第九十五話 大失態旅行なのである③
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
母の実家。
海と山しかないような田舎。
海はいつも賑やかだけれど、俺はあそこで遊ぶ人達が得意じゃない。
小さい頃は祖父に連れられ、姉と従兄弟達とよく遊んだものだ。
海で遊ばなくなったのは従兄弟達が来なくなってからか、祖父が亡くなってからかは覚えていない。
いずれにしても3年以上は前のことだ。
従兄弟達は中学校入学を境に来なくなった。親元離れて学校の寮に入ったのだという。
いつまでも母に連れられてここへ来る自分と姉を恥ずかしいと思うようになったのはそのせいだろう。
祖母は長期休日の度に来る俺と姉に喜んでくれるけれど、俺も姉もここに来ることを楽しみになどしていない。それが祖母に申し訳なくて、居心地の悪さだけが積み重なる。
帰省は毎度3泊4日。
退屈なだけの4日間。
やることなんて全くないし、祖母の作る薄味の料理が俺は好きじゃない。
姉は食材の味が際立つなんて言い方で祖母を褒めるが、祖母の前でいい孫を演じているだけだ。
家で母の料理を褒めることはないけれど、食べる量だけでどちらの方が好きかなんてすぐわかる。母も父もわかっていて何も言わない。祖母だけが騙されて嬉しそうにしている。
そんな姉を軽蔑しているわけではない。
俺のように無愛想な孫に比べれば、姉の方が祖母にとっていい孫なことは言うまでもない。
実際、祖母は何かにつけて「ルゥちゃん、ルゥちゃん」と姉のことを1番に可愛がっている。
そして思い出したように「ランくん」と俺を呼ぶ。
それが嫌なわけじゃない。
祖母が俺と姉を平等に扱おうとしてくれていることはわかる。きっと俺も従兄弟達よりは可愛がられている。
ただやっぱり祖母に申し訳なくて居心地が悪くなる。
誰も敵なんていない、ただ優しいだけの田舎が俺は好きになれない。嫌われものでいる学校の方がよっぽど居心地がいい。
俺はここを好きじゃないのに、ここは俺を愛そうとしてくれる。
だからここがまた好きじゃなくなる。
負の連鎖だ。
俺が勝手に作って、俺だけを囲む負の連鎖。
ここで唯一好きなのは朝の早い時間。
祖母の知り合いに話しかけられることもないし、土手の向こうにいるやかましい観光客を見る必要もない。
海の感じ方は見たり入ったりが全てじゃない。
肌や耳で海を感じつつ、1日の始まりを1人で過ごすのは気分がいい。
俺は1人で過ごすことが好きだ。
学校でだって1人だし、家族といたって会話をするのは必要なことくらい。
不器用な人間だと自負している。
昔は遊んでいたのならきっと俺も根っこは姉や従兄弟達と同じなのかもしれない。
でもいつからか他人の目を気にし過ぎて疲れるようになった。
他人からどう思われるかばっかり考えて、会話をすることさえ怖くなった。
そうしている間に関わり方を忘れた。
でもそれが1番楽だ。だからここが嫌いだ。
1人でいたい。
不必要なことなら関わってこないでほしい。
――そんなこと言っているくせして孤独は辛い。
だから家族と一緒にここへ来る。
だから学校に通うこともやめられない。
新しい人間関係を築くのは怖いくせに、今ある人間関係を失うことも怖い。
他人に期待されたくないくせに、他人には期待してしまう。
本当に嫌いなのは人でも場所でもなく、こんなことに悩み続ける自分自身。
「…はぁ、せっかくの散歩なのにこんなことを考えちゃうから俺はダメなんだよ…」
誰にも聞かれない愚痴をこぼす。
本当は誰かに聞いて欲しい愚痴。
珍しく、誰かと話したい気分だ。
誰でもいいわけじゃない。
俺のことを知らない、でも俺のことを嫌いじゃない、それでいて俺のことが好きでもない。
俺に対して無関心な誰かに話を聞いてもらいたい。
こんなところだからこそ、誰かいないものか。
太陽はまだ山影から姿を見せていない。
わざわざこんな時間に散歩している物好きなんて俺以外にいるのかわからない。
今まですれ違ってきた人は酔っ払いか老人。
酔っ払いになんか話しかけたくない。
老人は大体祖母の知り合い。
誰かいないものか。
土手の脇道を歩き続ける。
嗅ぎ慣れた磯の香りに混ざって、どこかの朝食の香りがしてくる。
祖母の家での朝は早い。
そろそろ帰り始めないと朝食に間に合わない。
「―――――」
ふと、海の音に混じって誰かの鼻唄が聞こえた。
穏やかな女性の声。
楽しそうなのに、すごく落ち着いた音色。
耳を凝らすとまだ聞こえてくる。
この先、きっと土手の上。
進める足が速くなる。
まだ見ぬ彼女の姿が目に浮かぶ。
――土手の上で1人風に揺られる少女。
その歌声と同様に可憐な子。
学校の奴らとなんか違って、優雅で、儚くて、物語から出てきたような子。
年齢はきっと…きっと、俺と同い年くらい。
彼女に会ってみたい。
会って話をしてみたい。
「――――――」
鼻唄の麓で足を止める。
土手の方へ顔を向けると想像通りの美しい少女がいた。
濃紺の髪は薄明るい空に溶け込むように流れ、海に似合わない真っ白な肌は微かな明かりを反射させ煌めいて見える。
まだ顔ははっきりと見えないけど、年齢はおそらく俺と同じか少し上。
やっぱり学校の奴らとは全然違う。
幻想的で、美しくて、可憐で、優雅で、穏やかで。
俺の好きなこの時間を人の形にしたような子だ。
俺が生み出した妄想かと疑うほどに。
でも俺の妄想にしては少し現実的過ぎる。
服装は年相応の少女のもの。
海辺にふさわしい普通の格好。
唯一彼女が現実の存在だと俺に教えてくれる。
大きく息を吸い込んで、ない勇気を振り絞る。
なんて声をかけていいかなんて俺にはわからない。
でも、きっとなんて声をかけても大丈夫。
精一杯の勇気で口を開く。
「――君、なにやってるの?」
―――――――――――――――――――――――
1日目は不健全に遊び、2日目は健全に遊び、3日目は安全に帰るだけ。2泊3日とは言え、家からの距離のことを考えると2泊2日の旅行なのである。
あれだけ長かった王都旅行ですら一瞬に感じたのだ。たった2泊なんて本当にあっという間だったのである。
だが思い残しはない。
むしろ後悔するほどに海は満喫できた。
荷造りは昨晩のうちに済んでるいるし、2人が起きたらあとは馬車に乗って帰るだけだ。
時刻はまだ午前4時30分。
僕が起きたのは帰る前に散歩でもしようと思ったからである。
真夏のこの時間は割ともう明るい。明るいと言い切ると語弊があるが、遠くまで十分に見渡せる明るさだ。
土手の上から浜辺を見下ろすとちらほらと人がいる。だが彼らと僕とでは状況が違う。海辺の早朝を優雅に楽しんでいる僕とは違って、彼らはまだ薄汚い昨日の夜に生きているのだ。
「…さむいなぁ」
日は昇り始めたが海風に当たると肌寒い。
日本がどうだったかはもう覚えていないが、今の時期で寒いならトールマリス王国の海辺の早朝は年がら年中寒いのだろう。
腕を組んで両腕をさする。
摩擦で暖を取ろうとしているつもりでもないのだが、寒いときにする基本ジェスチャーなのである。
服装は麦わら帽子・Tシャツ・短パン・サンダルという海らしい4点セットに薄手の上着を羽織っただけ。肌寒いのはそのせいというのもあるだろう。
だがもうじき気温が上がってくるはずだ。そうなれば上着すら煩わしくなるし、この服装がベストなのである。
それに寒いというのは少し冷えるという程度。
冬場のそれとは全然違うものである。
波の音と海鳥の鳴き声。
微かに虫の声も聞こえるが、足音を除くと目立った音はその2つのみ。こういった部分から『早朝感』がうまれてきて、そこにいる自分というエモさにテンションが上がるのである。
意味もなく立ち止まり、帽子を取って風に髪を靡かせる。
――いや、意味ならある。
映画のヒロイン感が気持ちいいのだ。
鼻歌なんて歌っちゃったり僕らしくもないが、せっかくの旅行なのだ。こういう演出だって悪かないだろう。
今ここに必要な演出はあとひとつだけ。
それさえあれば…
「――君、なにやってるの?」
―――――――――――――――――――――――
誰しもが後悔をしたことはあるだろう。
その大小はその人による。
というより大小様々な後悔をしたことがある人がほとんどだろう。
例えば「あの時チョキを出していれば」なんて瑣末な問題から、「最後くらい喧嘩なんてしなければよかった」なんて取り返しのつかない問題まで。
これは遡及することができない人生において至極当然で、誰しもが経験することなのだ。
過去に戻り選択を変えたところで、望んだ結果になるかなんてわからない。
選ばなかった選択を取っていたところで、別の後悔が生まれることの方が多いはずだ。
それでも過去を悔やまずにはいられない。
もしあの時あちらを選んでいたらなんていう後悔は、人間という生き物の避けて通れない道なのだ。
僕とて後悔したことは数えきれない。
今回の旅行だって後悔ばかりだ。
酒を飲んだ事も、飲ませた事も。
早朝に散歩をして鼻歌なんて歌ってしまった事も。
「だから俺は…どうやって…どうしたら…これから、どうやって生きていけばいいのかわからなくて…。俺は不器用で、自分のことが嫌いだから。でもやっぱりこうやって君と会話をしていると人のことは嫌いになれなくて、誰かと話をするのがこんなに楽しいことだなんて、そんな風に思い出してしまったから…」
会話の定義を疑うほど一方的なスピーチ。
永遠と同じような内容を繰り返す少年。
僕は今このクソつまらない少年の自己陶酔の道具に使われている。
まあ僕も自己陶酔の道具に使おうとしていたのだが。
「…でもきっと毎日会うような人には話せないんだ。どうしてなのか具体的には言えないけど、勇気を振り絞ることができない。振り絞ってもその日の夜にはきっとその勇気を後悔するし。…でも、やっぱりこのままじゃ嫌なんだ。俺だってちゃんと、他人と関わりたい。人間はきっと1人では生きていけないんだ。もしも父さんや母さんが死んで、姉さんが嫁に行ったりしたら…その時は、きっと、俺は孤独になって…それに耐えられない…」
2人並んで土手に座って海を見ながら永遠と話が続く。
薄明るい程度だった空が徐々に朝の色へと変化していく。
少年は時折ちらちらと僕の方を見ては、恥ずかしそうに海へと視線を戻す。他人と関わるのが苦手な少年に僕のような美少女は刺激が強過ぎるのだろう。
少年は俗にいうインキャというやつだ。
パッとしない顔と、もさっとした髪。
もう少し自分に気を使うことから始めないと、他人と上手くやっていく自信なんてつかないだろうに。
…ああ、それを少し助言してやろうか。
「君は自分のことが嫌いだから、きっと周りの人も自分のことを嫌いになると思ってるんじゃない?」
「…そう。なのかな?…俺が俺のことが嫌いだから…うん、きっとそうなのかもしれない。――うん。そうかも。きっとこんな奴のことなんて誰も好きにならない。だけど自分が好きになった相手に嫌われるのなんて怖いし…うん、そうだ。だから俺は他人と関わるのが怖いんだ。他人に嫌われるのが怖くて、他人に嫌われると思っているから…。君は、どう?そんな風には……思わ…ない、よね。君はきっと俺とは違って誰からも好かれるような子だから。――でも、君は俺の気持ちをわかってくれた。もしかして、君だって他人に嫌われたりするのは怖いの?」
一度口を開いただけで怒涛のレスポンスがきた。
僕は取調べでも受けているのだろうか。
『そりゃお前のことなんて好きになる方が珍しいし、僕のことを嫌いになる方が珍しい』
と、言ってしまいたいところも山々だが、そんなことを言ってしまえば僕のキャラが崩れる。
今の僕は『ある夏、母親の実家の田舎町を散歩していた時に出会った幻想的で美しい少女』を演じているのだ。なんかそれっぽく立ち回りたいのである。
「じゃあまず自分を好きになることから始めないと。自信がないのは見た目?性格?それとも勉強ができないとか、運動ができないとか、そういうこと?」
「…その、全部なのかな。自分の好きな場所なんて…ないよ。見た目だってよくないし、みんなみたいにお洒落もわからないし、人と話すのだって苦手だし、勉強は苦手じゃないけど得意でもないし、運動は苦手だ。周りを見れば俺よりなんだってできる人ばかりで、俺だけがうまくいかない。なのに周りの人の嫌なところばっかり探すようなとこもあるし。…僻み、かな。自分が劣っていると認めたくなくて、周りが嫌な人に見えてくるんだ。本当は自分が1番醜いってわかってるのに、異性のことばかり気にするなんて馬鹿らしいとか思ったり、酒を飲んで遊んでいる連中は程度が低いと思ったり、祖母の前でいい顔するのは騙しているようだなんて思ったり…」
「君は考えすぎ。みんなそんなに君と変わらないよ」
「…え?」
「誰だって他人に嫌われるのが怖いから、他人に嫌われないような自分を演じているんだよ。おしゃれだってそうだし、男の子が女の子に格好つけるのもそう。ありのままの自分を受け入れてもらえるなんて…そんな傲慢な考え方は間違ってる。と私は思うな」
「…でもそれじゃあ、本当の自分は自分しか知らないってこと?そんなの…そんなのは本当に独りじゃないって言えるのかな?本当の俺は誰からも…自分からも好かれないような奴なのに、精一杯そうじゃない俺を演じて他人と関われるようになったところで、それは俺が孤独じゃないって言えるのかな?…こうして、腹を割って本音で話すことは一生ないってことじゃないの?」
「別に演じている君も君でしょ?誰かに好かれようと努力をするのだって君自信だよ。みんなそうやって他人に寄り添おうとするから人間は孤独じゃないんだよ。そうしてできた人間関係の中で、本当の自分を曝け出せる相手を見つければいい」
「じゃあ俺は、とりあえず周りに合わせて、それらしく生きていくのが正解ってこと?他の人と同じように、人から嫌われないように、毎日毎日頭を悩ませ続けないといけないの?…それなら…そんなことなら俺は――」
「だーかーら!君は考えすぎなんだって!いいじゃん、別に何人かに嫌われたって。人なんていっぱいいるんだから話してみたら気の合う人なんていくらでもいるよ。――でもまずは話をしてみないとわからないでしょ?そのために自分が自分を好きになることから始めないと。勇気を振り絞るための第一歩ってこと」
いつまでもウジウジとうるさい少年に嫌気がさして、つい立ち上がってしまった。
まあ立ち上がってしまったものは仕方がない。ここいらでそれらしくまとめて退散するとしよう。
「…第一歩」
「そう、第一歩。まずは髪型を整えるとか、眉毛を整えるとか、形から入るだけでもいいよ。そしたら次は背筋を伸ばして歩く。挨拶はちゃんとする。そうやって上を向いて歩けるようになったら、人との接点なんて自然と生まれるものだよ」
話の内容に合わせるように一歩ずつ少年の元から離れていく。
少年が来た方向と逆へ向かう。こいつは何か用事があって歩いていたわけではなく、ただ散歩していただけなのだ。話が終われば来た方へと戻るはずである。
「自然と生まれなかったら?待ってても人が来なかったら?そもそも自分を好きになれなかったら?」
「それならもっと自分を磨けばいい。人が寄ってくるまで自分が好きな自分になれるように磨き続ければいいよ」
「それでも、いつまでも寄ってこなかったら?たとえ自分のことを好きになれたとしても、人が来てくれなかったらどうすれば…」
「?その頃には他人に話しかけることなんて怖くなくなってるでしょ?自分で友達を作りに行けばいいよ」
「あ」
少年と十分な距離が離れたところで振り返り少年の方を向く。
別れの挨拶にはサービスで僕の超絶キュートなスマイルをくれてやろう。
「がんばれよ少年!今日から君は君の好きな君になるんだから!どうしても辛い時はまた私が慰めてあげる!!」
まあ2度と会うことはないだろうが、今の僕は『ある夏、母親の実家の田舎町を散歩していた時に出会った幻想的で美しい少女』なのでそれらしいことを言っておくのである。
きっと少年はこれから体験するどんな苦難でも、僕のことを思い出せば乗り越えられるのだ。
――都合よく少し強い風が吹く。
力魔術を使い、少年の目線を遮るように麦わら帽子を飛ばす。サリアママには風で飛ばされたと言っておこう。
「あっ!ぼ、帽子!!――あれ?」
少年が帽子をキャッチする頃には僕はもういない。
ひと夏の思い出にとっておいてくれたまえ。
全速力で土手の下の死角まで逃げただけだが、少年からすると風に吹かれて消えた夢のように思うことだろう。