第五十五話 アリシアルート突入疑惑なのである
我が家の風呂はそんなに広くない。広くはないが、女子中学生2人くらいならそれほど無理なく入ることができる。
「…体調はどう?」
アリシアパイセンはさっきまでヨーグ氏が怒られていたのを見ていたので、なかなかにメンタルがいかれている。彼女の感覚では、自分だけが唯一の加害者であって、ヨーグ氏すらも自分のせいで怒られることになってしまった被害者という判定なのだろう。
気持ちがわからないこともない。事故の責任が別のところにあったとしても、直接の原因となった本人はそう割り切ることはできない。
これが確実に回避出来ない、自分ではどうしようもないことだったらまだしも、彼女の場合は最終的に自分のミスによって事故を起こしてしまったのだ。周りの誰がなんと言おうが、罪の意識が消えることはないだろう。僕でも逆の立場なら当然そうなる。
「パパの話が長くてちょっと疲れました」
吐いてしまったのは怪我のせいではなく、悪夢を見たからだというのは説明済みである。
「…」
「……」
…ちょっとした冗談でうまく返したつもりだったのだが、沈黙が生まれてしまった。いつものアリシアパイセンもうるさすぎて疲れるのだが、こんな感じに静かなのも逆に疲れるのである。
「…アリシア先輩の…いや、アリシア先輩は髪と体どっちを先に洗う派ですか?」
仕方ないのでアリシアパイセンの裸体についての感想でも言おうかと思ったのだが、何が地雷を踏むかわからないのでやめておくことにする。
普段であれば「美術作品みたいで逆にエロくないですね!」とか「肌が綺麗すぎてお人形さんみたいですね!喋らなければ!」とか言ったら、「え〜!ありがと〜! ――って、それ褒めてないでしょっ!!」とか「アーニャも喋らなかったら可愛い後輩なのにねぇ!!」とか返ってくると思うのだが、今は何を言っても「…綺麗な体に傷をつけてごめんね…」とかそんなことに収束してしまうと思う。
…よく考えるとお風呂に一緒に入るのは相当嫌なヤツだったかもしれない。だって傷をつけた本人に傷を見せつけることになってしまうのである。
「え、髪、かな」
我が家の伝統では、2人で風呂に入るときは、どっちかが椅子に座って体を洗って、どっちかがその後ろ側にしゃがんで髪を洗う。注意ポイントは入れ替わったあとに、髪を洗う側が体を洗う側の髪に泡やらなにやらを飛ばさないことである。
ちなむと、僕は前世では髪を先に洗う派閥であった。というのは後で髪を洗うと、髪の汚れが洗った後の体に付いちゃう気がするからであった。
「じゃあ先に椅子使わせてもらいますね」
今世では、ママが先に髪を洗う派閥なので、僕は必然的に先に体を洗う派閥になった。髪の汚れがどうのこうのについては全く気にならない。どうせ洗った後に、水で体を流してから湯船に浸かるし、今思うとどうしてそんなことを気にしていたのかという感じである。
昔の僕に言わせれば、気にしなくなった今の僕の方がおかしいのだろう。僕ならきっと「慣れじゃなくて妥協でしょ?」って軽く軽蔑した感じで言っていたと思う。うざい。
椅子に座ると景色が普段と変わらなる。非常に落ち着くのである。
落ち着いてくると頭も回ってくる。
体を褒めるとやっぱりダメだろうが、何も喋らないのも良くない。現状維持を望むのであれば喋らなくてもいいのだが、僕がアリシアパイセンと一緒にお風呂に入る目的はメンタルケアなのである。ここで自分のメンタルのために沈黙を選ぶなんて、本末転倒もいいところだ。
落ち着いて頭が回った僕の出した結論は、この萎れたアリシアパイセンを逆にいじって褒めるということである。
例えば、「いつもやかましいってのが目立って気が付きませんでしたけど、静かにしてるとアリシア先輩ってなんだかお姫様みたいですね。髪がすごい綺麗だし、意外とタレ目で大人しそうに見えるし。私が定期的に怪我した方がアリシア先輩が可愛くなっていいかもしれませんね」とか、こんな感じはどうだろうか。
実際、髪型のせいもあるだろうが風呂場で見たアリシアパイセンの雰囲気はいつもと全然違う。ポニテで活発そうな感じも悪くないが、下ろしてると本当にどっかのすごいお嬢様みたいだ。
「…背中…やっぱり傷、目立っちゃう、ね…」
あ。考えてるうちに、結局こうなってしまった。
そりゃそうである。僕の後ろにいれば僕の背中が丸見えなのである。
やばいやばい、僕のミスかもしれない。ていうかミスである。僕がもう謝らないで下さいと言ったことを受けて、アリシアパイセンが『ごめん』を言わないように気を遣ってくれている感じも露骨すぎてなんか、つらい。
「どうですか?私の背中」
まあこんなところで折れる僕ではない。さっきまでのへぼへぼな僕と違って、今は落ち着いて頭が回った僕なのである。
「…え、どうって…。どうって、そんなの…」
「別に傷ついてても綺麗じゃありませんか?」
見せつけることになってしまったのであれば、もう見せつけてしまえばいいのである。変に気なんて使わないで、どうして僕が気にしていないのかというのをちゃんと教えてあげればいい。
端的に言って、僕が背中の傷を気にしない理由はそれが僕の欠点にならないからである。背中の傷くらいで僕の美しい体の評価が下がることはないと思うからである。
「顔に傷がついたなら別かもしれませんけど、背中についたくらいで点数が下がるような体してませんよ、私。私くらいのルックスにもなると、ちょっとした傷なんてむしろチャームポイントになるんです」
というか、背中の傷くらいなら僕ほどのレベルじゃなくてもチャームポイントになると思う。
例えばごく普通のなんでもない女の子Aと、ごく普通だけど背中に傷がある女の子Bがいたとする。
更衣室で着替えるところを想像してみてほしい。普通に着替えているAと、みんなに背中を見られないように着替えているB、どっちの方が魅力的だろうか。僕は俄然Bだと思うのである。
シチュエーションというのもあるが、『シチュエーションを作れる要素がある』という時点でBはAを上回っている。
「リーシャだってアホなのに可愛いじゃないですか。人間は物と違うんですから、ちょっとした傷なんてむしろ魅力なんですよ」
どんな個性であれ経験であれ、受け手次第ではマイナスにもプラスにもなる。であれば、送り手がそれをどうやってプラスに『魅せる』かという話なのだ。
勿論、どんな個性でもプラスにできるなんていうのは極論であって、僕にだってプラスにできる範囲は限られている。だからプラスにできないようなポイントを作らないように努力をしているのである。
軽蔑されるかもしれないが、今の僕はトラックに跳ねられそうな女子高生を見かけたとしても、かなりの余裕がない限り助けに入らない。なぜなら大事な顔に傷がつくことが嫌だからだ。
男なら、助けた結果として顔に傷がついたとしても、それをプラスにできる。逆に、目の前で女子高生を死なせた事実をプラスにはできない。
だが女なら、助けた結果でついた顔の傷をプラスにすることは、できないとまでは言わないが、目の前で女子高生を死なせた事実をプラスにすることよりかは格段に難しい。それが僕の価値観であり、力なのである。
ひどい話だが、だから僕は何度も「顔ならまだしも、背中なんて問題ない」という風に言っているのである。
「アリシア先輩だってうるさいのがチャームポイントなんですから、ずーっと静かなのやめてくださいよ。シャローナ先輩のキャラ奪うつもりなんですか?」
「………っ」
あ、あれ?え。
なんか、僕的にまとめフェーズに入っていたし、ここでアリシアパイセンが普段の元気を取り戻して一件落着になるつもりだったのだが、どうしよう。アリシアちゃん泣いちゃった。
「ご、ごめんなさい!全然責めてるわけじゃないんです!い、いやー!大人しいアリシア先輩も可愛いですね!シャローナ先輩とキャラなんて別に被ってませんよ!?」
「…むふっ…ぐすっ…」
あれ、なにそれ、どっち?笑ったの泣いたの?
ここに来て景色が普段と変わらないことの弊害が出た。後ろを振り向かないとアリシアパイセンの表情がわからない。泣いてるのか、笑ってるのか、はたまた怒っているのか。
「…ありがと」
後ろからふわっと抱きしめられる。
『ふわっと』と言ったが、濡れた裸体同士であるため、衣服を着ている時のふわっとしたハグとは話が違う。ちょっとばかし、いや、かなり刺激が強い。規制がかかってもおかしくないのである。
生まれ変わってからというもの、この手のむふふな展開は数多くあった。だが今世の僕は、母親や自分の体でありえないほどの女体経験を積んでいるので、そんなに興奮したことはなかったのである。
だが、流石にこれはやばい。数々の合法的(?)なすけべを体験してきた僕の中で1番やばい。なんというか、そういったお店のサービスみたいな感じである。行ったことないけど。
「ちょ、ちょっと!いくら私がかっこよかったからといって、発情しないでもらっていいですか?」
「…あはっ!ごめん、ごめん!このお礼の仕方、アーニャには刺激的すぎたね!」
「あぁ、先輩っていろんな人にこういうことしてるんですね。まあイメージ通りですけど」
「!? 違う違う!冗談だよ!!しかもイメージ通りとかひどすぎないっ!!?」
まあアリシアパイセンみたいなルーギャーは中学生で既に経験豊富でもおかしくない。おかしくないというか、経験あるのが普通まである。
確か日本の平均的な初体験は高校生とかそのくらいだったと思うのだが、トールマリス王国はどうなのだろうか。平均的な結婚年齢はトールマリス王国の方が格段に早いし、初体験もトールマリス王国の方が早い可能性は高い。もしかすると、僕とサリアは遅れているのかもしれない。なんなら今頃トゥリーとリーシャはゴニョゴニョしている可能性すらある。
…いかんいかん!アリシアパイセンのせいで僕の頭が中学生になっていた!
精神とは違い、僕の肉体はごく普通の女子中学生である。いくら精神が周りと比べて成熟していても、生物の仕組みとして頭がピンク色になってしまうのである。それが思春期というものだ。
だが、思春期だからといって発情して動物のように交尾をすることが仕方ないというわけではない。思春期というのは読んで字の如く『春を思う時期』である。生物の仕組みとして頭がピンクになるのは仕方ないことではあるが、あくまでも理性で『思う』までに留められるから人間なのだ。動物の『発情期』とは違うのである。
それに、僕が男性を愛することはない。行為自体に興味がないと言えば嘘になるが、男と行為をすることに対する嫌悪感の方が上回る。だから誰にバカにされようが、一生手入らずのままである。
「軽蔑してるわけじゃありませんよ。むしろ先輩みたいなイケイケ美人が処女の方が引きます」
「!? え!?中学生でセッ、け、経験がある子なんていないでしょ!?うそ!アーニャって、え!?あのヤンキー彼氏くんかっ!!やばっ!!え!?うそ、マジ!?え!え!ちょっと待って!いろいろ聞きたい!!」
「私はないですよ。そもそも彼氏じゃありません。あと声がでかいです」
「え!?じゃあサリア!?いや、でもサリアはアーニャ一筋だし…」
「いや、わ」
「あーーーっ!!!リーシャとトゥリーか!!うっそー!!今度いろいろちゃんと聞かないと!!やっっば!どんな感じなんだろ!うわーーっ!!やばいやばい!想像したくないのに想像しちゃったよ!!どうしよ!やばっ!ちょっとえっちな気分になってきちゃったかも!やばい!どうする!?私たちもキスくらいしてみる!?ねぇ!?」
「!?もう少し声を落としてください!!」
何をでかい声で言ってるんだこの人は!?
慌てて防音壁を貼ったが、間に合っただろうか。今の叫びを外に聞かれていたらいろいろやばいのである。
ていうか、今のこの人と一緒にお風呂にいるのがやばいかもしれない。身の危険を感じるし、なんかそうなったらそうなったで悪くもないと思ってしまうピンク色のアーニャが頭の中にいるのもやばい。思春期デビルめ!僕の頭から出て行け!
「ねぇキスしてみたい!したくない!?私アーニャなら全然いけるけど!どう!?いますごいそういう気分かも!」
「しません」
したいけど。
「えーーっ!!だめなの!?私見た目には自信あったんだけど!――あ!キスって別に舌を入れたりはしないよ!?ただ、ちゅってするだけ!」
「しません」
全然舌入れたいけど。
…まったく、元気になってほしいと思っていたが、本調子に戻られるとやっぱり萎れてたままでよかったかもとすら思えてくる。
というか、もう立ち直ったアピールのから元気なのか、泣いた後でテンションがいかれたのか、お風呂でハグしてスイッチが入っちゃったのかなんなのかわからないが、普段よりもハイテンションな気がする。
とりあえず体は洗い終わってるし、さっさとポジションチェンジでもするとしよう。いまのアリシアパイセンを後ろに置いておくのはとても危険な気がするのである。
「ね、アーニャ」
立ち上がって後ろを向くと、同じように立ち上がったアリシアパイセンが意外にも真剣な顔をして僕を見ていた。目尻はまだ少し赤くなっている。やっぱりさっきのはから元気だったのだろう。
まあ、謝罪を受け取るつもりはなかったが、この場面で茶化してしまうほど僕は空気が読めない人間じゃない。アリシアパイセンがこれでちゃんと区切れるというのであれば、しっかりと謝罪を受け取ることにするのである。
「…どうしました?」
さっきまでふざけてたこともあって、改まって謝罪をしようとしたら緊張してしまったのだろう。アリシアパイセンは俯いてしまった。なんか告白されるみたいでちょっとドキドキするのである。
深呼吸をして、僕を見つめ直した瞳は潤んでいる。普段がルーギャーぽいアリシアパイセンだからこそ、正統派ヒロインみたいな動作の破壊力がいちいちやばい。
――まるで本当に告白でもするかのように、アリシア先輩は神妙な面持ちで口を開く。
「……初めてだし…少しくらいは価値、あるかな?」
――そして彼女は、僕の唇にそっとキスをした。
ああ、なんだ!ファーストキスってことね!危ない危ない!なんかこのまま始めていいのかと思った!
やれやれ、理性がどうのとか思春期はどうのとか言ってた僕が全て消え失せて、獣になるとこだったのである。




