過去からの亡霊③
ボスっ、
支配人自ら部屋に案内してくれた。俊葵は、一人になると急に疲れを覚え、ベッドに倒れこんだ。
俊葵の打ち明け話に、顔色一つ変えなかった支配人はさすがだ。
もちろん、光生の内情までは話してはいないが、
誰かに尾けられていて、尚且つ、それを巻いてきたとなれば、十分穏やかな話ではないだろう。
ゴロッと転がり、高さのあるクラウンモールディングが施された天井を見上げる。
糺同様、俊葵も老舗シティーホテルとしては高いこの天井高がお気に入りだ。
俊葵は、アラベスク模様の一つ一つを目で追いながら、人形のような顔をしたもう一人の男のことを思い浮かべていた。
支配人には、ある人物と会った場所から尾けられたようだと話したのだが、
背中越しに俊葵を観察していた方の男は、あくまでも、存在を消そうと努めていた。あの人形のような顔をした男が俊葵に話しかけた途端に、姿を隠してしまったほどだ。あの二人が一つのチームだとして、これほど方針が違うことがあり得るだろうか?
人形男が言った一言が耳の奥に蘇った。
『日本語が話せない演技はあんなにお上手だったのに…』
それを聞いた瞬間、とんでもないまでの恐怖心が込み上げ、気がつくと俊葵はドアの外に飛び出していたのだった。
妖しげな艶を放つ横顔、
あのカフスと襟元から覗いたケロイド状になった肌…
背中をゾクリとしたものが走る。
俊葵はサイドテーブルに置いていたスマホに手を伸ばした。
もう二度と俊葵自身の事で迷惑を掛けたり心配させたりしたくないと思っていたために、今回は連絡を取らないと決めていた人物の電話番号を表示させる。
「うーん、」
画面を見つめたまま、押せばいいだけの指の覚悟がなかなか決まらない。
光生の件に関係あるのか、たまたま時期が重なっただけか…
兎にも角にも、あの男が接触してきた以上、もう俊葵一人の手には負えないのだ。
はぁ〜、
大きく息を吐く。
俊葵はその番号を今度は確実にタップした。
電話は三コール目で通じ、掛けるかどうか迷ったというのに、俊葵は、早速聞こえてきたその声に安らぎを覚えた。
『おまたせしました。俊葵さん。お久しぶりです。』
「遅くに済みません。」
『いいえ。まだ休む時間ではありませんから。どうされました?』
その言葉は、話をどう切り出そうか、ああでもない。こうでもないと頭をひねっていた俊葵をホッとさせた。
「ははっ、西崎さんには何でも見透かされているような気がするな。」
『そんな事もないですけど、もう何年も会っていない人が突然思いつめたような声で電話を掛けてきたら何かあったと思うのが普通でしょう。』
「俺の声そんなに暗かったですか?」
クスッ、
『ええ。それより本題を聞きましょう。まだ寝る時間ではありませんが、無駄にしていい時間というものは存在しませんからね。』
相変わらずだ。
俊葵はニヤリとして、先程あった出来事を順を追って話し始めた。
「前橋さんに会う約束があって、」
『ほぅ、あの、橋本先生のご友人の前橋 銀次郎さんですか、』
「そうです。」
そこで俊葵は、はたと口を噤んだ。その会見場所の特殊性をどう説明したらいいのか…
これを理解してもらうには、前橋に会うに至った経緯を話す必要があるのだが、
はぁ〜、
『俊葵さん?』
「はい…西崎さん、西崎さんには必要ない一言だとは思いますが、これから話す事は、人一人の命と名誉に関わる話を含みます。それでもいいですか?」
『…承知しました。お聞きしましょう。』
西崎の声のトーンが一段と低くなる。
俊葵は再度、今日あった出来事を話し始めた。
電話の向こうから、紙の上をペンが走るサラサラという音が止んで、
『大変な一日でしたね。』
西崎が柔らかな声で言った。
「あ、はは…」
『話を聞いただけですので、断定してしまうのは些か気が引けるのですけど…』
「いえ、西崎さんの考えが聞きたいです。」
『分かりました。では、
俊葵さんに話し掛けて来た男雛のような顔をした男というのは、俊葵さんが考えていらっしゃる通り、高峰 由稀世で間違いないでしょう。』
ああ…
俊葵はため息を漏らした。
もちろん。勘違いでないとは思っている。しかし他の人間の口からそれを聞かされると、もう、現実だと認めるしかなく…
『俊葵さん。大丈夫ですか?』
「あ、はい…」
『あの嵐で、生きていたとは信じ難いのですが…』
あの日、島の駐在を瀕死の目に遭わせて波間の邸宅から逃走した高峰 由稀世は、荒れ狂う海にディンギーを繰り出し、炎上した後、波の間に消えた。その死体は今もまだ見つかってはいない。




