二十四話
しかし、そんな素っ気ない靖聡の態度にも怯まないルミは、バー通いをやめようとはしなかった。
店で互いの存在に気づいても靖聡に冷淡にされているにも関わらず、ルミは優の知らない場所で接触を持てているという事で靖聡への好意に拍車がかかったのだろうか。キャンパスで顔を合わせると「私たち、知り合いよね」とでも言いたげな威圧感のある視線で靖聡を見つめたり、優と一緒に居る事を責めるような恨めしい目つきで睨みつけるのだ。
そんなルミの支配的な態度が靖聡には鬱陶しい。ルミの思い込みの激しさに若い靖聡は戸惑った。優に内緒にする事を前提に、高校時代からの友人である徹に打ち明けると
「へー。そのバー、俺も行こうか?」
徹は積極的だった。
比較的遊びなれてる徹なら妙案が浮かぶかもしれない…靖聡は徹を伴って行きつけのバーへ向かうことにした。
例の如くカウンターのやや端に腰掛けているルミを見つけた靖聡が徹に目配せをしながらルミに気づかれぬ、その背後から反対側の端の席に移動すると並んで腰を下ろす。二人に気づいた様子のルミだったがいつもと同様、素知らぬ顔で飲み続けていた。
ルミの行動をそれとなく観察していた徹はしばらくすると靖聡から離れルミに近づいた。
「やぁ、文学部の、下草ルミさんでしょ」
明るい調子で声をかけた。二人は会話を交わし事はなかったはずだが、ナンパで愛想のいい徹に心を許したのか
「あ…こんばんは…」
ルミは愛想良く応じた。優やスミレの話では「おはよう」と声をかけても無視をしたり高飛車だったりと不評だ。また、仲間内でも無口で必要以外の事は話そうとしなかったり、横柄で無愛想だと聞いていた。その割に、徹と話すルミは明るく饒舌だ。靖聡はそんな二人を横目に聞き耳をたてていると
「むこうで飲もうよそんなに感じの悪い子じゃないよ」
上機嫌で戻ってくると靖聡を誘う。徹は夜遊びが好きでクラブにもちょくちょく顔を出していた。徹に任せたほうがいいかもしれない…靖聡は徹と二人で優を裏切るのは気が引け
「…いや、俺は帰るよ。あと、頼む」
そう言うと一人で店を出てきてしまった。先に帰ろうとする靖聡をルミは見つめていたが、それを無視するように席を立つと
「今日の事は優には言うなよ」
徹に釘を刺し、その場を後にした。優に言えば目くじらを立てるだろうことが靖聡には想像がついた。
靖聡は、隠れ家のようなバーでのひと時は優にも秘密にしておきたかったのだ。誰がどこで飲もうと自由だし、自分とルミは関わらない、靖聡はそう決めていた為、危険はないと判断し、優の耳に入れる必要はないと考えていたのだ。
しかし、靖聡の動作に合わせては気を惹こうとするルミの仕草は徹が同席していても変わらなかった。それは大学で会った時も同様で、優と居る時でさえお構いなしに少し離れた場所から靖聡の動きを真似たりするのだ。
そんな靖聡をからかうようなルミの態度に気づいていた優は
「あのコ、ノブくんの気を惹きたいのよ。絶対近寄らないで」
靖聡と腕を組むと耳元で囁く。しかし、そう言われるほどに気になるのが人情だ。靖聡は優の言葉に頷きながらも、バーでルミが待ち伏せしている事は言い出せなかった。靖聡は心のどこかでルミを気にしていたのだろうか…それとも、ルミの誘惑が巧いのだろうか。
いつものように渋谷のバーへ赴いた靖聡は、入り口でルミと遭遇したものの無視して通り過ぎようとした。すると
「こんばんはぁ、ノブくん?」
珍しく自分から声をかけてきた。優の呼び方で呼ぶルミに思わず振り向いた靖聡は無言のままルミを見る。
「…」
そんな靖聡を前にルミははにかんだ表情のまま靖聡の前から動こうとしない。しかし靖聡はルミを無視したようにその場を離れると、カウンターの端に腰掛けた。すると、初めてルミが隣の席に座った。
呼ばれて振り向いたのがOKのサインだと思ったのだろうか…靖聡はルミには構わず注文を終える。ルミは息を詰めたような気配で、呼吸まで靖聡に合わせようとしているようだ。靖聡を縛ろうとするようにその一挙手一投足を真似ると、靖聡は次第に身動きができなくなる。右手を置けばルミも置く、靖聡がグラスを口につければ同じようにルミもグラスを口へ運んだ。しかし、一向に話しかける気配はない。次第に苛立を覚えた靖聡は
「よく見かけるよね」
しびれを切らすと話しかけてみる。するとルミは嬉しそうな笑顔で
「…そう? 気がつかなかった」
そう呟くとふふ、と微笑む。可愛らしいが、媚びてるのかもしれない…そう感じた靖聡は『あ、そう。トボケてるんだね』そっと心で呟いた。
「私の事、知ってるの?」
ルミが訊いた。
「同じ大学だよね。…なんとなくは」
「今日の講義、全然分からないの。ノブくん、分かる?」
靖聡に話しかけられて気を良くしたのだろうか、ルミは上目遣いにそう言うと、講義の内容をかいつまんで説明した後、意見を聞かせてほしいと言う。『なるほどね…』靖聡がルミの罠にはまったと思っているのだろう…靖聡はつっけんどんに
「さぁ、学部が違うからね。あんまり役には立たないよ。他の人に訊いたら」
『例えば、優とかね』靖聡は心で呟きながら、以前からクセのあるコだと感じていた為に突き放すように言った。するとルミはじっと靖聡を凝視する。素っ気ない靖聡を責めているようだ。しかし靖聡はそんなルミに気づかぬ風を装った。
その間もルミは終止靖聡の動きを真似るため、次第に煩わしくなった靖聡が席を立とうとするとルミはやはり追いかけてくるのだった。そのくせ大学で会うと見つめるだで話しかけてはこない。まるでこちらから声をかけるのを待っているようだ。
ルミの行動は男としては悪い気はしない。しかし、ルミのやり方はどこか優を出し抜くようであり、優が毛嫌いするのも納得出来た。それに、相手から話しかけてもらおうなんて、甘ったれているではないか…そのくせ、この手のタイプは何かあると「そっちが誘ってきたんでしょ?」などと言い出しかねない。
靖聡は、優の言う通り極力、ルミに近づかない様、注意を払うと自分の会計を済ませ別れも告げずに店を出た。
靖聡の後を追うように出てきたルミとドアの前で蜂合わせると
「じゃ」
一言だけ言って靖聡は駅に向かった。ふと振り向くと、ルミは店の前で立ち尽くし靖聡を見送っていた。
捨てられた子犬のように所在無さげに店の前で立ち尽くすルミの姿に胸が一瞬チクリと痛んだ。が、優に言わせれば「それがあのコの手口なのよ。罪悪感を刺激して丸めこもうとするの。気にしないほうがいいわ」などと言うだろう…靖聡は家へむかう電車の中で思うのだった。
その後も機会がある度に店へは来ないよう言ってはみたが、ルミは聞き入れようとはしなかった。徹に相談すると「優ちゃんに内緒でつきあってみれば」などと言う。
「それでも友達か?」
呆れて靖聡が言うと
「ま、俺がつき合ってもいいんだけど、あのコ、お前に気があるんだよなぁ」
徹はニヤニヤしながら言う。
「俺も、前にしつこくされて困ったことあるから分かるけどさ…まぁ、どうしてもイヤなら徹底的に避けるしかないよ」
徹はしたり顔で言うのだった。




