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風を感じるために生まれた  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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ペイフォワード①

「え、」

真新しいスマホの画面を眺めていた俊葵は、もう一度画面に顔を近づけた。両目とも視力が1.5。その内容を見間違えるはずはない。

昨夜の事が有り、今までの番号を使わない方が良いと判断した俊葵は、ついさっき新しいスマホを契約してきたばかりだ。高校の授業中であろう風真には、その旨、留守電のメッセージで残しておいたのだが、すれ違いに昼休みの風真の方から届いたラインに戸惑う。


「何やってんだ。一人でぶつぶつ…ひょっとして女か?」


頭上から、必要以上に通る声が落ちてきて、慌ててスマホを伏せる。

ノックの音にも部屋に入って来たのにも気付かなかった。

声の主は顔を見るまでもなく、待ち合わせている男だ。

俊葵は立ち上がり、会釈する。

男は、当たり前のように返礼する事なく、向かい側にドカリと腰を下ろした。

男の代わりに、後ろに控えているかなり年嵩の男が姿勢正しくお辞儀をしている。


「お忙しいところありがとうございます。」

フン、

わざわざ出向いてくれた礼を言った俊葵を男は鼻で笑う。

「お前が俺に頼み事をしてくるなんて一生無いと思っていたがな。」

嫌味を言わずには一日も居れないこの男の性分は相変わらず、

「で、お前の頼みを聞く前に知りたいんだが、その頼み事を聞いて、俺に何の得があるって言うのかな?」

と言うと口端をひん曲げた。



会見場所として指定されたここは、都内屈指のラグジュアリーホテルだ。前面を和洋折衷の庭に、上と横を深めの軒と壁で切り取られた個室は、解放感がありながら、外から覗かれる心配が少ない。

その暖かな光景の中に居ながら、言葉を発した男の隣り、一人掛けの籐椅子に座って耳を傾けていた長井の背中を、冷たいものが流れた。


亡くなるまでの数十年、公設第一秘書として仕えた先代、橋本 幸一の実の孫、戒田 俊葵が今日の会談の相手だ。

長井自身は直接関わることはなかったが、15年ほど前に、幸一の関係者が起こしたスキャンダルに巻き込まれ、酷い目に遭っていた俊葵を、当時の第二秘書であった西崎 羽澄はずみが職をして助けた。その一方で祖父であるはずの幸一は、ほとんど手を出さなかった。

幸一は優秀な西崎の復職を望んだが、二人の信頼関係は回復しなかったようで、西崎は間もなく退職していった。


俊葵が巻き込まれたスキャンダルは、現職国会議員が裏で行なっていた組織的犯罪。更に警察官の犯した殺人がその引き金であった。警察官は罪を告白した手紙をマスコミに送りつけ自殺。その手紙には、国会議員 伊野業いのごう 克哉かつやの実名が記されていたため、議員は辞職し、刑事裁判で有罪判決が下された。すでに出所しているが、組織の解明はほとんど終わっておらず、戦々恐々としている国会議員も多いと聞く。他にも民事裁判は継続中で、裕福だった伊野業家は、その損害賠償で資産のほとんどを使い尽くすだろうと言われている。


何の得が…と言ったこの男、弓削 慎之介はまだ、当選二回、七年目の若手でありながら、党の重鎮であった橋本 幸一の後継者として、党内外の役職をいくつも兼任している。

そうなるに至った隠れた功労者は、正に今、目の前にいる戒田 俊葵なのだが、そんな俊葵をうとんじこそすれ、感謝する気持ちなど微塵もないというのがこの男らしいところだ。



「何の得…」

俊葵は力強いが形の整った眉毛を歪ませる。


「何も提案が無いのなら失礼する。長井!」

弓削は、ほとんど立ち上がって、叱り付けるように長井を呼んだ。


「ですが…」

長井は気の毒そうに俊葵を見ている。


俊葵は、立ち去りかけた弓削に挑むように言った。

「得るものが無いのはむしろ俺の方さ。弓削、お前には大ありだがな。」


「なに!俺の得にしかならんと?」


相変わらず芝居掛かった口調だ。

国会質問でのこの口調に、SNS上では“予算委員会劇場”とハッシュタグがつけられ、揶揄のような熱狂のような不可思議なブームとなっている。


人を食ったような、この男のマスト顔に戻り、弓削は再び腰を下ろした。


その態度は全く気にならない俊葵は、飄然ひょうぜんと口火を切る。

「ああそうだ。弓削。お前、法務省に顔が効くんだってな。警察はどうなんだ?」


「ふん、」


「それに、オリンピックの招致委員でもあるんだよな。」


「だからなんだ!」


「自国の国民、それもトップアスリートが国際的犯罪の嫌疑をかけられていたとして、それでオリンピック開催国の選定に影響するなんてケチな招致活動してるとは思わんが、ライバルと接戦になった場合には、立派にマイナスポイントになると思うんだが、どうかな?」


グググ、

弓削の怒り眉が動いた。


ーーよっしゃ釣れた!ーー

俊葵は内心、拳を突き上げる。


「国際犯罪の嫌疑?どんな事件だ。」


「マドリード国際ユース。自転車の大会の爆発だ。ニュースになったろ。」


「ん?あ、あー」

一瞬思い出せなかったのか、長井を見て、それから声を上げた。


「日本人の選手が倒れた映像が速報で流れましたね。」

流石に公設第一秘書。長井はどんなニュースでも一通り把握しているようだ。


「実は、自転車協会の前橋会長に頼まれた。選手は未だに帰国できないんだそうだ。会長は祖父さんの古くからの友人で…」

「前橋?オリンピック招致委員のか?」

「ああ、そう…」

「なぜ俺に直接言ってこない?」

弓削が被せるように言った。


「尾行が付いているんだそうだ。」


「会長に?」


俊葵はコクリと頷く。

「挨拶程度しかしたことのない代議士の先生に電話で頼み事をするのは気が引ける。しかし直接出向こうにも、自分は今、自由が利かない。共通の知り合いを探していたら、俺が浮かんだんだそうだ。」


弓削の表情はほとんど変わらないが、明らかに纏う空気の剣が取れた。

長井も身を乗り出した。スポーツの祭典であるオリンピックの招致と国際大会のアクシデントが海千山千のベテラン秘書の脳裏でも直接結びついたのだろう。


「先日、週刊誌で暴露されたらしいが、ユースの日本代表の畠山 光生は、前橋会長の実の孫だそうだ。

その爆発は、事故ではなく事件で、畠山にその嫌疑が掛かっている。会長に尾行が付いているのは、そういうことなんじゃないかと言っていた。」


「ふん。会長に尾行が付いているって事は、まだ捕まってないという事だな。」


弓削はギョロリと俊葵を見据えたが、俊葵は恐れるどころか、待ってましたと内心喝采を送る。

そして、用意してきたセリフを吐いた。


「そうだろうな。じゃなきゃ、会長を尾ける意味はないだろうし、」


「で、具体的には何を望んでいる?」


「速やかにチームを帰国させて欲しい。それから、畠山に本当にそんな嫌疑が掛かっているのか、事件の詳細も調べて欲しい。」


うむ、

弓削は唸った。ここに来てまだ、自分が動く価値を計っているようだ。


「知ってるとは思うが、畠山は日本自転車界切っての逸材だ。既にユースでは、世界的なスプリンターとして活躍している。今日本が狙ってるのは8年後のオリンピックだろう?8年後、畠山は25歳。自転車選手としてはピークだ。メダルだって大いに狙える。それに、相当の色男だ。招致活動に使えるぞ。」


それを聞いていた弓削は、確認を取るように長井を見た。長井はゆっくり頷いて見せる。


「警察庁の知り合いに聞いてみよう。しかし…」


「しかし?」


「もし、畠山がやっていたらどうなる!」


「俺も前橋さんにそう言ったんだ。だけど前橋さんには、畠山がやってないっていう確信があるようだ。実の孫なら誰しも庇うものだと思うだろう?でも前橋さんは、畠山が実の孫だなんて今まで俺にも言わなかった。そんな、公私にしっかり線を引く前橋さんが、情だけで、孫を庇ったり匿ったりするはずがないと思うんだよ」





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