第四十五話 ユアラ・デトミトリ
不快な描写があります。
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ユアラ・デトミトリはナスフォ街の一般的な夫婦の間に生まれた。
父親はナスフォ街と、パークス領ゴルミュ街とを繋ぐ荷馬車の御者であり、ナスフォ街とゴルミュ街とを交互に泊まっていたので、家にいるのは週のうち半分であった。
母親は父親がゴルミュ街から運んできたものを販売する店の店員であり、毎日朝早くに家を出て、夕方まで働いていた。天気の影響などで荷馬車が遅れた日などは、夜遅くまで働いていることもあった。
ユアラの両親は2人とも家にいないことが多かったが、2歳年上の兄が両親に変わって出来るだけ多くの時間をユアラと一緒に過ごしてくれたので、ユアラはそれほど寂しい思いをせずに済んだし、両親は少ない時間でも、沢山の愛を兄とユアラに注いでくれたため、ユアラは幸福な幼少期を送ることができた。
親が2人とも働いていたこともあり、デトミトリ家は裕福な家庭であったため、兄とユアラは2人とも初等教育学校に通わせてもらうことができた。
兄が学校に通い始めてから、ユアラが通うようになるまでの2年間は、ユアラからすると少しだけ寂しかったかもしれない。
ユアラの優れた才能は、初等教育学校入学後すぐに明らかになった。
入学後の測定会で、魔力量がナスフォ街初等教育学校の歴史の中でもずば抜けた1位であることがわかった。
5年生に上がる頃には、魔術だけでなく、体術、剣術その他全てのことについても、並外れた才能があることがナスフォ街中に知れ渡っていた。
実力だけで言えば、初等教育学校高学年の頃には、大人顔負けのものを持っていたが、甘えん坊の妹気質だったユアラは、街の人みんなから大切に守られ、少し過保護なくらいの育て方をされていた。
そんなユアラが、親や兄離れをして少しずつ自立をし始めたのは、中等教育学校入学からだった。
初等教育学校6年生の時の担任が、ユアラの才能のことを考え、王都にある『カルア天鱗学園』の中等部に入学することを提案してくれた。
『カルア天鱗学園』は王国立の高等教育学校の中で、最も名誉ある優れた学校であり、その中等部では、各地から才能の原石が早くから集められ、一流の教師達から一流の教育を与えられる。まさに王国一の教育機関である。
大好きな両親と兄にも、とりあえず試験を受けてみることを勧められたユアラは、あまり乗り気ではなかったが、どうせ落ちるだろうと思い、仕方なく入学試験を受けた。
ユアラの本音としては、両親や兄から離れたくなかったので、地元の中等教育学校に行きたかったのだが、その才能が一流の教師達に見逃されるわけもなく、合格をしてしまい、親元離れて寮に入ることとなってしまった。
ユアラの人柄や能力は中等教育学校に入ってからも、万人から認められるものであり、家族と離れはしたものの、友人や先生といった周りの人間に甘やかされていたので、自立した生活を送っていたかと言われると、そうでもなかった。
ひとつだけ成長したことがあるとすると、ルームメイトが体調不良の時くらいは、部屋の掃除や洗濯をするようになったことだろう。やる必要が出た時に、やることができるようになったということは、ユアラにとって大きな一歩だったといえる。
ユアラはそのまま高等教育学校に内部進学をしたが、進学をしたことによる成長というのはなかった。
相変わらず周りに甘えて、世界中の全員が自分のために何かをしてくれると、自分が世界で1番愛されていると思いながら生活をしていた。
――ユアラ・デトミトリの人生のターニングポイントは、ハンターとして3度目の依頼の最中だった。
ユアラは同じく中等部から上がってきた2人の友人とパーティーを組み、比較的簡単な魔物の討伐を2つこなした後に、挑戦を兼ねて、第三貴族バリオ・サベイアの依頼『虹蜻蛉の捕獲』を受けることにした。
『虹蜻蛉』というのは魔物ではなく、空色の前羽と紺色の後羽を持ち、体を橙色の毛で覆った怪鳥である。
飛び方が蜻蛉と似ていることから『虹蜻蛉』と呼ばれている。
渡鳥である虹蜻蛉は、夏ごろになると群れで王都周辺に来るため、見つけることは容易である。
当然魔物でもないので、捕獲することに危険性は殆どないが、人の手の届く場所には絶対に降りてこないという点と、飛行速度が上位の魔物よりも速いことから、捕獲する難易度はとても高い生物である。
音魔術師、土魔術師、光魔術師で構成されたユアラのパーティーは、生物の捕獲には自信があったため受けたのだが、そう簡単に捕まえることはできなかった。
これはユアラ達の能力が足りていないということではなく、能力を出しきれない理由があるせいだった。
1つ目の理由は、カルア天鱗学園の生徒は市街での魔術の使用を極端に制限されていたことである。これは住人の安全及び、生徒の安全を図るためのものであり、補助魔術を除く魔術の、屋外での行使は全面禁止であった。
2つ目の理由は、ユアラが地道な作業を嫌いなことにあった。生まれつきなんでも出来たが故に、地道に作戦を練ったり、魔術なしで捕獲をするための用意をするということにユアラは耐えることができなかった。
依頼を受けてから3日後には、心の中では達成できないとわかりつつも、自分のプライドがそれを認めないせいで、ユアラは諦め切ることができなかった。
依頼を受けてから1週間が経過した日の夜、ユアラたちパーティーは部屋に集まって、最後の作戦会議を開くことにした。
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とっくに消灯時間は過ぎ、警備兵も巡回を終えた深夜の1時、芍薬寮3階の一室では石階級パーティー『三美人』の緊急会議が開かれていた。
「諦めるのはむり!!そんなだっさいことしたらユアラおうちに帰れなくなっちゃうもん!」
会議の内容は『虹蜻蛉の捕獲』を諦めるか否かについて。
発案者はパーティーの補助役ラキャナ・ペティである。
ベッドに座りながら、大声で否と唱えているのはパーティーリーダーのユアラ・デトミトリである。彼女の音魔術によって部屋の音が外に漏れないようにしてあるため、深夜でも大声で叫ぶことができる。
「鳥なんか捕まえられなくても私達にできることはたくさんあるし、別によくない?てか、私達にはムリだって。あの鳥」
リーダーの意見に真っ向から対抗しているのが、発案者であるラキャナ・ペティ。灰色の短髪に紫紺の瞳をした中性的な少女である。
足を組んでスナック菓子を食べ、自分から人を集めたとは思えない態度でユアラ達と話をしているが、彼女が偉そうなのはいつものことなので、2人が気にすることはない。
ラキャナとは対照的に、カーペットの上で正座をして黙り込んでいるのがパーティーの攻撃役ラフィト・ペグロ。腰まで伸ばした赤髪と気弱そうな赤い垂れ目が特徴の女の子らしい女の子である。
第一貴族である彼女は本来、パーティーで1番身分が高いはずなのだが、パーティーでの発言力はないに等しい。
「ムリなはずないもん!鳥を捕まえるだけだよ!?」
パーティーでの発言力が最も強いのは当然ユアラ。よほどのことがない限り、彼女以外の意見が通ることはない。
「ムリだってば。魔術を禁止されてる私達なんて可愛い以外取り柄のないアホガキ3人組だよ?」
つまり、ラキャナが意見を出している今回は、『よほどのこと』だということになる。
この1週間、さまざまな手段を取ってみた結論として、『三美人』ではこの依頼を達成できないということは明らかだった。口には出さないがラフィトもわかっているし、ユアラも本当はわかっている。
そもそも、さまざまな手段を取ろうとしても、提案するのはラキャナだけであり、ユアラもラフィトも何一つ作戦を考えたりはしない。そのくせ2人とも、ラキャナの考えた作戦にケチをつけたり、めんどくさがったりする。
ストレスの限界を迎えているのはユアラよりむしろ、ラキャナの方であった。
「だから、ユアラはもう魔術を使っちゃおうって言ってんじゃん!それをどうやってバレないようにやるかの作戦会議をしようよ!」
そんななか、ユアラの出した結論は『バレなければ良い』であった。危険なことさえしなければ、別に何をやってもいいだろうというのがユアラの出した意見である。
リーダーの放った言葉にメンバーの2人は驚く。
自分達が考えていたこととは全く別の方向から、リーダーは今回の件の解決を目指していたのだ。
「…あーそういう方向の話なの…?」
ラキャナが『ムリ』だと言っているのは『魔術を使わないで虹蜻蛉を捕まえる』ということであり、『魔術を使ったことをバレないようにしながら、虹蜻蛉を捕まえる』ということではない。
意識の中で絶対にルールを破るわけにはいかないと思っていたから、ユアラに反対をしていたのであり、ルールを破ることを選択肢に入れるとなると判断は変わってくる。
ラキャナの見せた隙をユアラは見逃さない。
「ユアラの音魔術とラキャナの光魔術があれば、鳥を捕まえる程度の魔術を隠すのは難しくないでしょ!時間と場所さえ選べばどうとでもなると思うの!」
ユアラの言葉を聞いて、ラキャナは少し考える。
人目につかない場所でユアラが音を、ラキャナが光を隠せば、ばれる可能性があるのは、魔力の流れによって魔術の発動を検知された場合だけになる。
つまり、よほどの達人が近くを巡回してでもいない限り、ラキャナ達が見つかることはまずない。
「…見張りくらいなら私がするよ?」
パーティーの中で1番索敵能力が高いのはラフィトであるし、土魔術は派手な魔術のため、今回の作戦には使い物にならないので、見張りというのは丁度いい役目だ。
パーティーメンバーのうち2人がやる気になってしまった以上、ラキャナとしてももうやらないという選択肢はない。
「…はぁ。まあ、ばれないかぁ」
「!そうこなくっちゃ!!」
結局なんだかんだでユアラの意見が通るというのもいつものことだ。
あとは適当にラキャナが時間と場所を決めて、ターゲットが来るのを待つのみである。
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「「「大変申し訳ございませんでした!!!」」」
ばれた。
『三美人』の犯行を発見したのは、王都騎士団所属のネイス・ケイスという音魔術師である。彼がたまたま近くを通った時に、ユアラの音魔術の行使が見つかってしまった。
「…気持ちがわからないこともないんだけどさ。ルールは君たちの安全を守るためのものでもあるんだから、しっかり守らないと、ね?」
結局、虹蜻蛉に手を出す前に見つかってしまったため、依頼も達成できず、ただルールを破って騎士に怒られるという結末になってしまった。
三美人としては依頼失敗、短期停学、名誉失墜、死人は出てないが、バッドエンド中のバッドエンドといえる。
どうしてもこの状況をなんとかしたくて、やけになったユアラは、逆ギレをして解決を試みる。
「…でもですよ、じゃあどうやってあの鳥捕まえるんですか…??魔術を使っちゃいけません!ばっかりで、依頼者の方の気持ちも考えないなんてちょっとおかしいじゃないですか!臨機応変に、『このくらいはいいか』って目を瞑ることも大切だと思います!!」
ユアラ達は無力な子供ではない。ユアラ達で無理なら、魔術を使わずに虹蜻蛉を捕まえられる人なんていないと、ユアラはそう思っていた。
ルールを破った自分も悪いことはわかるが、融通の効かないルール自体はもっと悪いと、本気でそう思っていた。
しかし、そんな考えは一瞬で覆される。
四階建ての建物の屋上、3羽とまっていた虹蜻蛉のうちの一羽が突如、何かに引き摺られているかのようにユアラ達のもとに連れてこられる。
虹蜻蛉はそのまま持ち上げられると、ネイスの手に収まり、ネイスからラキャナに手渡される。
「魔術を使わないで捕まえるとしたらこんな感じかな。別に魔導は禁止されてないからね。 …ちょっとキツいこと言うけど、君たちが受けるにはまだ早すぎた依頼だよ。本当は無理だとわかってたんでしょ?それなら、ちゃんと諦めないと。諦める勇気も持たないと、これから先も今回みたいな考えでいたら、いつか本当に大変なことになるよ?」
自分達の手に負えないことがわかったらすぐに諦める。これはハンターとして生き残るうえで最も大切なことと言われている。
魔獣の森で、格上の魔獣と出会った時なんかは特に、プライドや好奇心を投げ捨てて、命のために逃げる決断を取れる勇気を持つことが、何よりも大切なことなのである。
ラキャナとラフィトは圧倒的な実力の差を見せつけられ、自分達がどれほどのレベルにいるのかを再認識すると、改めて今回の行動の愚かさに気がつく。
2人は顔を見合わせると、停学期間を大人しく終えたら、くだらないプライドは捨て、3人でもう一度1から腕を磨き直そうと決意をする。
まずは、依頼の失敗を、依頼主に謝りに行く予定を決めようと、ラキャナはユアラに語りかける。
――だが、ユアラはそれどころではなかった。
幼い頃から天才と言われ続けたユアラにとって、自分が想像もできないようなことを軽々しくやってのけたネイスは、今まで見た誰よりも輝いてみえた。
恋愛になんて全く興味のなかったはずの少女は、突然出会った運命の王子様に強く心を打たれてしまい、周りの声など聞こえなくなってしまった。
思考が追いつかない。自分を見つめてくる空色の瞳になんとか、何かを返したいとは思うのだが、何を言えば良いのかがわからない。何が正しい選択なのかがわからない。
「私、あなたみたいになりたいです」
まとまらない思考の中、なんとか捻り出した言葉は拙いものだった。自分の本心なのか、咄嗟に出た意味のない言葉なのかは誰にもわからない。それでも、この出会いをなんとかして『掴みたい』と思ったユアラの心から出た、一直線の言葉だった。
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――ユアラ・デトミトリは『騎士』になる。
ただ彼のそばにいたくて。
物理的に、精神的に、誰よりも近くありたくて。
ユアラは純真すぎたから、その気持ちが恋なのか、愛なのか、ただの憧れなのかはわからなかった。
どうやったら彼に近づけるのかだけに必死で、本当の自分を隠して、彼にそっくりな『騎士』としての自分を作り上げた。
彼と同じようにすれば、誰よりも彼の側にいられると思って。
彼と同じようにいれば、いつか自分の求める関係になれると信じて。
「…ゃだぁ…っ…!」
騎士としている自分が好きだった。
騎士として生きることが幸せだと信じていた。
「…ぷっ!あははははは!!!!何が嫌なのさ!あんなに騎士として!とかあなたを倒します!とか偉そうに言ってたのに!!!あはは!いざこういうことになったら、『やだ!』とか、『たすけて!』とかずっとそんなんばっかりじゃん!!!これは最高だねえ、まったく!!!アーニャには感謝をしないと!!!いやぁ、かわいいねぇユアラちゃんは!!こんなに嫌がってるのに、しっかり女の子として反応してる場所は反応してるところも最高だよ!!!えっちな騎士様だねぇ!!!」
気高い人生だと思っていた。
故郷に帰ってきた時、何よりも自分が誇らしかった。
「…ぁぐぅ…っ!…やぁだっ、ぁ、やだぁ!」」
「あはははは!!!嫌なんかじゃないじゃん!!!!騎士としてこれが誉高き名誉なんでしょ!?街のために死ねて本望なんでしょ!?あはははは!!!しかもぉ、、、気持ちいいんでしょぉお!??!!?…くっ、あははははは!!!!こりゃ最高だ!本当に本当にさいっっっっこうだ!!!!もうね!トゥリーもアーニャも生かして返してあげたい気分だよ!!!エリカよりも、ディートヘルドよりもずっっっと愛してる!!!!」
騎士として生きていれば、いつかは憧れの彼と結ばれると思っていた。
いつの日か鎧を脱いで、純白のドレスなんかを着て、彼に抱きしめられると思っていた。
「…ゃだぁ…じに、ぐぅ…なっぁが…!」
「え、なに!?いま、死にたくないっていったの!!?!?あはははははっ!!!なっっっさけない騎士様だねぇ!!!!!今の君を見たら、君のお母さんとお父さんも、お兄ちゃんもがっかりするだろうねぇ!!!!見ず知らずの男に、涙も鼻水も涎も垂らしながらよがってさぁ!!!下品な女の子だねぇ!!?!!!?!下品で無様で、恥さらし!!!!ねぇ!?早く殺してくださいって頼んだ方がいいんじゃないの!?今ならすぐに殺してあげるよ―っ!?」
死にたくない。
死にたくない。
「…たず、げでぇ…たずぅぐ、!…あ、ぎぐぅっ…!」
助けて。
助けて、ラキャナ。
「あぁぁぁ…あぁ…。最高だよユアラ。アーニャとトゥリーよりも愛してるかもしれない…。騎士として生きてきた君はまだ恋愛なんてしたことなかったのかなぁ?あはは。愛っていうのはいいよぉ…。冥土の土産だ、僕のことを愛する権利をあげるよぉ…あはぁ…」
助けて。
助けて…お兄ちゃん。
ユアラは停学の後、別人のようになって学校に帰ってきました。才色兼備、品行方正、誰もが認める優等生であり、週末は毎日騎士団のもとに顔を出していました。
ユアラが故郷に戻ってきたのは、『騎士』だったからです。本当は彼の側にいたかったのですが、彼がいる王都は自分がいなくても安全だと考え、人手の足りていない故郷に帰ることにしました。
ユアラが最後にネイスを呼べなかったのは、『騎士』ではなかったからです。情けなく汚れてしまった自分を見せたくなかったから呼ぶことができませんでした。
ユアラの過去編についてはまたいつか、閑話として書くかもしれません。




