三十三話
確かにそうだ。大学の頃から優を追いかけ回し、筆跡まで優の真似をしながら靖聡に色目をつかって強姦まがいに寝取ろうとしたのだ。しかも、姉や友人と共謀して、ゴミを撒いたり、優が悪いことでもしたような根も葉もない流言を撒き散らした挙げ句、優や靖聡を陥れたりと、散々嫌がらせをしてきたのだ。
警察に突き出されても文句は言えまい。そんな正体の分からない相手に優は精神的に追いつめられ、神経が衰弱して寝込んだこともあった。しかも、ほとぼりが冷めた頃になっていきなり現れ、平穏な日々に横やりを入れている。優の立場からすれば怒るのが当然だ。
泣きじゃくる優を鎮める為にも靖聡は優に言われるまま婚姻届を提出するのが一番いい…途中で購入した印鑑を押印し、初めて見る婚姻届に「白庭優希」「貝野靖聡」と署名をすると
「おめでとうございます」
役所の職員が祝ってくれた。
「もう、誰にも邪魔されたくない…」
その途端、優はその場で泣き出し、靖聡の胸にもたれると涙をこぼし続けた。靖聡は、優にこれほど心痛をかけていたのだと思うと、申し訳ない気持ちで一杯だ。一時の感情に流されて、大切なものを見失わずに済んだんだ…大学の頃、魔が差したようにぼったくりバーへ連れて行かれた帰り道、ルミと関係を持ってしまったことや、その後のつきまといに悩まされたこと、にも関わらず、今回も他人の幸せを奪おうと横槍を入れ、優を出し抜こうとするルミに同情するなんて…だらしない男だな…靖聡はそう思うと情けない。
「君を一生、いや、永遠に守るよ。俺は誓う。本当にごめん」
靖聡は、今抱きしめている優だけを大切にしよう、ルミは家族任せればいい、そう考えると
「二人だけの場所へ行こう」
優の手を引き、役所の外に待たせたタクシーに乗り込んだ。
両親には事後承諾だったが、経緯を説明すると二人の結婚を祝福してくれた。急な入籍だった事から新婚旅行は少し先へ延ばす事になったのだが、この日から都内のホテルで二人で過ごす事にして甘い時間を重ねる日々の中で次第にルミの存在を忘れていくのだった。
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手の平に乗せた赤い珊瑚のイヤリングを眺めていると、海辺の白いリビングから見える朝陽がすっかり高くなっていた。
『もうすぐ、ルミが起きてくるかもしれない…』
靖聡は、ルミからいかにしてイヤリングの出処を聞き出そうかと思い巡らしていた…………………ガンガンガン!! ……ガンガンガン!!…
オーシャンビューの部屋に居た靖聡の耳にけたたましい音が響いた。
……ガンガンガン!!…
『…ん、うるさいなぁ…何の音だ…』
ガンガンガン!!!
驚いて振り向いた靖聡の目の前に居たのは、白いエプロンをかけ、フライパンとお玉を両手に持った優だった。金属を叩き付ける音で飛び起きた靖聡に
「ノブくん! 朝ですよー! ガンガンガン!!」
お玉とフライパンを寝室のベッドの脇で叩きながら優は明るく言う。
「なんだよぉ……もうちょっと寝かせてくれよ…」
靖聡は頭から布団を被ると
「ダメ! 遅刻しちゃうじゃない! もう…目覚ましかけても揺り起こしても全然起きようとしないんだから…死んじゃったのかと思ったわよぉ」
優はそう言うと,靖聡の横に寝そべって抱きついた。
「そうだったの?」
靖聡は優が起こしたなどと全く気がつかなかった。
「さっきなんてまるで反応なかったのよ。心配しちゃって、実家に電話しようか、救急車呼ぼうか迷ったくらいだもん」
優はそういうと「良かった」と付け加え靖聡の頬にキスをした。
「さ、起きた起きた。今日は靖聡のおばあちゃまのお墓参りでしょ」
靖聡は頭から被った布団を優にはがされる。朝から元気な嫁だ…思わず笑ってしまった。ベッドの上で大きく伸びをした靖聡は、先ほどまで見ていた夢を思い返していた。




