二十八話
結局、本に挟まれたメモは、靖聡が構内に置き忘れたの見ていたルミがメモを差し込んだ後、靖聡の目につく場所に置き直したのだと後から分かった。生ゴミも、優への風評被害も、全てはルミの仕業だと判明すると、優は「訴えるわ」そう息巻いていたが、学内には優と靖聡の共通の友人や知人も多い。ルミは衆人監視の中にあることから、もう少し様子を見ようということに落ち着いた。
また、ルミがいたキャバクラはルミの姉が雇われママをしている店であるため、ルミの自由が利くらしい。その友人であるホステスの野之も加わって優から靖聡を奪い取ろうと悪巧みをしていたらしかった。
ぼったくりバーの翌日、ベッドの中でそう打ち明けたルミは
「だから、別にぼったくってないでしょ。…まぁ安くはないけど」
舌を出すと、澄まし顔で言った。
「一家総出ですか…」
呆れたように呟くと
「金は払うよ」
靖聡は、恩に着せられるのを嫌いそう告げた。
優が靖聡の母親に全てを打ち明けてもいいかと訊かれた際、頷かざるを得なかったのは靖聡自身、バーでの一件が恐ろしかったからかもしれない。一歩間違えば美人局だ…靖聡は思うと、ルミは大学生でありながら堅気の道から外れているように感じられた。
靖聡にとって優は恋人であり親友でもあった。中学の頃から知っている優は、仮に二人が別れ別れになっても同級生であり続けるのだ。共通の友人も多い二人にとってこの関係を壊す事はそれまでの一切を失うことに等しく感じられた。
ルミは優と背格好も似ており、顔も優と比較して遜色ない。しかし、周囲の友人からの評判は今ひとつでクラブ通いの挙げ句DJとつき合っている等、異性関係の噂も絶えず素行が悪い。表面上は真面目さを装っていても、優の居ないところで靖聡を待ち伏せたり、我を通すわがままさ、靖聡を姉や友人と共謀して店へ連れ込むなど辟易する面もあり、優のように明るくさっぱりとした少女と比較するとルミには問題が多そうだ。
刺激はあるが、就職活動の時期も迫っていた事からルミとは関わりたくないというのが正直な心境だった靖聡は、その後、ルミが休学した事も手伝い、ルミのことは若気の至りとして忘れかけていく。
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水面には太陽の光が照りつけていた。ルミはまだ起きないのか…靖聡はソファーに腰掛けたまま置き時計に目を向けた。まだ、朝の6時を回ったばかりだ。もう少し物思いに耽りたい…靖聡は軽く目を閉じる。
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やがて優と靖聡が大学を卒業すると、優は料理の専門学校へ通いはじめた。一方、靖聡は銀行へ就職し、営業三課へ配属になると、先輩に付き従いお得意様回りが日課となった。
20代も半ばになると、結婚の話も出始め、「27歳で結婚しようね」などと優と約束をしていた靖聡の前に突然ルミが現れたのは思いがけない事だった。
それは、配置転換で靖聡が内勤となってすぐだった。
優と靖聡の婚約が整い、結婚式の準備も進んでいたある日、銀行の窓口に来たルミが通帳の名義を変えたいと訪ねてきたのが発端だ。
「貝野さん。窓口のお客様が印鑑忘れたんですけど今日中に通帳を作り替えたいって、ごねてきかないんです」
入社2年目の鈴野が困惑した表情で後方の席に控えていた靖聡に告げた。鈴野の担当窓口に目を向けると、キャップを目深に被った女性がカウンター前の茶色の椅子に腰掛けているのが目に留まった。
「作り替えたい?」
「はい。名義変更を希望されたんですが、それは出来ないとご説明申し上げたら『じゃ、新しいの今すぐ作って』って…」
「断ってくれ。身分証明書と、印鑑をお持ち下さいって」
貝野が指示を出すが鈴野は
「何度も言ってるんですけど…ダメなんです」
鈴野は困り果て靖聡に代わってほしいと言う。鈴野から「ゴリ押しするので…」そう聞かされた靖聡は『聞きわけのない客だな…』そう思いながらも
「分かった。僕が行くよ」
そう言うと、鈴野から預かった通帳を片手に窓口へむかった。




