第五十一話 蛙vs鮫なのである①
ベス・ロティは右手に片手剣、左手に盾を持ったオーソドックスなファイタースタイル。タイグド・レグディティアは左手に短杖だけを持ったキャスタースタイル。あの性格から勝手に前衛だと予想していたが、まさかの後衛だ。
試合開始の位置は前衛vs後衛ということで、さっきの試合よりも広く間が取られている。
「人には散々臆病だと言っておきながら杖を持って戦うとは、もはや滑稽だな」
魔術よりも体術に重きを置く獣人にとって、後衛のキャスターというのは武器を持たない臆病者だという印象があるようだ。
感情的には俺もベスの味方をしたくなるが、キャスターを臆病者と呼ぶことは賛成できない。レグディティアの構えを見ただけで、あいつが真剣に後衛としての技術を磨いてきたことくらいはわかるし、そこを馬鹿にすることはできない。
それにきっと、あいつは後衛として超一流のはずだ。
「はっ!さっきまでは威勢よく吠えていたくせに敵を目にすると会話もできないのか。とことん貴様は卑怯な男のようだな」
これまた意外なのが、レグディティアがベスに何を言われても相手にしないということだ。短期なやつだと思っていたのだが、それもまた俺の早すぎた決めつけだったのかもしれない。
「トゥリーはどっちが勝つと思う?」
正直、アーニャとエディーがいない状況でよくあんなやつに喧嘩を売れたと思う。あいつが本気になれば俺なんて相手にすらならないはずだ。いや、エディーはともかくアーニャがいたとしても勝てない気がする。
「…リーシャはやっぱりベスに勝って欲しい?」
「?私はあの子のこと苦手だから応援したいとは思わないよ?勿論タイグドさんも苦手だけど…」
俺は獣人の戦いを見るのは初めてだし、確実にどちらが勝つとは断言できないが、レグディティアが負けるとは思えない。
相性だけを考えれば、獣人のファイターと純粋人のキャスターでは圧倒的に獣人のファイター側が有利なはずなのだが、あいつであればそんなのは関係ないだろう。
「ほぼ確実にレグディティアが勝つかな。やっぱりあいつは異常だよ。なんであんなのがうちの学校にいるのかわからない」
エディーやアーニャも王都に行くべき天才だが、現状ではレグディティアが一段抜けている。あいつじゃなくてエディーが代表生徒なのは、性格的な問題なのか贔屓なのか。いずれにしろ、エディーよりは現在の実力も今後の伸び代も上だ。
正直小さい頃は、アーニャが天才なだけであって、他の人は自分よりも下だと思っていた。
でも蓋を開けてみれば、俺なんて平均かそれより下くらいなもので、ずば抜けて世界最強だと思っていたアーニャも意外と普通の範囲の強さだった。
「私もそう思ってた!えへへ!」
世界には化け物みたいな天才が沢山いる。
第一貴族ダリア・ヨン・ペグロはまだ14歳だが、既にトールマリス王国最強と言われている。
俺らと同い年の第三貴族スノウ・カルモンテは全ての魔術を使える、史上最高の魔術師と言われている。
小さな田舎の村に生まれた俺らなんていうのは、アーニャに言わせると『井の中の蛙』ってやつで、広い世界からすれば大したことない小物に過ぎないのかもしれない。
「――まあでも、やってみないとわからないよね」
だが、蛙が鮫に勝てないと決まっているわけではない。
――――――――――――――――――――――――――
「試合開始ッ!!!!!」
先生の合図とともに動いたのはレグディティア。初手は火球を3連発。1発はベスに向かって、残りの2発は回避先を潰すように。
「愚かッ!!」
ベスに盾で受けさせて視界を奪うのが目的だったのかもしれないが、ベスは自慢の脚で火球を強引に回避してレグディティアに詰め寄る。キャスターを馬鹿にしていただけのことはあって、キャスターの弱点をよく知っている。
初めて獣人の身体能力を見たが、純粋人の常識ではとても考えられないものだ。火球を避けながらのダッシュだというのに、さっきまで見ていたララの突進よりも遥かに速い。
俺の眼では回避したという事実を追うことが精一杯で、どうやって回避したかまではわからなかった。
初動の作戦がうまくいかなかったというのに、レグディティアは驚く素振りすら見せず対応する。詰め寄るベスの足元に即座に猛炎を放ち大地を奪う。20m離れて見ている俺らも魔導を使わなければ焦げてしまうほどの熱量。構わずに走り込めばそれだけで勝負はついてしまう。
「シィィィイッ!!」
ベスは火炎が届く前に踏み切ることでこれを回避。
たった一歩でレグディティアの目の前まで詰めると、中断の横薙ぎを振るう。ただの片手剣の一振りだというのに空気が裂ける音がここまで届く。
…まったく、相手が俺ならもう体が真っ二つに分かれているだろう。これで同い年とは、改めて獣人の身体能力の高さを実感させられる。
だが、レグディティアはこれを当然のようにバックステップで躱す。左右に動いても避けきるのが難しい横薙ぎだが、あの速度の突撃をバックステップで躱すことなんて普通はできない。何度も言うがララのそれとは次元が違うのだ。
恐らく動き始めたのは足元に火炎を放つのと同じくらいのタイミングだろう。ベスの剣はギリギリレグディティアに当たらない。
「グルァァ!!」
ベスはレグディティアの顔の前に盾を突き出して視界を奪うと、太ももに向けて平突きを放つが、レグディティアの左足にその剣を踏みつけられる。
レグディティアは踏みつけた勢いを利用して右の跳び膝でベスの腹を撃つ。
「かはっ!!」
顔に杖を向けられているせいで盾を下ろすことができず、自分の平突きの勢いを利用され、体重を崩されたせいで避けることもできず、ベスはレグディティアの膝を腹でモロに受ける。
見てる側からすればそこまで重たい一撃は見えなかったのだが、ベスの様子から察するにかなりのものだったのだろう。
キャスターとはいってもレグディティアの肉体は鍛え上げられているし、魔導の技術や魔力の量も考慮すれば、今の一撃がベスを落としきれるだけの威力を持っていても驚きはない。
「フッ!」
ベスはすぐに切り替え、後方に跳んで体勢を立て直す。
一瞬での冷静な対応は見事だが、膝蹴りがかなり効いているようで、表情には苦悶が残っている。
対するレグディティアは一歩も動かずに杖をベスへ向ける。不用意に追撃するのではなく、このままの戦い方を続けるつもりなのだろう。
「あ、終わった」
「え? !?あっっっつ!!!!?」
――ベスが着地したと思ったら地面が爆発。
砂煙で姿は見えないが、こっちまで焦げるほどの熱量から考えて、勝負はあっただろう。
今の爆発で何人か火傷をしてしまったようで、静かに見ていた観客達がざわつき始めてしまった。
「――見てた奴らも覚えとけ。ある程度以上のレベルの魔術師であればなんの追加効果もないようなただの攻撃魔術なんて使わねえ。使われたとしたら相手に舐められてるってことだからその辺りも覚えとけ。
俺が最初に使った火球は『連鎖球』。1つが着弾するとその場に他の2つが追撃に向かう。ベス・ロティの魔導の技術で3発は受け切れねえし、初撃を盾で受けてたらあそこで試合は終わりだった。
次に放った火炎は『残炎』。一度着弾した場所に残り、再発動で爆発して火炎を発生させる。再発動までの待機時間で威力は落ちていくが、今回は放ってからすぐに再発動できたからこれだけの威力になったってわけだ」
――が、レグディティアによって再び静寂を取り戻す。
試合を終えたばかりだが当然のようになんの消耗もなく、試合の解説をしながらスタスタと歩いて、保健室から帰ってきたばかりのアーニャの元に向かう。
「おい、また仕事だ。あのメス猫を保健室に連れて行け」
「…イエスボス」
アーニャは若干不服そうな顔をしたが、何一つ文句を言うことなくレグディティアに従う。俺としては若干気に入らないところではあるけれど、アーニャなりに考えがあるのだろうしとやかく言うつもりはない。
横目でサリアの方をみると、唇を噛み締めて怒りを抑えている。今の試合を見たことによって突っかかっても勝てないことが分かってしまったのだろう。サリアが大人しくなったらなったで、少しだけ物足りなくは思う。
まあ結局、あっけなく2試合とも終わってしまった。授業の時間はまだ半分くらい残っているし、エディーのとこにでも行って試合の感想を話し合うとでも――
「おいオス猫。テメェの番だよ」
まじ?
クラス全員の呼吸が止まる。
あまりにも強烈なプレッシャー。
縋るように先生の方を見るが、腕を組んだまま微動だにしない。つまり三戦目に賛成というわけだ。アーニャみたいな洒落を言ってしまった。
さて、実際問題とてもじゃないが三戦目はできるものではない。なぜ先生がゴーサインを出しているのか本気で理解ができない。
確かに実力だけで見れば、ノロとレグディティアにはそこまで差がないのかもしれないが、それは精神面を全く考慮に入れないでの計算だ。
ノロは今も顔を真っ青にしてガタガタ震えている。
彼からすれば、絶対的な保護者であったベスを圧倒した獣人差別者と今から戦わされるわけだ。プレッシャーで気を失ったとしてもおかしくない。
どうするべきか悩んでいると、ノロと目が合ってしまう。
あーあ、アーニャが言っていた『目を合わせちゃうと相手を助けてあげないといけなくなってしまうから、助けたくない時は下を向いておけ』って教訓の意味がやっと理解できた。
ノロは震えて泣きながら口パクで何かを訴えてくる。何かをってかまあ、読唇術なんてできなくてもなんて言ってるかはすぐにわかる。
「…むりだよ」
俺が口に出さなかった言葉が隣から聞こえてきた。
『無理』か。
自分もそう思っていたはずなのに、言葉になるとやけに引っかかる。
無理なのだろうか?
大した才能を持って生まれなかった人間には、助けを求める人を救うこともできないのだろうか。
人に憧れているだけの人間では、惚れてくれた女の子の前でかっこつけることもできないのだろうか。
「『無理』ねぇ…」
アーニャが言っていた。無理だとか限界だとかいう言葉を使っていいのは、自分の限界を知るに至った人間だけだと。人の言うほとんどの『無理』は『出来ないと思うからやりたくない』という意味だと。
考えてみればチャンスでしかない。
失敗しても死ぬことなんてない限界への挑戦。アーニャは命をかけて限界に挑んだことがあったというのに、俺はなんの危険もない状況から逃げ出すというのか。
固く抱かれた右腕を優しく振りほどく。カッコつけたい気分なので頭ポンポンくらいはさせて欲しい。
…まったく、ついさっきまで楽しい観戦気分だったのに、なんでいきなりこんなシリアスムードになってしまったんだか。
「…レグディティアお前が強いのは認めるけど、周りの人間全員がお前のように強いわけじゃない。…まだ遊び足りないってなら昨日の続きをやろう」
微動だにしていなかった先生を含めた、ほとんどクラスメイトが正気を疑うかのような顔で俺を見てくる。正義の味方の登場だというのに、まるで頭がおかしい奴が出てきたかのような反応をするのはやめてほしいものだ。
1人だけ泣き出しそうな顔で見てくるのはリーシャ。
別に負けたら死ぬわけでもないんだから笑顔で送り出してほしい。
1人だけ安心した顔をしてこっちを見もしないのがノロ。
…まあ、いいよ。
「…テメェはカスだが弱くもねえし、クソでもねぇ。――よく考えて行動しろよ?テメェが守ろうとしてるクソ猫を見てみろよ」
「…別にノロがこのままで良いとは思わないけど、今この場でお前が叩きのめしたところでトラウマが増えるだけだよ。――あとはまあさ、単純にお前が気にいらないよ。強ければ何してもいいって考え方が俺とは合わない。俺の考えでは強い人は弱い人を守るべきなんだ」
アーニャが保健室から帰ってきた。
カッコつけるにはもってこいのタイミングだ。
「俺が勝ったら今後、俺の目の届く範囲では俺に従ってもらう。いつまでもクラスがギスギスしてるのは嫌なんだよね」
――蛙が鮫に勝てないと決まっているわけではない。
「ハッ!!上等じゃねえかカス野郎が!!格の違いを教えてやるよ!!!!
…………って言いたいところだが、まあなんだ。ここで俺がオス猫を叩きのめしても意味がねえってのはすげえ納得したから…盛り上がったところ悪いんだが、俺はなんか冷めたわ」
…………………………
「だってよ、俺が勝ってもなんもいいことねえのに、俺が負けたらお前は狐娘と犬娘を虜にして、俺は弟子どもの信頼を失うときた。お前と試合をするメリットが俺にはなにもねえ。だからやらん」
……………………
「ま、まあなんだ。俺は別にお前が嫌いなわけでもなんでもねえんだ。むしろ仲良くやろうぜトゥリー・ボールボルド!ガポル村とネトト村はマブダチよ!!」
…………………
「………オーケーオーケー、わかったわかった、俺がわるかったよ。つか、俺が獣人にしてるのは『差別』じゃなくて『区別』なわけ。挑発してたのはオス猫を怒らせるためであって本気で言ってたわけじゃねえの」
……………
「…よしわかった、今後一切お前のガールフレンドを馬鹿にしたりしないって約束してやろう。美人な狐娘じゃねえか。俺のアーニャほどじゃねえけどな」
……最後の一言はいらないだろ。
だいたいアーニャはお前のじゃないし、リーシャは俺のガールフレンドじゃない。
「…なんかまあいいんだけどさ、ちゃんとみんなに謝っとけよ。 ――でも、お前がこの試合を断る必要あったか?正直言ってお前が負けることなんてほぼなかっただろ」
勝ってもメリットがないのに、負けたらデメリットがあるからやらないという理屈は確かに通る。だがそれは、勝敗がわからない場合の話だ。
俺とレグディティアが戦ってもレグディティアが負けることなんてまずないんだから、格下に謝るくらいなら試合を受けて捻り潰せばいいことじゃないのか。
俺が不思議そうな顔をしていると、レグディティアはもっと不思議そうな顔で俺を見てくる。
「?そんなもんやってみないとわかんねえだろ?お前だってそう思ってるから挑んだんだろうが」
ついさっき俺がたどり着いた結論。俺みたいな凡人にたどり着けてこいつみたいな天才がたどり着けていないはずがない。
…あーあ。なんだかなぁ。
俺がカッコつけようとしたのに結局レグディティアの方にカッコがついてしまった。
「ハッ!まあなんだ、少なくともテメェは俺がやってみないとわかんねえって思う程度には強えってことなんだから自信持てや!この学校ではお前だけだぜ」
…こいつに評価されて若干嬉しいと思ってしまうのも悔しい。




