山賊に襲われる
ぼくは四歳になった。
ラプラスを使って人を傷つけていいものかどうか……。
という間にも目の前では略奪しにきた山賊がゆっくりと動いていた。
動いているのか動いていないのかわからないほどにゆっくりな光景の中、エーテリカは首を傾げていた。
山賊の手に持った斧を少しずらす。
時間は元に戻り、山賊は斧を足に取り落としてうめいた。
また時間がゆっくりになる。
驚いた隣の山賊の剣を指で弾く。
時間が元に戻ると弾かれた剣はさらに隣の山賊に突き刺さった。
「結構細かい作業よね」
「何してるの?」
「山賊が略奪しに来たのよ。今襲われてるところ。だから自然に殺してあげようと思って」
自然に殺してあげようってなんだ。実際には誰一人死んではいなかった。
「あたしらが手伝ってやるって言ってんだ‼ 守ってやるって言ってんだよ‼」
「急にどうしたの?」
「この人達のマネ」
「そんな事言ったの?」
「俺たちの言う事を聞いとけよ‼ なぁ!? 俺たちに任せてくれればあっちの方も気持ちよくしやるからよぉ‼」
「あっちの方ってどっちの方?」
「子供にはないしょよ」
訪れた行商が娼館を利用し、利用したお金で行商から品物を買うという循環が出来上がっていた。
内から外に出るお金より外から内に入るお金の方が多い。
そのお金を目当てに山賊たちがやってきた。
彼らは娼館の利権が喉から手がでるほど欲しい。
斧が落ちてから始まったなんとかスイッチは、最後の山賊が倒れるまで続いた。
行商の話を聞いていて思ったのだけど、この世界はただの人より獣人の方に権力があるみたいだ。
「力が無ければ私も貴方も殺されていたわ。殺されていないかもしれないけれど、私は犯されて、あなたはゴミくずみたいに扱われたでしょうね」
突きつけられると辛い現実だ。
力のある者が力の劣る者を力尽くでどうにかする。
そんな理不尽を目の当たりにすると、胸が痛んだ。
「殺すの?」
「そうねぇ。でも利用してから殺すわ」
彼らはぼくらを攻撃してきた。
でもその人間を殺すとなると、やっぱり動揺してしまう。
どうしたいのか自分でもわからなくなる。
「こういうの、ナイチンゲール症候群って言うんだっけ」
アザゼルやアザエルに引きずられていく彼らを見て、なんとなくそう呟いてしまった。
「マリアァ。マリア‼ マリア」
エリが背後から抱き着いてくる――普通の言葉は喋らずにぼくの名前だけ連呼してくる。
「それにしても君は目つきが悪いねぇ……」
「そう?」
どうやらぼくは目つきが悪いらしい。
「マリア‼ マーリーアー‼」
「わかった。わかったよ。エリィ」
エリィはエリの愛称だ。
小さなィをつけると彼女は頬を綻ばせる。
困った事と言えば、エリィのご飯が人間の老廃物だという事。
誰か他の人の老廃物を与えるわけにもいかず、ぼくはエリィに皮膚を舐めさせなければならない。特に指と爪の間を舐めるのが大好き。
「まったく困ったものだ。人間を動かすにはやはり人間の餌が必要なのね。血の中の虫のせいで、普通のご飯は食べてもあまり栄養にならないの。イヒヒッ」
その笑い方は悪意があると捕えてもいいよね。
「いいわよ」
「心読まないでよ」
「エッチな事考えてもすぐにわかるからね」
「もー」
梓がそっと傍に近寄って来た。梓は音も無く素早く移動する。普段何処に潜んでいるのか見当もつかないけれど、傍にいるのはわかる。
近づいてくるのはお腹が空いたからだ。
背後から傍に寄ってくるとぼくに覆いかぶさって押し倒そうとする。
拒むとただでさえ荒んだ目つきがさらに荒む。
力が強くなり、顔を思いきり近づけてきて唇が触れる距離で髪をそばだたせ威嚇する。
さらに拒むと泣き出してしまう。
大人しく倒されると、覆いかぶさり顔を近づけ舌を口の中に入れてきた。
彼女の舌はとても粘り気があり、口の中で縦横無尽に動くと唾液を絡み取り、飲み込む。
結構恥ずかしいのだけど、これが彼女の食事だ。
「うぅうううう‼」
エリィの唸り声が聞こえ、梓が吹き飛んでいく。
二人は仲が悪い。
「困ったものだわ」
エーテリカがそう呟くのが聞こえ、絶対にやにやしていると思った。
「マリア‼ マリア‼」
エリィはぼくに手を差し出して引っ張り起こすと飛びついて来た。
服の襟元を破り、肩を口に含むと舌で皮膚を削り取るように皮膚を舐める。
今はまだ体が小さいから言っても子供のお遊戯のようだけど、大きくなったら困るかもしれない。
唐突にエリィが引き剥がれ、後方に吹き飛ばされた。
梓がエリィの背中を掴んで投げたのだ。
「喧嘩はあんまり……」
歯をむき出して威嚇する二人を見て、そう言おうとしたけれど、エーテリカに制された。
「いいのよ。二人はこれで。こうしてじゃれてる間に力の強弱を覚えるわ。猫だって子猫の時にじゃれてなければ甘噛みすらできないのよ」
「そう……なんだ」
ちなみに梓もエリィもぼくより力が強い。
ラプラスを使えば、そんな彼らに最小の力で抗える。時間の遅さを調節すればいい。
「腕出して」
エーテリカに言われ、エーテリカに左手を差し出す。
「いい子ね」
腕を押さえ、慣れた手つきでエーテリカはぼくの左手に注射器で中の液体を注入していく。
打つ前に少しだけ中身を出し、指で注射器をコンコンッと叩いて空気を抜く。この動作が結構好き。
「この世界にはね、三つの季節があるのよ。一つは豊穣の月、これは所謂春ね。二つ目は氷菓子の月、これは冬、そして眠亭の月、これは真冬よ」
「ほぼ二つだね。どおりで冬が長いと思った」
年の半分以上が冬で、雪を見ない方が珍しい。
「ほらっ一週間ぐらい猛吹雪の日があるでしょう? あれが眠亭の月よ」
「一週間だけなんだ」
「そうよ。一年の大半は冬でしょう? 行商は移動が多いから村々が続いていないと困るのよ。一年のほとんどが冬、飢えを凌ぐ食料と雪風を防げる建物は大事よ。眠亭の月に外に出れば凍え死ぬわ」
「そうなんだ」
「眠亭の月、好きでしょう? あなた猛吹雪になるといつも私から離れないじゃない」
心臓に杭を打たれたようにドキリとし、表情に出さないようにした。
エーテリカは温かく、柔らかい、いい匂いがする。
エーテリカにくっついて眠ると、こんこんと眠りに落ちられる。
前は良く怯えるように目を覚ましていたけれど、エーテリカが入ればぐっすりと眠れた。
「ごめん……」
どうしていいかわからずに、ただ謝ってしまった。
(悪い?)
とか、
(別にいいでしょ)
とか、
(ダメなの?)
とかそんなセリフが思い浮かんだけれど、どれもしっくりこなくてただ謝っていた。
エーテリカはぼくの親でもなんでもない。
契約があるとはいえ、どの辺まで甘えていいものか。甘えるのが嫌だとも思う。
けど、人間は誰しも他人に迷惑をかけたり迷惑をかけられたりしていると思う。
自分の中にある感情、けれど甘えるのもと結局何も言えない。
腕から注射器の針が抜ける。
見上げると、エーテリカは腰のカバンに注射器を閉まっていた。
エーテリカの手がぼくの頭を撫でていた。抱きしめてくる。全身が密着するほどに。まるでぼくが大切だと言わないばかりに……。愛情ってこんな感じなのだろうかと。
「本来人間に優劣なんて無いのよ。良く、頭が良いとか悪いとか、運動ができるとできないとか、お金があるとか無いとかで上下を作る人もいるじゃない? でもね、どの人間も本来はみんな平等なのよ。立場はあるでしょうけれど。威張らなくとも尊敬できるのであれば、頭は自然に下がるわ。それができない人間も多いのよ。プライドとか馬鹿にされたくないとか、ね。あなたは必要のない人間じゃないわ」
「うん……」
思い出す。お前みたいな社会のゴミはと、どうして生きているのとか、子供は残酷で、そして他人はもっと残酷だ。
本人に悪気はなく、自分は正しくてそこには一ミリの疑いもない――でもそれは、ぼくだって同じだ。
だからちゃんと考えないといけない。
「別に、大丈夫だよ」
そう言って見上げると、エーテリカは優し気に微笑んでいた。