二十五話
その後もルミは優の目を盗んでは靖聡に視線を送り、相変わらず行きつけのバーにも顔を出していた。いっその事店を変えようかと何軒か訪ねた事もあったが、何週間かするとやはり通いなれた店へ足が向いてしまうのだった。
マスターの話では以前は平日はほぼ毎日、最近は週に3〜4日訪れているという。来るなと言っても効果はなく、束縛するように張り付くルミの存在が疎ましかった靖聡は、優を連れて来店しようかと迷うこともあるのだが、繊細な優を刺激したくなかった。靖聡は会話はしない、二人きりにならない、その事に注意をしながら、変則的に店を訪ねていた。
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そんな経緯の後、靖聡はまんまとルミの罠にかかったのだ。新宿のラブホテルから帰宅する途中、優からのメールを読んで靖聡は気が重くなるのを感じた。
「スミレの誕生日プレゼント買いたいの。明日、一緒に行こう」
との内容だ。靖聡は二日酔いとルミとの情事で気怠かった。自室のベッドに仰向けると絶対に優に気づかれないようにしなくては…悪い夢を見たのだと自らに言い聞かせると、靖聡は優に快諾のメールを送り、そのまま眠りに落ちていった。
結果としては優を気遣い、自分の隠れ処などと気取っていた事が災いし、優の目の上のたんこぶであるルミと深い関係になってしまった。靖聡は自己嫌悪の日々を過ごしていた。が、それとは正反対にルミはいよいよ勢いづくと、大学構内でも一層大胆に振る舞うようになっていった。
優と一緒に居にも関わらず
「何してるの?」
ルミは以前とは異なって自分から声をかけてくるようになっていた。
ぼったくりバーの出来事をひた隠しにしていた靖聡にとって、ルミの行動は冷や汗ものだ。ルミの問いかけを無視ししていると今度は睨むような目つきで靖聡の前に立ちはだかった。
まるで通せんぼでもするように靖聡の前に立つと、ルミは素知らぬ顔をする靖聡を睨みつけた。それはまるで「私に従いなさいよ! そうしないとただじゃおかないわ!」とでも言いたげだ。まるで恋人にでもなったかのように支配的な態度を見せるルミに反発を覚えた靖聡も負けじと睨みつける。廊下で対峙する二人を前に優は不穏な空気を感じ取ったのだろう
「ね、ノブくん。行こう」
動こうとしないルミに業を煮やした優が靖聡を促した。しかし、ルミは頑としてどこうとしない。そこだけ時間が止まったように睨み合う二人に優は
「ノブくん!」
強引に腕を引いて外へと連れ出した。
ルミは靖聡をゆするつもりなのか、その後も少し離れた場所から靖聡を睨みつけている。こんな日々に優が勘づかないはずはなく、それから間もなくルミとの出来事が暴かれる事になった。
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「おは! ノブくん」
午前中の講義に出席するため教室へ向かう途中、待っていた優に声をかけられた靖聡はいつものように応じるがどこかぎこちなかった。
ランチを一緒にとる約束をして別れると、廊下の先にルミが仁王立ちしてる。靖聡は気づかぬ振りで教室へ消えた。
昼になって学食へ向かおうと教室を出ると、ドアの横でその身を潜めるようにルミが待ち伏せていた。
「靖聡!」
靖聡を見つけるとルミは恋人気取りだ。一瞬、ムラッと怒りを感じる靖聡だったが聞こえぬ顔で通り過ぎようとするとルミは勝手に後からついてきてしまう。靖聡はなんとか振り切ろうとわざと遠回りをしてまこうとするが、しぶといルミはすぐに追いついた。学食に着く前に説き伏せねばならない…やむなく靖聡はルミを振り返ると歩み寄った。
「やめてくれ! あんなやり方は卑怯だろ。離れろ」
靖聡の剣幕にルミは目を剥いた。
「もう、俺のあとをつけないでくれよ」
靖聡は毅然と言い放つとルミを置き去りにして学食へ向かった。
「遅れてごめん。待った?」
靖聡が優の隣に座り一息つくと、再びルミが姿を現した。
『どこまで追いかけるんだ…』
靖聡は舌打ちしたい気分で顔を背けると
「むこうの学食へ行こう」
ルミに嫌気が差した靖聡は優を促し理学部の近くにある学食へ移動した。ルミに背中を向けたように学食を出ようとする靖聡に
「どうしたの? 急に…」
訝しがる優だったが、振り向き様にルミを見つけると
「……ああ」
と呟き黙り込んだ。優は何かを考えるように沈黙のしたあと、理学部脇の学食へ移動する途中、
「ねぇ…ノブくん…この間、知らない女性の声で電話が架かってきて『新宿、7時、ホテル』って一方的に言って切れたの」
ポツリと打ち明けた。
「え?」
「……何かの暗号みたいじゃない?…」
それを聞いた靖聡は動きが止まった。
「ノブくん?」
ぼんやりしている靖聡に優が問いかけるが『新宿、7時、ホテル』とは、ルミと一夜を過ごした日のことを指しているのだと感じ、ドキリとしたのだ。
「さぁ…」
しかし、トボケると
「うーん…なんだろう。前と比べてなんか、敵が近づいてる感じがする…」
優の呟きを無視すると一番置くの席を陣取り、靖聡は無言で昼食のカレーライスを頬ばった。しかし、靖聡は優への一連の嫌がらせはルミの仕業に違いない、そう確信を持っていた。とするならば、靖聡がルミを受け入れない限り、延々と続くのだろうか…靖聡はそこまで考えると暗澹たる気分に支配された。
「しかも…黒枠の付いた封書が私宛に送られてきたの…中身は…」
優がバッグの中から取り出したのは差出人不明の封筒だった。確かに、白い封筒の枠に黒い線で四角く囲まれたそうれは葬儀を連想させる、物騒な代物だ。中から出てきたのは新宿にあるキャバクラの名刺だった。それを見た瞬間靖聡は後ろを振り向いた。今日はルミが居なかった。しかし…こんなものが優宛に送られてくるなんてイヤがらせにもほどがある…靖聡はルミに怒りを通り越すと憎悪すら覚える。
「気持ち悪くて…」
名刺に書かれた店の名前は先日靖聡が連れ込まれた店とは別のものだったが、あの日の出来事を匂わせいるに違いない…靖聡は思うと、巧みに足がつかないよう靖聡とルミの関係をほのめかすやり方はルミしかいないと思い至った。優が可哀想であると同時に、次は優に危険が及ぶのではないか…靖聡は危惧した。
『何かあってからでは遅い。白状して、対策を講じたほうがいいかもしれない…』
靖聡は、覚悟を決めると
「……俺、優に内緒にしていたことがあるんだ。…優を傷つけるかもしれないけど……」
躊躇いがちに重い口を開く。やがて、優に一部始終を打ち明けた靖聡は俯いて優の言葉を待つが
「…どうして、もっと早く言ってくれなかったの? …ひどい…」
目に涙を溜めた優に激しくなじられ、靖聡は小さく身を縮めた。
「ごめん…」
あるかなきかの声でひたすら詫びる。
「私たち、もうおしまいかしらね…」
俯いて肩を落とす優に靖聡は
「いや、違う。俺が悪かった。騙したつもりはないんだ。心配かけたくなくて…ごめん…」
唇を噛んだ。どんなになじられても仕方がない…靖聡は恥ずかしさと悔しさで消え入りそうだ。
「…もう、これからはルミとは二人で会わないって約束出来る?」
「ああ、するよ」
靖聡は力強く言うと
「…もし、またしつこくされたら、すぐに連絡して」
優は言うと、
「あなたを信じるわ。陥れようとするなんて卑怯よ、許せない、最低だわ。…この手紙といい…絶対にルミには渡さない」
真っすぐに前を睨みつけると決心したように宣言するのだった。
こうして優に打ち明けた事で靖聡には隠し事がなくなった。優はルミの挑戦的な態度が肉体関係によって自信を得たからだと知ると、その一方的で強引な手口に怒りを隠そうとはしなかった。




