルマデルの事件。
その前となると異世界転生そのものくらいだろう。
『いやいや待ってくれ。行事とか、誰かとデートをしたみたいなのだって非日常だろ』
と、いう意見もあるかもしれない。
まあ確かに僕としてもそう思わないこともない。
細かい観点で見れば、遠足だってお泊まり会だって、病気になったとかいうのだって『非日常』である。
だがちょっと今はそれらを『日常』とカウントした方が都合がいいので日常カウントとさせてもらうのである。
僕の意見なんてのはその時その時でコロコロ変わる。
あまり気にしないで欲しいのである。
このコロコロ変わるとは別に考え方や信念が変わるって意味ではない。単純に比喩表現や話の説明をする際、説明しやすいように言葉の使い方を選んでいるだけである。
考え方や信念が大幅に変わるのはそれこそ『非日常』と出会った時くらいのものだ。
生き方すら変えるような事件がないと人の考え方なんてそうそう変わるものではない。
さて、話を戻すが行事なんてのは日常の範疇を出ない。
武闘祭はただの日常の中の1つのイベントなのであって非日常ではないのである。
ーーあ、そう言えば僕が魔人の一件で王都に呼ばれるかもという説があったが、そんなことはおきなかった。
ケシ村のお偉いさんにちょろちょろっと話をして、僕はそれだけで解放となった。ただの目撃者Aというだけで、一般人をこの大事件に巻き込むわけにはいかないという判断なのだろう。
人生初王都は来月の家族旅行まで持ち越しなのである。
さてはて、再び話を戻そう。
今回の武闘祭についての話である。
つい先ほど『武闘祭=日常』という話をしたが、今回に限っては違ったのだ。
とりあえず最終順位を発表した方が話は早いだろう。
優勝 アーニャ・ハレア
準優勝 トゥリー・ボールボルド
3位 ヨア・レグディティア
4位 タイグド・レグディティア
第1事件は『準優勝トゥリー』である。
こそこそ色んな人に頼み込んで特訓したり、武器を用意したりしたのは知っていたが、まさかあそこまで強くなっているとは思いもしなかった。
本当に見事な試合だった。
最初から最後まで関心しっぱなしの、うんこをもらして泣き喚いていた頃のトゥリーを知っている僕からしたら、感動しっぱなしの試合だったのである。
細かい技術的な面は勿論、試合全体を通しての運び方、最終的な決め方、そもそも試合に臨む前の精神的な面まで、120点と評価することすら無粋に感じるほど、素晴らしいものだった。
あの日僕はトゥリーに自分の理想を重ねてしまった。
僕ではなれない英雄像。
不思議と悔しくはなかった。
あれが見ず知らずの誰かなら嫉妬して、自分の現状に嫌気が差していただろう。だがトゥリーは他の誰の手でもなく僕が作り上げた英雄なのである。
感動と関心こそしたが、負の感情は一切合切なかったと断言できる。
まあだからこそ決勝戦で手を抜いてあげるはずもなかった。
エディー戦で完全に感覚を掴んだ僕を前に、トゥリーはなす術もなかったのである。
こうして起きた第一事件は僕に『非日常』を齎した。
リザルトその1。
トゥリーと話すことがめちゃくちゃ減った。
大事件である。
12年近くずっと一緒にいた弟子とめちゃくちゃ距離が開いたのである。
これは僕とトゥリーの仲良が要因ではない。
僕とトゥリーの関係性は特に変わらず、話すときは普通に話すし、相変わらず家族同士でご飯を食べたりすることもある。
じゃあ何が要因か。
答えは単純。
トゥリーがモテモテになったのと、僕が畏怖されるようになったせいである。
もともとビジュアルや性格のせいで人気があったトゥリーだが、今までは彼女であるリーシャの存在で取り巻きにストッパーがかかっていた。
だがボスを倒したことによって、ストッパーを突破するほどの人気が出てしまった。
同じクラスからはカユ、ベス、ノロ。
カユはもともとだったが、ベスとノロがめちゃくちゃトゥリーに懐くようになった。
やれ「トゥリー様、剣の練習に付き合って頂けませんか?」だの「トゥリーくん今日はクッキー作ってきたんだ!」とか。
2人とそんなに仲良くなかったリーシャは最初複雑そうな顔をしていたが、最近は仲良くノロの作ってきたお菓子を食べている。
隣のクラスの人達は1人残らず全員トゥリーを崇拝しているレベルだ。
凡才が天才に勝ったという事実は、2組の生徒達にとって大きな意味を持ったのだろう。
僕たちと少し距離が離れていたティアだけは少し恥ずかしそうに、でもちょっとずつ距離を詰めてきている。
ちなみにリーシャは「あの子は危ない」とめちゃくちゃ警戒している。
トゥリーの人気はこんなもんでは収まらない。
2年3年の先輩からは勿論、試合を見にきていた親族の間でも人気になってしまった。
特にケシ村からの人気はとんでもない。
リーシャの彼氏ということで顔と名前はもともと知られていたトゥリーだったが、最近はケシ村の子供達からスーパースター扱いを受けている。
休日はケシ村に行って修行することが増えた。
僕に事情聴取をしたお偉いさんが特に教育熱心らしい。
ナスフォ街では歩いているだけで声をかけられる。
トゥリーは最近また背が伸びてそろそろ180cmも見えてきたところだ。最終的に190cmは超えるだろう。
そんな無駄に大人びたトゥリーは、僕の知らない先輩や、街のお姉様方と登下校することが多い。
そんなこんなでトゥリーのスケジュールは以下のように埋まっている。
6:00 ラファと朝トレ(観客あり)
6:50 家の庭でお姉様方とモーニング
7:20 お姉様方と登校
7:50 クラスでおしゃべり
8:00 始業(休憩時間は引っ張りだこ)
12:30 ランチパーティ
15:20 終業(部活までファンサ)
15:40 部活
17:20 完全下校時刻までリーシャと2人の時間
18:00 ナスフォ街の先輩方と下校
18:40 晩飯(たまにうちと一緒に)
19:30 ラファと夜トレ(たまに僕も参加)
休日は基本出かけているので詳しくは知らない。
こんなだから僕の入る余地なんてないのだ。
別に仲が悪くなったわけでは全くないのである。
さて要因は僕が畏怖されるようになったことにもあると言ったが、これも説明しよう。
まず僕が圧倒的な天才すぎて変に人気になった。
トゥリーみたいなファンがつくという感じではなく、厄介なオタクどもが「あんな子がハレアさんに馴れ馴れしく」みたいな陰口を叩く感じだ。そのくせそいつらは僕にビビって話しかけてこない。
クラスや部活から一歩でも外に出たらこんな感じだ。
昔は可愛がってくれていた村の人達も若干僕を畏れている節がある。僕としては非常に寂しいのである。
まあ端的に言うと『やりすぎた』ということだ。
話題が広がりすぎて色んな高校の先生たちが推薦状を持ってやってきた。
まだ1年生だと言ったら「付属校に編入したらどうか」とか言われた。適当に断っておいた。
ちなみにかの有名な『五学院』からは『カルア天鱗学園』だけスカウトが来なかった。スカウトなんか使わなくても優秀な人は集まるからだろう。
僕が畏怖されるようになったのはこいつらのせいでもある。こいつらがTPOをわきまえず突撃してきたせいで僕は一般人が話しかけづらい有名人みたいになってしまったのだ。
だから僕はトゥリーとは対照的に、限られた人との友好関係で生きている。主にヨアとサリア、あと部活の連中だけである。
これが第一事件リザルトその2『僕の孤立化(孤立はしてない)』である。
続いて第二事件『ボス休学』である。
武闘祭では優勝準優勝までしか決めないが、後日授業中に3位決定戦をすることになっている。
ボスが武闘祭後「ちょっと考える」と言って休学したため、不戦勝でヨアが3位となったのである。
まず心配をさせないように言っておくが、ボスはもう帰ってきている。休んでいたのは3週間ほどだ。
休学はトゥリーに負けてショックを受けたせいというだけではない。
勿論負けたことについても悔しそうにしていたが、試合を終えた後の顔は満足そうで、いっそ心地よさそうですらあった。
お互い健闘を讃えあって「来年は俺が勝つ」とか「当たらないように願ってるよ」とか言い合っていた。
だから僕は武闘祭明けに学校に来なかったことに驚いた。
ボスのことが大好きなネトト村の子達だけではなく、嫌いなはずの人達もみんな心配していた。
僕も心配になって家に行こうかと思ったのだが、ヨアから止められたのでやめておいたのである。
みんなに心配をかけたボスはある日坊主になって帰ってきた。
そしていきなりノロの机の前に行って頭を下げた。
「まず謝っておくが俺はテメェが嫌いだ。休んでる間ずっと考えてた。親の仕事を手伝ったり、似合わねえ家事をやってみたり、絵でも描いてみたり、本当に四六時中考えた。そうやって考えたが俺は俺の考え方が間違ってるとは思わなかった。人生なんてのは不平等だ。恵まれて生まれる奴もいれば生まれない奴もいる。なら恵まれた奴はその不平等を少しでも埋めるために行動すべきだ。俺はそう思う。俺の中では何度考えてもそれが答えだ」
いきなり帰ってきて何を言っているんだと思ったものだが、ベスもノロも何も言わずにボスを見続けた。
「だがノロ・ドゥト。お前からしてみたらリーシャ・ユティみたいな見た目が可憐で大人しく、優しく過ごせるやつの方が『恵まれてるやつ』だったんだな。料理をしたり絵を描いたり、好きな人に守ってもらったりするのが当たり前で、みんなから好かれるやつになりたかったんだ。ずっと考えてわかったことはそれだけだった」
ボスは坊主頭を下げたまま言葉を続けた。
「だからもう一つ謝らせてくれ。それから言わせてくれ。俺はお前の生き方を変だとはもう思わない。気持ち悪いだなんて全く思わない。潜在意識でどう思ってるかは正直わからねえが、俺はそうやってお前を認めたいと心の底から思っている。獣人の社会では違うが、純粋人だと女が働いて男が家事をやることだって少なくねえ。お前の願いが叶うことを本気で願っている」
…そして下げた頭を上げて、余計なことを続けた。
「――だが、最初に言ったがお前が嫌いだ。俺はお前みたいな強い獣人に生まれたかった。俺はお前に嫉妬していた。俺だって十分に恵まれてるくせにだ。そのくせ自分の才能を疑うこともせずトゥリー・ボールボルドに負けた。情けねえ話だぜ。……あーー。つまりなんだ、俺はお前に悪いと思ってる。だが別にお前は許さなくていい。俺はお前が嫌いだ。仲良くする気はない。だが、悪いとは思ってるし、受け入れられ難いお前の手助けをしたいくらいには思っている。……だからまあ、なんか俺を使いたいことがあったら言え。可能な限り力になる。以上だ」
ボスなりの全力の謝罪だったが、どうかと思うとこはいくらでもあった。いくらでもあったが、ノロとベスは優しく微笑んでいた。あの2人は根が甘いのだ。
以降ボスはベスとノロの希望で勉強をケシ村の子達にも教えるようになった。お昼はトゥリー達と食べたりするようにもなったのである。
これが第二事件のリザルトである。
こうして起こった僕らの『非日常』はだんだんとそれが『日常』になる。
僕とトゥリーが離れるなんて12年間なかった。ベスとノロとボスが一緒にご飯を食べるなんて考えられなかった。
しかしそれが新しい『日常』となった。
僕とトゥリーは違うグループ。
ケシ村とネトト村にあった壁は取り払われた。
あとエトセトラの話をすれば、エディーが人と関わることを減らした。トゥリーの試合を見て何か思うことがあったのだろう。朝から晩まで強くなることしか今は頭になさそうだ。
それから浮ついた話が2点。
どちらも僕のものではないし、どちらも結果的に振られている。
ちなみに僕にそう言った話はない。
ひとつ目はドレッドがシャローナ先輩に振られた。
シャローナ先輩は今同学年に彼氏がいるそうた。
もうひとつはアリシア先輩がトゥリーに振られた。
リーシャと別れない限りは隠しておくつもりだったらしいが、2人でお出かけしている時にそういう雰囲気になってついポロッと告白してしまったそうだ。後日リーシャに土下座をしていた。
リーシャはアリシア先輩には怒らずトゥリーに怒っていた。しっかり振ったというのに不憫なやつである。
色々話を聞くとトゥリーを好きになったのは結構前の話らしい。トゥリーが僕の短い髪を褒めてたから僕の髪型を真似たらしい。僕とお揃いなのはついでだったということだ。
つまり疑惑は疑惑。
僕はアリシアルートには突入していなかったのである。
ファーストキスは僕のくせに。とんだビッチである。
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僕の朝はそんなに早くない。
5時半から起きてるラファとは違って6時50分ママに起こされて1日が始まる。
たまにラファと一緒に寝た時は僕も一緒に起きる。ただ眠いのでそのまま二度寝する。
一階に降りて朝の準備を終えたくらいでラファがシャワーから上がってくる。
ちなみにラファは僕が洗面台から退くのを見計らって浴室から出てきている。鎌をかけて一回出てってからすぐ戻ったら出てきたラファと鉢合わせた。すごい顔で睨まれたので2度としないように心に誓った。
女性としての恥じらいが身についてきたようで、姉としては一安心である。
ママはパパと同じタイミングで食べているので、朝ご飯はラファと2人で食べる。食べ終えたらそのまま2人で仲良く登校するのである。
ナスフォ街に入ったところからサリアが合流する。
僕とラファで歩いている時は基本会話がない。2人でなんとなく歩いて、サリアが来ると間に入って僕たちと手を繋いでペラペラ話始める。
ラファは初学校へ向かうので、サリアと2人で仲良くお手手を繋いで教室に向かう。
「アーニャおはよう!」
「おはよー」
僕たちが教室に入ると真っ先に声をかけてくるのはドミンドだ。
別にドミンドと特別に仲が良いわけではない。ただドミンドが扉に1番近い席だからというだけである。
ドミンドとレノは相変わらず仲良しである。朝のホームルームまでは基本的にドミンドの席のとこで2人はおしゃべりしている。稀にそこにエディーがいたりする。
「え、私に挨拶はないわけ?」
「サリアはいらねー!」
「レノは?」
「2人ともおはよう」
「おはよー」「おはよ」
このやりとりはいつものことだ。
水戸黄門が紋所を出すようなもんである。
僕の今の席はそこから窓の方へ向かったところである。
1番窓側の席にはクロハがいる。
「おはよー」
「おはようございますハレアちゃん。今日は2つ結びなんですね」
クロハはホームルームが始まるまで入念に宿題の漏れがないかとか、忘れ物がないかを確認している。ドジっ子は大変なのである。
クロハとは席が隣になってからちょっと仲良くなった。いつも髪型とか小物とかに気がついてくれる優しくて良い子である。サリアと違って全肯定じゃないとこが僕としては非常に好ましい。
「伸びてきたからね」
ビッチパイセンに吹き飛ばされた髪はかなり伸びた。
また切ろうかなとも思っているのだが、もう少し伸ばしたい気もするし難しいとこなのである。
仲良くなったとはいえずっとくっちゃべるほどではない。一言二言話をしたらその後は各々やることをやる。
各々とは言ったが僕がこの時間にやるべきことはない。
時間潰しのために適当に本でも読んで過ごす。
最近読んでいる本は『新・魔術教本シリーズ』である。
これは教本とは名乗っているが教本ではない。
頭のイカれた教授とそれに巻き込まれる助手達を描いたコメディ作品である。
作者は存命で現在16巻まで刊行されている。
この作品の面白いところは、出てくる魔術の裏付けがしっかりとされていて、リアリティがあるところだ。
そしてコメディ作品のくせにめちゃくちゃ読み応えがあるところもポイントが高い。
毎日ムナーちゃんが来るまでの5分ずつくらいしか読まないので長いこと楽しめるのである。
「みんなおはよ〜!ざっと見た感じ全員揃ってるわね!」
ムナーちゃんは7時55分ごろにやってくる。
今日のスタイルは紫とゴールドのタキシード。
お気に入りの服なので曇りの日しか着てこない。
日焼けするのも雨に濡れるのも嫌だからだ。
ムナーちゃんが教室に着くとみんな自分の席へと戻り、ホームルームの開始を待つ。今日も授業が始まっちゃうなーって感じの憂鬱な雰囲気が漂うのである。
「はい!じゃ朝のホームルームを始めましょう!みんな改めておはようございます!!」
「「「「「ざいまーす」」」」」
出席確認、朝の祈り、朝の連絡。
初学校の頃から変わらない退屈なホームルームが15分ほどあって、8時半から1時間目となる。
こうして僕の退屈な1日は始まるのだ。
――――
「おわったーーー」
「今週もお疲れ様でした」
今日は金曜日。
明日明後日はお休みなのである。
お休みとはいえ、部活、宿題、やるべきことはたくさんある。登校しないだけで別に夏休みのような『お休み』という感じではないのである。
次の『お休み』は冬休み。
待ちに待った王都への家族旅行である。
最近はラファの受験対策も大詰めで家はピリピリしている。
実技の他にも面接、勿論筆記テストもあるため、剣を振る以外の努力もしないといけないのだ。
ラファにとってそれはかなりのストレスらしい。
「今週は課題少なかったね」
「ですね。ハレアちゃんのおかげで今週も忘れずにできそうです」
金曜日は他の日と比べて1つだけ違う習慣がある。
隣の席のクロハと一緒に課題の確認をするのだ。
僕はクロハのために『課題帳』という名の手帳を作ってあげた。
全ての教科の課題をもう一度確認して課題帳に書き、『終わった印』『範囲確認印』『鞄にしまった印』の3点チェックをするようにさせた。
この課題帳を作成してからクロハが宿題を忘れたことは数回しかない。その数回も最後の1ページだけ忘れてたとかなので、朝のホームルームまでの時間で間に合った。
つまり授業に間に合わなかったことはないのである。
「よし!じゃまた来週!」
「はい!部活動がんばってください!」
クロハに別れを告げて僕は職員室へと向かう。
部室の鍵を取りに行くのは僕の仕事なのだ。
教室を出て西館へと向かう。
暖かい教室からでた瞬間が1番冬になってきたことを実感する。渡り廊下は駆け足で渡るのである。
「あらぁ?アーニャさん走っちゃ危ないですよ〜」
「走ってません。歩くペースが少し速いだけです」
渡り廊下を急いで渡る理由は寒い以外にもある。
渡り廊下の横にある花壇はアゲハ・デルヌーが管理している。
つまり絡まれる可能性が高いのである。
「そんな言い訳をしてぇ〜。あ、そういえば職員室にアーニャさんを探しているお客様がきていましたよ〜」
相変わらず鬱陶い喋り方のデルヌー。
悪いことはされていないから無視できないのが辛いところである。いっそ悪人であれば楽なのに。てかどちらかといえば悪いことをしているのは僕の方なのである。
でもそうせざるを得ないのはデルヌーのせいなので、やっぱりデルヌーが悪い。
「なんの用でしょう。どんな人でした?」
「う〜ん…高等学校の推薦ではないかしらぁ?」
「またですか。わかりました。どうせ職員室に行くので適当に断っておきます」
「は〜い。でも走っちゃだめよ〜?」
「走ってません。歩くペースが速いだけです」
「う〜ん…こまったお姫様ですねぇ〜」
またしても推薦。
同年代からのアプローチはないくせに、おっさんは次から次へとやってくるのである。
めんどくさいが仕方ない。
とりあえず角が立たないように適当にあしらうのである。




