キューピー先生
「ったく!キューピーの野郎、話、長っげぇーんだよ!」
ボヤきながら、白石 良太が風磨の横に並んできた。
「はは。そだね。」
始業式を終え、ボーっとした頭でただみんなの列に付いていってるだけの風磨はそれほど嫌でもではなかったけれど、確かに挨拶は無駄に長かったから、一応頷いておいた。
廃墟となっていた元県立高校の分校だったこの場所に、県と地元の農業法人と共に単位制私立高校として立ち上げた校長先生を風磨は尊敬している。
高一の二学期、突然転校することになり、お母さんに引き摺られるようにして連れてこられた校長室を、風磨は一生忘れることはないだろうと思う。
「風磨君。人は裏切る生き物なんだよ。」
寝食を忘れる程励んだ受験勉強の末に入学した前の高校で、同級生に裏切られ、教師に失望し、自暴自棄になりかけていた風磨に校長は言った。
思わぬ言葉に、風磨は不貞腐れ俯いていた顔を上げた。
「僕は裏切らないです。」
「裏切るさ。」
風磨は校長先生を睨んだ。
「『自分はここまでしかできない。』『自分はこんな人間だ。』という思い込みが自分への信頼と言うのなら、風真君、君は自分自身を裏切るんだ。」
ーーこのおっさん、なんだかいい感じの事言ってるーー
それでも少しバツが悪くて、風磨は俯いた。
「風真君は、友達に裏切られたと思っているんだね?」
グサっときた。でも、それを抑えて風磨は頷く。
「それは、『自分がこうしたから、友達はこうするべきだ。』という理屈に合わなかったからだね?」
それには頷きたくなかった。黙って視線を返した。
「この出来事以前の風真君の目には、先生も友達も風真君と同じ価値観を持っているように見えたんだろう。だけどね、」
校長先生は膝の上に肘を突き、十本の指を組んだ。そして俯いてる風磨の顔を覗き込むと、
「それはこの際、関係ない。」
と言い切った。
風磨はガバっと顔を上げた。抗議の意味が伝わるように出来るだけ勢い良く。
そんな風磨に校長目を細める。髪の毛がほとんど無くて、色白で頬っぺたが赤いから、そんな表情をするとますますキューピー度が高くなる。
「先生や友達が、自分自身を偽ってるかどうかはこの際関係ないんだ。人にはそれぞれ無数の選択肢がある。あの時、先生はその発言を選び、風真君はあの行動を選び、友達はその態度を選んだ。」
校長先生はそこで言葉を切った。
風磨にその言葉が馴染むのを待ってくれるつもりらしい。
風磨が顔を上げると、校長は微笑んだ。
「風真君は、あの時の行動を後悔しているかい?」
風磨の目が少し泳ぐ。
「ふふ。いいんだよ。何でも思う通りに言っていい。」
僕は頭を振った。
「もっと、上手に立ち回れば良かったと思うかい?
風磨はハンカチを握りしめ鼻を真っ赤にしている母を見遣る。
「正直に言ってくれた方がいいですよね?お母さん。」
校長の言葉に、母は声も出さずブンブン頷いている。
「…ぉ、思わない。」
風磨の声は掠れていた。
それを聞いた校長は笑顔を輝かせた。
「じゃあ、風真君は、自分を偽らなかったという事だ。」
はぁ〜
知らず大きなため息が出る。
「でも、僕は僕を裏切るんでしょう?」
いくらか気分が軽くなった風磨が甘えるように言った。
校長は手を伸ばし、風磨の頭を撫でた。
「生きていくということは、変わっていくということだからね。」
風磨は、もっと楽になってしまいたい。そんな衝動に駆られた。
楽になるという事は、今の重りを投げ出す事。重りを持っている事を認める事。
「先生。さ、アイツのこと、嘘ついてるんだぜって、みんなの前で暴いてやりたかったんだ。先生のことも、こいつの化けの皮剥がしてやる!って思ってたんだ…」
お母さんが、僕の腕をそっと摩った。
「それって、あの先生も、自分で選んだ。僕も…友…だち、も、それを自分で選んだ。ただそれだけ…そういう事?」
『友達』と言う時、ちょっと胸が疼いた。
校長はコクリコクリと頷いている。
「それもまた、笑い話になる時が来るよ。きっと、」
そう言うと校長は立ち上がり、開けていたスーツのボタンを閉めた。
そして、
「さ、これで試験はお仕舞いだ。花池風磨君。おめでとう。これで君は青海学園の生徒だよ。」
と右手を差し出した。
校長の手は大きくて柔らかい、人柄そのものの手だった。