第44話 堕ちた翼
クラン創設編も今日の分を含めて残り二話です
今回は、ノエルに敗北した天翼騎士団の面々のその後を、順に書きました
視点移動が重なりますが、重要な話なので、引き続きお楽しみ頂けると幸いです
リーシャは下宿先に届けられた朝刊を手に取った瞬間、その一面の見出しに目が釘付けになった。あまりにも驚くべき内容だったため、思わず口に手を当てる。
「嘘……天翼騎士団が解散? え、ちょっと……え?」
天翼騎士団は、この帝都のBランク帯最強パーティにして、リーシャの同郷の友人であるオフェリアが所属しているパーティだ。互いに忙しい身であり、またオフェリアの方が格上であるため、頻繁に交流していたわけではないが、それでも月に一度は、必ず食事を共にしていた仲である。
ショックで呆然としていたリーシャは、改めて記事に目をやり、最初は気がつかなかった見出しの全文を読んだことで、更なる衝撃を受ける。
「ええっ!? 天翼騎士団が解散したのって、蒼の天外に負けたからなの!? どういうこと!?」
見出しには、こう書かれていた。
『堕ちた翼! 蒼の天外に敗北した天翼騎士団、解散する!』
わけがわからないまま記事の本文を読み進めると、ようやく事の真相が見えてきた。どうやら、そもそもの原因は、探索者協会の急な方針転換にあるらしい。これまで、クランの創設申請は、強制保険金と拠点さえ準備できれば、ほぼ無条件で許可されてきたが、以降しばらくの間、探索者協会の厳格な審査を突破できないと、却下されるようになったようだ。
そのせいで、両パーティは一度は申請を却下された。だが、両パーティが共に抗議したことにより、合同の試験を行い、その勝者のみが創設を認められることになる。もっとも、敗者はパーティを解散する、という条件付きだが。
試験内容は、探索者協会が指定した悪魔、深度八に属する魔眼の狒狒王の争奪戦だ。
そして、試験の結果、勝者となったのは蒼の天外だった。敗者となった天翼騎士団は誓約に従って、探索者協会の名のもとに、即刻解散させられたようだ。
記事には他にも、各メンバーへのインタビューや記者の考察等が載っていたが、敗者の天翼騎士団に対する無遠慮で残酷な言葉の数々が酷過ぎて、リーシャは途中で新聞を投げ捨ててしまった。
天翼騎士団が活躍していた時は、あれほど称賛していたのに、なんて破廉恥な手の平の返しようだろうか。これだから、ブン屋は好きになれない、とリーシャは改めて思った。
「それにしても、ノエルたちが天翼騎士団に勝ったなんて……。ちょっと、信じられないなぁ……。いくらなんでも、成長が早過ぎるよ……」
たしかに、蒼の天外は優秀だ。メンバーこそノエル以外一新され、新パーティでは大きな実績を得たことがなかったが、その実力は既に中堅パーティの域に達していた。というのも、新人の二人が、Cランクとは思えないほどの猛者であるためだ。むしろ、今の蒼の天外の方が、以前よりもずっと強いかもしれない。
だが、それでも所詮は全員がルーキーだ。円熟した強さを誇る、あの天翼騎士団に勝てるとは思えない。なにより、敵は天翼騎士団だけでなく、上位悪魔である魔眼の狒狒王だ。どれだけ脳内シミュレーションをしてみても、ノエルたちが勝つ絵を想像できなかった。
「まあ、ノエルだからなぁ……」
蒼の天外のリーダーであるノエルは、この探索者の聖地エトライでも、極めて特異な探索者だ。全戦闘系職能の中で、最弱と評される支援職でありながら、類稀な司令塔能力によって大物食いのルーキーとまで呼ばれた、知る人ぞ知る強者である。
また、帝国最大勢力の暴力団、ルキアーノ組の大幹部を、罠に嵌めて始末したこともあるそうだ。ちょうど遠征で帝都を離れていた時のことなので、リーシャにとっては真偽不明の話であり、恐ろしくて本人たちにも詳細を尋ねられていないが、周りの雰囲気から察するに真実のようだ。
「やっぱ、搦手を使って勝ったんだろうなぁ。先輩たち、強いけど搦手には弱そうだし……。相性が悪かったかぁ……」
どんな手を使ったかまではわからないが、罠に掛かり負けたオフェリアたちは、さぞかし悔しかったことだろう。身内としては、同情の念を禁じ得ない。
だが、探索者である以上、卑怯という言葉は弱者の言い訳でしかない。あるのは、勝利か敗北の二つだけだ。敗北したのなら、悔しくても潔く認めるしかない。むしろ、命があっただけ、恵まれているのだから。
「残念だけど、探索者なんだからしょうがないよね……」
リーシャが深々と溜め息を吐いた時、部屋のドアがノックされた。ドアの向こうに立つ訪問者の気配は、よく知った人物だった。
「……オフェリア先輩?」
「……うん」
短く肯定する返事。訪問の理由は、おおよそ察することができた。
「……先輩、もしかして探索者を辞めるんですか?」
「…………うん」
予想通りの答えだ。リーシャを訪れたのは、別れの挨拶が目的だろう。リーシャは止めるべきか否か悩んだ。オフェリアは優秀な探索者だ。天翼騎士団を解散しても、引く手数多である。だが、オフェリアの心情を慮るなら、止めない方がいいのかもしれない。
リーシャが迷っていると、ドアの向こうのオフェリアが鼻声で呟く。
「ずっと頑張ってきて、強くなれたと思っていた……。でも、ちっとも強くなんかなかったんだ……。もう、疲れちゃった……。私、探索者に向いてなかったみたい……。だから…………」
不意にオフェリアの気配が消える。リーシャが慌てて扉を開くと、そこにはオフェリアの残り香だけがあった。
きっと、リーシャたちの里に帰ったのだろう。帰郷することが、心の傷を癒すのに一番良い方法であることはわかっている。だが、やはり残念な思いもあった。
「探索者って、世知辛いなぁ……」
†
†
ヴラカフは狼獣人だ。獣人とは、人と獣の特徴を併せ持つ種族のことで、狼獣人の場合は人が狼の毛皮を被ったような姿をしている。あるいは、狼がそのまま直立歩行しているような姿とも言える。獣人の中でも、獣の特徴が色濃い種族である。
そのため、謂れのない差別や誹謗中傷を受けることもあり、多種多様な種族が溢れる帝都ですら、同胞の姿を見ることはほとんどない。
ヴラカフの一族は、人が寄り付かない砂漠で暮らしている。恵まれない立場のせいか、閉鎖的かつ悲観的な一族で、未来が無いことは明白だった。
そんな一族のことを、ヴラカフは幼い頃から嫌っていた。だが一方で、この一族に未来を与えたい、とも考えていた。
差別される狼獣人が、社会的に強い立場を得る道は一つ。探索者となって、腕っ節で成り上がることだ。だから、ヴラカフは帝都を訪れた。
最初は不安だった。そもそも、狼獣人の自分と、仲間になってくれる探索者がいるのかもわからない。だが、そんな不安は、レオンたちと出会ったことで消え去った。天翼騎士団は、素晴らしいパーティだ。単に強いだけでなく品行方正で、狼獣人の地位を向上させる目的とも合致していた。
だが、この関係が長く続かないこともわかっていた。戦いを重ねるにつれ、天翼騎士団はリーダーのレオンあってこそのものだと、誰もが考えるようになったからである。もはや、ヴラカフたちはレオンの添え物でしかない。このままでは、仮に天翼騎士団が長く続いたとしても、ヴラカフの目的を達成することは不可能だろう。
だから、蒼の天外に敗北し、天翼騎士団が解散しても、ヴラカフは特にショックを受けることはなかった。どのみち、近いうちに脱退する予定だったからである。
「ようこそ、ヴラカフ様! お待ちしておりましたわ!」
猪鬼の棍棒亭を訪れると、紅蓮猛華のリーダーである、ヴェロニカ・レッドボーンが、大輪の笑顔で出迎えてくれた。まだ朝早く営業時間外であるため、店内にはヴラカフとヴェロニカと店主以外、誰の姿も見当たらない。
ヴェロニカがヴラカフに接触をしてきたのは、一ヶ月以上前のことだ。目的はヘッドハンティングだった。ヴラカフの探索者を続ける目的と、現状への不満を見抜いていたヴェロニカは、好待遇を条件に自分たちのパーティに誘ってきたのである。誘いを受ける気になったら、フクロウ便で連絡する約束だった。
そして、天翼騎士団が解散した夜、ヴラカフは手紙を送った。返事は早く、明朝に猪鬼の棍棒亭にこられたし、と書かれていた。
「ヴラカフ様、連絡を頂けたということは、色好い返事を聞かせてもらえる、と思ってよろしいですわね?」
せっかちで強引な女だ。だが、回りくどくないのは好ましい。
「ああ、よろしく頼む」
ヴラカフが胸の前で両拳を突き合わせ、狼獣人式の礼をした瞬間、ヴェロニカは大声で喜び叫んだ。
「よっしゃああぁッ!! これで後は、馬鹿狼と馬鹿猿のパーティを吸収合併するだけですわッ! そうすれば、一躍して大パーティ――いえ大クランになれるッ! 見てなさい、ノエル! もう二度とでかい顔はさせませんわッ!」
どうやら、この女もノエルに恨みがあるらしい。仲間になった以上、ヴェロニカには従うつもりだが、ノエルとまた戦うのは勘弁してもらいたいところだ。
あれは、人が敵う相手ではないのだから。
†
†
「カイム、そろそろ家に帰ったらどうだ?」
カイムが酒を飲んでいると、バーの店主が心配そうにこちらを窺う。
「……もう少しだけ、飲ませてくれ」
「そう言って、もう何杯目だ? ……辛い気もちはわかるが、酒に溺れるな。おまえはまだ若いんだから、いくらでも再起できる道はあるだろ?」
「無いよ、そんなもの……。俺はもう、終わりだ……」
天翼騎士団が解散して、二日。あの試験の後、仲間たちとはろくに会話を交わすこともなく別れた。それから、カイムは酒を手放せずにいる。酒を飲まず素面のままだと、震えが止まらなくなるのだ。
「今も、この手には、レオンを刺した時の感触が残っている……。俺は、とんでもないことをしてしまった……。たしかに、ノエルが言ったように、俺は心のどこかで自由になりたいと思っていた……。だが、だからって、あんなことをする必要なんて無かったんだ……。なのに、話し合おうともせず、俺は麻痺毒を塗ったナイフを準備していた……」
考えれば考えるほど、正気だったとは思えない。向かい合うべきことから目を背けて、自分を正当化しようとした結果が、あの凶行だった。
「酷いことも言ってしまった……。あいつは、ただ俺のことが心配だっただけなのに……。裏切り者なんて、絶対に言っちゃいけないことを言ってしまったんだ……。本当の裏切り者は、俺だった……。俺は、最低のクズ野郎だ……」
カイムは堪らずテーブルに突っ伏し、嗚咽を漏らす。込み上げてくる感情のままにむせび泣いていると、やがて店主が優しく背中を撫でた。
「カイム、たしかに、おまえは取り返しのつかないことをした。だが、本当にこのままでいいのか? そうやって酒に溺れているだけで、おまえの罪は許されるのか? いいや、そんなわけがない。おまえには、やるべきことがある」
「…………やるべきこと?」
カイムが顔を上げると、店主は頷いた。
「レオンを、自由にしてやれ」
「あいつは、もうとっくに自由だよ……。天翼騎士団は、解散したんだ……」
「違う。あの日からレオンとは会っていないが、あいつはおまえと同じで、きっと心の檻に閉じ込められたままだ。仲間を信じることができなかった、って悩んでいるに決まっている。だって、あいつはおまえの弟分なんだからな」
たしかに、カイムの知っているレオンは、店主の言う通りの男だ。責任感が強く、仲間の間に問題が起これば、自分を責めて思い詰める癖がある。
「そうかもしれない……。だが、あいつを傷つけた俺に、何ができるってんだ……。俺は、この手で、あいつを刺したんだぞ……」
「できることがなくても、ちゃんと話し合え。俺は、この店で、ずっとおまえたちを見てきた。だから、わかるんだ。話し合えば、きっとまた分かり合える」
「……もし、駄目だったら?」
「それもまた、お互いが自由になる道だ」
「そうか……。そうだよな……」
カイムは頷き、決心した。
自分の弱さと、そしてレオンと向き合うことを。
†
†
曇天の空からは重たい雨が降っている。冷たく身に染みる雨だ。そんな中を、レオンは傘も差さずに歩いている。
大切な天翼騎士団は、解散してしまった。勝つチャンスはいくらでもあったのに、リーダーであるレオンが不甲斐ないせいで、全てが台無しになってしまった。
悔やんでも悔やみきれない。天翼騎士団は、レオンの半身も同然だったのだ。その半身を失くしてしまった以上、もはやレオンは死んだも同じだった。
当てもなく、幽鬼のような足取りで街を徘徊するレオンを、往来の人々は時に嘲笑し、時に哀れみの目で見た。いずれにしても、彼らにとってレオンは、もはや以前のように憧れを抱く探索者ではない。自分たちよりも劣る、人生の敗北者でしかなかった。
そんな時だった。幼い少年が、息を切らせてレオンに駆け寄ってくる。
「レオンさん、お願いします! 助けてください!」
「え? ……急に、どうしたんだい?」
「妹が足を滑らせて頭を打ったんです! それで、たくさん血が出ていて……。でも、うちにはお金が無いから……このままじゃ……ひっひっ……」
泣きじゃくる少年の姿を見て、消えかけていたレオンの魂に火が灯った。
「大丈夫! 絶対に俺が助けるよ! だから、泣くんじゃない!」
「……ほ、本当?」
「ああ、本当だ。本職ほどじゃないが、治療には自信があるからね。さあ、君の妹のところに案内してくれ」
「うん! こっちだよ!」
少年は大通りから路地裏へと入った。帝都の路地裏は、急速な発展の弊害で、迷路のように入り組んでいる。案内役の少年とはぐれると厄介だ。連続する曲がり角で見失わないよう、レオンは慎重に少年の後ろをついていく。
「こっちだよ! こっち!」
やがて、建物の間隔が不自然にあいた広場に出た。建物が取り壊されたのか、それとも土地の所有者が放置しているのか、どちらかはわからないが、帝都の路地裏には、こういう偶然生まれた広場が点在している。
「怪我をした妹は、この広場にいるのかい?」
レオンが周囲を見渡しながら尋ねると、不意に大勢の武装した者たちの気配を感じた。罠だ、そう気がついた時には既に遅く、あっという間に取り囲まれてしまう。
レオンを案内した少年は舌を出して去って行き、代わりに武器を構えた二十人近い荒くれ者共が、下卑た笑みを浮かべながら迫ってくる。
「まさか、こんな手に引っかかるなんてな。天翼も堕ちたもんだぜ」
リーダーらしき鷲鼻の大男が、前に出た。レオンが知っている顔だ。
「……戦鷲烈爪の切り込み隊長、エドガー」
「俺のことを覚えていてくれたのかい? 嬉しいねぇ」
「いったい、俺に何の用だ?」
「大した用じゃねぇよ。ただ、俺はずっとおまえのことが気に入らなかったんだ。だから、ちょっとばかし痛い目を見てもらおうと思ってな」
「そんなことのために、幼い少年を利用したのか? どうかしているぞ……」
理解できない、と首を振ると、エドガーは怒りで顔を歪めた。
「天才のおまえには、わからねぇだろうな。おまえが称賛される裏で、俺たちがどれだけ馬鹿にされてきたかなんてよ……。ある新聞には、こう書いてあった。『探索者の鑑である天翼騎士団に比べれば、戦鷲烈爪はゴロツキたちの集まりだ。大した実力も無いくせに、クランだからって威張っているだけの三下である』ってな」
「その通りじゃないか。現に、こんなことをしている」
「違うね。悪いのはおまえだ、レオン。おまえがいなければ、俺たちも馬鹿にされることはなかった。偽善者のくせに、ちやほやされやがって。蒼の天外に負けて解散した、って聞いた時は、心から清々したぜ。やっと化けの皮が剥がれたってな」
あまりにも理不尽な言い様に、沸々と怒りが湧いてくる。
「エドガー、おまえは狂っている……」
「かもな。だが、おまえはどうだ? 幽鬼みたいに徘徊していた姿は、最高だったぜ。おまえも、堕ちるところまで堕ちたな」
「……黙れ」
「天翼騎士団の栄光なんて、もう過去のもんだ! あとに残るのは、無様に負けて正気を失った、敗北者共の末路だけ! 今のおまえには、貧民街がお似合いだ!」
「黙れぇぇッ!!!」
激昂したレオンが剣に手を伸ばした瞬間、その後頭部を強かに殴られる。昏倒こそしなかったが、完全な不意討ちを受けたせいで、レオンは冷たい地面を噛んだ。
「死ね! 死んじまえよ、レオン! おまえには生きている価値なんて無いんだ! だから、ここで死んじまえ!」
エドガーと仲間たちが、一斉にレオンに群がる。これは死んだな、と冷静に客観視している自分がいた。だが、たしかに、今の自分には何の価値も無い。このまま死んだ方が良いのかもしれない――。
「ぎゃああああぁぁッ!!!」
全てを諦めかけた時、レオンを取り囲んでいた者たちが、次々に悲鳴を上げる。顔を上げて確認してみると、ある者の手は指が斬り落とされており、またある者の手には鉄の針が深々と刺さっていた。いずれにしても、誰もが持っていた武器を落として苦しんでいる。
「ぐぐぅッ、だ、誰だ!? 出てこいッ!!!」
右手の指を失ったエドガーが手を押さえながら叫ぶと、路地の奥から、こつこつと石畳の上を歩く音が返ってくる。
「楽しそうなことをしているじゃないか。俺たちも混ぜてくれよ」
黒いコートを羽織った悪魔が、そこにいた。