葵
翌日、姫島は朝から快晴だった。
校庭のど真ん中に会議用テーブルとパイプ椅子を持ち出し、青空撮影会日和だ。
「儂の日頃の行いのおかげじゃぁのぉ。」
最年長参加者の矢野さんが言う。
あまりにベタな発言に、もうすっかり打ち解け合った面々は、
「本当?今度奥さんに聞いてみよ。」
などど返している。
先週、俊葵は今回の種明かしをせずに、『何か、光を通す小さい物を持ってきて下さい。』と、参加者に声をかけていた。
いざ蓋を開けてみると、参加者が持ち寄った‘光を通す物’は、なかなかバラエティーに富んでいた。
ある人は、アクリル製のボタン。
ある人は、ポリカーボネイトという半透明の波板を細く切ったもの。屋根を葺いたり外壁に使うのだそうだ。
矢野と同じく、定年退職後に島に移住してきたという白井は、なんと、指抜きを持ってきた。「だって、こっから光が通るでしょう?」
銀色のカレッジリングのような指抜きの向こう側から目を覗かせるお茶目な白井に、一同大笑いだった。
ふと、視線を感じ、風磨が振り向くと、だいたい5歳くらいの男の子が錆びた鉄棒の柱に凭れ、こちらをチラチラ見ている。
ーー島の子かな?ーー
時々、この講座に飛び入り参加してくる事がある。
風磨は手招きした。
「おいでよ。見せてあげる。」
男の子は、誰に話しているんだろうとばかりに後ろを振り返った。そこには誰もおらず、自分に話しかけられているのだと理解すると、顔を赤らめた。
ーーわぁ、色白でとても綺麗な子だーー
一目で風磨にも、この子が島に住む子供ではないことが分かった。
「今ね、この万華鏡で、キラキラの写真を撮ろうとしてるとこなんだ。
ここから覗くとね、そのまま見る事ができるよ。見てみる?」
風磨が言うと、
「これ、万華鏡じゃないよ。プリングルスだ。」
と男の子は応えた。
目は、見たい見たい!と輝いてるのに、口は素直じゃない。
その声が聞こえたのか、俊葵が寄ってきた。
「お前、名前なんて言うんだ?」
「・・・・」
男の子は黙って俊葵を見上げている。
ーーいつもなら、飛び入り参加の島の子に、名前なんて聞かない。
今日に限って、どうしたんだろう?
別に、材料が質素な事を揶揄されて、気にしたんでもないだろうに、ーー
気になりながらも、しなければならない事がいっぱいで、風磨はその場を離れた。
「すみませ〜ん。」
校舎の反対の方から女性が走って来た。
はぁはぁ…
「ウチの子が…お邪魔してしまって、ご、めんな…さ・・・」
せっかくの太陽が陰ると撮影会は台無しになる。風磨は皆んなのレンズのセッティングのチェックに余念がなかった。
ざわつき始めた空気に気がつき、風磨も顔を上げた。
さっきの男の子の側に女性が立っている。その女性はぽかんと俊葵さんの顔を見つめていた。
俊葵は通常運転中の渋い顔。
「葵…やっぱり、お前んとこの子か・・・」
そう言うと俊葵は眉間に皺を寄せた。
女性はしゃがみ込むと、男の子の肩に腕を回して、
「そうよ。桂葵っていうの。弓削桂葵。よしくん。伯父さんにご挨拶しましょうね。」
と微笑んだ。
風磨に限らず、そこにいた全員が、俊葵と葵と呼ばれていたその女性の姿に、似たところを探して忙しく目を往復させていた。
葵は、髪の毛も瞳の色も黒い。対して、俊葵の髪の毛は日に透けると黄色っぽくも見える栗色で、瞳も薄い栗色。俊葵の性格からして、お洒落で髪にカラーを入れる事はないだろう。おそらく生まれつきの色だ。この二人、少なくとも見た目には共通点が無い。
「へぇ〜、妹さん?いつも、戒田先生にはお世話になってます。」
微妙に居心地の悪くなった空気を察知してか、対人スキル人類史上マックスの白井が、ぺこりと頭を下げた。
葵も、
「こちらこそ。兄がお世話になっております。兄が人様にものを教えて差し上げるようになるなんて、驚いてますわ。」
と言い、にっこり笑った。
それからの時間、撮影会は順調に進んだ。
葵と佳葵も教室に参加することになった。二人は、本島の自宅に帰る途中だったそうだが、フェリーに乗るまで時間があるのなら。と、風磨が教室に誘ったのだ。
桂葵はすぐに風磨に懐いた。
身体を持ち上げられては、皆のレンズを覗かせてもらい、風磨のiPhoneのシャッターを切り、それを確認しては、「もっとこうしよう。」「こうしたらどうなるんだろう?」と、研究熱心さを発揮していた。
青空撮影会の日は、太陽が出ている時間が勝負なので、昼食を後ろ倒しにして、一気にやってしまうことが多い。今日の撮影会は、15:00で閉会となった。
皆で、お疲れさんと言い合いながら、“ひめじま”の食堂に向かう。
完全予約制のこの民宿は予約しなければ、食事にありつけない場合がある。葵と桂葵も参加する可能性があるからと、少し多めに作ってくれるように風磨は事前に頼んでおいた。
「余計な気を使わせて済まんかったな。」
俊葵が風磨に耳打ちした。
「ううん。それより、桂葵君が楽しんでくれてよかった。」
桂葵と葵は、矢野と白井の間に陣取り、楽しそうに話している。
参加者の一人、島の住人の前嶋が立ち上がり、カウンターの端にある大きなアルマイトのヤカンを手に持った。そして、そのついでというように、傍にあるテレビのリモコンに手を伸ばした。
天気予報かフェリーの時刻表かを知りたいのだろう。
ケーブルテレビほど、天気予報とフェリーの運行状況を知るのにいい手段は今のところない。
使い慣れないリモコンで上手くいかないのか、画面がひっきりなしに変わる。
ごく短い瞬間、自転車と大勢の人が走って逃げる場面が映った気がした。
前嶋は、尚もチャンネルを変え続けている。
「待って!さっきの、」
風磨は思わず立ち上がり、大きな声を出していた。
前嶋は、ほれ、と、リモコンを風磨に差し出す。
ぺこりと頭を下げて受け取り、リモコンの数字を押していく。
だけどもうどこにも、そのシーンを映し出しているチャンネルは無かった。
「風真。どした?」
俊葵も立ち上がった。
「自転車、光生君のと同じユニフォームを見た気がして…その直後に大勢の人が蜘蛛の子散らしたみたいになったんだ。前嶋さん。ごめんなさい。」
風磨は前嶋に謝ってリモコンを渡した。
「いや。全然。それより、風真君が言ってるのって、これの事か?」
そう言って、前嶋は自分のスマホを見せてくれた。
そこには、ネットニュースの映像が流れていた。
撮影者は、おそらく外カーブから自転車競技を撮影していたのだろう。画面の奥から手前にかけて、選手が四、五人迫って来る。漕いでいる姿勢から、上り坂のようだ。撮影者は、手前の選手が目当てらしい。突然画像がアップになる。
その直後、映像が大きくブレて、画面には煙と粉塵と逃げ惑う見物客が映り、映像は途切れた。
「風真君。テレビ、出たわよ。」
気がつくと、白井がリモコンを握っていた。
それはさっきとは別角度で撮られた映像で、中世の街並みの角を曲がって来る選手の袖の部分が映っていた。日の丸だ。見やすいように、わざわざクローズアップされている。その後通常サイズに戻ると、画面左から煙が上がり、色々なものが飛び散る。さっきと同一人物だと思われる日本人選手がそのままの姿勢で横倒しになり、ヘルメットが外れて転がった。風磨は目を凝らしたが粉塵を通した映像では、個人の判別は難しかった。
その後、この撮影者も避難を促されたのだろう。映像は激しくブレて、途切れた。
「風真君が気にしてる子って、この辺でよく練習してる子だろ?」
食事を配り終えた、厨房の吉田が風磨の側に来ていた。
「う…ん。」
「とにかく、インスタでも、フェイスタイムでもメッセージ入れときなよ。返事あったら御の字だし、何も情報がない内に心配しても仕様がないしさ。」
「その通りだな。」
俊葵が、風磨の頭をポンポンとした。