君とツバメと、
ヒュン、
何かが頰に当たり、風磨の横を通り過ぎていった。
驚いて、頰を押さえ、その方を見る。
ーーツバメだ!ーー
「あ、今年は早いな。また、玄関の軒下に作るのかな?」
去年、生徒の下駄箱がある玄関の軒下に巣を作られ、その糞害に悩まされた校長は、その時たまたま校内に残っていた風磨に手伝わせて、巣の下に糞を受け止めるための箱を吊り下げたのだった。
坂道を息を切らせて登りながら風磨は、ツバメの飛んでいく先を目で追うのに気を取られている。
その時、制服の右肩を何かが擦ったかと思うと、肩に掛けていた学校指定の紺灰色のショルダーバックがポーンと飛んでいった。
「えっ?」
すぐ脇を車が追い越して行き、ビクリと立ち止まった後、何とか踏み潰されずに済んだバックのもとに急ぐ。
「よかったぁ。」
拾い上げようとしゃがんだその時、
「よかったぁ。じゃねぇわ!」
よく響く低音ボイスが聞こえてきた。
風磨は体を起こし、声のする方を見上げる。
この頃巷で見かけるようになったロードレース用の自転車を注意深く路面に倒して、大男がこちらに歩いてきた。
ピッタリとしたレース用のコスチューム。流線型の蛍光イエローのヘルメットに、顔にフィットしたサングラスを掛けたサイクリストは、昔の人の描いた宇宙人のようだといつも思う。
身動きをするのを忘れて、その宇宙人が近寄ってくるのをただ見ていた。
男は風磨の目の前に立つと、通学バックのストラップを持った僕の右手をガシッと掴んだ。
その手を上下左右に振って、軽く引き、身体をぐっと寄せる。
ーーこの人、何してるんだろ?ーー
ーーあ、そっか!ーー
「な、ないすとぅみぃちゅう?」
風磨も手を握り返した。
それを聞いた男が正面に向き直り、そのやがて肩が細かに震え始める、
「ぶ、ぶぶぶ〜わっはっは…」
男は、そこら中に響く大声で笑い出した。
ーーえ?僕変なこと言った?え?あれって、初めましてって意味じゃなかったっけ?ーー
「ひぃ〜、ヤバ。お前面白いな。俺日本語で声かけたのになんで英語?」
男はサングラスを少々乱暴に取り、笑い過ぎで滲んだ涙を手の甲で拭った。
サングラスを外したその顔は、幼稚園児がお絵描きの時間に絵の具をぶちまけたようなコスチュームデザインををはるかに凌ぐインパクトを風磨に与えた。
幅の広い二重瞼の奥には榛色の瞳。対して睫毛、眉毛は黒々としている。鼻は高いけれど、額が高いので、その延長線上の細い稜線といったところ。小鼻も全く主張なし。唇と頬は自転車でここまで登ってきたためか、桜色に上気している。
「だ、だって、握手してきたし、僕の頬っぺにキスしようとしたじゃないか!これって、外国の挨拶だろ?」
男はため息を吐いた。
「手を掴んだのは、さっき俺のバイクと接触したから、怪我しなかったか確かめたかったからだし、身体を近づけたのは、服が破れてないかを見るためだ。それより、時間はいいのかよ?」
「はっ!」
グレーのスラックスからスマホを出して、時間を確かめる。
後5分以内に校門に到着しなければ遅刻だ。
「やっべ!俺行きます。あなたも気をつけて!」
風磨は上り坂を駆け出した。
「あの分だと、怪我はなかったみたいだな。」
ニヤリと笑った男のつぶやきは風磨の耳には届かなかった。