十三話
一夜明けると
『あの日…そうだ、映画館で優が着けていたのと同じイヤリングじゃないか…』
靖聡は夢を見たまま目を覚ました。起きているのか眠っているのか判然としない状態で目を開けると、夢現のまま意識のどこかで呟いた。それと同時に昨夜、ヒカリに手渡し赤い珊瑚のイヤリングが気になり、矢もたてもなくベッドから飛び起きた靖聡は
『すっかり忘れていた…渋谷の映画館で黒い扉を開いた時に優が着けていたのはあの赤いイヤリングだったんだ…』
何故今になって急に思い出したのかは靖聡にも分からない。が、夢の中で優と映画を観ていた靖聡が不意に隣を見ると、昨夜ヒカリが「貰った」と言っていたイヤリングと形のよく似たイヤリングを着けていた。
それは、似ているというよりも全く同じ物に思えた。靖聡はそう確信すると隣で寝息を立てている妻に気づかれぬようベッドから抜け出し、ドレッサーに向かった。
鏡の前に置かれたブルーの素焼きの地に白い装飾が浮き上がったウェッジウッドの小さな陶器の小物入れを手に取った。陶器特有のひんやりとしたした冷たさが手の平に伝わる。その中に無造作に入れられた片方だけのイヤリングを取り上げた靖聡は、その裏側を覗き込んだ。
18金の台座に爪留めされた赤い珊瑚の裏側には小さな刻印が刻まれていた。経年の為か、刻印の箇所が曇り見えにくくなっている。靖聡は金の台座に息を吹きかけ指先で拭うと、夜明け間もない薄暗い寝室で目を凝らした。
「あ!」
靖聡は刻み込まれた文字を見つけると思わず驚嘆の声を挙げた。そこには紛れもなく『K』と読めたからだ。それを認めた靖聡は、赤いイヤリングを手の平に乗せると呆然と見つめ
『そうだ…これだ、これだ! 間違いない!』
かつての恋人である優が大切にしていたものだと知った途端、足下から血の気が引くのを感じ、その場に立ち尽くす。
靖聡は、優が曾祖母の形見だと見せてくれた時の事を記憶の糸を手繰り寄せるように思い出していた。
***
「…私、ひいおばあちゃまには会った事がないの。でも、代々伝わる大切な物だって、二十歳になった時、母から譲ってもらったの。とっても貴重な品物なんですって」
優は、赤い珊瑚の大きさや希少性、その加工の難しさや珍しいデザインなどについて語ると、曾祖母の特注品でこの世に二つと同じものはないだろう…そう締めくくったのだった。
***
『なんで、そんな大事な品物がここにあるんだ…』
靖聡は狐につままれたような気分だった。にわかには信じられない…いや、しかし夢ではなく現実だ…靖聡は自らに言い聞かせるとその出処を妻に突き詰めようと振り返った。
ベッドの上で静かに眠る妻を揺り起こそうとし、その手を伸ばしかけた靖聡だったが、痩せこけ、頬骨までもが浮き出るような変貌を遂げた妻の寝顔を見下ろすうちに叩き起こすのは忍びなく思えた。その場で逡巡を繰り返した靖聡は
『無理に訊いても答えないだろうな…』
そう思い直すと今すぐにヒカリを問い詰めることは止めよう…そう思いとどまった。が、何とも言えないわだかまりを感じた靖聡は、妻一人寝室に残すと動揺する心を抑えるようにリビングへ向かう。
まだ夜が明けたばかりの早朝、東南向きのリビングからは水平線の先に赤く丸い太陽が昇っているのを眺める事が出来る。赤と橙に染まった太陽は美しい輝きを放ち、目に見える速度で瞬く間に海の上へとその姿を現した。
神々しささえ感じる絶景も病弱の孫を思えばこそ、北の大地で農業の傍ら株で儲けたという祖父が購入したのだろう…靖聡は不憫ささえも感じていたが、最近では単調な隠居にも似た暮らしに飽いていた。
そんな風に感じる自分を戒めつつも、心の片隅で妻を疎ましく思う心が芽吹いている事に気づいていた靖聡にとって、“この生活がいつまで続くのか?”に、関心が強まるのはやむを得ない事にも思えていた。
イヤリング…靖聡は真っ赤な珊瑚のイヤリングを握りしめながら過去とともに葬ったはずの後悔の念が沸き上がるのを禁じ得ず、もしもあの日、誘いに乗らなかったら…早朝の朝陽を見つめながら思うのだった。
09/10/17 誤字脱字の修正を行いました。




