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風を感じるために生まれた  作者: 新井 逢心 (あらい あいみ)
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コントラスト⑤

「次は停止液だ。となりのバットに入れる。端っこを優しく摘め。」


風磨は、写真現像のイメージそのものといった酸っぱい臭いを放つ酢酸の溶液に印画紙を沈めた。

俊葵が竹トングで印画紙の対角二点を持ち上げ、溶液の中でそっと揺らした。バットの上に波が起きる。


「満遍なく液を行き渡らせないといけないが、一点だけを摘むと印画紙が痛む。だからこうするんだ。さ、もういいぞ。次は定着液だ。その隣のバットに入れろ。」


「その次は水洗だが、バライタ紙の場合5分かかる。慣れたらその間に何枚か露光しておいたりするんだが、今は、この一枚だけにしておこう。」


「え?」


三つのバットにたっぷり作った溶液で、作るプリントがたった一枚とは、


俊葵が苦笑いした。

「まあ、その意味については後で話してやる。」

そう言って、水道のカランを捻った。


水道の蛇口に直結させた水洗器具はステンレスで出来たバットで、蛇口に繋がっている方の対角線上に排水のパイプが繋がっている。


「5分経ったら戻ってこよう。その間にコーヒーでも入れようか。」

俊葵は、もう一度引き伸ばし機の前に印画紙が出しっ放しなっていないかを確かめて、ドアを開けた。


この水洗が、RC紙なら、2分で済むそうだ。

俊葵によると、今では、プリント自体をしなくなったフォトグラファーもいて、プリントを続けている人の中でもRC紙だけを使う人も多く、バライタ紙愛好者は絶滅危惧種だそう。


5分後、また暗室に戻って、印画紙を引き上げた。

普段は、流しの上に渡された物干しロープに洗濯バサミで吊るし、自然乾燥させる。今回はこのプリントを教材にするからと、スポンジで表面の水気を拭って、ドライヤーで乾かした。


早速、プロですらバライタ紙を敬遠していくという問題にぶつかった。

プリントが乾燥でかなり縮んでしまったのだ。

その解決に、ドライマウントプレス機という機械が登場した。それを見て風磨が、「うちのワッフルマシーンに似ている。」と言うと、俊葵は大笑いした。

仕組みはワッフルマシーンと同じ。温まった鉄板と鉄板の間にプリントを入れ、熱と圧をかけてフラットニングする。


「ふぅ〜」

風磨は思わずため息を吐いた。


「だろ?」

電子レンジでコーヒーを温め直している俊葵がニヤリと笑う。

「だから、取り敢えず一枚だけにしておこうと言ったんだ。」


コクリ。風磨は頷いた。


「初めてのことをする時は誰でも疲れるさ。疲れた時には素直に休むもんだ。」

と、コーヒーカップを置く。

「それより、どうだった?初めて画像が浮かび上がってきた時の気分は、」


「うん。巻き戻した映像が再生されるみたいだった。」


「巻き戻した映像か。面白い事を言うなあ。」


「うん。あれを撮った時、校庭に出るんで、光生君、下を向いて靴を履いてたんだ。名前を呼んで、顔を上げたところをパシャっと、びっくりした顔を撮るつもりだったのに、あんなに素敵に笑ってたなんて…」


「なるほど。だから、巻き戻した映像なのか…」


風磨は頷いた。


それから、光生が写ったプリントを元に検討して、少し光生の顔が白くなり過ぎているという事になり、今度は露光時間を色んなパターンで変えてみるーーテストプリントをするために、また暗室に戻った。



モノクロ写真を自分でプリントする場合、出来ることは露光時間を変える事だ。

黒、グレー、白のバランスを変えると、印象の全く違う写真ができる。


「この、畠山のカットは、このいかにも学校らしい背景が写っているのも重要なポイントだ。

カメラは、フォーカスもオートメーションになってから、背景が切り取られることも多くなった。しかし、風景写真以外でも、背景を人物を物語る要素として活かさないと勿体無い。写真は、いざシャッターを切ってしまうと、足すことはできない。引くことしかできないからな。」


「うん。僕も、もっとこう、日常にいる光生君って感じにしたいな。」


「それには、コントラストが大事なんだ。」


「コントラスト…よく聞く言葉だけど、どういう意味なの?」


「簡単には『明暗の差』のことだ。もう日本語のようにも使われていて、『対比』の意味で使われてる。具体的にはこうしようと思うんだ。」

と言って、俊葵は赤いマーカーを手に持ち、光生の頭を避けて、まるで伸びた水風船のような囲みを描き、余白にマイナスと書いた。


「畠山の顔を若干露光時間をプラスするから、この部分には覆いをかけて、焼かないようにするんだ。」

「へぇ〜」

「そして、」

そう言って、今度は水風船の周りに何個かラグビーボール型の丸を描く。この部分は人の頭やバックや下駄箱が写っているところだ。


「ここも、マイナスだ。周囲とのコントラストを下げる。

いくら人物を物語る要素と言っても、背景に小道具以上の役割を果たしてもらったら困るからな。」


「存在感があり過ぎるものを抑えるのにも、マイナスは使えるんだね。光生君を引き立てるために、他のものを抑える。でも抑え過ぎると、物語性も、無くし…て、しまう…」


「そうだ。そのさじ加減が難しいんだけどな・・・どうした?暑いか?一旦外出るか?」


急に動きが止まったせいだろう。俊葵が心配そうに風磨の顔を覗き込んだ。


「う、うん。写真には関係ないんだけどさ、一旦外出ていい?」


「あ、ああ、冷たいもんでも飲もう。」


「うん。ありがと、」


俊葵はすぐに、冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを出して渡してくれた。

風磨は蓋を開け、一気に1/3ほど飲んだ。

そして、

「俊葵さん、あのさ、どうして光生君親子がゲイの事カミングアウトしようとしたか、分かった気がする。」

と言った。


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