第六十九話 遠征2日目③
大浴場から宿に帰ると、すでに宴会の準備がされていた。
普段は一般客で賑わっている席には今日お世話になった騎士の方々や先に帰った男子生徒達、先生、ドルモンド様が座っていて、テーブルの上にはこれでもかというほど豪華な食事が並んでいる。
「ただいま戻りましたー!ごめんなさい準備手伝えなくて!」
「みんなおかえり!準備なんていいのいいの、アリシアちゃんたちのためのパーティーなんだから」
「トゥリーはやっぱりこれないのかな?」
リーシャが寂しそうに部屋を見渡すがトゥリーの姿はない。乾いてふわふわに戻った尻尾がしょんぼりと垂れ下がる。
「隊長のとこの坊主は屋敷に泊まり込みだよ」
「あの隊長を本気にさせちまったからなー」
「そんなにやばい人なんですか?」
「そんなにやばい人だな」
1番近くの席にいた若い2人の騎士がうんうんと首を振る。今日手合わせしてもらった黒髪赤眼のハンサム兄弟だ。
短髪の方が弟のロニドさん、長髪の方が兄のノニドさん。ちなみにロニドさんの方には勝って、ノニドさんの方には負けた。
「アリシアちゃんここの席座りなよ!おじさん達よりは俺らの方がマシでしょ!」
「バカだなぁ兄貴。おじさんよりもマシだと思ってる若い男が1番キモいってのは有名な話だろ」
「どこで有名なんだよそれは!そんなことないよなーアリシアちゃん!」
「騎士の方と食事ができるならどなたとでも光栄ですよ!」
実際、自分が負けた人と食事をしながら反省点を伺いたいとは思ってた。今日私が負けた人でこの場にいるのはノニドさんを含めて3名、その方達がいるところならどこでも良いというのが正直なところだ。
「じゃあここにしなよ!ほらみんな座って!」
「おいおい大馬鹿兄弟!お前らで女の子独占するとはどういうことだ!先輩の机が男だけになっちまうだろ!!」
「先輩!女子中学生をそういう目で見るのは犯罪ですよ!」
「何言ってんだアホ!そういうんじゃなくて華やかさの問題だよ!なあ坊主!」
「え、ええ!俺もそう思います!」
遅れてきた女子勢が一つの机に座ろうとしたら、奥にいる副団長補佐とドレッドから抗議がきた。
ドレッドはシャローナと食べたいのが見え見えすぎてちょっとだけ意地悪したくなる。
「じゃあ私とシャローナはここで食べるから、リーシャとテナスさんとサリアちゃんは向こうに行ってあげてくれる?」
「!?い、いやアリシア先輩!机は2つじゃないんですからもう少しこう、なんというか………しゃ、シャローナ先輩うちの机にきませんか!?」
!?なんか知らない間にドレッドが成長してる!
久しぶりに本気で驚いた。
ドレッドが積極的になったのにも驚いたけど、そもそもこういう場で自分の場に意中の女性を名指しで呼ぶところにも驚いた。
「え、うん。じゃあドレッドのところいこうかな」
「じゃあうちにはリーシャちゃんおいでよ!!」
「じゃあこっちはテナス嬢だな!」
「サリアはいらねー!!」
「別にドミンドのとこなんて呼ばれてもいかないから」
ドレッドの名指しを皮切りに、女子生徒が指名制で机に配属される。
サリアちゃんは指名される前に当たり前のようにヨーグ先生のもとに向かう。この遠征で随分懐いたものだ。
「私。屋敷。帰る」
「えー?テナスさんは帰っちゃうの?なんか用事が?」
「食事。届ける。仕事」
「え、誰に?」
「トゥリー」
「!?!?な、なんでテナスさんがトゥリーのとこに!?じゃ、じゃあ私が行きます!私の彼氏ですから!」
「伝言。宴会。楽しんで。私。宴会。苦手」
「で、でもでも!なんか密会みたいで嫌です!!」
「心配。無用。私。トゥリー。嫌い」
「ぐぬぬぬぬぬ…それもそれで悔しい……」
テナスさんはキシルスさんから4人分の食事を受け取るとレラーザ先生と2人で食事を抱えて出て行った。
残ったリーシャはどういう感情なのか全くわからない複雑そうな表情で席に着く。女の子とトゥリーが夜に会うというのも嫌なんだろうし、トゥリーが嫌いと言われたのも嫌なんだろうけど、嫌いと言われたおかげで心配はちょっと減って複雑といった感じだろう。
ただ、テナスさんがトゥリーを嫌いなんてのは100%嘘だ。
だって大浴場に向かう直前トゥリーに話しかけに行ったテナスさんの表情は恋する乙女そのものだった。
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「うん。間違えたねえ。右手に剣を持つ相手の体重が右前足に6割以上乗っているときは必ず体を左側に向けたうえで第3の構えを取らないと。今トゥリーが体を正面に向けたまま第3の構えを取ったのはどうして?忘れてたからなのか、体重の乗りが6割いってないようにみえたからなのか、もしくは新しい試みをしてみたからなのかねえ」
「申し訳ありません。体重の乗りを測り間違えました」
「それはどうしてかな?」
「状況把握を視覚情報に頼り過ぎているせいかと。あたりが暗くなってきて正確に把握できませんでした」
「そうだねえ。今の距離なら必ず前足に体重が乗るよねえ。戦闘中の思考が遅いのがもうひとつのトゥリーの欠点だ。今みたいに一旦止めて問答したらすぐに答えがわかるのに戦ってる最中だとそれができない。そんなんじゃ絶対に格上には勝てないよ。一挙手一投足考えて行動しないと」
わかってはいるが頭が追いつかない。
言い訳になるけど何時間経ったかもうわからないほどにずっと頭を使い続けて組手をしている。頭の使いすぎで脳が焼き切れそうなのはこれが初めてだ。
それに体にもガタが出始めている。お腹は空いたし、手の皮はもうほとんど剥がれかけてるし、足は震えている。
時刻はもう19時ごろになるだろう。夏だというのに視界が悪くなってきている。
でもこんな言い訳は胸の中に閉じ込めておくしかない。
「もう一本お願いします」
「うんうん。やっぱり君は良い目をしているねえ。こんなに暗くなって、こんなにボロボロになっても君の蒼瞳の輝きはまだまだ眩しいくらいだ。でもま、残念だけど休憩だね」
「お疲れトゥリー。一旦治療の時間だよ」
「トゥリー。お疲れ。食事」
後ろを振り返るとレラーザ先生とテタがいた。
そういえばさっき後で食事を持ってきてくれるとテタが言っていた。
「はは、丁度頭の中で泣き言を言っていたところです。助かりました」
レラーザ先生が手をかざすだけで一気に体が楽になる。一流の光魔術師にかかれば疲労やかすり傷程度数秒で治療できる。
「ふふ、それは良かった。さて治療はもう終わりだ。4人で食事を取るとしよう。場所は…トリスマーさんどこかありますか?」
「ここで良いんじゃないですかねえ?この野外修練場も麗しい女性と見どころのある少年、美味しい食事が揃えば悪くない。今宵は月が綺麗ですし、下手したら屋敷で1番食事に適した場所かもしれませんよ」
それを聞くやいなやテタが魔術で食事セットを用意してくれる。円形の修練場のど真ん中に机と椅子があるのはなんとも奇妙な光景だ。
「こんな一瞬で建築できるんだ」
「こんなの。簡単。建築。違う」
「ふーん。俺からしたらこれも十分すごいんだけどなあ」
テタはこの前即興で魔術を組み立てるのは苦手と言っていたが、これだけできるなら十分だろう。
「…別に。頑張ってる。トゥリー。もっと。すごい」
「あれ?テタが俺を褒めてくれるなんて…あ、術式の組み立ても早かったしもしかして偽物?」
「最悪。見直した。間違い」
どうやら俺はちょっとだけ見直されていたらしい。
そもそもどこで評価が下がっていたのか知らないけど。
「……ふむふむ、これはこれは。いやはやトゥリーは罪な男だねえ」
「まったくだ。お前いつか刺されるぞ」
定期的に俺は人からいつか刺されると言われるのだが、俺ってそんなに憎まれるタイプだろうか?
いや、テタにはいつか刺されてもおかしくない。
「冗談ですよ。テタご飯ありがとね。めっちゃお腹空いてて死にそうだった。テタがいなかったら死んでたかもしれない」
「別に。トリスマー。常識人。ご飯。くれる」
「いやーどうだったでしょうねえ。僕も久しぶりに熱くなってましたし、食事のことなんて忘れてましたよ」
「ふふ、うちの生徒は魅力的でしょう」
「ええとても。人を惹きつけるどうしようもない人たらしですよ」
確実に褒められてはいるのに何故か棘がある。
テタが用意してくれた机を4人で囲む。師匠の前にレラーザ先生、その横にテタ、その前に俺。
夏とは言っても夕暮れになれば過ごしやすい温度になる。組み手をするには心許なかった月明かりも食事をするためなら十分だ。師匠の言うように食事をするには最高のシチュエーションだ。
「こうして囲むとなんだか家族みたいですね」
「お、僕にこんな若くて美人な奥さんが」
「おや、私にこんな優秀な子供が2人も」
「弟。生意気」
「いやテタが妹でしょ」
「生意気」
暖かい空気に包まれながら、少しだけ冷めたお姉さんの食事をいただく。俺の遠征はもう修行で終わりかと思っていたのだが、こんなに素敵なイベントを味わえるとは。テタには心の底から感謝だ。
今回の遠征は本当に素晴らしかった。
知らなかったことをたくさん知れた。たくさんの素敵な人と出会えた。確実に強くなれた。
忘れちゃいけないのが最高級の魔鋼製の鎧を作ってもらえることにもなっている。
取り止めのない会話をしながらおいしい食事を食べ、たまに現在までの反省点をきく。
楽しい時間というのは瞬く間に過ぎるもので、もうそろそろ食事を終えて修練に戻らないといけない。そして修練が終わればナスフォ街に帰らないといけない。
「トゥリー。高校。どこ」
食器を片付けていると、ふとテタに尋ねられる。
「んーまだわからないけど。天鱗学園は憧れるよね。今のままだったら夢のまた夢だけど」
「……高校。私。トゥリー。えと…」
「ん?テタはどこか行きたい高校あるの?」
「…えと…一緒」
「やっぱり天鱗学園だよね。テタなら普通に受かりそうじゃない?」
テタほどの天才なら天鱗学園も余裕だろう。
魔術特化のテタならアダモクシア学院というのも悪くはない選択肢だと思うが、やっぱり狙えるなら王国1の高校に行きたいというのはあたりまえの話だ。
「違う。えと。トゥリー。一緒」
「あ、もしかして俺と一緒のところに行きたいってこと?かわいいなあテタは」
いまいちわからないのでちょっとからかってみる。
テタの喋り方で今まで困ったことはなかったのだが、少し言いにくいことらしく今回は難しい。
いつもならすぐに怒ってくるテタが俯いて言葉に詰まっている。からかう場面じゃなかったかも知れない。
急いで取り繕おうと口を開けたところでテタと目があった。
「一緒………がいい」
「え?」
「こ、これ。私……の住所。手紙、えと………手紙、待ってる。またね」
「え?」
テタはメモを机の上に置くと、パタパタと足音をたてて闇の中へと消えていった。
「………それじゃあ私も。トリスマーさんうんときつくしごいてやってください」
「そうですねえ。ちょっと昼は甘やかし過ぎましたかねえ」
「いや十分厳しかったですよ」
これ以上きつくされたら冗談抜きで死んでしまう。
俺は別に鈍感じゃないから普通にわかってしまったが、どうやらテタは俺のことが好きらしい。それが恋愛的なものか友情的なものかはさておくとして、もちろんとても嬉しいのだが、それが師匠の何かに火をつけてしまったのは由々しき事態だ。
「いやいや、君みたいな罪な男は甘やかしてはいけませんよ。さてぼちぼちと始めましょうかねえ…………って、この机と椅子どうしましょうか?」
――休憩後最初の修行内容は机と椅子を魔導なしで破壊することになった。




