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僕は完璧でありたいのである  作者: いとう
第三章 ナスフォ街の天才美少女
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第九十七話 我が家での夏なのである




 夏休みとてずっと休んでいられるわけではない。


 部活や宿題、時には家の大掃除なんかをしてみたり。

 自己責任ではあるが、家にいる時間のほとんどはそれらで終わるのである。


 夏休みの課題は質より量といった感じである。

 渡された分厚いプリントからは、自分達には仕事があるのに生徒達だけ休んでいるのは癪だ、という先生の意地汚さが滲み出ている。


 そんなわけで僕でもすぐに終わらせることはできない。ある程度計画的に処理していかなければ間に合わないほどの量なのである。

 サボってしまっても構わないといえばそうなのだが、クロハの面倒を見てあげているということもあり、僕がサボるわけにはいかなくなったのだ。


 まあ課題をやらなければならなくなった理由はクロハだけではない。僕も先輩という立場になり、後輩たちの模範となる行動を心がけなければいけなくなったのだ。


 そういった振る舞いをすることは大した苦痛ではない。

 勿論式典に出るだとか、面倒くさいことは数えきれないほどあるが、今まではサボってもいい立場だったからそうしていたにすぎない。

 立場が変わり、自らが必要であると認識したことなら、その程度の面倒は取るに足らない事象である。



 まあそんな意識改革を経て、僕は今も真面目に宿題に取り組んでいるわけである。


 生活リズムが崩れないよう、学校がある時同様7時前には起きて朝食を取り、1時間目の始まる8時半まではママとお喋りをしたり、本でも読みながらゆっくりと過ごす。

 8時半から11時までみっちりと課題をしたら、ママと一緒に昼ごはんを作り、12時から14時までは昼食兼昼休憩。

 午後は14時から17時まで課題をしたら、今度は夜ごはんを作る。日によって細かい時間は変わるが18時ごろにパパが帰ってくるので、それに合わせて夕食を取るわけである。


 その後はお風呂に入ったりダラダラと過ごすわけだが、僕は1日のうち6時間も課題をしているのだ。僕ほどの優秀な人物でもそれだけのことを要求される。


 まあ遊び回っている弊害というのは確実にある。

 だがそれにしてもふざけた量だ。流石に1組と2組では量が変わるだろうが、1組の中にも勉強が得意ではない子はいる。そういった子達には遊んでいられる時間なんてほとんどないだろう。


 夏休みというのは学校という施設が休んでいるだけで、教師も生徒もそれほど休めないわけである。



 現在時刻はおおよそ16時半。

 そろそろ午後の課題の時間も終わりである。


 夏以外の季節だと、この時間にはママが家中のカーテンを閉めて電気をつけ出す頃だが、8月の17時前はまだまだ明るい。正面に座るママは取り込んだ洗濯物にアイロンをかけている。


 僕はせっかく家にいられるという利点を活かして、なるべく多くの時間をママと過ごすようにしている。だから課題も自分の部屋ではなくリビングでしているのだ。

 ラファが家を出てからというもの、家の中で1人でいるとなんとなく寂しくなる。もう少しでこの家ともお別れなのかと思うと、誰かといたくなるのだ。


 アイロンをかけるママの顔は昔から変わっていないようにも見える。だが僕がこのトリシア・ハレアと出会ってからはすでに14年が経過している。毎日見ているからわからないだけで、やっぱり歳はとっているのだろう。


 今年の3月でママは30になった。

 こっちの世界の常識で考えても若いママではあるが、それでも僕が生まれた時に感じた『少女』という印象は受け取れない。

 そう考えるとやっぱりママも歳はとった。


「人の顔じっと見てどうしたの?」


「歳とったなーって」


「…え、うそ?ママそんなにおばさんになった…?」


「んー…お姉さんになったかな」


「やっぱりもう30だもんね…自分ではそんなに老けてないかと思ってたけど…はぁ…」


 ママはアイロンをおき、両手で頬杖をついてため息をつく。その仕草も相まって、ついさっきの自分の発言を見つめ直すほどに幼く見える。

 老けたなんて僕も思っていないし、本当に『お姉さんになったな』と思っていたのだが、ママには失言を取り繕おうとした娘に見えたのだろう。


「ごめんごめんアーニャの言い方が悪かったよ。本当におばさんになんて見えないって。10代って言っても通じるよ。パパなんかはもうおじさんって感じだけどね」


「…本当?なんかこういうのって自分ではわからないからすごく不安ね」


「本当に老けたら自分でわかるって。シワとかシミとか出てくるでしょ?知らないけど」


「シワとかシミとかはまだないけど…でも洗濯物を運んでて腰が痛いなって思うこととかは増えたし、やっぱり少しずつおばさんになっててるわよね…」


「えー?30で体の衰えは言い訳じゃない?今日からアーニャと少しずつ運動する?」


「え〜、いやよ〜。ママは体動かすのが1番嫌いなんだもん」


「そんなこと言ってたらおばさんになっちゃうよ?」


「え〜?う〜ん…まあとりあえずあと少し課題をやっちゃいなさい。ママもアイロンかけちゃうから」


「はーい」


 手元を見ればクソつまらない課題がまだまだ山積みだ。


 1人あたりこの量が出されている課題を教師が完璧にチェックしきれるとも思えないのだが、見られていないからサボるというのは違う。むしろ人に見られない部分こそしっかりするべきだと、昔どっかで会った誰かが言っていた。


 今やっているのは歴史の課題。

 歴史とかいう暗記科目の課題ってなんだよって感じではあるが、意味もなく書き写しを要求してくるのだ。

 暗記してこいなら夏休み明けにテストをすればいいだけの話なのに、こんな意味のない資源の無駄遣いをやらせるあたり、やっぱりこれは生徒だけを休ませたくない教師どもの作戦だと断言できる。


 基本的にこういった作業系の課題が多い。

 ひたすらにペンを動かし、とりあえず決められた通りに紙を埋める。その間考えることも特にないので、力魔術で落書きしたりもしている。利き手と同じような作業精度になるにはまだまだ時間を要するのである。


 そもそも、僕は絵や字が得意な方ではなかった。


 不得意でもないのだが、センスがないので字なんかは一般的に綺麗と言われる人の字体を丸暗記したのだ。

 絵だっていろんなものを見てそれらしく描けるように練習しただけのこと。


 僕は芸術面において0から1を生み出す才能もないし、1を100にする才能もない。あるのは80をそのままコピーする能力だけである。


 そしてそれを出力するペースも早い方ではない。

 作業速度が遅いわけでもないが筆が早いわけではないため、字を書くのにも絵を描くのにもそれ相応の時間がかかる。殴り書きをしているドミンドとか(バカども)と比べると課題の処理効率は大幅に悪い。


 つまり作業系課題は僕の天敵なのだ。

 サボるなら関係ないのだが、提出するとなると僕の性格上それが汚いのは許せないため、無駄に丁寧に仕上げてしまう。

 それが僕をここまで苦しめている原因なのである。



 おおよそ終わる時間は17時と決めているが、終わらせるタイミングは時間ではなく、課題のキリの良さで決める。


 たった今1枚のプリントが埋め終わったとこで、時刻は16時55分。

 5分で終わらせられるものは何もないし、今日はここまでなのである。


「おわりー。畳んであるのしまっちゃうね」


「お疲れ様。ママももう終わるし、疲れてたら休んでてもいいから」


 立ち上がって3つの山に分けられた洗濯物のうち2つを持つ。持ったのは僕とママの分。パパのは後数枚アイロンをかけている途中なので置いていくのである。別に父親のを触りたくないとかいう反抗期ではない。冗談ではなく本当に。


 洗濯についてもそうだ。

 僕はパパのと一緒に洗濯されても構わないタイプの娘である。


 ただ、パパと一緒に洗濯されるのは本当に構わないのだが、仕事でめちゃくちゃ汚れたり、汗だくになった服と僕の服を一緒に洗濯されるのは嫌だ。

 それはなんか、ほら、こう、僕が息子だろうが娘だろうが変わらない話だろう。


 だが、そう言ってからというもの、ママは僕とラファの服とパパの服を分けて洗うようになった。まあどうせ一気に4人分は洗えないし、娘たちと両親で分けるのは合理的な話である。

 でも僕は思春期の娘扱いされてるのがすごく気にいらない。そういうわけじゃないのに、そういう風に思われるのがすっごく気に入らない。


 かと言ってパパの汗まみれの服とまとめて洗濯されるのは嫌だから何も言わないでおいてある。


 それはそれ、これはこれなのだ。


 両手を上に伸ばし、固まった全身をほぐす。

 体の色んなところから軽い音が出るのが気持ちいい。指の関節を鳴らすのが好きな人ならよくわかってくれるだろう。


「んーーー…ずっと座ってて肩も腰も痛いから、歩くくらいが丁度いいよ」


「じゃあお願いね。今日の夜ご飯は簡単なものだし、クローゼットに洗濯物をしまったら部屋で休んできてもいいからね」


「いいよ、部屋にいてもやることないし。なんかお菓子でも作ろうかな」


「流石にお菓子を作るほどの時間はないわよ。キッチンはひとつしかないんだから」


「…じゃあ肩でも揉んであげるよ」


「急にどうしたの?もしかして…私がおばさんになったから?」


「根に持たないでよ。本当にママがおばさんだなんて思ってないから。せっかく家にいる間くらい親孝行しようと思っただけ。明後日からは部活の遠征だしね」


 2階にあるそれぞれの部屋へ僕とママの洗濯物を運ぶ。

 最近はタイミングが合わずやらないことが多かったが、洗濯物をしまうのは僕がよくやるお手伝いのひとつなのだ。


 階段を登り、それぞれの部屋に行くまでにしまう棚ごとに衣類を分類する。両手に加えて力魔術まである僕は、こういった作業を歩きながらでも行えるのだ。



 年齢の話になったこともあって、なんとなくママの服をまじまじと見る。


 おとなしい色で、飾り気の少ないシンプルな服ばかり。ある意味オシャレと捉えることもできるが、一般的には少しおばさんくさい印象を受けるだろう。


 きっと色が悪いのだ。

 ママの見た目はまだまだ若いのだから、もう少しくらい華美なものをチョイスしてもいい。それに寒色はママに似合っていない。大人っぽい色を選ぶにしてもブラウン系やレッド系を選んだ方が良い。ぶっちゃけピンクだってまだまだ余裕で許容されるはずだ。


 スカートよりパンツを履くことも増えたようにも思う。そして夏でも丈の長いものを選んでいる。ショートパンツを履いたってイタくなんて見えないのだから、もう少し肌の露出は増やしてもいいはずだ。


 対する僕はキャミと短パンばかり。


 出かける時は少しくらいおしゃれをするが、それでも基本的には半袖シャツと短パン。人におしゃれどうこう言っといてなんだその体たらくはと感じるかもしれないが、中学生なんてどこの世界でもそんなもんだろう


 階段に近い僕の部屋から順に服をしまう。

 僕の部屋の横にはラファの部屋があるのだが、この部屋にしまう服はもうない。部屋はそのままにしておいてあるが、掃除のタイミング以外では誰も入らない部屋である。


 ドアノブを捻り扉を開ける。

 見慣れた僕の部屋は木製の床と壁でできた、トールマリス王国らしい部屋。だがその壁にはディファリナ様の肖像画が丁寧に貼られ、クローゼットやベッド、小棚の上には山ほどのぬいぐるみが鎮座している。

 お気に入りの服や小物は見えるように飾られ、勉強に使わない机はドレッサーに生まれ変わっている。


 部屋に入った人はみな『アーニャらしい』と言うが、改めて見返すと僕には『僕らしい』と断言ができない。


 なにしろ僕はもともと男だったのだ。

 アーニャではなく綾だった頃の部屋は、置かれているものは男っぽいくせに、妙に綺麗に整頓された『僕らしい』部屋だった。

 壁紙や家具は黒で揃えられ、海外アーティストのポスターを貼ったり、ギターを置いてみたり、本棚は背表紙がかっこいいものでそろえたり。

 まあ中学生だったからと言ってしまえばそれまでだが、僕はいわゆる厨二病だったのだろう。


 今でもそっちの方が『僕らしい』と思うことはある。

 やけに甘い香りのする女の子らしいこの部屋より、西洋にかぶれた黒い部屋を恋しく思うこともあったりする。



 ーーあの部屋を恋しくは思うが、家族を恋しく思ったことは転生してから一度もない。


 父と母とはママとパパほど親しくしてはいなかった。


 仲が悪いわけではないし、家族で出かけたりもしたが、父と母はあくまでも父と母であり、ママとパパのように友人に近い感覚で話ができる相手ではなかったのだ。

 それは1度目の家族か2度目の家族かという点も関係しているが、日本の我が家が堅苦しい家風だったからという方が大きいように思う。


 時々、ふとした拍子にピアノを弾く母を思い出す。


 僕の中で母のイメージといえばピアノなのだ。

 母がよくピアノを弾いていた夕飯前のちょっとした時間、音はなくともなんとなく母を思い出す。


 だからなんだと言ってしまえばそれまでだ。

 思い出すだけであって、母に会いたいわけでもないし演奏を聴きたくなるわけでもない。ただなんとなく思い出すだけだ。


 さっきがまさにその瞬間だった。


 肩揉みなんて言い出したのは、母にできなかった親孝行をママにすることで自己満足でもしたくなったのだろう。


 恋しく思ったり、帰りたいと思ったことは一度もないが、父と母に申し訳なく思ったことはある。子供という1番の投資をパーにしてしまったことは、どう足掻いても取り返しのつくことではない。

 2人の子供は僕だけだったし、年齢的に新たな子供を作ることもないだろう。つまり僕は2人の金と時間を浪費させ、将来への不安だけを生み出してしまったのである。


 あれだけ大切に育ててもらった結果がこれだ。


 高校へ向かったのを最後、家に帰らなかった恩知らず。

 悪いのは100%僕でしかないのに傷ついたのは父と母の方だ。2人にとって僕はきっとかけがえのない存在だったし、今も僕に会いたくて仕方がないのだろう。


 まあそんなこと考えたところでどうにかなるわけではないし、とうの昔に割り切っている。


 残念ながら僕は昔の家族よりも今の家族の方が大切だし、昔の生活よりも今の生活のほうがずっと好きだ。

 例え帰れるとしてもその選択を取ることはない。



 僕らしくはない女物の服を僕のクローゼットにしまい、ママとパパの部屋に向かう。


 木製の廊下はたまに軋んだ音を出す。

 夜中にトイレへ行く時は、みんなを起こさないよう慎重に歩くのが我が家のルールである。


 ママとパパの部屋は廊下の突き当たりにあって、僕とラファの部屋よりも一回り大きい。

 部屋には大きなベッドが1つあり、それ以外の家具は2つずつある。ベッドの両脇にあるクローゼットは入り口に近い方がパパので、奥側にある少し大きな方がママのである。


 クローゼットを開けると、同じ洗剤で洗っているはずなのに僕とは違うママの香りがしてくる。昔からよく知っている優しい香りである。


「……そういえば最近あけてないな」


 本当にたまたまなのだが、パパのクローゼットを開けた記憶がない。最後に開けたのがいつだったか思い出せないほどだ。


 ママの服をしまい、ベッドをわたり向こう岸に行く。

 後で布団を整えないと、風呂に入る前にベッドに乗るなとママに怒られる。


 別になんてことはない。


 そうは思いつつ恐る恐る棚を引く。

 下着や靴下の棚は嫌だったので、3段目にあるシャツの棚を選んだ。


 綺麗にしまわれたパパの洋服。

 クローゼットを開けたのは久しぶりだが、それぞれの服はよく見ているため当然懐かしさなどはない。


 そこからはうっすらとパパの臭いがした。


「うわぁ…」


 家ですれ違った時にするパパの臭い。

 加齢臭というわけでもないのだろうが、『香り』ではなく『臭い』と表現する方が的確に感じる臭いである。


 少し酸っぱいような気もするし、やっぱり加齢臭なのかもしれない。街中ですれ違うおっさんに近い気もしてくる。


 パパとて34歳の男。

 そろそろおっさんなのである。


 何も無かったことにして棚を閉じる。



 やっぱり洗濯は分けてもらって正解かもしれない。




―――――――――――――――――――――――




 さてはて、はてさて。


 夕食を終え、ママが洗い物をしている間にお風呂に入ることが多い僕ではあるが、今日からはママと軽いジョギングに行くと決めた。洗い物を終えるまでただ待つのである。


「洗い物くらいおれでもできるけどな」


「しなくていいって。できないと思ってるんじゃなくて、やらなくていいと思ってるってママも言ってたじゃん」


「でも時間の無駄だろ?おれが洗い物をしてる間に2人が走ってきたら丁度いいと思うんだが」


「パパは働いてきたんだから家にいる時くらいゆっくりしときなって。それにパパが洗った食器汚そうだし」


「!?そんな雑な男じゃないぞおれは!」


 パパは家に帰ってきてすぐにお風呂に入る。

 家の中を汚れた状態で歩かれたくないというのもあるが、パパ本人としても汚れと疲れを落としてから食事をしたいのだ。


 食事を終えたパパにはやることがない。


 パパの趣味は庭でやってる家庭菜園くらい。

 本も読まないし、新聞も読まない。テレビやゲームは存在すらしない。帰宅した後にする趣味などパパは持ち合わせていないのである。

 

 なので夜のパパは基本的にソファに座り半分寝たようにダラけているだけだ。

 

 まあそれもまた必要な時間だと思う。


 一日中働いたり、何かをしたりしていたら疲れが溜まってしまうだろう。日によっては書類仕事を家に持ち帰ってくることもあるし、形式上とはいえ村の責任者というのは大変な仕事なのである。


 だからこそママは家事をパパにやらせないのである。

 家事は女がやるものだという考え方はそもそもトールマリス王国にほとんど存在しない。家の外で働く人と、中で働く人で分担しているというだけの話だ。ハロルドの家のように女の人が外で働く家も少なくはない。


 それはそれとしてパパに洗い物をさせないのには別の理由があったりもする。


 実は以前、パパが洗い物をした時にママが大事にしていた食器を割ったのである。

 不器用でもガサツでもない人間だってたまにはミスをする。もしかしたら外的要因だってあったのかもしれない。


 ただその『たまに』を最悪のタイミングで引いてしまったのである。

 たった一回のミスだったがママの信用を失うには十分の出来事だった。怒るわけでもなく、割れた食器を眺めて呆然としていたママの姿は深く目に焼き付いている。


 そして不思議なことにパパはそれを忘れている。

 それか怒られていないからそこまでの問題ではないと思っている。


 どしうようもないやつである。


「洗い物終わったけど、本当に行くの?」


 キッチンから出たママが、エプロンを所定の位置に戻す。ダイニングにある棚には僕とママのエプロンが置かれている。


「ジョギングって言っても最初は散歩ってイメージだよ。そんなに気負わず、お風呂に入る前に一汗かく感じで行こうよ。アーニャも一日中家から出てないのは不健康だし」


「まあ、そうね。じゃあ行こっかな。ロンド、お留守番よろしくね」


「村からは出るなよ。うちの村なら夜勤の奴らがいるから安心できるけど、街の方はダメだからな」


「わかってるって。それにママは初日だしまだそんな遠く行けないだろうから、その辺をちょろっと回るだけだよ」


「なんかあったらトリシアのことを頼むぞ」


「まかせておいて」


 下手な衛兵どもより僕の方が役に立つのだから、村だろうが街だろうが関係ないというのは言わないお約束だ。



 流石にこのままの服装で外に出るのはまずいので、上に着るものを取りに部屋に行く。

 ジョギングするとなるとママの服装は良くないが、散歩するだけなら下手に洗濯物を増やす必要はないだろう。


 窓から見える景色はすでに真っ暗。


 夏といえど19時を回れば夜なのである。

 暑いには暑いだろうが、外にいるだけで汗をかくような日中とはわけが違う。


 だが一応飲み水くらいは持って行こう。

 ママが熱中症になる可能性は0ではない。


 就寝の早いうちの村だが、19時代はまだ家族団欒の時間。話しながら散歩をしても近所迷惑にはならないだろう。


「準備できたわよ〜」


 階段の下のママに呼ばれる。


 心なしかいつもより声がはずんでいるように思う。

 初日ということもあって、ママも少しは楽しみにしてくれているのかもしれない。


 とりあえず散歩させることには成功だ。


 あとは三日坊主にならないように見張るだけである。



 

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