第五十七話 夏休めないのである
あまりにも暑い夏。
運動なんて全くしてないのに汗がだらだらと流れる。垂れるって感じじゃなくて、マジで流れているのである。
ノースリーブに短パン、短い髪の毛を後ろでくくり、前髪をカチューシャであげきった見た目度外視のサマー装備だというのに絶望的に暑い。
日差しがきついだとかだけではこんなことにならない。そもそも僕は木陰にいるし、日焼け対策に日傘までさしている。
「あづいぃぃぃ…」
「お姉ちゃん、先にお家帰る?」
隣にいる愛しの妹が風を送ってくれるが、残念ながら冷風ではない。生温い風では僕を完全に癒すことはできないのである。
だが、愛しの妹をバカにしてはいけない。彼女のメインの役割は熱風をこちらに送らないことにあるのだ。生温い風はちょっとしたおまけなのである。
「…っ!つ、つぎ!!!」
「…はぁ、はぁ…っ、ば、バカかてめぇは…休憩、だっつーの…っ!」
…暑苦しい。
そう。諸悪の根源はこの暑苦しい2人である。
この2人が朝っぱらからずーーっと戦ってるせいで僕がこんなに死にそうなのだ。
勘違いしないで欲しい。暑苦しいから暑いのではなく、物理的にこいつらが周りの気温を上げているのである。
「まだ魔力切れではないでしょうっ!」
「…はぁ、た、体力と……頭の、限界だ…っ!!」
まずとてつもない量の運動しているせいで熱が凄まじい。2人とも朝より10kg痩せたと言われても驚かない。
次に炎が燃え盛り過ぎている。やっぱりこっちが『まず』だったかもしれない。こっちがメインの理由である。
さっきまで僕を炙り続けていたボスはついに体力の限界を迎え、地面に崩れ落ちる。
「休んでないで早く立ってください。まだお昼まで15分ありますけど?」
「はぁ、はぁ…ふざ、けんな。…魔術師は、頭…使うんだよ…。てめぇとは、ちがってな…」
「なっ!?私だって考えて剣を振ってます!!バカにしないでください!!」
対するラファは全然元気である。試合ではボスの全勝だが、今の状況だけを見るとラファの勝ちのような気もしてくる。
ラファはずっとボスの炎を浴びながら動き続けていたのにどういう理屈でピンピンしているのだろうか。座って見ていただけの僕の方がよっぽど疲れている。
「おい、アーニャ!!まじで、まじでこいつどうにかしろ!!」
「お姉ちゃんはもう動けないよ」
「だから!!その人はヨアさんの姉じゃありませんって何度言えばわかるんですか!?」
あーーーうるさいぃぃ。頭に響くからやめて欲しい。
せっかくの部活オフがなんでこんな悲惨なことになってしまったのか。愛しの妹達といちゃいちゃしたり、サリアとどっか出かけたりして有意義に使う予定だったのに。
まったく、どこで間違えたら炎天下で一日中観戦なんてことになるんだ。しかも炎魔術に炙られながら。
隣に風魔術師の妹がいなければ冗談抜きで死んでいたのである。
…僕とヨアは本当にここにいる必要あるのだろうか。
引き受けてしまった僕も僕だが、やっぱり無理でしたって言っても誰も責めないだろう。ラファのストッパーとして呼ばれたはずだが、その務めを果たすことはもう確実に出来ないし、ここにいる必要は皆無である。
「アーニャもバテてるしまじで休憩にするぞ。このまま続けるより、一旦休憩した方がいいに決まってる」
「予定より10分早く休憩に入るなら、休憩終了も10分早めますからね」
「お姉ちゃん、ヨアがおんぶしてあげよっか?」
「ヨアさんはもしかして私のこと煽ってます?」
やばいやばい。妹同士で喧嘩が始まってしまう。
ここでヨアにおんぶなんてしてもらったらラファとは二度と口を聞けなくなってしまうだろう。そもそも、僕は妹に甘えたいのではなく、甘えられたいのである。
「ありがとヨア、私は大丈夫。――ラファ、1人でやってるんじゃないんだから、どんなに夢中になっても相手のことも考えないと。自分が元気だから続けるって考え方はダメだよ?」
「……っ」
ラファは僕に注意されると、バツの悪そうな顔をして1人で家に向かってしまう。自分が悪いと気づいても、僕に指摘されて謝るというのはプライドが許さなかったのだろう。
一見すると最悪な姉妹関係に見えるが、これでも一時期よりはかなり良くなった。氷河期を経験した僕からすれば、謝れないとかそのくらい、むしろ可愛すぎて萌え死ぬほどのデレ行動と言えるまであるのである。
「「……姉妹なのに似てねぇな(ないね)」」
君たちも大概似てないけどね。
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ことの発端はラファがカルア天鱗学園を受験すると言い始めたことである。
『カルア天鱗学園』
あのタイグド・オニキスさえも落ちた、トールマリス王国1の名門学校。タイグドが落ちたという情報よりも、ユアラ・デトミトリの出身校と言った方がいいかもしれない。最近の有名人だとダリア・ヨン・ペグロとかスノウ・カルモンテとかが天鱗学園の中等部に通っている。あと、エノーラちゃんの元彼が高等部で先生をやってるらしい。
「お姉ちゃんこっち見て」
当然僕は「天鱗学園にラファが受験??落ちるに決まってるんだからやめときなよ」と思ったのだが、今日のラファとボスを見てその考えは全くの間違いだったとわかった。武闘大会では相手が弱すぎてラファの実力の半分も見れなかったので、僕は今日までラファの本当の実力を知らなかったのである。
「はい、あ〜〜ん」
「あ〜〜ん」
正直僕は、魔術が使えないラファがこんなに早く強くなると思っていなかった。魔術なんて必要ないほどまで剣術を極めるのにはもっと時間がかかると思っていたのだ。
「おいしい?」
「ん。おいしいよ」
「……」
ラファは圧倒的な剣術の才能を持って生まれたわけではない。ちょっと前までは確実に僕よりも下だったのだ。
だが今はもう、僕よりも遥かに上手いボスですら、剣術ではラファに歯が立たなかった。
「お姉ちゃんストップ。口にソースがついてるからヨアが拭いてあげるね」
「ん」
それどころか、魔術までフルに使ったボスとほぼ互角に渡り合っていた。19戦19敗ではあるが、試合展開自体が一方的なことは一度もなかったのである。
ラファがここまで伸びたのは努力の成果だ。
たった12年間だとしても、人生の8割以上を剣に捧げてきたら達人にもなる。誇張抜きで、食事、トイレ、風呂、睡眠以外は剣だけに生きてきた。僕のように生まれ持った才能による強さとは違う、こうなんというか、純度が高いというか、質が高いというか。例えるなら鍛え上げられた刀のような強さがラファにはある。
だがラファに才能がないわけでも勿論ない。
剣術の才能も勿論あるし、努力の成果とは言ったが、ここまで努力ができるのは1つの大きな才能だろう。
「もう動いていいよ」
「………この人のどこがそんなにいいんですか?」
最初の話に戻ると、今日はラファが「自分よりも強い人と戦いたい」と、僕に頼んできたからこんなことになったのだ。なんなら名指しでボスを呼んでくれとまで言われた。2日前に。
これが学校がある時ならなんとでもなるのだが、夏休みに言われたので僕はとても困ったのである。
仕方なくボスの家まで行ったのが昨日の朝の話。ボスもヨアも部活で家にいなかったから、ボスママに捕まったのが昨日の昼の話。帰ってきたボスとヨアとボスパパに捕まって夜ご飯まで食べることになったのが昨日の夜の話。もう遅いからと言われて泊まることになったのも昨日の夜の話。ボスが夜這いに来たかと思って、布団に潜り込んできたヨアを蹴っちゃったのは昨日の深夜の話。ヨアの顔が近すぎて眠れなかったのが今日の朝までの話。
そして、3人でガポル村の公園に来たのが今日の朝5時である。それからは知っての通りなのである。
「ラファちゃんはお姉ちゃんが嫌い?」
そう、僕はラファに嫌われている。
なんで自分のことが嫌いなやつのために頑張るのかと思うかもしれないが、今まで努力をしてきた姿を見ていれば、力を貸してあげたくなるというのが人情というものだ。まあ妹だからというのもあるが。
それに、最近は少しずつ、本当に少しずつだが、関係が改善されているのだ。こうやってポイントを稼いでおけば、『好き』とまでは行かなくとも『嫌いではない』くらいまでにはなるかもしれないのである。
「…私にはこの人のどこがいいのか全くわかりません」
「ヨアにはなんでお姉ちゃんが嫌いなのかわからない」
ほら、ちょっと前までなら「大嫌いです」って即答していたはずである。やっぱりちょっとずついい感じになってきているのだ。
「アーニャのいいところ、か」
あらやだ。今まで黙々とご飯を食べていたボスが、フォークを置いて口を開いたのである。
僕のPRをしてくれるのはいいが、学校での僕とか、ラファに見せたことがないような一面なんかをバラされてしまうとちょっと恥ずかしい。妹の前で女性としての魅力を語られるなんてなんの罰ゲームだって感じだ。
「「まあ『顔』」」
「は?」
は?
「やっぱり、そういうことでしょうね」
は?
なんだなんだ。ちょっとおかしくないだろうか。
たしかに、僕の顔は可愛い。顔というか見た目がものすごく可愛い。ふわふわの髪の毛から始まり、完成された顔面、吸血鬼じゃなくとも噛みつきたくなる首筋、成長途中だがちゃんと主張のある胸、褒め出したらキリがないほどに僕の見た目は可愛いが、『顔』って答えは普通に考えておかしいだろ。
顔が可愛いのは当たり前として、もっとこう、性格とかそういうのを最初に言うべきではないだろうか。
「当たり前だろ。アーニャのことが好きな人間の8割は顔が理由に決まってる」
「…残りの2割はなんですか?」
「「『声』だな(かな)」」
「は?」
は?
「なんだお前、自分が人気な理由も知らなかったのか?」
いや、いやいやいや。顔だの声だのだけが理由じゃないに決まってる。
トゥリーを見てみろ。あいつは顔だなんだって気にする前から僕のことを慕っている。マジのマジでうんこを漏らしてた頃からの仲良しである。
サリアを見てみろ。あいつは人見知り拗らせて人の顔見れないほど俯いてた頃から僕のことを慕っている。僕のゲボを被っても好きでいてくれるのだ、可愛いだとか綺麗だとかが理由じゃないのなんて明らかである。
アリシアパイセンを見てみろ。あの人が僕に落ちたとき、アリシアパイセンは僕の背中を見ていた。僕のイケメンな対応に惚れたのなんて誰でもわかるのである。
『顔とか声が魅力的』というのと『顔と声しか魅力がない』というのは全く別の話だ。いまのボスの口ぶりでは、まるで僕が後者に該当するかのようだ。
「当たり前だろ。お前みたいな自己中傲慢ナルシストが不細工だったら人望もクソもねぇよ。顔がいいから自己中なのが可愛いし、顔がいいから傲慢なのが許されるし、顔がいいからナルシストなのに鼻につかねぇんだよ」
「うぅ……」
じ、自覚はあるけど。だから外見は完璧であるために絶対に落とせない要素だと考えていたんだけど…。
自分のことを好きだと言ってくれる人に「お前は顔だけだ」と言われれば流石に傷つくのである。
「お兄ちゃん最低」
「なんでだよ!てめぇも同じだろうが!!」
そうだそうだ!僕はヨアのことを信じてたのに!
お姉ちゃんお姉ちゃん言って慕ってくれるヨアのことを、本物の妹のように思っていたのに!お前も結局顔だったのか!
「言い方の問題。ヨアはお姉ちゃんが不細工だったら好きになってなかったけど、お姉ちゃんの顔だけが好きなわけじゃないよ?」
「……ぐすっ」
……続けて。
「ナルシストなのも可愛いし、怠惰なのも可愛い。声が綺麗だからずっと聞いてたいし、仕草があざといから抱きしめたくなる。顔が可愛いから許されてるとかそういうのじゃなくて、外見も内面も合わせてお姉ちゃんだから、ヨアはお姉ちゃんの全部が好き」
「〜〜〜〜っ!!私もヨアがだいすきっ!!!」
ヨア!僕は信じてたよ!
隣のヨアに抱きつくと、ヨアは優しく迎え入れてくれる。
僕よりも少し豊かな胸に僕の顔を埋め、左手を背中に回し、右手で髪を撫ぜる。この包容力こそ、僕の求めていたものなのである。
何がトゥリーだ。あいつは結局顔が良ければ誰でもいいんだ。今頃どうせアホ狐とイチャイチャしてやがる。
何がサリアだ。あいつは結局僕のことを保護者としか思っていない。僕のためにじゃなくて自分のために僕にくっついてくるのだ。
何がアリシアパイセンだ。あの人は性欲が暴走して襲ってきただけだ。あれから執拗にスキンシップをしてきて怖いのである。
「…ご馳走様でした。先に公園に戻ります」
「……待て、俺も行く。ご馳走様」
何がボスだ。こいつも顔が良くて強けりゃ誰でもいいんだ。さっさとラファに乗り換えればいい。それでもヨアは僕の義妹になる。
「顔だけの人はまだ休んでていいよ。倒れられる方が迷惑だから」
何がラファだ。こいつは僕のことを道具かなんかとしか思っていない。こっちはこんな対応されても大切に想っているというのに。シンプルにつらい。
「お姉ちゃんはヨアと一緒に水浴びしよ?」
やっぱり持つべきものは本物の妹よりも義妹である。




