第五十六話 不運なのである
6月末にあった唐突な席替えを経て、僕の席は窓際最後方の席となった。退屈な授業のときも、窓の外を見れば暇を潰せる大当たりの席だ。今日も雲ひとつない青空が僕の心を癒してくれる。
「次、38ページ問1の1、キタカ」
僕のここ最近の悩みの種は『半袖のジャケットを着るべきか長袖の方を着るべきか』である。
トールマリス王国の夏はそれほど暑くないと思っていたのだが、この暑くない夏に慣れてしまうと普通に暑く感じるのである。特に、通り雨の多い6、7月なんかは肌ベタベタで最悪って感じになる。
「…ごめんなさい。やっていません」
じゃあ普通に半袖でいいじゃないか、という風に思ってしまうやつはあまりにも浅はかなので小学校からやり直したほうがいい。暑けりゃ腕を出すなんてのは、腹が減ったから泣くみたいなもんで、赤ちゃんと同レベルなのである。
まあ、ベイビーにもわかるように説明をすると、『日焼け』と『暑さ』を毎朝天秤に掛けているのである。窓際の席だとこれは大問題なのだ。
「…教科書39ページ第二章終了迄を土日の課題として出していたつもりだったのだが、俺の記憶違いか?」
「い、いえ…。私が36ページまでだと勘違いをしていま」
「やめろやめろ、嘘はつくんじゃない。ページ数は間違えたとしても第二章終了迄という言葉はどう間違える?俺の記憶違いでないとしたら、君が意図的に怠ったか、失念していたかくらいだろ?」
結局、大体長袖を着ていく。
どうしても暑かったのなら袖を捲ればいいし、教室であればリーシャに冷やさせればなんとかなる。最悪、ジャケットを脱ぐという選択肢もないわけじゃない。
「…課題が終わっていない者は今、この場で正直に手を挙げなさい。1番前の席に座っていたキタカが目についたが、先ほどから答え合わせをしているときに、明らかに手の動きがおかしな奴らがいるぞ」
――クロハ・キタカ。ネトト村の女の子である。
この娘はとにかくミスが多い。不真面目でもないし馬鹿でもないのだが、とにかくミスが多い。あまり話をしたことがない僕でも、本当に36ページまでだと思っていたということくらいわかる。
僕の他に手を挙げたのはドミンドだけ。もう何人かくらいやってない奴がいると思うのだが、まあ正直に挙げないのが中学生だ。
「…アンヌとハレアだけなのか?本当に他の者は全員終わってるんだな? ――なあ、ドルフ?」
「ひぇ!?は、はい!終わってます!!わからないところが多かったので解説をメモにとっていただけです!」
「そうか。まだわからないところがあれば授業後聞きにきなさい。で、アンヌは?」
少なくともサリアは絶対にやってない。なぜなら僕とサリアは、サリアママにゴルミュ街へ連れてってもらっていたからだ。
ゴルミュ街は、ショッピング街として成長してきたパークス領1のお洒落街だ。第二次産業、第三次産業で生計を立てている街なので宿から何もかもがお洒落なのである。
お揃いの服を買ったり、ちょっとした魔術具を買ったりそれはそれは楽しい2日間だったのである。
「部活が休みだから何もやる気がでませんでした!」
「そうか。放課後、数学教師室にきなさい。よかったな、今日も部活動を休めるぞ」
あたかも部活があったら課題もやるかのような口ぶりだが、ドミンドが課題を完璧にこなしてきたのなんて5月以降一度もない。毎週月曜日は部活に遅刻すると決まっている。
「ハレア、髪飾りは新しいものだな」
「はい。先週末はゴルミュ街に行ってきました」
「そうか。よかったな」
そういえば僕は久しぶりに髪が短くなった。というのも、アリシアパイセンに背中を焼き払われた時に、毛先の方が吹き飛んでしまったからである。
肩上ボブのいいところは洗うのが楽なことと、ヘアセットが楽なことだ。
僕は編みカチューシャがとにかく好きなのでどんな長さでもやりがちである。最近の基本スタイルは左トップから編んで、右耳の後ろで止めるだけのシンプルなものだ。だから、日によって変わるのは基本的にピンだけなのである。
「課題をやってこなかったキタカとアンヌは答えだけを聞いてわかった気にならないように。38ページ問1の1、ドゥト」
「x=1/2、y=1、z=-4です」
「これは例題の2と全く同じタイプの問題だな。間違えた者はもう一度教科書を読み直すように。次、問1の2、ハレア答えられるか?」
「x=9/13、y=-2、z=12/13です」
我らが数学担当のガードナー・トレイルはとにかく僕が好きである。なにかあるたびに僕に話を振ってくるし、よくいろんなものをくれる。ムナーちゃんは会うたびに「ハレアが可愛くて仕方がない」と言われるらしい。ハードなロリコンかもしれないのである。
「正解だ。これはちょっと意地悪な問題だったな。間違えた者の中にも、一度正解が出たのにキリが悪かったから変えてしまったなんて人もいるだろう」
まあ、ボディタッチされたことは勿論ないし、なんかそういう目で見られたこともないから、孫に似てるとかそんな感じなのだろう。もしかしたら、不慮の事故で死んでしまった娘に似てるとかそういうことかもしれない。妄想100%だが。
自分の答える番が終わると一気に気が楽になる。
答えがわからないとか、人前で答えるのが恥ずかしいとか、とてもそういうキャラではないが、完全に他のことに気を回すことができないというのはそれなりにめんどくさい。雑念の多い僕ではあるが、授業や部活のときはある程度のリソースを残してあるのだ。
自分の答える番が終わるとそのリソースまでフルに雑念に回すことができる。まあ、そうなるともはや『雑念』という概念から離れるが。
今日はこの後、夏休み明けの遠足に向けたロングホームルームとなる。つまり、授業はこれで最後というわけである。
個人的に『最後とその一個前』というのはどんな嫌なことでも頑張れると思う。
唐突すぎて意味がわからないかもしれないが、例えば授業。その日最後の授業は「これが終われば終わり!」って感じで頑張れるし、その前の授業も「これが終われば次でラスト!」って感じで頑張れる。
だから今日みたいに最後の授業がロングホームルームの日は、ロングホームルームとその一個前の授業と、その一個前の授業が実質的にないようなものなので、1日が半分だと言っても過言ではないこともないこともないかもしれない。
ロングホームルームなんて「班分け発表〜!!」とかそんなので終わるし、もう寝てもいいみたいな感じである。僕は一昨日、昨日と遊び疲れているので疲れが溜まっているのである。
月曜日+昼休み明け+窓際+晴天+数学=
つまりおやすみということである。
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うたた寝と昼寝とは本当に違うものなのだろうか。
両者を簡単に説明すると、昼寝は自分の意思で眠るものであり、うたた寝は自分の意思に関係なく寝てしまうものである。
もし違うというのであれば、授業中に「もういいや」と寝てしまうのはどちらなのだろうか。
昼寝のように「よし寝るぞ!」という意思を持って寝たものではないが、別に自分の意思に関係なく寝てしまうものでもない。寝たくて寝たわけでもないけど、寝ないことができなかったわけでもないというのはどちらなのだろうか。
どちらとも言えないものがあるのなら、全く違うものだとは言えないのである。
「………も………は……から」
だが、両者が同じものだとも勿論言えない。
『昼寝』はいいものだという話がある一方で『うたた寝』は悪いものだという話がある。
昼休憩に15分でも昼寝をとれば仕事効率があがるなんてのは、昔から割とよく聞く話であるが、うたた寝のような中途半端な睡眠を取ると、夜の睡眠に影響が出てしまうので生活の質が落ちるなんてのも割とよく聞く話である。
「……じゃ…し。……は、かな?」
『昼寝』によって仕事効率が上がるといったところで、それによって夜の睡眠の質が下がり、日中のアベレージパフォーマンスが落ちるというのなら、よくてもプラマイゼロくらいじゃないだろうか。
「……だけど、あ……に………いとね」
つまり、どちらも正しいというためには、両者が違うものでなければならないのである。
「……ちゃん、そろ………かな?」
「………おきるよ」
僕はうたた寝と昼寝の差はその深度にもあると思う。
寝ようと思って寝た昼寝というのは、しっかりとした睡眠だから完全に意識は飛ぶ。それに対してうたた寝は、なんとなく外の音が聞こえたり、意識が少し現実に残っているような気がするのである。
「え!?た、叩くのはだめだよ!」
自分で疑問提起しておいてなんだが、僕はうたた寝と昼寝を別のものだと思っているわけである。
「大丈夫」
「……叩いたら怒るから」
なので寝込みを襲う前に、そいつが昼寝なのかうたた寝なのかを見極める必要があるということである。
「あ、ハレアちゃん!おはよう!」
「……班はムナーちゃんが決めるって話だったはずなんだけど……なんでサリアがいんの?」
夏休み開けの遠足というのは、ケシ村からさらに南に降りたところにある魔物の森に行くことである。
「魔物の森なら我らがガポル村の周りにもりもりあるだろ。森だけに」と、いいたくなるところだが、ガポル村の周りの森は鼻くそすぎて中学生の遠足には相応しくないのだ。
遠足というかハンターになるための実践演習みたいなもんである。高校に行くかどうかは別にして、中学を卒業したら多くの生徒がハンターになるので、中学生の間に大人が指導しておく必要があるのである。
ガポル村のように、3方向を魔物の森に囲まれている村は珍しいが、魔物の森自体はそこらじゅうにある。トールマリス王国の国土の内、4割は魔物の森であったりもするのだ。
トールマリス大陸はもともと、森を境に小国に分かれていた大陸であり、各領間を移動するために魔物の森を抜けなければいけないことがザラにあるほど、魔物の森というのは身近な場所なのである。だからこそハンターの仕事が多いわけだ。
大きく話が脱線したが、要するに実践演習である以上は本物のハンターと同じように3人1班で行動するわけである。その班分けなのだから、仲良しグループなんかではなく先生がちゃんと相性や実力を見極めて決めるのだ。
「おはよアーニャ。起きてるってわかってたから冗談を言ったんだよ?私がアーニャを叩くはずないじゃん」
「で、なんでいんの?」
実力で分けるというのは同じくらいの実力で分けるということではない。班ごとに行く森を変えるならまだしも、同じ森なのだからどの班も均等になるように分けるのである。それが最も安全で公平だからだ。
うちのクラスは18人。つまり3人×6班であり、実力上位者6名をリーダーにして班を決めるのが普通な訳だ。現状の実力順なら上から『僕、ボス、ノロ(リーダーには不適)、ヨア、エディー、サリア、リーシャ』。僕とサリアが同じ班なんてのは普通ないのである。
僕が考えてたのはこんな感じ。
①僕、カラム、ララ
②ボス、ドミンド、モブ子
③ヨア、レノ、モブ太
④エディー、カユ、モブ男
⑤サリア、ベス、ノロ
⑥リーシャ、トゥリー、クロハ
1班に1人ずつ後衛をできる人間がいつつ、ちゃんと実力バランスの取れたメンバー。それでいて人間関係にもたぶん問題がない。ちなみに『モブ』はネトト村のモブ達である。
どうやっても後衛をできる人間の方が少ないのは仕方ないことであり、実際のハンター達にも全員前衛なんてのはザラにある。
だが一般的なのは後衛がいるパーティーである以上、演習では後衛をおくべきであるので、ボスやノロといった本当は前衛の人間が後衛をやるのは仕方ないことなのだ。
「ていうか、カユがいるのもおかしくない?」
カユは光魔術師。ゴリゴリの後衛だ。
「あのね、昨日の職員会議で6人1班にすることになったんだって。6人1班にで各班に1人ずつ先生がついて、ちょっとだけ例年より危ないところにいこうって」
なるほど。多分ムナーちゃんの提案だろう。昨日の帰りの会の時も行き先にぶつくさ文句を言っていた。ムナーちゃんは可愛い子には旅させよスタイルなのだ。
「へー。じゃあ残りの3人は……あぁ、あの子達ね」
僕が見た先にいるのは当然のようにモブ達。
モブ子改め、キシリア・ベルン。
双剣で戦うモブ。モブ軍団最弱。
モブ男改め、カテロン・ニシド。
剣と盾で戦うモブ。いつかはボスを超えて最強の男になるってのが目標らしい。覚える必要皆無。
モブ太改め、アラアシ・ヒガシド。
剣と盾で戦うモブ。カテロンと違って印象がない。名字は違った気もする。
モブとは言ったが普通以上には強い。今年の1年1組は過去最高レベルだとムナーちゃんは言っているし、西ドイツと東ドイツはトゥリーとトントン程度には強いと思う。ベルリンはララやドミンドと並んでうちのクラス最弱。
前衛4人の後衛2人。まあこんなもんかって感じである。
「それでね、明日の朝からみんなで集まって朝練をしようかって話をしてたの」
「んー、必要ある?あの子達3人は昔からボスに育てられてて息ピッタリだろうし、カユはみんなの後ろで落ち着いてサポートしてればいいし。カユの護衛にサリアをつければもう完璧でしょ」
そもそもどれだけ作戦を立てたところで、どうせ付き添いの先生に色々指示されてやるんだから、あんまり関係ない。僕はそんなことのためにこのメンツとは一緒にいたくないのである。
「で、でも、やっぱり話をしてみないとって私は思うの!サリアちゃんはどう思う!?」
「アーニャが必要ないっていうならいらないんじゃない?」
「で、でも…!」
「まだそんなに焦んなくても、もう少しホームルームで話をしたりしてからでいいんじゃないかな?って話。私、朝弱いし」
僕だってこれがもっと違ったメンツなら喜んで朝練に行く。例えばヨア、サリア、トゥリー、リーシャ、ボスとか。
僕はこういう遠足系のくじ運がすこぶる悪かったりする。自分達で班を決められない時は、大体こんな感じで苦手なメンバーになるのだ。今回もサリアがいなかったら絶望と言えるレベルである。
「じゃ、向こうの3人とも話し合わないとね。 ――アーニャが寝てたせいでうちの班だけなんも話してないし」
「起こしてくれればよかったじゃん」
「ごめんなさいは?」
「……………ごめんなさい」
ま、まあ。班分けに不満があるのは向こうも同じかもしれないのである。
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「ハレアちゃんって、私のこと…き、嫌いなのかな?」
ホームルームが終わってアーニャが部室の鍵を取りに行くと、カユが不安そうに聞いてくる。耳も尻尾もヘニョヘニョに垂れて、かわいそうになってしまう。
「?どうして?」
「…なんか避けられてる、かな、って。わ、私の勘違いかもだけど!!」
「勘違いでしょ。寝起きのアーニャなんてあんなもんだよ」
アーニャはカユが苦手だ。
私にそう言ってきたことはないけど、態度ですぐにわかる。さっきだって他の3人とは普通に話をしていたのに、カユと話すときは少しだけ嫌そうにしていた。
理由はなんとなくわかっている。アーニャから聞いたわけじゃないから完璧に私の予想だけど、多分あってると思う。
「…そうだよ、ね。ご、ごめんね、変なこときいて!」
カユは馬鹿じゃない。
私が嘘をついていることには気がつかなくても、アーニャに避けられてることくらいはわかる。カユは私がアーニャと仲が良いからこれ以上の追求をやめたんだと思う。
「…………………カユはちょっと似てるから…」
カユはかわいくて良い子で、結構好きだから。
このまま、理由もわからずにアーニャに嫌われたと思ったままなのはかわいそう。
「…アーニャと私の友達に似てるから」
他己紹介の時から話しやすく感じたのは、顔が少しアーニャに似てるからじゃない。
「…え、と、、?」
「『神隠し』って、知ってる?」
「……ぁ」
カユはアラネーに似ている。
「アーニャはトラウマになってるみたいだから、そっとしておいてあげて。――カユのことが嫌いなわけじゃないの」
―――――
私が毎月アラネーの家に行くと、アラネーのご両親は「ありがとう」って言ってくれる。毎月毎月泣きながら、「サリアちゃんみたいな友達がいてくれて嬉しい」って言ってくれる。
でも、私はそう言ってもらえるべき人じゃない。
アラネーに対して優しい人でいたいと思うから、お家に行くことで優しいふりをする。
ずっと想い続けていられないから、毎月行くことで忘れないようにする。
私は優しくなんてない。
優しい人になりたいから、優しい人だと想ってもらいたいから、そういうふりをし続けている。
大切な友達だったはずなのに、少しずつ悲しみが和らいでいく。3、4年もすればカレンダーを見ていないと月命日すら忘れそうになる。
だから、『優しい』と言われるたびに苦しくなる。
――本当に優しい人は、お墓にも行けないのに。
1年1組整理
能力順(喧嘩が強い順ではない)
1位 アーニャ・ハレア…僕
2位 タイグド・レグディティア…ボス
3位 ノロ・ドゥト…庇護者虎
3位 ヨア・レグディティア…妹
5位 エディーレ・ウヌキス…厨二
6位 サリア・ローラム…嘘つき
7位 リーシャ・ユティ…アホ狐
8位 ベス・ロティ…保護者豹
9位 クロハ・キタカ…ドジ
10位 カユ・ドルフ…犬
10位 トゥリー・ボールボルド…弟子
12位 レノ・テミル…バカA
12位 カテロン・ニシド…西ドイツ
12位 アラアシ・ルーン…東ドイツ
15位 カラム・トレバー…真面目
16位 キシリア・ベルン…ベルリン
16位 ドミンド・アンヌ…バカB
16位 ララ・カフェト…ツンツン




