第八十八話 恋と愛①
「アーニャ?もういいんじゃないかしら?」
「まって、もうあと数店で終わるから」
「そんなに買ってどうするの?」
「そんなにって、全種類を各1枚ずつ買ってるだけだよ。本当に可愛いのだけ2枚買ってるけど。てか王城のお土産売り場で王族の肖像画売るの商売上手すぎるでしょ、商人街のどの店よりも最高なんだけど。てかやっぱりディファリナ様って人気なんだね!王女様の中だと2番目に種類が多いよ!そりゃそうだよね。だって可愛いもん。文字通り絵になるよね。あーあ、量産された複製品じゃなくて原画が欲しいなー。王族の方の原画とかどうやったら手に入るんだろ。だって自分で画家に頼んだところで、ディファリナ様にアポイント取るのが無理じゃない?」
王城観光のメインのお土産は肖像画。大きなサイズから葉書サイズまで様々な種類が置かれている。
お土産売り場はマーケットのようになっていて、数多くの屋台が並んでいる。
肖像画の屋台は画家本人や、その知人が直接販売をしているのだが、どの屋台もクオリティが商人街で見たものを大幅に上回っている。
王族を描けるのは限られた画家だけなのだろう。
ちなみに王城内とは言ったが、城壁の外なので実際のところ王城ではない。あくまでも『王城区』の一角なのである。
王城区には観光区画の他に、王都騎士団が住む居住区画や、王家が管理する生物(ペット?)管理所などがある。
観光区画では騎士団の制服を着てみたり、手合わせをしてみたり、王家の方の挨拶(日によって1人ずついらっしゃる。今日は第十六くらい王子のなんとか様だった。人気のある王家の方の日は朝から並ばないと入れないらしい。あーあディファリナ様に会いたかったなー)を聞けたり、ちょっとだけ城壁に乗って防衛設備を見れたりする。まあほとんどはお土産売り場である。
現在僕はディファリナ様の肖像画を集めて回っている。僕に許されたお土産予算はとうに超えているが、ママに縋り付いたら許してくれた。
僕だってどうしようもないわがままを言っていることくらいわかっている。
だが、どうしようもないじゃないか。
これが一目惚れなのだろう。
これが恋なのだろう。
これまで長いこと生きて来た中で感じていた『恋』なんて全て偽物だったと瞬時に理解できた衝撃。
彼女の顔が目から離れない。声が耳から離れない。香りが鼻から離れない。あの場の記憶が頭にこびりついてどうしようもないのだ。
ものの数分言葉を交わしただけ。
それなのにこんなにも好きがとまらない。
簡単には会えない人だからなのだろうか。
別れてから数時間しか経っていないのに会いたくて仕方がない。もう一度でいいから顔が見たい、会話をしたい。
彼女の綺麗な髪を撫でてみたい。柔らかそうな頬をつついてみたい。あの可愛らしい唇にキスをしたい。
欲求がとまらないことから、これが『愛』ではなく『恋』だと狂おしいほどに理解ができる。
『そんなに私のこと好きになってしまったのですか?』
なんてことを言われたい。
人から好かれるのが当たり前みたいなドヤ顔で、僕からの好意なんて嬉しくもなさそうな声で。
感情豊かだがどこか冷徹で、常に何かの値踏みをしている。僕を見ていながら、彼女は常に僕の能力を見ていた。
僕は別にマゾでも何でもない。
彼女に冷たくされたいと思っているわけではない。むしろ『そんな彼女が僕だけに優しくなってくれればいいのに』くらいに思っている。
だが僕が恋をしてしまったのは、あのお人形のような彼女。外面もだが、内面も人間らしくない彼女に惹かれてしまった。
人生で初めて他者に惹かれている。
まるで魔法にかかったような。
よくわかんないけどなんかまあそんな感じである。
「まだ肖像画集めてんの?」
別行動していたラファが帰って来たところで正気に戻る。いや、この恋が続く限り本当の意味で正気に戻ることはないのだろう。
「ごめんごめん。この店でラストだから」
「まあ別にいいんだけど。母さん、私も欲しいお土産決まったからついて来て貰ってもいい?」
「勿論いいわよー!ラファが欲しいものあるなんて言うのは久しぶりね!」
「あ、待って!ここの店ディファリナ様の肖像画なかったから私もラファの方行く!」
「悪かったね!うちは国王陛下限定の店なんだよ!」
ディファリナ様の肖像画がないのであれば用はない。
結局購入した肖像画は15種類で18枚。本当の本当に可愛いのが2種類あったのと、チェキくらいのサイズで持ち運べるのが1種類あったので、それらだけ2枚ずつ買ったのである。
値段のことは気にしてはいけない。ママからは中学校の卒業祝いまで、誕生日を含めてプレゼントは一切なしと言われた。
肖像画の筒が詰まった袋を落とさないようにしっかりと抱えて、ラファについて歩く。今日は人が少ないので、この大荷物でもそれほど歩きにくくはない。
肖像画やアクセサリーなどの屋台の並びを抜けて、騎士団が出店している大きなテントの方へと向かう。
騎士団の出店スペースだけはやけに大きく、設備もしっかりしていて、まるで屋台がたくさん出ているイベント会場のメインステージである。
テントの外には制服のレプリカや、騎士剣や盾、鎧などが並べられており、男の子達は目を輝かせて商品を見ている。平日とはいえここは賑やかで、大荷物を抱えた僕が商品の方へ向かうのは少々危険そうである。
先ほどの出店群と比べて賑やかな理由は、少し考えればすぐにわかる。
男の子はここしか行く所がない上に、何をするかわらかない為、両親が目を離すことができない。
王子様の肖像画やアクセサリーに興味のある女の子達は、多くの屋台に分散される上に、親と離れて行動をしても問題がない。
だからこんなにも人口密度の差が生まれるわけである。
ラファとママはそんな人の波を掻き分け、テントの奥へと向かう。置いてけぼりにされるのは嫌なのだが、肖像画のことを考えると人混みに突っ込む気にはならない。
今の僕の優先順位1位はディファリナ様なのである。
騎士団のテントの正面にある休憩スペースで2人を待つ。それなりの数のベンチが用意されているが、今日はガラガラだが、休日は椅子取りゲームみたくなるのだろう。
袋を眺めていると自然と笑顔になる。
買ったと言う事実だけでこれだけの幸福度が得られるのに、これらがこれから毎日自分の部屋にあると思うと、安すぎる買い物なのである。僕のお金じゃないけど。
「ふふふ」
「あら、随分と沢山肖像画を買ったのですね。私のも1枚くらいは買ってくださいましたか?」
「うぇぇえっ!?」
ほんの耳のそばから聞こえる夢のような声。
鼻先をくすぐるあの香り。
両肩に軽く感じる誰かの手。
誰かが僕の背後から僕の肩に手をかけ、袋を覗いている。きっと横を向けばそのお顔がぶつかりそうなほど真横にいる。
「そ、そんなに驚きます…?」
「そんなに驚きますよ!どうしてこんなところにいらっしゃるのですか!?」
「どうしてって、王家の人間が王城区にいるだけですわよ?」
「…貴方は自分のお家にいる際に認識阻害の魔術をつける変わった方なんですね」
「あ!嘘です!冗談ですわ!」
彼女は慌てて首を振る。
首を振るたびに柔らかい彼女の髪の毛が僕に当たる。
頭がおかしくなりそうである。
心臓がバクバクなる。
さっきまであんなにお顔を見たいとか思っていたくせに、いざ真横にあると思うと僕の首は全く動かない。
そんな僕と目を合わせようと、彼女は限界まで顔を僕の正面付近へと持ってくる。袋の中に18枚あるのと同じ顔が僕の視界に入る。当たり前だが本物の可愛さは肖像画のそれを遥かに凌駕している。
「おほん。えとですね。お聞きし忘れたことがあったのでハートバルドに探してもらいました」
「なんでしょうか?」
必死で平静を装って答える。
ここで恋をしているなんてバレたくない。
ちょっとそっけなくなってしまったが、好きだとバレるよりはずっと良い。
というか息がやばい。
彼女の息が僕に当たっている。
いい匂いがする。いい匂いがする。湿度を感じる。暖かい。いい匂いがする。暖かい。暖かい。今日はカラッと晴れているおかげで、彼女の湿度を感じる。なんで息がこんなにいい匂いがするんだ。てか僕昼飯思いっきり肉食べてた。臭くないだろうか。
「お名前を教えて頂けませんか?あとご年齢も」
「それは命令ですか?」
「えとー…そうですね。では命令です」
湿度を感じるの実質キスすぎる。いい匂いがする。肩に胸が当たってる。いい匂いがする。暖かい。ちょっとやばい。柔らかい。暖かい。いい匂いがする。
「アーニャ・ハレア、13歳です」
「今中等教育学校の1年生ですか!?」
「はい」
「ほら、やっぱり同い年!ね、私が言った通りでしょ?」
真横にあった顔が一気に後ろへ遠ざかる。
すぐそばに感じた彼女は消えてしまった。
ハートバルド、許すまじ。
「ねえアーニャ!貴方騎士に興味はありませんか!?」
離れていたのはごく一瞬の出来事。
さっきまでの位置に彼女が帰って来た。
これもう僕がおかしくなったら責任取ってくれるってことでいいのだろうか?いくら僕が男だったことを知らないとはいえ、あまりにも距離が近すぎる。
これは直属の騎士へのお誘いだ。絶対にそうだ。
こんな簡単に願いが叶うことがあっていいのだろうか。難易度最高だったはずの初恋がこんな簡単に、こんなにもとんとん拍子に進むことがあっていいのだろうか。
騎士になれば毎日ずっと一緒にいられる。
そうすればもしかしたら、ちょっとずつ、髪を触ったり、手を繋いだり、そんなことができたりするのだろうか。
2人で好きなように遊んで、ハートバルドに怒られて、そのハートバルドをからかって。
仕事や訓練で疲れた僕に彼女がタオルを持ってきてくれたりなんかして、もしかしたらお風呂にも一緒に入ったり、あるいは一緒の布団で寝たり。
同い年の女の子の騎士として、きっと僕は特別扱いされて重宝される。
友達か、もしかしたら恋人のように。
なんて風にも思うが、騎士になるつもりはない。
「申し訳ございません。騎士に興味はありません」
真っ直ぐ前を見たまま、はっきりと口に出して答える。
「あ、興味がないというのは、あくまでもなるつもりがないというだけの話です。騎士様のことは心の底から尊敬しております」
彼女の顔を見たくなくてハートバルドの方へ顔を向ける。話題をずらしたのはわざとだ。
「言われなくても会話の流れでわかる」
「いや一応と思って。ハートバルド様はうるさいし」
「なぜ黙っていたのに小うるさいからうるさいになったんだ!というか貴様よくこの流れでそんな口が叩けるな!」
認識阻害が切れない程度の小声でハートバルドが叫ぶ。小器用なものである。
ずっと背けているわけにもいかないので、ディファリナ様の方へと顔を向ける。
そこには案の定、さっきまでと同じく微笑む可愛らしいお顔があった。
そう。彼女は僕に断られてもショックではないのだ。
「もし気が変わったらお声がけくださいね」
「気が変わることは絶対にありませんので、私の席は取っておかなくて大丈夫ですよ」
「…どうしてそんなに?何か騎士という職業に嫌な思い出でもありますの?」
「いえ、他の夢があるというだけです。逆にどうしてそんなに私なんかを誘うのですか?」
「そ、それは…。お、おほん。まあそれは王族の秘密というやつです!ご家族がいらっしゃったようなので失礼しますわね!!」
ディファリナ様は一瞬でいなくなった。
きっとハートバルドが連れて行ったのだろう。
あまりにも唐突な再会。
そして唐突な別れ。
まるで白昼夢でも見ていたかのようだ。
だが夢ではなかったと、ディファリナ様の余韻が僕に告げている。
特に息。ずっとディファリナ様の息がかかり続けていた。今日はもう顔を洗いたくない。てかお風呂に入りたくない。
冷静にさっきまでのやり取りを振り返る。
内心はめちゃくちゃなことになっていたが、何とかうまく取り繕えていた気はする。
僕の気持ちはおそらくバレずに済んだだろう。
マフラーとコートに何本か着いていた、柔らかな金髪をハンカチに包み、コートの内ポケットに入れる。冷静になっていなければ気が付かずに風に吹き飛ばされていただろう。
間違ってこのハンカチを洗濯しないようにだけは注意しておかなくてはならない。
「アーニャお待たせー」
「全然。パーフェクトタイミング」
「なにそれ。何かあったの?」
「後で話してあげるよ。あ、お土産ってそれ?」
ラファの腰には新たな剣がぶら下がっている。
闇夜のような魔鋼の剣。僕達姉妹の髪と同じ色をしているのである。
「そう。せっかく入学も決まったからいい剣が欲しいなって」
「おーいいねいいね!せっかくだから騎士様と手合わせするとこに戻る?夕食までまだ時間はあるし!」
「ん、ちょっとだけ行ってきてもいい?」
「もちろんいいわよー!」
「ありがと。2人はここで待ってていいから」
「はーい」
嬉しそうに濃紺の鞘を撫でながら、ラファは小走りで目的地へと向かう。
王城観光に来て1番最初にも行ったのだが、新しい剣が手に入ったのならば、もう一度行くのが当然の流れだ。
「それにしても高かったんじゃない?」
あれはかなり良い剣だった。僕のブレイドくん達よりもいい剣だ。値段だってそれ相応の筈である。
僕のブレイドくん達だってドルリッチくん経由でなければ中学生が持つような値段ではない。トゥリーの鎧ほどではないが。
「そうねー。誕生日兼、合格祝い兼、入学祝いってことにしたわ」
「確かに。ラファの誕生日はもうお家で祝えないしね」
「ねえやめてよー!ママせっかく考えないようにしてたのに!」
唐突なことだが、ラファは受験監督の先生に気に入られ、来年の頭からもう王都で生活することとなった。
昨日の夜の食事の場で告げられた時、クラス1の合格と早すぎる家出に感情をぐちゃぐちゃにされて、僕とママはちょっといい感じの店で号泣してしまった。
あそこまでの号泣ともなると、周りから迷惑だと思われるラインを超え、心配されるとこまで行ってしまったのである。
実際のところハッピーなニュースでしかないのに、周りの人達はきっと、とんでもないバッドニュースがあったと思ったことだろう。
一夜明けて、頭を冷やしてからラファにはもう一度ちゃんとおめでとうと伝えた。
その時は逆にラファの方が泣きそうになっていたのには、気が付かないふりをしておいたのである。
「これからはこうして2人でいる時間も長くなるんだね」
「もともと家族の時間は私とアーニャの2人でいることが多かったけどね」
「とはいえやっぱりラファもいたじゃん。ご飯食べたりさ」
「そういう時はパパもいたわよ。あーあ、なんかこの旅行がお別れの旅行みたいになっちゃったわねー」
「子供は独り立ちしていくものだよ。最後にいい思い出ができて良かったって満足しておこう」
「やめてよそんな今生のお別れみたいな!長期休みの時は絶対に帰ってくるように言ってあるから、またすぐに会えるわよ」
「どうだかねぇ」
ラファが素直に帰ってくるとも思えないんだけどなぁ。
妹がいない生活といる生活。
いない生活の方がトータルだと長い筈なのに、いつの間にかいることを当たり前に感じていた。
仲違いしていた時間もあったし、僕の生活においてラファの比重というのはそれほど高くなかった筈だ。
それでも寂しいものは寂しい。
ディファリナ様とお別れしたのとはまた別の寂しさ。
触れたい、話したい。なんてことは思わないのだが、ラファにはただ側にいて欲しいように思う。
でもそれ以上に、ラファには好きなように生きてもらいたい。姉というのはそういうものなのだ。
「これが『愛』ってものなのかな」
「またお姫様の話?」
「我が家のお姫様の話」
「どちらかと言えばアーニャの方がお姫様みたいだけどね。まあママとパパにとっては2人ともお姫様なんだけれど」
「ラファの話をパパにしたらどうなっちゃうんだろ。昔からパパはラファにベッタリだし、着いていくとか言い出しそうじゃない?」
「止めるの手伝ってね?」
「嫌だよ。ママの旦那さんでしょ?」
「アーニャのパパじゃない」
「パパは選べないけど旦那さんは選べるんだから、ママがちゃんと責任持ってください」
「その袋の中身は誰のおかげなのかしら?パパがパパじゃなかったら買えなかったんだから」
「じゃあパパの味方しないと。学生寮の近くで泊まれる所探して帰ろう」
「ふふ!パパの説得はラファに丸投げしちゃおっか!」
「もともとラファが私達に相談もせずに勝手に決めたんだし、私達が世話してあげる必要ないよ。引っ越しの準備も全部1人でやればいいんだ。独り立ちするならそれくらいしないと」
「とかいってお姉ちゃんは手伝っちゃうくせに」
「…妹ってずるい生き物だよほんと」
世の中の姉は苦労してばかりだ。
妹は好き勝手生きるからほっといてとでも思っているのだろうが、姉という生き物にそんなことはできない。
家族からの愛を一身に受け、わがままの限りを尽くし、都合のいい時だけ泣きついてくる。
妹という生き物はどうしようもない生き物なのである。