第十二話 猫は泣くし歩くのである
僕が魔物の森に行きたいとお願いをしてみたのは3歳の誕生日だった。
勿論ノータイムで却下された。
とはいうものの、魔物の森に行くということ自体に関しては、それほど否定的なわけでもなかった。
パパは元ハンターだし、ママは(まだ詳しくは教えてもらってないが)僕が生まれる前に村を魔物に襲われた経験があるため、うちの家の魔物に対する危険意識は相当高いものだった。
実際に魔物の危険を知っている2人は、魔物について知らないままでいることの方が、魔物の森に行くことよりも危険なことだと考えていた。
ということで、連れて行ってもパパの行動に支障がでないまで成長したら連れて行ってくれるという約束をしたのだ。
連れて行ってもらえるのが『初等教育学校入学の丁度1年前』に決定したのは、僕の4歳の誕生日である。
4歳の誕生日プレゼントでは、その日まで鍛えておくようにという意味で、子供向けの短剣と杖を貰った。
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「にゃーー」
勘違いしないで欲しいのだが、僕が猫の鳴き真似をしたわけではない。
ねこを鳴かせているだけである。
「どうだ?魔物の森とはいっても入ってみたら普通の森だろ?」
「普通の森も入ったことないからわからないよ」
「それもそうか」
「でもまあ、普通って感じはするね。入った瞬間魔物が飛び出してくるかと思ってた」
「ははは!そんなことはありませんよ!魔物の森というのは、魔石や魔鋼や魔樹といった魔力を秘めたものが多いせいで魔物が住み着きやすいというだけの、ただの森ですから。
魔物に出逢いさえしなければレアな鉱石が多いだけの森ですよ」
「いやだからその頻度の話ですよ。もっと魔物がうじゃうじゃいるかと思ってたって話です」
「ほほう。興味深い話ですな」
「にゃーー」
ドルリッチ君は研究室に籠った変人なのでまともな会話ができないのだ。
人の話を聞いていたのか聞いていなかったのかもわからないし、自分の言っていることを理解しているのか理解していないのかもわからない。
もしかしたらドルリッチ君にとっての『興味深い話ですな』は、普通の人にとっての『お腹すいた』なんて可能性まである。
なので僕もパパも基本的には相手にしない。
ドルリッチ君は万が一の時に補助魔術をかけてくれればそれでいいのである。会話技術は求めていないのだ。
「でもやっぱり少なすぎない?魔物の森ってめちゃくちゃ危ないって聞いてたんだけど、これなら普通の森で熊に出会う確率の方が高そうだよ」
「いや、熊と魔物じゃ流石にレベルが違いすぎるぞ?」
「まあそれはそうとして、どこの森もこんなもんなの?」
「んー…あんまりこういうことを言うと油断すると思うから黙ってたんだが、ガポル村周辺の森はそれほど危険じゃないんだ。魔石も魔鋼もほとんどないし、魔樹だって大したレベルの魔力を秘めてない下等種なんだ」
やっぱりそうだよね。おかしいと思った。
「これだけ魔力が薄いと魔物にとってもそれほど住みやすいとはいえないし、あんまり繁殖もしないんだよ。住んでる魔物の種類自体も、魔力が薄いところでも生きていけるような雑魚種ばっかりだ」
「じゃあ三流レストランみたいなものだ」
「と、いいますと?」
「別に大した意味はないよ。量も質も低いねってこと」
「ははは!興味深い話ですな!」
「にゃーー」
いや、どこがどう興味深いのさ。
相手にしても意味はないとはわかっているのだが、どうしても気になってしまうものは気になってしまうのである。
一体何を考えているのだろうか?
そんなことを僕が考えていると、隣にいるパパが不思議そうな顔をしていた。
ドルリッチ君ではなく僕を見て不思議そうにしているのだ。何かおかしなことでも言っただろうか?
「……な、なぁ…アーニャ…ずっと気になってたことがあるんだけど………その猫はいったい何なんだ?」
「…え?」
何ってパパとママが僕の誕生日にくれたものじゃないか。
僕はめちゃくちゃ気に入ってて、一生大切にしようと思ってたのにパパはたった3、4年で忘れてしまったのか。
どうしよう。泣きそう。なんかすっごい悲しい。
「…ぱ、パパがくれたんだよ……?」
「い、いや、え!?あれ!?おれとトリシアがあげたのはぬいぐるみだったよな!?さっきから普通に歩いてついてくるし、にゃーにゃー泣くし、どういうことなんだ!?」
「ああ、なーんだ、びっくりした。 そりゃ動くしにゃーにゃー泣くよ。猫だもん」
なーんだ!良かったー!
パパにとってもねこは忘れてしまうようなどうでもいいものというわけではなかったのだ!
僕にくれたプレゼントのことを忘れてしまったわけではなかったのだ!
…いかん、今度は安心して泣きそうだ。
「え!?おれなんか変なこと言ったか!?ご、ごめんアーニャ泣かないでくれ、パパが悪かった!」
「や、だいじょうぶ。安心しただけ」
「ははは!アーニャ殿はロンド殿が錯乱したと思って焦っていたのですよ!猫が泣いたり歩いたりするのは当たり前じゃないですか!」
「!? え!?いや、え!?」
「歩いてるって別に魔導で歩かせてるだけだよ」
見たらわかるでしょ見たら。
いい年してぬいぐるみが歩くと思ってたの?イマジナリーフレンドとかいたりしないよね?
パパのことが心配になってくる。
「え!?アーニャ、おまえここまでずっと魔導でぬいぐるみを歩かせてたのか!?」
「? そうだよ?」
「お、おま!その繊細な動きをずっと!?俺らと喋りながら!?どういう脳みそをしてるんだ!?」
「えへへ、天才なもので。とはいっても訓練の賜物だよ。努力があってこそってやつだね」
「い、いやぁ…流石にこれは………ま、まじかアーニャ…。自分ではわかってないだろうが、とんでもないことだぞ…?」
「そんなにすごいこと?」
天才なのはわかっていたがそんなに難しいことだろうか?
別に自転車を運転しながら話をするとかその程度のレベルの難易度なんだが、逆に何がどうそこまで難しいのだろうか?
純粋に気になるのである。
「めちゃくちゃすごいことに決まってる!自分の体に触れてもいないものを目で見ることすらせずに操作するなんて言うのは普通の技術じゃない!それを他のことと並立してやるなんてのは、紛れもない天才だ!いや、そもそも家を出てからここまでずっと続けられる魔力量も馬鹿げてる!」
「まあ天才なのは知ってた」
なるほど。視界外で猫を動かすことなんて、僕にとっては片手間でできることなのだが、一般的にはとても難しいものということか。
なら、僕の脳のスペックが異常に高いとかそういうベクトルの話ではない。
僕からすれば何が難しいのかすらわからないし、これは得意不得意の話なのだ。
バスケの授業で友達に、どうして僕はシュートを外さないのか聞かれたことがある。
僕からすればゴミをゴミ箱に投げ入れることと、バスケットボールをリングに投げ入れることの何が違うのかよくわからなかった。
ただ、それが他の人にとっては全く違うものであり、後者は『真面目にやっても外すことがある程度には難しい』という事実の理解はできた。
要するにそういうことだ。
きっと猫を動かすことも、何かがなんか難しいのだろう。
僕はその手の能力が生まれながら優れていたからできるというだけの話だ。そんなに驚くような天才でもない。
魔力量についても、別にただ多いというだけの話だ。
体力があるとか、筋力があるとか、そういったレベルの話であって、異能でもなんでもない。
「別に、このくらいはある程度の天才ならできるよ」
「え、あー。まぁそう言われるとそうなのかもしれないが……とりあえず、音の魔術が使えるということよりも、その魔導の技術や魔力量の方がアーニャの才能だぞ」
「誰でもできることがちょっとうまいってだけの話だよ。音の魔術の方が奥が深いし気にいってるよアーニャは」
「にゃーー」
「!? そ、その泣いてるのは魔術なのか!? なぁ!?」
「いや、猫なんだから泣くのは普通では?ロンドさん大丈夫ですか?師匠に見てもらった方がいいのでは?」
「ドロリッチはややこしくなるから黙っててくれ!!」
「いや、ドルリッチ君が正しいよ。猫なんだから泣くよそりゃ。パパ大丈夫?」
「!? え!? あれ!?」
僕はいずれハンターになるつもりなのだ。
いくらパパ相手とは言えど、手の内を全て明かすわけにはいかない。
ドロリッチ君はまだ中学を卒業したばかりです。