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Geom Jeong Saek  −クロ−  作者: 小路雪生
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三十二話

そう…俺は…優を愛してる……言えない、どうしても切り出せない…。


「え? …ヒカリと結婚?」


すっとんきょんな声を上げると優は動きを止めた。靖聡は、余命少ないルミに同情し、その場の勢いで結婚を約束してしまったことを優に打ち明けにくい。しかも、ヒカリがルミだなんて…。

カフェテラスで沈黙する二人の間に似つかわしくない午後の明るい日差しが降り注いでいた。


『やっぱり言えない…』


靖聡は席を立つと駆け足で通りを抜けた。街路樹が生い茂る歩道を歩きつつ、弾む呼吸を整えようとベンチに腰を

おろした。


振り返るが優は追いかけて来なかった。こんな時、ルミなら絶対に追いかけてくるんだろうな……苦笑いすると空を仰いだ。その瞬間、靖聡のジャケットのポケットから携帯が鳴り響く。チャコールグレーのジャケットの内ポケットに入れられた携帯電話を取り出すと、ディスプレイには「優」と表示されていた。


どうしても打ち明けられず重苦しい気持ちのまま立ち去った靖聡はそのまま切ろうかと逡巡する。両家の親や親族まで公認の関係でありながら、優と別れるなんて出来ない…靖聡は先の事を考えると気が重かった。いっそ、失踪でもしようか…。堂々巡りの果てにも、電話は切れる様子もなく靖聡を呼び続ける。

靖聡はこれまで2〜3度浮気をしたが、優を嫌いになった訳ではない。馴染んだ体を抱く度に心が安らぎ、優が自分の居場所だと痛感するのだ。決して飽きた訳ではない、優を手放したくない…靖聡は、手の平の携帯電話を見つめると深呼吸をし、覚悟を決めてボタンを押した。


「戻ってきて」


忽ち靖聡の耳に優の声が響いた。


「どこに居るの? 場所教えて、私、そこまで行くわ」


靖聡は沈黙した。次の瞬間


「ルミと結婚するんだ」


一気に告げる。優は無言だった。そして意外なほど冷静に


「いつ?」


訊いた。靖聡が面食らうほど、あっさりと他人事のように言う優に呆気に取られた靖聡は、本気にしてないのかもしれない…そう思った途端、それまでの緊張が抜け、その代わりに嘘ではないと説明したい気持ちが強まった。


「いつかはわからないけど、退院したら」


そう打ち明ける靖聡に、優は静かな落ち着いた口調で


「ねぇ、ノブくん、それが本当ならちゃんと説明して。一方的に言われても「はいわかりました」とは言えないわ」


優は言うと


「とにかく、ここへ戻ってきて頂戴、話しながらでいいから」


靖聡に言った。

靖聡は風のに匂いを感じると大きく息を吸い込んだ。ベンチから立ち上がると優のいるカフェへ戻るべくゆっくりと歩き出すと、これまでの経緯を順を追って話しはじめた。ヒカリを何度か見舞ったことや、ヒカリの命が少ないらしいなど、姉が会ってほしいと土下座しそうな勢いで頼み込んできた、など。そして、そのヒカリ下草ルミだということも…。


やがて靖聡はさきほどのカフェテラスへ戻ると、会計を済ませた優が携帯電話を片手に入り口で待っていた。出迎えた優が靖聡の姿を捉えると、それと同時に電話を切った。優は靖聡を見つめながら静かに歩み寄り、靖聡の頬を叩く。まるで目から星が飛び出しそうな力に、靖聡は体のバランスを崩した。

あまりの痛さと突然の平手打ちに靖聡は何も言えなかった。


「どっちが好き? 私とルミと」


「…優だよ」


「嘘おっしゃい! じゃあなんで結婚するの。同情だとでも言いたいの?」


「…」


沈黙する靖聡に優は詰め寄った。


「私の事はどうする気?」


「…どうしたい?」


優の問いかけに、靖聡が問い返す。優は毅然と


「別れたくないわ。そんな気無いもの! どうして、ルミに振り回されなければならないの? こんなのうんざりよ! 相手にしたあなたが悪いのよ!」


「むこうから近寄ってきたんだ。今回だって、そうだし、姉までしゃしゃり出てくるんだぞ?」


靖聡は「俺はどうすれば良かったんだ」と言いかった。


「狡いわ。自分で決めておきながら、今度はルミの家族のせいにする気?」


優の言葉に靖聡は返す言葉も無い。


「どうして、あなたは結婚するって決めたの?」


「夢を叶えたいって…死ぬ前に優を出し抜いて優より先に靖聡と結婚したいって」


靖聡がポツポツと打ち明けると優は呆れた顔で靖聡を真っすぐに見つめると


「バカみたい! じゃ、私の夢は、願いはどうなるの? ルミが何なのよ? 結納まで済ませておきながら…あなたは私の婚約者でしょ? 私への対抗意識に加担するなんて最低!  ルミは甘えてるだけじゃない! まるでハイエナみたいな女ね」


優の怒りはおさまりそうも無かった。うなだれている靖聡に優は続けて言う。


「あちらがそう言うなら、私たち、今結婚しましょう」


言うが早いか、優は靖聡の手を取ると大通りでタクシーを捕まえ区役所へ向かうよう、ドライバーに告げた。


「待て! 本気なのか?」


思いがけない展開に動揺する靖聡は


「本気よ。それしか方法がないでしょ」


優の勢いに言葉が詰まった。


「今すぐに籍を入れて近いうちに式を挙げましょう」


優は何があっても別れる気はないのだと改めて知った靖聡は、それにしても意外な展開だ…優のペースに圧倒されっぱなしだ。


「善は急げっていうものね。大体、高校生の時からつき合ってるクセになかなか結婚しないから悪いのよ。そうでしょ?」


優はそう言うと区役所の前で車を降り、時間外窓口へ向かった。靖聡はついていくしかない。


「このままじゃ、鳶油揚げじゃない。イヤよ、絶対! これ以上、私の暮らしを引っ掻き回させないわ。私の目を盗んで出し抜こうとするその意地汚い根性、死んで直してもらおうじゃない!!」


優は役所の前で大声で言う。すると、優の瞳から涙が溢れ出した。


「どうしてあのコは私の邪魔をするの? もう早く死んでほしい…」


優は靖聡の胸で大声を上げて泣き出した。


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