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僕は完璧でありたいのである  作者: いとう
第三章 ナスフォ街の天才美少女
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第八十六話 ラファ受験3日目なのである




 昔からずっと『なにか』になりたかった。


 自己喪失感を覚えているわけではない。

 自分が嫌いなわけでもない。


 そういった意味で『なにか』になりたいわけではない。

 ただなんというか、目標というか、目的というか…



 …ああそうだ。

 私は将来の夢という意味で『なにか』を探している。



 漠然とした『なにか』のビジョンは昔から決まっている。


 でもそれが『何か』がわからない。


 強くて、優しくて、気高くて、美しい。


 例えるのなら『剣』のような何か。


 世界一強くなりたいと思っているわけではない。

 世界一の剣技を身に付けたいわけでもない。


 ハンターにはなりたい。

 騎士になるのも悪くない。


 何をしたいかはその時その時きちんとある。

 だが、その先には何があるのかがわからない。



 『だれか』になりたいと思ったことはない。


 両親や姉、友人や先生。

 尊敬できる人は沢山いたし、そのあり方を羨ましいと思った人もいた。


 ただ、自分の中で目指している『なにか』に当てはまるかといえば、そうではなかった。


 人格や職種の問題ではなく、自分の生きる延長にはないものだと、なんとなく、これもまた漠然とわかるものだった。



 地位、富、名声。

 そんなものを欲しいと思ったことはない。


 ただ剣を振っているだけ。

 ただ強くなりたいだけ。


 それなら、強さの先に何を求めるのか。


 いい学校に進学して何をしたいのか。


 自分はどうなりたいのか。



「深く考えすぎなくていいんです。天鱗学園に入学したら何をしたいのかを、ざっくりと教えてください」



 真剣に考えすぎて黙ってしまった私に、対面に座るヤミア先生が再び問いかける。


 穏やかでいながら力強い声。

 年齢は母とさほど変わらないように見えるが、声から伝わる凄みは、さながら老練の教師のようだ。



 カルア天鱗学園附属中等教育学校入学試験3日目。


 ナスフォ初学校の教室より2回り大きな教室に試験官と2人きり。中心の座席に2人並んで座り、学校の説明を受けながら簡単な問答を繰り返す。


 自己紹介から始まり、最終試験とは思えないような問答。最初の数問は意図がつかめず緊張したが、すぐに気楽にしていいことはわかった。


 喫茶店で家族といる時のように会話をする。

 誠実に、問いかけに対して自分なりの答えを出すこと。それだけで良いのが3日目の試験だ。


「…とりあえず質のいい授業を受けられればそれで。あと、両親から自立出来れば良いと、今はそう思っています」


 昔ほど家を出たいという気持ちは強くないが、それでも家を出て自立したいとは思う。

 家族といる時間が嫌いなわけではない。ただ独り立ちして寮生活をしてみたいというのはポジティブな理由だ。


「ではその後、高等学校に進学してからは?とりあえずハンターになってみますか?」


「そうですね。本当にとりあえずでハンターになろうと思っています」


「よいと思います。高等学校卒業後にどうしたいかはまだ決まっていないと」


「はい。決まっていません」


「どんなことがしたいとか、どういった系統に進みたいとかは?」


「…とりあえず強くなりたいです。強さを求められる道に進みたいとは思っています」


「んー…なるほど。やっぱりなんだか他人だとは思えませんね」


 ヤミア先生はメモを取っていたペンで、暗い紫の髪をいじる。

 隣に座っているからメモは丸見えだが、特に評価に直結するようなことは書かれていない。名前の下には出身学校と容姿、話した内容がかいつまんで書かれている。


「ヤミア先生はどうして先生に?」


「んー、一言で言えば挫折。ですかね」


 挫折と聞けば、それ以上聞くことが憚られそうなものだが、ヤミア先生の口ぶりからは後悔などの負のイメージは伝わってこない。私と同じように、問いかけにただ答えているだけ。


「何か他にやりたいことがあったんですか?」


「いえ、特にありませんよ。特に目標はなく、強さを求めて良い学校に入って、強さを求めてハンターにもなって、様々な現実を打ち付けられて、挫折して、そういう当たり前の人生を辿って、気がついたら教師になっていました」


「それは教師になりたかったからですか?」


「ええ。教師になりたいと、いつからか思っていたからです」


 強さを求めてとりあえず強くなれる道へ進む。

 さらっと語られたヤミア先生の過去は、今の私とよく似ている。

 そしてきっと私も同じように挫折を味わうのだろう。


「同じように過ごせば、私も教師を目指すことになるのでしょうか」


「んー、ラファさんには教師になりたいとは思って貰いたくないですね。そのために教師を目指したのですから」



 思いもしなかった回答に思考が停止する。


 直前の流れから、なんとなく私も教師を目指すという道が見えてきていたところだった。そしてそれを悪くないと思っていたところだった。


 教師になりたかったから教師になったと言った割に、教師になる道を勧めないのはなぜなのだろうか。教師を目指させないために教師を目指したというのはなぜなのだろうか。 

 重たい内容にも聞こえたが、相変わらずヤミア先生は朗らかな表情をしている。

 ただそれが私に気を使わせまいとしているのか、本心から気にしていないのかが判断できない。


 教師を目指すにあたり致命的な欠点があった。

 私はコミュニケーションが得意ではないのだ。


「……ごめんなさい、これ以上踏み込んで良いのかどうかが私にはわからなくて」


 気まずく感じて俯くと、頭の上から控えめな笑い声が聞こえる。母と少し似ている、年相応な女性の笑い声。


「特に暗い過去とかはないですよ。ただ私は何者にもなれず、本当にやりたいことも見つけられないまま生きてしまった。私では無理だ、私では彼らには届かないなんてことに、中途半端なタイミングで気がついてしまったから、教師を目指すしかなかったんです」


「先生はそれを後悔しているんですか?」


「いいえ。微塵も後悔なんてしていません。私と同じ挫折を味合わせないために教師を目指し、それを人生の目標に生きています。……なんだか私の面接みたいになってしまいましたね」


「申し訳ございません…」


「気にしないでください。もともと一方的な質疑応答を目的とした場ではありません」


 ヤミア先生は一度ペンを置いて、まだまだ余白のあるメモをめくる。昨日と同じ静寂ではあるが、無音であっても今日は穏やかな空気が流れている。


 やはり似ているのは喫茶点。

 母がメニューを眺め、姉が本を読んでいる時のような静寂。会話はないが緊張もない。


「さて、まあそんなこともあって、私はラファさんがこの学園生活で何か具体的な目標を見つけられることを望んでいます」


 新たなページにペンを走らせ、少し楽しそうにヤミア先生が話を始める。イタズラを思いついた時の姉さんのように弾んだ声。


「はい」


「それが何かは私ではわからないので、ラファさんが探すしかありません。私にできるのは答えを教えることでも、ヒントを出すことでもなく、探すことに専念できる環境づくりです」


「はい」


「なのでまずはひとつ、ラファさんには現状の把握をして頂きます。天鱗学園のクラスが成績順に別れているのはご存知ですね?


「はい。クラス1からクラス10までだと記憶しています」


「その通りです。勿体ぶっても意味ないので言ってしまいますが、ラファさんはおおよそクラス2とクラス3の間の実力に相当します。クラス3だと現時点で上位に分類されますが、クラス2だとついていくのが精一杯といった具合でしょう」


 自分の立ち位置が思いもよらない形で告げられる。


 天才だと思ったことも、同年代で1番強いと思ったこともないし、クラス1に入学できると思っていたわけでもないが、それでもどこかで自分は優れていると思っていた。


 クラス3でも十分な好成績。

 それなのにショックの方が大きいのは、心の奥底では自惚れていたからなのだろう。


「そこでラファさんに2つの選択肢を提示します。クラス3で同じような実力の子達と切磋琢磨をするか、クラス2で血反吐を吐くような思いで食らいついていくか。どちらを選んだとしてもラファさんの意思を尊重します」


 事実上の合格宣告。

 そして、ここでクラス2を選べばクラス2に配属されることとなるだろう。


 それならば私が選ぶのは勿論ひとつ。


「クラス2を希望します。きっとその方が強くなれると思うので」


「ええええ、きっとそう答えてくれると思っていました。――では、新たなる選択肢を提示しましょう。同クラスだけでなく他クラスの生徒からもその存在を疑問に思われ、馬鹿にされ、授業についていくことすら難しく、成績はいつも最下位。ひとつ下のクラスですら自分より全員好成績な中、それでも強さを求めて『クラス1』に入る。そんな選択肢はいかがですか?」


 ペン先を天井に向け、今日1番の笑顔でヤミア先生が問いかける。

 無邪気な子供のような笑顔。私と似ていると思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。


 ヤミア先生の提示した新たな選択肢はクラス1。


 ここでそれを選べばきっと本当にクラス1に入学できるのだろう。


 そしてヤミア先生が言った通り、周りから疑問を持たれ、馬鹿にされ、虐められる。

 華々しい学園生活を代償にして得られるのは、クラス1という地位と、王国で受けることのできる最高の授業。


 数秒悩む。

 いや、答えは出ているのに、切り捨てる選択肢が名残惜しくて即答ができない。


 だがそれも数秒の話。



「クラス2を希望します。クラス1はきっと身の丈に合わないでしょう」


「虐められることが怖いですか?」


「そんなものは怖くもなんともありません。ただ、私ではきっとクラス1の授業についていくことができないと思ったからです。身の丈に合わない授業を受けても、強くはなれないと思ったので」



 クラス1に用意されるのは天才に向けた最高のカリキュラム。


 それは決して凡人用ではない。


 私が無理して受けたところできっとその恩恵を十全に活かすことはできない。凡人であれば凡人用の授業を受けた方がその成長にも繋がるはず。



「んー、なるほど。では授業についていけるのであればクラス1に入学すると?」


「…体験授業でもあるんですか?」


「いいえありませんよ。でも私はクラス1の授業を知っています」


「ヤミア先生は、私ならついていけると思ってらっしゃるということですか?」


「今のラファさんでは無理でしょうね。なのでこれは選択肢ではなくご提案になります。――来年の頭から、入学までの3ヶ月間私とつきっきりで勉強をしませんか?宿代も食事代も全て私が出しましょう。ラファさんからするとただ入学が3ヶ月早まるだけのようなものです」



 紫紺の瞳が私を貫く。

 軽い口ぶりではあるが、ヤミア先生からは今日で1番強い意思を感じる。


 まるで最初からこの提案を決めていたかのような…


 …いや、きっと決めていたのだろう。

 思えば初日の試験もヤミア先生はこの目をしていた。


 彼女は本気だ。どうして私にこんなに肩入れをしてくれるのかはわからないが、彼女は本気で私に教えようとしてくれている。



「…ちょっといきなり過ぎましたかね。親御さんとの相談も――」


「是非お願い致します。どんなことでも必ずします。お忙しい日は1日に一言二言でも構いません。邪魔な場合は追い出して下さっても構いません」



 唐突だけど、とても魅力的な提案。

 早く独り立ちして、早く良い授業を受けたいと思っていた私には渡りに船。


 それで本当に入学までにクラス1に追いつけるのなら。


 それで本当に私が天才に追いつけるのなら。


 いや、追いつけないのだとしても、その機会は無駄にしたくない。


「どうか、非才の私に天才に追いつく機会をご用意ください。決して無駄にはしません」


 思い出すのはトゥリーの姿。

 彼もまた非才でありながら天才に並ぼうとしている。

 1年の生まれの差があるとはいえ、今はトゥリーに一歩先を行かれてしまっている。


 まずはすぐにでも彼に追い付かないと。


 立ち上がり深く頭を下げる。

 この機会を絶対に逃してはいけない。


 私がなりたい『なにか』なんてまだわからない。


 でも今これを逃してしまえば『なにか』が何かわからないまま終わってしまう気がする。


 そう。きっとヤミア先生が言っていたように、妥協を経て、何者にもなれず、何もできず、何がしたいかもわからずに。



 私がなりたい『なにか』に続く道はこれしかない。


 その先に何が待つかはわからないけれど、進むべき道は決まった。


 だからどうか進ませてくださいと。右手をヤミア先生に差し伸ばす。きっとこの方に、この手を引いてもらうことでしか、私が望む『なにか』には辿り着くことができない。




 伸ばした右手は優しく両手で包まれる。


 私よりも小ぶりだが、私よりも剣胼胝(けんだこ)の大きな手。




「――はい。必ずラファさんの時間を無駄にしたりなんてしません。私はそのために教師になったのですから」



 

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