第百一話 力魔術部遠征④
日没から数時間が経過。
人里とは対照的に、魔物の森は夜行性の魔物どもが活動を開始し、日中よりも賑やかになる。
僕が休む番ということなので、2人に警備と道具作りを任せ、1人テントの中で横になる。
森に潜むモスグリーンのテントの中は真っ暗で、どことなく不気味な空気である。ついでに汗臭くて不愉快な空気である。
テントの外には焚き火を囲んで狩の道具を作る2人がいるのだが、遮光性の高いこのテントの中では、2人の存在が消えてしまったように感じる。
僕は気にしないが、あまり休む側の人間を1人にするのは良くないだろう。シャローナ先輩のような女性は不安に駆られ、逆に休息にならないかもしれない。
硬い枕に頭を乗せ、とりあえず目を瞑る。
お腹を冷やしてはいけないのでブランケットを腹にかけるが、テントの中は非常に蒸し暑く、寝そべっているだけでも汗をかくほどである。
今日一日、目標に向けて進んだ手応えはない。
作っている道具も役に立つかはわからないし、この後罠を置きに行くまで本当に設置できるかもわからない。
沼に降りたところで僕の索敵がどれほど役に立つかもわからないし、見つけたところで捕まえられるかもわからない。
部活の旅行だからそこまで不安はないが、これを生きるための仕事にしている人達はすごいと改めて感心する。
望んだ成果が得られるかもわからないのに、命の危険のある場所へ赴くというのは正気の沙汰ではない。
それにまずい飯も、硬い寝床も、汚い森も、現代人が生活する上ではストレスが溜まりすぎる環境だ。
人間の三大欲求は『食欲、睡眠欲、性欲』らしいが、そのうちの2つのクオリティが大幅に落ちるのだ。快適な生活をしてきた人間からすると、単純に『食べられる、眠れる』では欲求が満たされないのである。
現状性欲に関しての問題は感じないが、2週間に及ぶ長期間の遠征とかになれば話は変わってくるだろう。
つまり、ハンターとして生きていくためには三大欲求の全てが制限されることとなるわけである。ハンターは人間であって人間ではないのだ。
僕が高校に入り、本格的にハンター活動を始めることとなったらどういうメンバーを集めようか。
理想は理想なので好き勝手に希望を考えると、まずスノウ・カルモンテは必須である。
何はなくともカルモンテ
冷房暖房、シャワーにトイレ
除湿機、照明、食洗機
洗濯、乾燥、カルモンテ
彼女1人で全てが足りる
ビジュアル担当なんのその
財政面もお手のもの
一家に一台カルモンテ
って感じである。
とにかくスノウ・カルモンテさえいれば、僕のハンターライフは一気に快適なものへと変わる。
だって彼女さえいればどこにいても家にいるのと同じくらいの快適なはずなのだ。なんなら家より快適かもしれない。
スノウ・カルモンテを確保できれば、あとは索敵もできる強力な前衛。ナンパ避けにもなる屈強な男が望ましい。
僕は後ろからついて周り、戦闘要員としては単純な後衛アタッカーあたりに就職できると嬉しい。僕1人では尻込みするような魔物の森だって、このパーティでなら悠々と駆け抜けられるだろう。
――とは思うが、まあ理想は理想。
ぶっちゃけスノウ・カルモンテを確保するのは無理な話だし、パーティメンバー2人かけて彼女の役割を果たしてもらう形になるのが実現可能なラインの限界だろう。
快適なテントと風呂トイレくらいが手に入れば御の字だ。食事は諦めるしかないのである。
索敵や前衛は僕が務めることになっても致し方あるまい。
強力な魔物相手に前衛を務められるかには不安があるが、いざという場合の切り札はあるし、なんとかなるにはなるだろう。
まあそんなことはさておき、今大事なのはこの遠征のことである。僕の休息を終えたらいよいよ狩りに出るわけだし、ちょっとは気を引き締めないといけない。
そのためにもとりあえず少し眠るとしよう。
本業のハンター達は睡眠が取れなくても問題ないのかもしれないが、中学生の僕じゃそうはいかない。少ない時間になったとしても睡眠は必要なのである。
地図を思い出して罠をおく場所の目星をつける。
考えている間に自然と眠りにつけるはずである。
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溜水の森の木々は常に湿り、苔むしているため滑りやすい。
樹上を歩いている時や、沼まで降りる時も大変なのだが、最も苦労をするのは再び樹上に戻る時である。
溜水の森に生えている馬鹿でかい魔樹は、水上7〜8mほどまでが根であり、幹から広がったあとはほぼ垂直に水中へと伸びている。
それらの直径は細いものでも1m近くあるため、掴んで登ることも難しい。
つまり何かしらかの準備をしておかなければ樹を登ることは不可能に近い。
そのため、市販の地図には道具なしで登れる場所が紹介されていたりもする。だが、それらの場所は森の中心部から大きく離れているため、本当に最終手段といった感じである。
今回僕たちはベースキャンプ付近の太い根にペグを打ち込み、蔦で作った頑丈なロープを括りつけておいた。
僕やレノはロープをつたって登ることができるし、シャローナ先輩が登れなかったとしても、ロープを掴んでいて貰えば引き上げることができる。
このロープは降る時にも役に立つ。
滑り台のように滑り落ちるのでは、どこかに引っ掛けて服を切ってしまう可能性が高いし、着水のタイミングで体を痛める可能性もある。
なので、ロープを掴みながら根に足をかけて降りるのである。
ロープの設置を終え、作ったすべての道具を持ち、出発地点に3人で並ぶ。
作った道具は結構な量になったため、テントや食料を入れていた大きなリュックがパンパンである。リュックに入らない籠などは力魔術で浮かせて運ぶのである。
「これで準備完了ですね。いよいよ出発になりますが、2人とも忘れ物とかありませんね?」
「うん。私は大丈夫」
「一個思ったんだが、その辺に他のハンター達が作ったロープがぶら下がってるし、わざわざ自分達で作らなくても良かったんじゃないか?」
今は暗くて見えないが、日中見た限り周辺の頑丈そうな根には大体ロープがぶら下がっていた。
多くのハンター達はペグを引き抜く労力の方がペグ一本の価値より重いと感じるため、そのまま森に捨てていくのだろう。
確かにレノの言うように先人のロープを使えば手間は省けたかもしれない。だが、そうしてはならない理由は明確にあるのである。
「せっかくだからどうして私がそうしなかったかを考えてみてよ」
「んー…そうだな、これが部活の遠征だからじゃないか?」
「と、いうと?」
「何事も自分達でやるから意味があるって感じか。あと…そうだ。安全のためか?誰か悪人が仕掛けた罠の可能性を考慮してとか」
「おーほとんど正解。別に悪人が仕掛けた罠とは思ってないけど、どこの誰がいつ作ったかもわからないロープを頼りにするのは不安でしょ?だったら大した手間でもないんだし、自分達で作ったばかりのロープを使いたいじゃん」
まあ実際、その辺にあるロープを使ってもほぼ問題はないだろうと思う。だがその『ほぼ』や『だろう』という感覚は魔物の森では捨てた方が良いものである。特に中学生の遠足というのであれば尚更だ。
仮眠をとって思考回路が完全に真面目モードへと切り替わった僕が不覚を取ることなどあり得ない。
松明は力魔術で宙に浮かせ、両手はしっかりとロープに使う。
自分達の手で作っただけあって全幅の信頼を置くことができる。ロープを掴む手が切れてしまわないよう、魔導で掌を強化をすれば降りる準備は完璧である。
幹の方にへそをむけ、右足から下に降ろす。
体重をかけるとすぐに滑りそうになったが、再びロープに体重を戻せば問題なし。
「足は根に添えるだけのイメージの方が良さそうです。あくまでも基本はロープをつたって降りる形です」
僕が感じたものをもとに2人へアドバイスをして、左足も降ろす。
根の傾斜はほとんど直角。
どれだけ気をつけても、全員が最後まで滑らずに降りきるというのは無理そうである。
なのでできる限り水面に近いところまで、慎重に降りていく。
宙に浮かせた松明だけでは心許ないため、音魔術を使って地形を把握する。
水面までの距離は残り1m弱。
思ったよりもずっと簡単に降りることができた。
次の問題は水深。
説明通りなら股下あたりまでらしい。
浅いとは言うが、それなりの深さである。
あと一歩で水面。
ここまできたらロープを持つ手を緩めて、滑るように降りるとしよう。
「……ぁぁ」
根を滑るように降りたため、ほとんど音を立てずに着水することができたのはいいのだが、着水した感覚は最悪である。
見るまでもなくきったない泥水。
澄んだ水に入るのとは明らかに違う。この前入った海とは全く別の感覚。
そして水深は話に聞いた通り股下ほどまでだが、底が泥みたいになっているため、着地すると足の甲が埋まるくらいまで沈む。ヘドロに包まれて気分は最悪である。
さらに、入った瞬間少し大きな魚がふくらはぎにぶつかった。魔力で強化してるとはいえ素足に魚がぶつかってくる感覚そのものが悍ましい。
要するに早く樹上に帰りたいのである。
「無事着水しました。下で待っていますのでシャローナ先輩から安心して降りてきてください。レノは一時的に1人になるから周辺の注意を怠らないようにね」
だが、今の僕は班のリーダー。
どうでもいいことに気を取られてはいけないのである。
沼に入ったことで樹上と比較すると遥かに高精度で索敵ができる。足の周辺2m以内であれば見落とすことはないだろう。
そしてその索敵によると、僕の周囲にいた魚どもは一気に散り散りに消えていった。おそらく僕の索敵で出した音魔術と、急に現れた大きな生き物に警戒をしているのだろう。
これは大ピンチである。
奴らは僕が索敵してしまうと逃げていく。
でも索敵しないと何も見えない。
つまり、沼の上にいた時から状況が何一つとして好転していないのである。
「ひゃぁ!」
「うげへっ!」
足を滑らせたシャローナ先輩が落下してきた。
両腕でしっかりキャッチすることに成功はしたが、他のことに気を回していたため少し辺な声を出してしまった。
どうでもいいことに気は取られなかったが、どうでもよくないことには大いに気を取られてしまった。しょうがないのである。
ただどちらも不測の事態だったはずなのに、僕とシャローナ先輩の悲鳴にあまりにも大きな差があった。シャローナ先輩の方はわざと滑ったんじゃないかと言うほどに可愛らしい悲鳴だったのである。
「ご、ごめんアーニャ。ありがとう…」
「いえいえ、こういう時のために先に降りていたんですから。先輩に怪我がなくて良かったです」
衝撃でほんの少しだけ埋まった足を引き上げ、シャローナ先輩をゆっくりと沼に降ろす。
「レノ、降りてきていいよ」
樹上にいるレノに声をかけレノの落下に備える。
なんで僕が男をお姫様抱っこする準備をするんだと少しばかりの不満はあるが、これもリーダーの務めなのである。
「ゔぁあっっ!?」
「うげへっ!!?」
レノ、まさかの一歩目での落下。
シャローナ先輩の時とは比較にならない衝撃が僕の両腕に襲いかかったせいで、結局ひどい悲鳴をあげてしまった。
このバカの両手は何をしていたというんだ。
ロープを作った意味が全くないのである。
なんとか尻餅をついたりすることなく受け止めることはできたが普通にびっくりした。
5,6m上からレノが落ちてきたのだ。僕じゃなかったら肩が外れててもおかしくなかったのである。
「す、すまんアーニャ」
「……まあいいよ。こういう時のために私が最初に降りたんだからね…」
レノに気を遣ってというよりかは、自分自身に言い聞かせるためにつぶやく。
投げ捨てたい気持ちを抑えて、レノをゆっくりと沼に降ろす。まあとりあえずこれで全員降下完了である。
「よし、それじゃあ罠の設置を始めようか」
「アーニャの索敵はどう?毒膜魚は見つけられそう?」
「いろいろと理由は省きますが索敵で毒膜魚を見つけることは難しそうです。でも毒膜魚の市場価格から考えてもそんなにレアな魔物じゃないですし、数匹なら捕まえられると思います」
「索敵が無理だと罠だけでってことか?こう言っちゃあれだが、そんなに出来のいい罠じゃないと思うんだが」
「索敵なしでもいずれ向こうから来るんじゃないかな。足に噛みついてきたところを捕まえればいいよ」
「噛みつかれるのか…。足は常に魔力で覆っておいた方が良さそうだな」
「当たり前だよ。強化なしで歩いてたら針魚が飛んでくるだけでも大怪我するからね」
「索敵は全く使えないの?」
「使ったら逃げられそうって感じですね。泥沼に住んでいることもあって、振動にはみんな敏感なようです」
ここに住んでいる魚どもは視覚や嗅覚に頼れない分、常に僕の索敵のようなもので周囲を把握しているのだろう。
僕にとって溜水の森は、下手に強力な魔物の森より狩が難しい環境なのである。
「じゃあ歩いて探すしかないか。とりあえず決めた位置に罠を置きながら、見つかったらラッキーって感じってことだな。思っていたより歩きにくいし、罠を置くだけでも2,3時間はかかりそうだ」
「罠を置いて帰ってきたら初日の狩りは終わってもいいかもね」
「そうなると日中は暇になるのか?」
「本当は明日の日中罠を仕掛けてもいいくらいのスケジュール感覚だったからね。シャローナ先輩とレノが頑張ってくれたおかげで今晩からこんなしっかり行動できたわけだし、明日の日中は休憩でも大丈夫だよ」
「休憩って言ってもやることもなくないか?」
「うーん、まあそれはその時考えよう。とりあえず罠を設置することだけを考えて」
「了解」
最初の目的地に向かって歩き始める。
レノは日中暇だなんて言っていたが、おそらく我々3人とも日中は眠りこけることになるだろう。
泥水が重たく、足場は悪く、気温は高いのに水温は低いというこの環境。
それに加え、初めて歩く魔物の森でこの視界の悪さ。
精神的な側面からも体力はどんどんと削られていく。
暗闇というのは本能的な恐怖が煽られる。
取るに足らない魔物の森とはいえど、暗闇の中だと何が起こるかわからないという恐怖が拭えない。
それこそ、僕は溜水の森よりももっと安全なはずの森で、魔人であるピスケスと遭遇したことがあるのだ。絶対に安全だと断言できる場所などこの世にはどこにもないのである。
地図上で見ればほんの僅かな距離である最初の目的地までに随分と時間がかかっているように感じる。
索敵ができない上に、虫の声や木々のざわめきのせいで音もろくに聞こえない。
定期的に振り返らないと、2人が無事着いてきているかも不安である。
振り返れば松明の明かりが2つ。
耳を澄ますと僅かにシャローナ先輩の息遣いが聞こえてくる。普段と比べると明らかに緊張していることがわかる。
2人の無事にほっとひと息をつき、再び前を向いて歩みを進める。
「ここだね」
真後ろからシャローナ先輩の声が聞こえる。
ようやくひとつ目の目的地。
地図によると他の場所より水深が深いため、毒膜魚を捕まえられる可能性が高いポイントである。
すでに水面はへその上まできている。罠の設置ポイントだと肩まで届きそうだ。
ここからポイントまでは僕1人で向かう。
僕は方向音痴なので地図がないと迷いがちだが、真っ直ぐ進むだけであれば流石に迷うことはない。
地図はシャローナ先輩が持っている。
僕とて街中であれば地図を読むことはできるのだが、この暗闇の森の中だとそうはいかない。
方向音痴の僕は見える景色と地図を見比べて地図を読んでいるのだ。こんなどこに何があるかわからないし、見えても全部同じ景色の場所ではどうしようもないのである。
「2人はここで待っていてください。周辺への注意は怠らずに」
今の所、魚どもがちょいちょい噛みついてくる以外には魔物と遭遇していない。
まあこの森でそれ以上のことは基本的に起こらないはずだ。
だが警戒は続けなければならない。
それがリーダーとしての務めだ。
ゆっくり足を進めていくが、さすがにここまで深くなってくると歩行に要する体力が馬鹿にならなくなってくる。
汚れることなど割り切って泳ぐ方が速いだろう。
仕方なく地面から足を離し平泳ぎをする。
あまりカッコ良くはないがそんなことは言ってられない。
ちょくちょく顔にも水がかかるが、もうあまり気にならなくなってきた。臭いも汚れも気にならないほど、すでに身にまとわりついている。
ただ体が冷えてきたことは致命的な問題だ。
溜水の森は日当たりが悪いせいで、気温に比べて水温が極端に低い。さっさと罠の設置を終えて陸上に戻らないと低体温でダメになってしまう。
今から罠を仕掛けるのは2箇所。
正面に見える木と、そこから少し左に進んだ木。
ひとつ目の木の側に立つと、予想通り肩下まで水がきている。背負ったリュックまで水中に埋まってしまった。
リュックを体の前に運び、中からペグを取り出す。
罠を水中に投げ、それに結んであるロープをペグで根に打ちつける。
簡単な作業だが、リュックのファスナーを閉じて背負い直し、もう一方の木に移動して同じ作業をすると思うと少し面倒くさく感じる。
――いや、面倒くさいというより、早く2人の元に帰りたいという焦りだろうか。この暗闇の中1人で作業するという時間が思ったよりもキツイのだ。
殺人鬼や魔人を目の前にしている時の方が精神的には余裕があったように思う。それほどまでに暗闇という環境は精神に負担がかかる。
もしかすると水中というのも影響しているかもしれない。
普段通りに動けない、そして僕が日常的に使っている索敵も使えない。周りがどうなっているかがわからない上に、もしもの時に完璧に対応できるかがわからない。
どうにも僕はこの状況に参ってしまったようだ。
このやけに冷静に自己分析を続ける頭も、恐怖を紛らわせるための反応なのだろう。
理性的な思考を回すことで、本能的な恐怖から逃れようとしている。
「やっぱり山の方がよかったなぁ…」
山ならこんなことにはならなかった。
遠くから索敵をして、目的の魔物に会いにいくだけ。
歩いてもよし、走ってもよし。
体温が奪われる心配もないし、そもそも罠を仕掛けるなんて面倒なことをする必要もない。
だったらこんな風に1人で行動する必要もない。
――私だって好きで単独行動をしてるんじゃない。
シャローナ先輩とレノの体力を少しでも温存するためには、私が1人で行く必要があったからそうしただけ。
「普通に寒いし、普通に怖いし、なんだったらこういうのって男子の仕事じゃないの?そりゃリーダーは私だし、私が女子かどうかも微妙だけど…レノが率先して行ってくれてもよくない?」
ダメだ。
泣き言をひとつこぼすと止まらなくなる。帰る前に切り替えなくては。
僕が冷静なリーダーを務めないと2人まで不安になってしまう。2人が普段通り冷静でいられるのは、僕という絶対的な強者がリーダーを務めているからなのだ。
寒さと恐怖で震える体を無理矢理抑える。
若干涙が出たけど、これだけ暗ければバレることはないだろう。
作業自体は罠を投げてペグを刺すだけ。
2つ目の罠の設置も完了したので、2人の元に帰るとしよう。
「おっけー!無事設置完了!」
火が消えない程度の速度で松明を回し、OKの合図として丸を描く。
2人に聞こえるように少し大きな声で報告したが、急にハイテンション過ぎて変に思われていないだろうか。
向こうに見える2つの明かりが丸を描いている。
2人が僕の真似をしてくれているようだ。
遠くから見ると松明が手持ち花火のようでおかしくなってきた。
いったい僕は何に怯えていたというんだろうか。
よくよく考えると田舎の川辺で花火をしているくらいのもんじゃないか。
泳ぎながら松明で空中に自分の名前を書く。
「?なんて書いてあるかわからねえよ」
「え…と、なんだろ。あ、あー?ぬ?な?」
2人の困惑した声が聞こえてくる。
早くなっていた呼吸が元に戻ってきた。
2人の元に戻り、足をつけると水面はへそまで下がった。上半身が完全に水上に出たことでさらに一安心したのである。
「ただいま戻りました」
「ありがとう。松明でなんて書いてたの?」
「ああ、暇だったから名前を書いてただけですよ」
「なんだ、なんか重要な連絡かと思ったのに」
「…別にそんなんじゃないよ」
呆れたように肩をすくめるレノに一瞬カチンときたが、冷静に抑える。
シャローナ先輩の最初の言葉は『ありがとう』だったのに、このバカの最初の言葉は『なんだ』である。
僕が罠を置いてから戻ってくるまでの間に精神的に立て直したからよかったものの、さっきまでの精神状態の僕だったらヒステリーを起こして泣き出しててもおかしくなかった。
やっぱりレノとドミンドみたいな典型的な男子中学生はどうしようもない馬鹿野郎である。
「よし、それじゃあ次のポイントに向かいましょうか。あんまり時間をかけても体力が心配ですし」
2人に声をかけ、次のポイントへ向かう。
次のポイントもまた水深が周りよりも深い場所。
もう一度単独行動になるが、多分もうさっきみたいにはならないはずである。
多分。
わかんないけど。
松明に照らされる景色はさっきまでと全く変わらないように見えるが、心に余裕ができたおかげで受ける印象は大きく異なる。
未開の地に進む探検隊のような気持ちで足を運べば、気分は藤岡弓ムである。
これから我々は、誰も足を踏み入れたことのない秘境へと進むのである。
「アーニャ、逆だよ。次のポイントはあっち」
「あ、ごめんなさい」
…やっぱり少しだけ不安なのである。