第四十話 拗ねてなんていないのである
10月末ともなると、肌寒くなってくるので体育の時間はみんな上下ジャージを着るようになる。まだ半袖短パンみたいな熱血少年はうちのクラスではドミンドとタイグドだけだ。
空を見上げると雲の形もだいぶ冬っぽくなってきたように感じる。雲の名前もいろいろあったはずなのだが、こっちとあっちで季節ごとの形は違ったりなんだりであんまりもう詳しくは覚えていないのである。もともとそんなに興味がなかったというのもあるが。
「アーニャちゃん!く、靴紐ちゃんと結んだほうがいいよ!!」
さて、10歳ともなれば男女問わず優れた異性に対する憧れというのは出てくるものである。それが恋愛感情なのか、はたまたただの『異性への関心』と『優れたものへの憧れ』が別個として芽生え、合わさっただけのものなのか、その辺りは定かではない。
まあ要するに、男子は可愛い女の子にちょっかいを出したくなり、女子はかっこいい男の子に黄色い声援をあげたくなるという文化はこの辺りの年齢から始まるといっていい。
「「トゥリー様ー!!」」「「エディーレ様ー!!」」
今日も自分の準備運動なんかそっちのけで、各々の『推し』に熱心な彼女達は、トゥリーとエディーレの取り巻きだ。
トゥリーとエディーレの取り巻きというのはクラス関係なく――いや、学年すら関係なく湧き出てきたりしている。流石に体育の時間では同じクラスの子達だけだが。
「「サリア様ー!!」」
サリアはなんか急にクールキャラに転向したせいで男女問わず人気が高い。僕たちの前ではクソガキなのになんだか納得いかない節はある。
まあなんだ。彼らみたいにただの一般人をアイドルのように扱う人種のこともあんまり馬鹿にしないであげてほしい。
うちのような田舎では貴族の王子様やお姫様に会えることなんてほとんどないし、有名なハンターが来るなんてこともない。だから行き場のない憧れの注ぎどころがそこしかないのである。
それに、僕にだって日々が退屈なことくらいはわかる。むしろ僕ほどにその辺りに理解のある人間はいない。
僕と違って勉強やらなにやらに新鮮味があったところで、何かしら『楽しみ』がないと退屈に感じてしまうのだろう。
剣術や魔術に興味がない人たちにとって、あるいは自分については諦めてしまった人たちにとって、僕たちのような天才は生きてく上で必要な娯楽の対象ということなのだろう。
だから、僕の靴紐が解けるような様子は微塵もないのだが、勇気を出して話しかけてきたカラムのことを馬鹿にするのは筋違いというか、うまい表現が見つからないがよくないことなのだ。
「うん、ありがとね。カラムもちゃんと結んどきなよー」
「う、うん!!気をつける!!」
こんな感じで対応してあげれば向こうだって悪い気はしないし、僕だって喜んでもらえれば悪い気はしない。
自分が人気があるからって変に大きな気になってはいけないのだ。人気があるっていうのは非常にありがたいことなのだから、自分のことを好いてくれている人達は大切にするべきなのである。
「アーニャ!!お前ジャージ着ると男みたいだな!!がはは!男だ!アーニャくん!!」「は?」
だから、こうやって僕のことを男みたいだなんて思ってもないくせに、僕をからかいたがってくるハロルドみたいなやつにも冷たい対応やひどい対応をしてはいけないのだ。
…僕は全く気にしてないからやめなさいサリア。ハウス。
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「アーニャって体力はなさそうな見た目なのに、そんなこともないよな。お前の欠点てどこにあるの?」
秋冬の体育名物長距離走は、優秀な生徒達にとってみればただの雑談時間だ。走りながら雑談してもいいし、ゴールした後は水を飲みながら雑談だ。
僕たち4人は大体走り終わった後日向のベンチでお話をしている。席は2人までしか座れないから僕がサリアの膝の上でトゥリーがその隣、エディーは立っているというのがデフォルトだ。
「いまさらどうしたのさ。ずっとこんなもんじゃん」
「んー?改めてお前ってなんでもできるよなーって話」
そりゃそうだ。僕はそれを目指しているのだから。
圧倒的に何かに特化した天才にはなれないから、全てに欠点のない完璧を目指しているのだ。努力でいくらでも補えるような『体力』なんてものを落とすはずがない。
「そんなこともないんじゃない?方向音痴ですぐ迷子になるし、虫が苦手ですぐ泣くじゃん」
「それは可愛いから欠点じゃないもんねー。トゥリーはやっぱり見る目がないね。ね、アーニャ!」
サリアが言っていることは間違っていないし、僕もそういう風に思っているから別にいいのだが、なんか人に言われるとすっごい小馬鹿にされたように感じる。
あと僕に褒めて欲しそうにしてる感じもすっごいむかつく。
「人から見て『アレならアーニャより自分の方が上手くできる』とか『アーニャってアレだけはできないからダサいよね』みたいに思われたくないんだよね。できないものであったとしてもそれも良いなって思ってもらえるようでありたいんだよ」
自分でも驚くほどぽろりと本音が出た。ここまではっきり『僕は完璧でありたい』という話をしたのは、前世も含めて初めてな気もする。
トゥリーとサリアはなんとなくまるで知っていたかのように頷いているのに対して、エディーはあんまり納得してない感じだ。
水を飲みながら僕たちの話を聞いていたエディーは水筒を置くと、整理体操を始めた。体の整理と頭の整理を兼ねているのだろう。なんちゃって。
「んー。まあそうなのかって感じだな。…ちょっと意外だな。そういう他人からの評価気にしてないのかと思ってた」
そんなの気にしているに決まっている。
誰からも馬鹿にされたくないからこんなに完璧でありたいんじゃないか。
僕は『超』がつくほどの負けず嫌いなのである。
――――
「この後私は用事があるから、今日はこのまま下校とする。各自風邪は引かないようにしっかりと着替えてから帰るように。何かあるやつはいるか?」
今日は会議の日だ。11月の旅行に向けてガポル村の衛兵達――つまりパパ達と学校側で打ち合わせをしたりするのだ。
うちのクラスの担任のヨスナイア氏はうちの学校の副校長なのでそう言った会議にはいつも出るのだ。
校庭で解散なんてことになれば男子達の取る行動なんて決まっている。どこからかすぐに剣を持ち出して遊び始めるのだ。
女子達はといえば各々トゥリーとエディーに話しかけるタイミングを伺っているといった感じだ。おじゃま虫の僕とサリアはさっさと退散することにしよう。
「アーニャ!覚悟!!」
そんな空気は読まずに、今度は僕とサリアに構ってもらいたい男子がやってくるというものだ。
だがまあ残念ながら僕はこの後やることがあるので帰るのである。
「私はもう帰るから。またね」
「えー!!!つまんねー!!女みたいだなお前!!」
「ねー。だから私は女だってば」
僕のことを『ブス』とか『バカ』とか呼べないうちの男子達はこぞって僕のことを『男』って呼んでくる。理由はまあこのショートヘアのせいだろう。
後もう少ししたら僕だってメリハリのある女性らしい体へと変化していくはずだ。そんな気配はある。
ちなみにサリアは若干胸が膨らみ始めたようにも思う。気のせいかもしれない。
さて、優しくしてあげたいというのは本当のことだが、この後やることがあるというのも本当のことなのだ。こんなとこで油を売っていたらヨスナイア氏に怒られてしまう。
「また明日ね」
「別に女は学校来なくてもいいぞー!!」
「ふん。私が来なかった寂しいくせによく言うよ」
僕のこと大好きっ子のレムルドは楽しそうに笑うと、もといた集団に帰っていった。あそこのグループは僕たちに次ぐカーストの高い男子集団だ。レムルドやドミンドとといったヤンチャボーイズが属している。
「アーニャ、時間が押してるから私がお着替え手伝ってあげるね!」
「…サリアも着替えるんだから手伝うタイミングがないよ」
本当にこんなくだらないことで時間を使ってしまったら、ヨスナイア氏に怒られてしまうのだからもっとサリアも危機感を持ってほしいのである。
――――
「遅かったな。お前たち2人は疲れてもいなければ汗もかいてないのだからもっと早く来れただろうに。私が朝言ったことをまさか忘れてでもいたのか?それとも先方が身内だからって遅れてもいいとでも思っているのか?」
「はい、申し訳ございませんでした」
「せんせー女の子の用意に対して遅いとか言っちゃだめですよ。――ほらみて!アーニャも私もこんなに可愛いんだから多少遅れても問題ないですよー」
僕がいうのもなんだが、サリアは完全にヨスナイア氏を舐めきっている。
僕みたいに裏と表を使い分けて、色々頭を使って生きている人間からすると、ヨスナイア氏のように全てを見透かし、論理詰めて説教をしてくるようなタイプは天敵なのだが、サリアのような裏表のないふざけた人間からすれば怖くもなんともないようだ。
だからおかしなことにうちのパワーバランスはサリア>ヨスナイア>アーニャ>サリア>ヨスナイア>…とじゃんけん方式になっているのである。
ヨスナイア氏はサリアと話をしている時はいつも頭を痛そうにしている。そしてどうしてもサリアを押さえ込む必要があるときには僕に圧力をかけてくるのだ。僕は正に中間管理職。
これがティアとエノーラちゃんだったら全く違う感じだっただろう。
多分ティアが僕に「遅れちゃいます!」ってせかしてエノーラちゃんがむはむは言いながら文句を言ってくる。
で、僕が適当に言い返して結局僕の勝ち。
人の立ち振る舞いや、性格というのは周りの人間に大きく影響されるのだろう。
アリの群れの何%かは必ずサボるってやつと似た話だ。
サボってる奴らがいた頃は真面目に働いてた奴も、そいつらがいなくなったら自分がサボるようになる。逆もまた然り。
要するにサリアがこんなんだから、僕がしっかりするようになったのかもしれない。
そういえば、別にティアとは仲違いしたわけでもなんでもない。単純にクラスが別になったから接点がなくなってしまったというだけの話なのだ。
我々学生にとって、クラスというのは友好関係の形成における最も重大なファクターだ。
クラスを違えてしまえば、自然と関係はなくなるもので、ティアとはせいぜい会った時に挨拶する程度の関係に落ち着いてしまった。お互い別の友好関係ができてしまったし、少し寂しくもあるがこんなもんだろう。
トゥリーとティアの関係も同じような感じだ。
あんなにべったりだったが、クラスが変わってしまえばそこで関係はほとんど終わってしまったのである。
小学生低学年の恋愛なんてそんなものだ。恋愛に憧れてそれっぽく思える相手に恋をしていると思い込むだけのことであり、本当に恋をしているわけではないのだ
子供の関係はクラスが変わったり、学校が変わったりしたら終わるものだが、親の関係というのはそうでもない。
親同士の関係というのは子供をもとに知り合い、連絡を取り合ってご飯を食べに行ったりする仲になってしまうと、子供たちはお互いのことに興味がなくなったとしても、仲が良いままなのである。
ただ親同士の仲が良いだけなら別に良いのだが、面倒なのは自分たちの仲が良いままだと、子供同士もいつまでも仲が良いものだと勘違いするという点だ。
「〇〇ちゃんは最近どう?」「〇〇ちゃんちはこの前山に行ったんだって」「〇〇ちゃんにこれ渡しといて」エトセトラ…親と子供の認識に差がある故、子供同士が気まずくなることは稀によくある話だ。
「…これ、うちの親がわたせって」なんて感じに絶妙な距離感を一度感じてしまうと、そこから逆に意識してしまって余計に疎遠になるというものだ。
カラさんとリシアたんは随分仲良くなったようで最近でもよく2人で出かけたりしているらしい。
この前カラさんがトゥリーに「ティアちゃんはトゥリーのお嫁さんになりたいらしいよ〜! よ!色男!」みたいな感じのことを言ってきて、場の空気が凍りついたものだ。
ティアがその場にいなかったのが救いだが、トゥリーはなんとも言えない顔をしながら僕の方をチラチラ見ていた。かわいそうに恥ずかしかったのだろう。
幸いママはヘロンさんともリシアたんとも、もうそんなに接点がなさそうだ。
昔はラファがずっとカチュアに会いに行っていたからヘロンさんと仲良くしていたが、カチュアが少し大きくなって、ラファももうあんまり行かなくなるとどんどん疎遠になっていった。
ママはもともと人とうまく仲良くなれないタイプなのだ。幼馴染のカラさんくらいしかまともな友人はいないと言っても過言ではない。
「お前たちは許されても私が許されないというのがその考え方の穴だな。とにかく、学校外の人と関わる時にはもう少しちゃんとするように」
なにもサリアのいうことなんかに付き合ってあげる必要なんてないのに、律儀に返すところがヨスナイア氏といった感じだ。
まあ確かに、僕たちは可愛いから許されたところでヨスナイア氏の監督責任が問われるというのは避けられないだろう。僕たちがもう少しちゃんとしてあげる必要がある。
ちなみに『ちゃんと』はヨスナイア氏の口癖だ。
「大丈夫!せんせーも見ようによっては可愛いですよ!」
「…何が大丈夫なんだそれは」
そりゃまあ、あれだ。大丈夫なのだろう。
サリアが大丈夫っていうことは、大丈夫じゃなさそうに聞こえるが意外と本当に大丈夫なことが多い。きっと何かしらかの本能的なことでどこまでが安全で、どこからが危険かみたいなものを察知しているのかもしれない。まあ何も考えてないで適当に言っている可能性も否定はできない。
だがまあ、魔術みたいなものがあるせいで、そういったオカルティックな話を否定できないのも事実なのである。
「うちに行くならここ曲がった方が近いですよ」
学校前の通りを進み、アトリス通りに出るところの手前で曲がるとちょっとした裏道がある。ここを進むと僕の家の近くの方に出るので急いでいるときにはよく使ったりする。
とはいっても正規の道のりではないのでヨスナイア氏を連れ込むのはどうかとも思うが、まあ急いでいるので仕方ないだろう。
「せっかくの提案ありがたいが、いくら急いでいるからといっても大人になるとこういった抜け道を通るわけにはいかない。それが仕事なら尚更だ」
「まあそれもそうですね。遅れたらちゃんと先生は悪くないって私が言ってあげますよ」
「そういうのが甘いといっているんだ。身内だからといって自分が謝れば済むだろうという考え方はやめろ」
えー。今ので僕が怒られるのってなんか理不尽じゃないだろうか。せっかく気を遣って優しさを見せていたのに。
こうなったら明らかに不機嫌オーラをだして、ヨスナイア氏を困らせてやろう。誰がなんと言おうと今から向かう先は文字通り僕のホームなのである。
「…拗ねてるのか?」
「拗ねてません」
「拗ねちゃったみたいですね」
このクソガキ。どっちの味方だ。




