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僕は完璧でありたいのである  作者: いとう
第二章 ガポル村の天才幼女
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第三十九話 頭も目も回るのである



 僕は基本的に誰かの言葉を借りて話すことが嫌いだ。


 というのも「かの有名な〜は〜といった」なんてことを言って自分の言葉に説得力を持たせるような発言というのは根本からして、自分自身の考えに対しての自信のなさからくるものだからである。


 まあ確かに、どんな人にでも納得してもらえるようにするには、どんな人でも知っているような有名人の言葉を借りるというのが手っ取り早いのだろう。

 だが本来、相手に自分を受け入れてもらおうとしている立場にありながら、その過程をいかに楽に進めるかなんて考え方自体間違っているというものだ。

 であるならば『明確な意思を持ってはいるが、相手にわかりやすいように人の言葉を借りているんだ』なんて言い訳も当然通用しないわけである。


 そうなってしまえば、人の言葉を借りることに対する理由なんて、自分の言葉には力も信念も説得力も責任も、何一つとしてないからということしかないわけなのである。


 例えば、「かの有名な〇〇大学の△△という研究チームが〜という論文を発表した。だから私の言っているこの意見は正しい」なんて話し方をしていると、その発言に確かに説得力は出る。これは当然自分の言葉にはない力や説得力というのを、△△という研究チームから借りているからなのである。


 だが、こう言った発言には責任や信念というものは欠いたままなのである。


 もし、新たに研究が更新されて他の研究チームがもっと優れたデータをもとに、全く違った論文を発表したとあればどうするのだろうか。

 いままで、自分が力を借りていた主体が本当は間違っていたとわかった場合、どうやって自分の発言に責任を持つというのだろうか。


 第一、たとえどんなに研究が進んだからといって必ずしもそれが正しいとは限らないというのは言うまでもないだろう。

 我々人類は、この世界について知らないことばかりというのに、知らない要素は省き、現在把握している情報だけで導き出された結論を、本当に『結論』と呼んでもいいのだろうか。


 だから僕はそんな無責任なことをできない。

 誰かの言葉を借りるわけではなく自分の言葉で話をするのである。

 間違っていたとわかったのならそれを正す。もしくは、間違っているのは自分以外の方だと、自分の信念を曲げることなく貫き通す。それが誰かに自分の考えを伝えると言うことに対する礼儀というものじゃないだろうか。



 さてそんな僕の持論だが、退屈の苦痛を乗り越える最大の手段というのは『慣れ』ではないかと思うのである。



 退屈の苦痛を乗り越える手段としては、『退屈の中に楽しみを見出す』と『退屈を苦痛じゃなくする』という2つ選択肢があるわけだが、前者というのは非常に難しいことだろう。だって、見出せる楽しみがあるのであれば退屈を苦痛と感じる前に飛び付いているはずなのである。

 だからきっと、退屈を苦痛に感じ始めてから暫くしても、退屈だと思ってしまう時点でもう新たに楽しみを見出せる要素というのは基本的に残っていないというわけなのである。



 つまり、消去法で後者が最大の手段ということになる。



 そう。実は別に慣れることが簡単だから最大の手段とか、そう言う立派な話ではないのである。

 現実的に考えてそのくらいしか取れる手段がないから仕方なく退屈に慣れるよう頑張るのである。そして、大抵の人が慣れることなんて出来ずに苦痛を感じたまま日々を過ごすのだ。


 結論として、退屈は苦痛なのである。


 どんなに対策を講じようとも、それは不変の事実であり誰にも覆せないのだ。




――――――――――――――――――――――――――




 人は生きていく上で概ね年齢が上がるごとにどんどん楽しくなっていくのだろう。これは僕が前述した退屈の話に繋がる。


 年齢が上がるということは出来ることが増えるということだ。

 自転車に乗れるようになる、友達と隣街まで出かけられるようになる、お小遣いが増える、バイトができるようになる、車を運転できるようになるエトセトラ…

 そして、出来ることが増えるということは、退屈を感じたり何か新しいことをやりたいと思ったときに、見つけられる新たな楽しみの選択肢も広いということだ。そうなれば退屈というマイナスも消せるし、新たな楽しみというプラスも生まれる。

 そりゃ楽しくなっていくはずなのである。


 ただ、幼稚園のころや小学生のころを思い出してみてほしい。今では退屈で死にそうな日々だったはずなのに、それほど退屈ではなかったのは、楽しみを見つけるのが子供の方が上手だからなのだと僕は思うのである。


 歳をとって客観の目を理解できるようになってくると、主観だけで楽しみを感じていた頃のようにはいかないのである。どんな時でも周りの目や社会一般の評価というものが足を止め、見えていたものが見えなくなってしまう。

 中学生だった僕でも、そういうように感じたことがあった。小学生の頃にできた楽しみ方をできなくなったなんてものは少なくなかった。


 それに加えて子供の頃はいろんなものが目新しいというのがあるのだろう。今となってしまえば『そんなもの』で片付いてしまうものも始めて体験してたような頃は楽しく感じていたなんてことがあると思う。


 あとはまあ、『出来ない』ことを知らなかったからというのも大きいかもしれない。要するにステーキの味を知った犬はドッグフードを食べなくなるということだ。



 とは言っても僕が体験したことがあるのは上り坂までだ。大学生になったり、社会人になって、中高生でできたことができなくなってきたら年齢が上がることが必ずしも良いとは言えなくなるのだろう。


 ただ今そんなことは関係ない。

 今必要なのは『小学校は基本的に退屈』『小学校は小学生だから楽しめる』つまりそういうことだ。



 僕みたいに童心のない小学生にとって小学校はある種の監獄みたいなものなのである。




――――――――――――――――――――――――――




 馴染みの登校道はもう目を瞑っても歩けるようになったというもので、眠たい日なんかは眠ったまま登校ができるようになったというものだ。


 日本では四季折々、どんな道でも歩いていれば年がら年中変化を感じ、それほど飽きることを知らなかったのだが、ガポル村もナスフォ街もそんなに四季に応じて景観が変わるといったことはないように感じる。


 いやでも、春には桜が咲いているし、夏は緑色になって、秋は紅葉し、冬には枯れる。よく考えるとそれなりに景観は変わっているはずなのだが、このなんとも言えない物足りなさはなんなのだろうか?


 考えても答えが出ないのは、きっとこっちの生活に僕がもうなれてしまったからなのだろう。

 馬車道を歩いていれば、日本では見なかったような鎧姿の人や、毎日お祭りみたいな屋台があったりと、ザ・ファンタジーの世界なのに逆にそれを面白いともなんとも思わなくなってしまった。


 1年生の頃はつまんないと思いながらもどこかでまだファンタジー世界を楽しんでいた自分がいたようにも思う。そのくせに、つまんないから早く2年生になりたいと思っていたなんて贅沢な子供だったのだろう。


 2年生になるとただただ地獄のような日々だったと言っても過言ではないだろう。

 辛いことがないということが幸せかと言われれば、そんなことはないということくらい誰にでもわかると思うが、なんの楽しみもない日々が苦痛だということは多分、世の中で僕と罪人くらいしか知らないことだろう。

 毎日毎日、意味のないいろんなことを適当に考えて、トゥリーに説教をしていたものだ。きっとそれくらいが僕の唯一の楽しみだったのかもしれない。トゥリーは僕のいうことを肯定するだけでなく、違うと思ったことにはトゥリー自身の意見も言ってくれるようになった。


 勘違いされやすいのだが、僕は自分の意見を否定されることを不快とは思わない。相手の意見をしっかり聞いて、お互い理解し合った上で違った結論に辿り着くというのも面白い関係だと思うのだ。

 仲のいい相手、気の合う相手というのは別にお互いを全肯定し合える仲を指すわけじゃない。お互いを批判しあえてこその絆だと思うわけなのである。



 3年生になればきっと楽しめると思いながら、トゥリーに説教をし続けた2年生も気がつけば終わり、僕たちはついにクラス替えをして3年生になった。


 3年生になると体育では魔導を使った模擬戦、社会では古文書なんかを要約してもらいながら読ませてもらったり、国語では他の国の言葉を、理科では簡単な魔術について教えてもらえるようになり、極め付けに一月に一回魔物の森に連れて行ってもらえる。魔物と戦わせては貰えないものの、実態を知るというのが授業の目的らしく、事細かに説明してもらえるのでそれほど退屈な時間というわけでもない。


 さらに、3.4年生は夏休み前に武道大会が開かれる。これの結果は5.6年生へのクラス替えに大きく影響するビッグイベントなのだ。

 さらにさらに、夏休み後には5.6年生による武道大会が開かれる。これはクラス替えこそ関係ないが、卒業後の進路に影響するビッグイベントであり、いくら小学生の大会とは言えど白熱した素晴らしいものなのである。これは保護者と3.4年生のみ観戦が許されている。

 さらにさらにさらに、3.4.5.6年生は11月に泊まりがけの旅行がある。旅行のいく先はなんと、3.4年生はガポル村の駐屯地、5.6年生は魔獣の森でキャンプ。ハンターになることを想定して用意されたキャンプには、ちょっと多すぎるくらいの先生がついてきてくれるので心配はない。



 1.2年生さえ乗り切って仕舞えば天国のような生活が待っていたのである。なんと素晴らしきかな、トールマリス王国。




――――――――――――――――――――――――――




「私が思うにね、無駄に頭を回す時間が多い時点でそれは退屈なんだよ。頭なんか目の前のこと以外入ってこないくらいで丁度いいと思うの」



 要するに、だらだらと思考を回してる余裕がある時点で退屈なわけだ。

 何が古文書、何が武道大会、何が旅行だ。絵本、お遊戯会、家庭訪問の間違いだろうが。楽しいと期待してた僕の気持ちも考えて欲しいものだ。



 月日が流れるのは遅いもので、ようやく僕は四年生になっている。来年になれば変わるはずという思いを抱き続けてはや3年半、そろそろ心が折れてきたのである。

 それなのにまだ、5年生になればと期待している自分がいることにもなんだか、心が折れそうだ。



 3年生の頃はまだ良かった。一応目新しさがあったし、クラス替え、先生替えもあってちょっと楽しかったというものだ。


 それが四年生になってみてどうだこれが。

 先生もクラスメイトも変わらない。もう一度同じ退屈な一年の繰り返し。周回してもなんの恩恵もないRPGを誰が何周もやるというのだ。タイムも縮められないからRTA勢もよってきやしない。



「その話もう10回くらい聞いた気がするんだけど」


 トゥリーだって飽きてきているというものだ。毎日同じ日々の繰り返し、毎日同じような話を僕にされ、毎日同じように返す。最近は2人でぼーっと空を見上げている時間が長い。

 こうして人は輝きを失っていくのだろう。まだ輝いてすらいないけど。


「数字の例えですぐにキリのいい数字を出すような男は嫌いだよ」


「それはもう100回くらい聞いた」


「…今日は何月何日?」


「10月10日」


 こいつ、まじで調子に乗りやがって。



「ばかいえ、10月13日だよ」


 頭に苔の生えた僕たちの会話に割ってきたやけに通る声はエディーレ・ウヌキス。1.2年で同じクラスだったゴンズの親戚らしく似たように青い髪をしている。

 だが、ゴンズとは似ても似つかないほどスペックの高いやつで、綺麗な青髪に透き通る金の瞳、まだ小学四年生なのに身長はすらりと高く、トゥリーと並んでも見劣りのしないイケメンだ。

 頭もいいし、剣の腕もいい。魔力量も男にしては多いし魔導のセンスもいい。

 今年の武道大会ではトゥリーと準決勝で当たり、惜しくも敗れたが続く3位決定戦で我が愛弟子サリアを破り見事3位入賞。ちなみに去年は決勝まできたなかなかの強者だ。



 どうしても学年内で実力の序列が決まってしまえば、それにあった感じでグループができてしまう。

 まあそもそも、2年生から3年生に上がるときのクラス替えである程度突出して秀でてたり、劣ったりする人たちはまとめられていたようだ。


 最近ではトゥリーと2人でいる時間の次に、サリアとエディーと4人でいる時間が長い。武道大会1位から4位のメンバーが固まっているだけで凄みがあるのに、高身長のトゥリーとエディーのせいで威圧感もあるし、美男美女すぎて近寄り難い高貴さもある。自分で言うのもなんだが。



「トゥリーもしかしてボケちゃったのー?2桁のお爺さんだからもうそろそろ介護が必要かなぁ??」


 くすくすと小馬鹿にしたように笑っているのはサリア・ローラム。僕の可愛い愛弟子だ。2年生の後半あたりからこいつも生意気になってきたが、可愛いから全部許してしまう。


「9歳児はうるさいから引っ込んでなよ」


 だが何故かトゥリーはサリアにだけは厳しい。基本的に世界中の女の子みんなに優しいのに何故かサリアにだけは厳しいのである。

 まあ何故かと言うことに言及してやるのも野暮ってもんだろう。トゥリーも所詮小学生男子というわけだ。


「うぇーん。トゥリーにいじめられたー」


 好きな子に意地悪しちゃうというアレは、本当に良くない男のサガだと思う。普通に嫌われるし側から見ればバレバレなのにどうしても続けちゃうというものだ。


 まあ、サリアは全く気にしてないしトゥリーのそういう対応を面白がっている節があるのでもしかしたらワンチャンあるのかもしれない。一番弟子の初恋なのだから個人的には応援しているのである。



「トゥリーも年下の女の子相手なんだからもう少し優しくしてやれっていつも言ってるだろ。お前の冗談周りで聞いてても少し怖いんだよ」


 ちなむと、エディーは多分まだ恋愛感情とかがないのだろうが、若干サリアに肩入れしている節がある。

 お姉さんとしては微かな恋の香りを感じるのである。


「こいつはいいよ別に」


「トゥリーは私のことが大好きすぎて当たっちゃうんだもんねーっ」


「はぁ?」


「だからトゥリー、怖いってば」


 こいつらといるとやっぱり僕は年上なんだなぁという気になってくる。僕が仕切らないといけないって相当問題児だという自覚を持ってほしい。エノーラちゃんがここにいたらびっくり仰天、むはむは笑って失神してしまうだろう。


「いや3人ともめんどくさいから。4時間目は体育なんだからそろそろ移動しないと。遅れたらヨスナイア氏に怒られるよ」


 そういえば昔はトゥリーが僕のことをやれやれ言いながら引っ張るポジションだったのに気がつけば僕がやれやれポジションになっている。


「はーいっ!馬鹿な2人は置いといて2人で先行こ!」


 やれやれ…


 強引に手を繋いできて走り出すサリアに引っ張られ、僕はいつものように退屈な体育に向かうのである。

 後ろから「馬鹿はお前だろ」って声が聞こえたような気がしないでもないが、僕には可愛い愛弟子の手を振り払うことなんてできないのである。


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