ペイフォワード⑫
その日の午前、俊葵の父、戒田 糺の秘書である西崎 羽澄は、ただしが経営する会社の顧問弁護士、二神 晃澄の事務所を訪ねていた。
「当事者はこの件を警察に届けるつもりはないんだね?」
晃澄は、先程も聞いた同じ質問を投げかける。
西崎はムッとしたように口をへの字にすると首を横に振った。
「そもそも、あなたに話す必要はなかったんだ。ただ社長が、二神さんは話を全て聞かない限り納得しないだろうと仰るから、」
晃澄は苦笑いしている。
「お前ならそう思うだろうね。だが、俺はお前たちがかつての成功体験を過信してやしないかと危ぶんでいるんだ。あの時とは相手が違う。」
羽澄は、キッと晃澄を睨んだ。
「もちろん、相手が大きすぎるのは百も承知です。それに、お忘れのようですから再度付け加えさせてもらいますけど、あの高峰 由稀世が姿を現したんですよ。警察は彼の生死さえ突き止められなかった。その警察を頼れと?」
「それも、お前が直接見たわけじゃない。」
「は?」
羽澄は腰を浮かした。
「失礼します。用事は済みましたから。では、」
来客用ソファーの脇に立てかけておいたビジネスバッグを引っ掴んだ羽澄の背中に向かって、晃澄が宥めるように言った。
「分かった分かった。そうカッカするなよ。吉野は紹介してやるから、」
吉野。吉野紀之は、晃澄が情報屋として使っている探偵の名前だ。以前高峰 由稀世に拉致監禁されていた吉野を羽澄、伯方、太郎、深見の手によって救い出した経緯がある。
「紹介は要りませんよ。吉野さんとは面識がありますし、ただ、吉野さんに仕事を依頼するなら、あなたにはある程度の情報は渡さないと彼もやり難いだろうと思っただけで、」
振り向きもせず言う羽澄に晃澄は溜め息を吐いた。
「おい、羽澄。早とちりするな。お前が糺社長の秘書なら、俺は顧問弁護士だ。社長がこの件に関わるなら、俺も無関係ではない。」
羽澄が振り向いた。
ホッとしたように晃澄が微笑む。
「吉野には、この事に最優先で当たるように言っておく。」
フフ、
「大学からの親友とは言っても、あなたの事務所の専業じゃないんですから、その言い方はいくらなんでも横暴でしょう。」
「じゃあ、調査の費用は事務所につけろと言う。」
「それは結局、糺社長からの顧問料に含まれるんですから、カッコつけたって無駄です。」
羽澄はツンと鼻を上に向ける。
ムウッと押し黙った晃澄は、しばし羽澄を見つめると吹き出した。
「口じゃお前には勝てねぇよ。」
「情けないですね。それでも弁護士ですか。」
羽澄の剣がいくらか和らいだのを感じ、晃澄は微笑んだ。
「そうだな。まずは、前橋会長の弁護士と会ってみようか。俊葵君に繋いでくれるように言ってくれるか?」
羽澄は頷いた。
「ええ。餅は餅屋と言いますし、私もいい考えだと思います。」
「もち...」
晃澄の顔が引き攣った苦笑いを浮かべた。
晃の様子を見る事なく羽澄はスタスタと出口に向かい始めた。
「あ、羽澄。」
なんだと、眉間に若干の皺を寄せた羽澄が振り向いた。
「俊葵君が会った男は、高峰 由稀世だと俺も思う。」
「直接見てないのに?」
「勘だ。俺はお前の勘を信じる。」
フフ、
「やっぱりあなたは弁護士らしくないですね。」
薄く笑うと、羽澄は部屋を出て行った。




