最善
「うん。大丈夫だよ。俊葵さんに代わる?そう?うん。分かった。お母さんもちゃんと戸締りしてね。おやすみ。」
「電話代わらなくて良かったのか?」
料理の皿を運びながら、俊葵が聞いた。
「うん。良いって。あれ?お母さんと話したかった?」」
俊葵の手がぴたっと止まった。
「なぜだ?」
「だって、お母さん美人だから。」
「美人だとどうして話したいんだ?」
風磨は天井を仰ぎ見た。
「もういいよ。早く食べよ。美味しそう。」
テーブルには、大根やキャベツやナスや人参を唐辛子、生姜、ニンニク、名前は分からないが、エスニックな味のするスパイスやごま油で味付けしたおかずが並ぶ。
怪訝そうに首を振りながら、俊葵が席に着いた。
「うん。美味い!俊葵さん。料理上手だったんだ。」
「そうか?あり合わせを適当に炒めたり、炊いたりしただけだぞ。」
「でも、こんなエスニックな味のもの作れるなんてすごいよ。」
風磨は、星型の茶色のものを箸で摘んだ。
「それはアニスだ。インドネシアにいた時に、これを使った鶏肉と野菜の煮込みを死ぬほど食ったけど、なぜか今でも無性に食べたくなる。」
そう言って、アニス味の大根を口に入れる。
「それって、おふくろの味みたいだね。」
「おふくろ?俺におふくろはいない。」
そう言って、俊葵は眉に皺を寄せた。
俊葵は、外国での暮らしが長いせいか、時々、ものの例えが通用しないことがある。それでも、初めて、俊葵自ら進んで口にした家族の話に風磨は興味が湧いた。
「そうなんだ。そのつもりは無かったけど、辛い事思い出させてしまったんならごめんね。」
だからと言って風磨も無理に聞き出したいとは思わない。そこのところは強調しておく。
「いや。全然。秘密にしてるつもりもないが、話す相手は選びたい類の話だからな。お前ならいいさ。」
そう言って、風磨の取り皿に、豆腐とトマトの炒め物をよそった。
「ありがと。」
風磨は、取り皿を受け取り、その酸味の効いた麻婆豆腐のようなおかずをご飯の上にかけた。
俊葵は箸を握ったまま、宙に目を這わせている。
ーー無理してないと良いけどーー
風磨は俊葵を見上げた。
俊葵はクスッと笑い、静かに口を開いた。
「俺に母親は初めからいなかった。俺はこの形だ。母親は外国人だそうだ。」
「え、あー、お母さんと会った事ないんだ…」
俊葵は頷いた。
「俺の最初の記憶は父親との二人暮らしだった。次に気がつくと、妹…葵が居た。」
「気がつくと?」
おうむ返しに聞く。
「ああ。まあ、俺も四歳だったわけだから、」
俊葵は、朝、コーヒーを飲んでるマグカップで、ぐいっと番茶を飲んだ。
「そっか、僕も四歳位の事はほとんど覚えてないよ。
…ん?気が付いたらって、葵さんが生まれた頃の事を覚えてないって意味ではなくて?」
俊葵は首を横に振った。
「葵と俺の母親は同じらしいが、別々の時期に父親の籍に入れられている。」
風磨は箸を取り落としてしまった。
ーーこんな話ってある?ーー
俊葵はフフと笑い、風磨の箸を拾い、皿の上に載せてやった。
「父親が24歳の時に俺が生まれている。事情はある程度推測してるが、父親はそれについては何も言わなかったし、何の書類も残していない。
若い頃の父親は、フリーのジャーナリストだった。俺が生まれてからも世界中を駆け回っていた。この家が建ったのと同時期に葵が来た。俺が中学に入学する頃、父親は国会議員秘書に転身した。祖父さんが参議院議員だったからな。その後継者になるための修行に入ったってところだな。」
ーーそれにしてもすごい変わり身だ。国会議員の秘書なんて、こんな島に住んでいてできるものではない。況してや後継者なら…例えば本島ならここより便利だけど、やっぱり地方住みって訳にはいかないだろう。子供の頃、俊葵さんと葵さんはどうやって暮らしていたんだろう?ーー
風磨は口をポカンと開け、ただ話に聞き入っている。
「父親は、俺が出来た時も葵の時も結婚しなかった。父親の結婚は一回きり。その下の弟、祐葵の母親だけだった。」
「えっ、えっ!」
風磨は軽くパニックを起こしてしまった。
俊葵は、そんな風磨を見て、片方の口の端だけを吊り上げて笑った。
「だろ?隠してるわけじゃないが、相手を混乱に陥れるのは必至の複雑さだからな。だからこれまで滅多に人に話してこなかった。」
風磨は頷いた。そしてはっと気づく。
「祐葵さんは?お父さん、お義母さんはどこに?」
俊葵は人差し指を立て、目を上に向けた。
ーーこの上にあるのは屋根だけだけど…ーー
「あ…」
「父親、祐葵、その母親の三人とも一ぺんにな。籍を入れて、すぐの家族旅行の最中だった。」
そう言って、俊葵は微笑んだ。
「俊葵さんと葵さんは、その家族旅行には?」
俊葵は首を振った。
「俺と葵を引き取って面倒見てくれてた祖父さんの妹が、猛反対してな。行かせなかった。」
「それは、虫が報せたんだね。」
風磨はしんみりと言った。
「虫?11月だぞ。ほとんど虫はいない季節だ。」
俊葵が真面目くさった口調で言い返してくる。
「あーそれはね、勘が働いた。という意味でねー、」
「おーそういう意味か。俺は今だに日本語のidiomに疎くてな。父親が生きてた頃、ウチの中での会話はほとんど英語だったからな。」
「え、えーっ!」
「ああ。なんでも、たまに日本に帰ってきて、日本語の思考回路に慣れてしまっては、また元に戻すのが面倒だからとか、」
ーー色んな親がいる・・・昨夜、光生君のお父さんの事を話していた時に僕は何気なくそう言ったけど、本当に色んな親がいるものだ。ーー
「なるほどね。だから俊葵さんは、光生君のことをすごく心配したり、心を痛めたりしていたんだね。」
「え?そうか…そう、かも知れないな。子供は親を選んで生まれてくると言ってた人がいたが、だからと言って、全く独立した人格を持つ個人と個人だ。あまりに子供を振り回す親を見ると腹が立っちまって、な。」
風磨は分かる分かると頷いた。
「光生君にエンパシー感じたんだね。共感っていう意味だよね。俊葵さん。」
「フフ、さっさと食べろ、」
俊葵は風磨の頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でた。
それからは、黙々と残りのご飯を食べる事に専念した。
光生の名を出したせいか、風磨はまた光生の事を考えていた。
ーー光生君と連絡が取れない今、光生君のお父さんはどうしているんだろう。
お父さんが、カミングアウトを認めたのはどうしてだろうーー
ーー俊葵さんは、子供を守るためなら、リベラルなんて糞食らえ!それが親だと言ったーー
ーー全ての親が子供のためを最優先に生きるとは限らない。
だけど、僕といる時の光生君は、とても愛されているように見えた。
支配されて、操り人形のように生きているようには見えなかった…ーー
ーー光生君のお父さんが、光生君を最優先に考えて、カミングアウトを選択したんだとしたら、その方が最善だと判断したからに違いないーー
ーー最善とはなんだろうーー