沈丁花の咲く家
「俊葵さん。冷蔵庫のウィルキンソン飲んでいい?」
風磨は、玄関の脇の暗室兼物置に居る俊葵さんに聞こえるように声を張り上げた。
「いいよ。」
風磨は俊葵の別宅に来ていた。
“ひかりあそび”は、大体、土日の二日に渡って開催される。姫島の島民以外は、姫島小中学校の廃校舎の二階にある民宿に宿泊する。風磨は俊葵の家に泊めてもらうという条件で、親の了承を得て参加している。
もう何度も泊めてもらっているおかげでどこに何があるかは把握済み。冷蔵庫も勝手に開けていいと言われている。
俊葵は、高校生くらいまでこの家で暮らしていたのだそうだ。
島には珍しい緑の屋根に漆喰の壁。白いペンキを塗った木製の垣根と門がちょっとメルヘンチックで、ピンクと白の沈丁花が咲き始めた広い庭があって、
他に家族は住んでいない。
ーーそう言えば、俊葵さんの家族の話を聞いたことがないな。僕も自分のは話したこと無いけどね。ーー
「風真〜ぁ、先に風呂入っとけ。俺、やっとくことあるから。」
物置&暗室からくぐもった声が聞こえる。
「おけぇ〜、だけど、先に現像入っちゃダメだからね。僕も見たいんだから!」
「分かった、分かった!でも、風呂上がりに良いのか?現像液の臭いついちまうぞ!」
「いいの、いいの!じゃ、お先〜」
風磨は、バックを開けて、お風呂セットを取り出した。
「お、お〜い。風真!電話鳴ってるぞ!」
風呂の外で、俊葵が呼んだ。
ちょうど服を着たところで、ドアの間から差し入れてくれたのを受け取った。
光生だ。
『びでおつうわしよ。』
『いいけど、』
「光生君。練習終わったの?こっちは、22:00だから、そっちはサマータイム込みの7時間差で、15:00だね。」
風磨は、片手で髪を拭きながら、話しかける。
『Hiya!』
明らかに、光生ではない金髪の男が映っている。
「え、え、ま、間違えました。ごめんなさい!」
『待て待て、切るな!』
光生が誰かと揉めてる声が遠くから聞こえる。どうやら、通話を始めた途端、誰かにスマホを取られてしまったらしい。
台所に居た俊葵が、僕の謝る声を聞いて変に思ったのか、顔をのぞかせる。
風磨は、肩をすくめた。
『ジョシュア!おまえ、ふざっけんなよ!』
ワーワーと、そのジョシュア以外にも、声からして、かなりの人数がいるようだ。
英語か何語か分からない謎の言葉を喋る誰かが受け取るたびに、
『フーマ?』『オーフーマ!』『フーマ!ワッハッハ』
と、口々に風磨の名前を呼んでくる。
俊葵がグラスと缶ビール、風磨にはオレンジジュースを持ってきて向かいに座った。
「大丈夫か?」
俊葵が口パクで聞いてくる。
「うーん。分かんない。電話の主は僕の友達なんだけどね。なんかさ、スマホが色んな人の手に渡ってるみたいで、」
『おい、風真。誰と喋ってんの?そこ、お前ん家じゃねぇの?』
やっと、カメラに光生が映った。あのピッタリとしたウェアーではなく、胸に日の丸が付いたジャージを着ている。光生もシャワーを浴びたばかりなのか、普段は黄色味の強い髪の毛が黒味がかって見える。
「俊葵さんの所。今日、“ひかりあそび”の日だから。」
『ふぅ〜ん。泊まるのか?』
「そうだよ。明日は撮影会なんだ。」
『大丈夫なのか?』
「元気だよ。」
『そうじゃなくて、その、トシキさんて人。』
光生の目がギラっと光って見えた。
「え?」
向かいで面白がっているのか、俊葵が目をキョロキョロとさせる。
「光生君。何言ってるか分かんない。」
ーーほんと、何言ってるか分かんない。分かったのは、俊葵さんに対して失礼なこと言ってるって事だけだよーー
風磨は首から上をぺこりとさせて、俊葵に謝る。
俊葵は、口の端をぐっと引き上げて、ビールをゴクリと飲み込んだ。
『すまん。お前、無防備だからさ。つい、な。』
ーー全く!こんな安全なところで、無防備も何もないじゃない!ーー
と言いたいところをぐっと堪えて、風磨は話題を変えた。
「いつものあれ、言って欲しくてかけてきたんじゃないの?光生君。」
『え?あ!そ、そうなんだよ!いいか?』
「もちろん!いい?言うよ。」
『頼む!』
少し寄ったのか、光生の顔が大きく映った。
風磨は、スゥーっと大きく息を吸い込み、
「光生頑張れ!明日は優勝だ!」
とスマホに向かって叫んだ。
光生は、それを目を閉じて聞き、ゆっくり目を開けると、誰が見てもうっとりするような笑顔を見せた。
そして、
『サンキュー!風真。あのさ、俺、話あるんだ。帰国したら連絡する。じゃな。』
と言うと、風磨の返事も待たず、いきなり接続が切れてしまった。
風磨は呆気にとられ、待ち受けに変わった画面を見ていたが、「ほれ、」俊樹が差し出すペットボトルの栓を捻った。
プシュー。俊葵も二本目の缶を開ける。
「風真。コウキって、畠山 光生の事か?」
「俊葵さん知ってるの?あー知ってるよね。ナショナルチーム所属だも…」
「そうじゃなくて…」
珍しく俊葵が僕の言葉を遮った。
「さっき、畠山の周りの奴が喋ってた言葉、お前意味わかるか?」
風磨は首を振り、首を傾げた。
俊葵は、苦笑いし、
「そう…か。お前、畠山をどう思ってる?」
と、聞いてきた。
「え?友達だよ。高三になって光生君が転校してきてからだから、まだ日は浅いけど。」
「ふーん。」
俊葵はまだ少し湿っている風磨の髪の毛をパラっと掬った。
「風真…」
「なに?」
「いいか、畠山に何を言われても、嫌な事は絶対に断れ!関係性を壊したくなくても断れ!場合によったら転校してもいいっていう勢いで断れ!その時は俺が面倒見てやるから東京に来い!」
そう言って、俊葵さんはふぅーっと大きく息を吐いた。
僕は、俊葵の顔を見つめた。
ーー光生君といい、俊葵さんといい、一体どうしたって言うんだろーー
「俊葵さん。そんな、訳もわからず僕が、『うん』て言うはずないでしょ?説明してくれるよね?」