閑話 ありがとな
少し過激な描写がありますので、苦手な方は飛ばしてください。
父は村の警護責任者であり、村長を兼ねていた。
私たちの住むガポル村は、村とは名ばかりの駐屯所のような場所であった。
住んでいる人なんて衛兵とその家族くらいのもので、言ってしまえば人里に魔物を入れないようにするための砦だ。
そんな理由があって、衛兵達をまとめる警護責任者が村長を兼任していた。
だからうちは恵まれた家庭だったと思う。
危険な場所ということもあって衛兵の給料は良いし、そこに役職ボーナスまでつく。
隣街の大商人達と比較しても、負けることなんてないほどに豊かな生活をしていた。
それに実は、危険なんてこともなかった。
村の3方向を魔物の森に囲まれているとはいっても、ガポル村ができてから200年、大規模な魔物の襲撃なんて一度もなかった。
ごく稀に、群れから逸れた鋭黒狼や、童悪鬼が門まで来ることがあったが、その程度の魔物ではガポル村の大門を越えることはできないので、衛兵の出る幕すらなかった。
だから衛兵達に実戦経験なんてほとんどなかったし、彼らの仕事は外壁の上に突っ立っているだけだった。
けど彼らだって、別に不真面目な人達だったわけではなかった。
200年も襲撃がない外壁の警護を、毎日毎日さぼらずに出勤していた。
夜の警備中だって寝ているなんてことはなかったし、むしろ真面目だったとまで言えるだろう。
ただ、本当にやることがないから突っ立っていただけなのだ。
警護責任者だって、能力は求められないのだから200年前から世襲されているものだった。
警護責任者兼村長の仕事は村長としての仕事だけだった。
いつのまにか、ガポル村が建てられたのは当時の領主が稀代の心配性だったからとまで言われていた。
それほどにガポル村は、いやパークス領は平和な地だった。
―いや、平和ボケした地だった。
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3方向が魔物の森に囲まれた地なんて、基本的には危険度が最高ランクに設定されているものだ。
ガポル村以外では、トールマリス王国南部フォンドタール領ゴルドゾルガ要塞なんてのがいい例だ。
あそこは人なんて1人も住んでいない完全な砦だ。
フォンドタール家の騎士団が常に警護体制を整え、定期的に金階級以上のハンターを森の中に派遣して、魔物の殲滅を行なっているらしい。
それでもなお、4年に一度は大規模な襲撃に遭い、痛ましい被害を出しているのだ。
いくら200年襲撃を受けていないとは言っても、ガポル村だって警戒はすべきだった。
そのくらいは普通の感覚ならわかる話なのだが、パークス領の平和ボケした人々にはわからなかった。
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天暦2526年12月17日20時15分
当時16歳だった私はいつも通りにお風呂から出てそろそろ寝ようとしている時間だった。
2個下と6個下の弟達は父と一緒にボードゲームで遊んでいたのを覚えている。
母がもうそろそろ寝なさいね、と言ってお風呂に入りに行こうとしたその瞬間だった。
私は生まれて初めてこの村に備えられている警鐘が鳴らされたのを聞いた。
最初なんの音か分からなかった。
やけに不安を煽る音で気味が悪かったので、なんの音か聞こうと父の方を見たときに理解した。
父は顔を真っ青にして戦闘の準備をしていた。
父は母に私達を連れて逃げるように言うと、急いで家から出て行った。
私は急いで大切なものをまとめようとしたが、母はそんな場合ではないと言って、何も持たないまま家から連れ出そうとしてきた。
どうしても友人とお揃いで買ってもらったドレスだけは持って行きたかったので、母の手を振り払い2回に上がってクローゼットから取り出してカバンにいれた。
私はこのことをずっと後悔している。
もしあの時母の言うことを聞いていたら、なんていうのは毎日毎日毎日毎日考えてしまう。
私が不必要な荷物を持ち抱えて家を出る頃には既に、村は地獄絵図となっていた。
扉を開けた瞬間に、生ゴミを燃やしたような匂いが襲ってきた。
逃げ惑う人々の悲鳴と、助けを求める人の絶叫が響き渡り、それを魔物達がニタニタと笑うのが、燃え盛る家のせいでよく見えた。
見たこともない魔物というわけではなかった。
種類は、学校の授業で狩に行くような鋭黒狼や咆泡鳥といった弱い魔物だった。
ただその量は凄まじいものだった。
授業のときは、群れから逸れた一匹を4人1班で狩っていたのだが、家の外にはすでに10匹以上の魔物がいたのだ。
理解が追いつかなかった。
どうすれば良いのかもわからなかった。
母の叫び声が聞こえた。弟が私の手を引いてくれた。下の弟の悲鳴が聞こえた。視界の端で弟の足がちぎれ飛ぶのを見た。母の叫び声が聞こえて、すぐに悲鳴に変わった。
それでも私はまだ状況が理解できなかった。
弟が私の手をずっと引っ張ってくれていた。
私はそのあと、私の友人が3匹の鋭黒狼に食べられているところを見てやっと状況を理解した。
すでに人の形なんてほとんど残っていなかった。
綺麗だったホワイトブロンドの髪は赤黒く染まり、あたりに散らばっていたし、シミひとつない真っ白だった肌は少し離れたところに落ちた足首にしか残っていなかった。
あんなに細かった体のどこに入っていたんだろうと疑問に思ってしまうほどの量の内臓は3方向に引っ張り出されていた。
私がそれを彼女だと理解できたのは、剥き出しになった頭蓋骨の片側に残った紺碧の瞳と、彼女の鞄からはみ出た私とお揃いのドレスのおかげだった。
私は泣き叫んだ。
悔しくて悲しくて、それでもやっぱりどうしてこうなったかなんてのは理解できなくて。
だけれども、状況自体は理解できたから弟と一緒に走った。
そんな私たちの前に待っていたのは見たこともない魔物だった。
羊のような頭に人の体、背丈は2mを超え、片手には真っ赤に染まった大剣を持っていた。
私は私も死ぬのかと思った。
母と弟を殺した私は地獄に行くのかな?なんてことを考えて、気を失った。
―――
目が覚めると病院のベットの上だった。
私は助かったのだ。
かすり傷と火傷くらいしかしないで。
病院のどこにも父も弟もいなかった。
村を救ってくれた金階級のハンターの人に聞いても、助かった人は病院の人で全部だと言っていた。
結局私は家族を皆殺しにして、自分だけ助かった。
安全なんてものはどこにもありません。
200年平和だったからといっても、今日も平和かなんて誰にもわかりません。
だからどうか、常に警戒を、注意を怠らないでください。
ガポル村の生き残りはこの記憶を絶やさないでください。
私はもう。心が折れてしまいました。
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昼食を食べ終え、持ち場に戻ろうとした直前に、セドルドが白い封筒に入った手紙を渡してきた。
封筒にはカディナ・ハレアと書かれている。
「精神病院にいたカディナ嬢が首を切ったそうだ」
「…そうか。 彼女は特に…心を痛めていたからな…」
「ああ。それでこの遺書をお前に渡してほしいと、ナロードに言われた」
おれはセドルドから封筒を受け取る。
よく見てみると、カディナ・ハレアと書かれた文字は震えている。
それが死への恐怖なのか、あの痛ましい事件への悲しみなのか、あるいは怒りなのか、おれにはわからない。
「……これを、読んだらどうすればいい?」
「それはお前が決めればいい。
…いや、お前にしか決める資格はない」
「…そうだな…」
「…あまり気にしすぎるなよ。無責任な発言なのはわかっているが、俺はお前の指示が間違っていたとは思わない。あの場であれだけの命が救えたのはお前のおかげだ。カラもトゥリーもアーニャちゃんもラファちゃんもお前がいたから救えた命だ」
「…それでも…村を襲ったのは大したことない魔物達だった…おれらなら、いやおれの指示さえしっかりできていれば…とは思ってしまう。きっと死ぬまでずっと…」
そう。大したことない魔物だった。
群れのボスと思われる羊巨兵だって銀階級のハンターで倒せるような魔物だ。
金階級のおれらがいて、あれほど被害を出すようなものではなかった。
「…いやそれは違う。お前はよくやったよ。はじめての大人数への指揮、それも実戦経験もまともにない連中。そもそも俺らが村に来れたのは、お前の勘のおかげだったんだ。お前がいなかったら生存者は0だ。誰もお前を責めやしない」
「…あぁ。お前がそう言ってくれるからおれは自分のことを責め続けられる。 ありがとないつも」
「…意味がわからん。…さて仕事に戻るぞ。二度と悲劇を繰り返さないためにな」
本当に理解できていないのか照れ隠しなのかはいつもわからないが、いつものようにセドルドは顔を逸らしてしまう。
カラとトリシアの父は2人とも衛兵でしたので、この事件で亡くなっています。
母は2人ともトラウマでガポル村に入ることができず、ロンドとセドルドは立場上ガポル村からあまり離れられないので、トゥリーやアーニャが祖母に会うことはありません。