第42話 魔眼の狒狒王
また字数が長くなってしまった……
悪魔というのは、シンプルなほど強い。
複雑な特殊能力は初見こそ不利になるものの、攻略法さえ見つけてしまえば容易に崩せるからだ。そして、人――特に探索者は、洞察力と適応能力に優れているため、戦闘中であっても僅かなヒントから勝機を見出す。
例え、その結果に至るまで、多くの犠牲を出そうとも、いつかは必ず勝てるようになる。それが、人であり、探索者だ。
対して、純粋な腕力と速度に優れている悪魔は、明確な弱点というものが無く、こちらの方が遥かに攻略が難しい。パワー対パワー、スピード対スピード、の戦いになってしまえば、悪魔の方が遥かに有利であるためだ。
ましてや、深度が深くなるほど、悪魔は高度な知性も有するようになる。数に物を言わせて挑もうとしても、生半可な指揮能力と戦術では、容易く陣形を崩されてしまい、集団の利を失って逆に不利になることさえある。
力が強く、俊敏で、知能が高い、この三つを兼ね揃えている悪魔は、非常に戦いづらく厄介だ。
深度八の悪魔、魔眼の狒狒王は、腕力と俊敏さ、そして高度な知性を有し、それどころか心を読むという対人戦闘に特化した能力まで備わっている。まさしく、シンプルに強い、を体現した悪魔だ。
同じ深度八の悪魔には、龍種の黒鎧龍がいる。総合的な危険度こそ同レベル、場合によっては大型の黒鎧龍の方が上だが、討伐難易度が高いのは、間違いなく魔眼の狒狒王だろう。
「カイム、負傷したヴラカフを頼む! オフェリアは、カイムの援護を!」
戦況は明らかに不利だった。魔眼の狒狒王の強さは、情報に基づく予想を遥かに超えている。
「オモチャ……オモチャ……イッパイ……イッパイ、アソベル……キキ……」
天翼騎士団と魔眼の狒狒王の戦闘が始まって、既に一時間。激しい攻防の余波は、木々を薙ぎ倒し、大地を抉り、地形を大きく変貌させている。
その終わらない激闘に、レオンたちが疲弊し始めている一方、魔眼の狒狒王は無限を思わせるタフネスを誇示し、不気味な人語でレオンたちを嘲笑っていた。
当初の計画通り、会敵した瞬間に範囲攻撃で雑魚を一掃することには成功した。だが、魔眼の狒狒王を孤立させたにも関わらず、その身体には、かすり傷一つ負わせることができていない。ただでさえ身体能力に歴然の差があるのに、心を読まれているせいで十分な連携を取れないためだ。
レオンは無心状態から、回復スキルと防壁スキルを連続で使い、即座に崩れかけた陣形を立て直す。ヴラカフは傷が癒えたと同時に、炎の巨人を召喚。その燃え盛る剛腕が、魔眼の狒狒王に殴り掛かった。
当然の如く、軽々と躱される。だが、回避した先には、カイムの豪槍とオフェリアの矢が待ち受けていた。豪雨のような猛攻で、魔眼の狒狒王を仕留めんとする。
「ムダ」
刹那、魔眼の狒狒王が忽然と消える。
上だ。その巨体で軽々と跳躍し、瞬時に上空へと逃れていた。心を読む魔眼の狒狒王に、奇襲は通用しない。だが、そんなことは端から承知の上だ。
「ギギ!?」
魔眼の狒狒王が初めて口にする驚愕の声。魔眼の狒狒王が逃れた先、その頭上にはレオンがいた。
レオンはスキルだけでなく、自身の身体も、無心の状態から一瞬で行動に移すことができる。心を読まれたとしても、対応される前に先んじて行動できれば、奇襲は可能だ。
戦闘が始まって一時間。たしかに戦況は不利だった。だが、本物の探索者は、戦闘の中でこそ成長するもの。繰り返される攻防の中で、魔眼の狒狒王の神速と思わせる動きを、レオンは見切りつつあった。
レオンの振り下ろす剣には、聖なる光が宿っている。
騎士スキル:神聖波動。
魔力を熱光球に変換して放つスキルだ。更に、全ての悪魔の弱点である神聖属性も付与されているため、着弾すれば約五秒間ほど、全ての能力を三割減することができる。たった五秒間しかなく、また悪魔に耐性がつくため連続使用はできないが、レオンたち天翼騎士団なら、その時間内で勝利に持ち込める確信があった。
小型の太陽を思わせる光球が、レオンの剣から放たれる。
だが、魔眼の狒狒王は空中で身を捩って躱した。レオンは慌てず二発目を発動しようとしたが、異変を察知し地上の仲間たちに叫ぶ。
「皆、避けろッ!!!」
空中で追い詰められたはずの魔眼の狒狒王は、邪悪な笑みを浮かべていた。そして、その手には、無数の石が握られている。
レオンが仲間たちに防壁を展開するのと、魔眼の狒狒王が石を投げ放つのは、全く同時のタイミングだった。
投石器なんて比較にならない。その威力は小隕石だ。人に着弾すれば、煙となって霧散するほどの破壊力。それが流星群の如く地上に降り注いだ。
凄まじい轟音、巻き上がる土煙。地上に着地したレオンは、剣を振って風を起こし、土煙を払った。視界が開けると、すぐに仲間の姿を探す。カイムは無事だ。ヴラカフも多少の怪我を負っているが、自分の足で立っている。だが、オフェリアは――
「くそっ! 全員、撤退! 殿は俺が務める!」
だが、オフェリアは、その右腕を失って倒れ伏していた。レオンの防壁によって威力を軽減することはできたが、それでも腕を千切り飛ばすには十分な破壊力だったのだ。
カイムがオフェリアを背負い、ヴラカフと共に退却を始める。残った炎の巨人が魔眼の狒狒王に襲い掛かるが、剛腕の一振りで消滅した。魔眼の狒狒王は、仲間の退路を守るレオンに突進してくる。
騎士スキル:聖盾防壁。
騎士スキル:鋼の意思。
不可視の防壁と、盾を構えている間、自身の耐久力を10倍にするスキルが、魔眼の狒狒王の猛襲を食い止める。だが、その威力は凄まじく、盾で受け止めたレオンの目と口と鼻から、血が流れ出した。
「オモチャ、ツヨイ……。デモ、ホントウニ、ツヨイノ、オマエダケ……」
その剛腕でレオンを盾の上から圧し潰そうとする魔眼の狒狒王は、薄気味悪い笑みを浮かべながら挑発してくる。
「ミエル、キョウフ、フアン……。オマエタチ……オレノ、テキジャナイ。オモチャ……オモチャ……キキキキッ……」
その挑発を、レオンは苦痛に耐えながらも鼻で笑った。
「安い挑発だな。悪魔といっても、所詮は猿か」
「キキ……ツヨガッテモ、ムダムダ……。オマエノココロ、ヨメル……。オレタチ、カテナイ、ソウオモッテイル……」
「そうさ、今は勝てない。だが、探索者は決して諦めない。一度負けても、必ず勝つ。最後に負けるのは、おまえの方だ!」
レオンの構えていた盾が、眩い光を放つ。
騎士スキル:絶対防御。
あらゆる攻撃を一度だけ反射する防壁スキルだ。レオンを圧し潰そうとしていた魔眼の狒狒王は、その反転した力を受けてしまい、遥か後方へと吹き飛ばされる。
レオンは魔眼の狒狒王が体勢を立て直す前に、その場を急いで離れた。絶対防御の再使用には二十四時間必要だ。オフェリアが負傷し、また絶対防御という奥の手を失ったことで、戦況は一気に最悪の状況となった。
だが、レオンは理解していた。まだ勝機は残されている。この状態からでも勝つことは可能だと。そして、そのためには――
魔眼の狒狒王に確実に勝つためには、誰かを犠牲にしなければいけない、ということも……。
†
†
「オーイ! ドコダー? オーイ! オーイ! ……オーーーイッ!!!」
レオンたちを見失った魔眼の狒狒王は、ずっと同じ呼び掛けを繰り返しながら周囲を探し回っている。
だが、レオンたちが見つかることは無いだろう。ヴラカフが存在を感知されなくなる結界を張っているためだ。この中にいる限り、あちらからは姿も臭いも声も、そして思考も感知できない。
もっとも、結界は非常に脆く、これを隠れ蓑に奇襲をしようとしても、攻撃スキルの発動準備に入った瞬間、その魔力余波で壊れてしまうほど繊細だ。
更に、魔力消費が激しいため、長くは持たない。今は見つからないにしても、このまま隠れているわけにはいかなかった。業を煮やした魔眼の狒狒王が、手当たり次第に先のような範囲攻撃をする危険だってあるのだ。
「治療は終わった。腕は動かせるか?」
レオンが尋ねると、オフェリアは繋がった右腕の動作を確認し、頷いた。
「うん、少し痺れるけど問題ない。ありがとう、レオン」
千切れ飛んだオフェリアの腕は、ヴラカフが回収してくれていた。レオンの回復能力では失った腕そのものを復元することはできないが、元の状態にくっつけることは可能だ。ただ、オフェリアは腕が千切れた際に大量の血が流れ出たため、腕が繋がっても万全の状態とは程遠かった。酷く青褪めており呼吸も不安定だ。
戦闘用覚醒剤を飲めば動くことはできる。だが、長くは続かないし反動が不安だ。ただでさえ、戦闘用覚醒剤は身体への負担が大きい。なのに、こんな状態で使用すれば、例え戦いに勝つことができても、重大な障害を負う可能性が高かった。
「ごめんね、レオン……」
申し訳なさそうに謝るオフェリアに、レオンは微笑みながら首を振る。
「気にするな。まだ負けたわけじゃないんだ」
そうは言ったものの、状況が最悪であることも事実。リーダーとして、決断をするべき時なのは、明らかだった。
「なあ、皆――」
意を決してレオンが口を開いた瞬間だった。カイムが手を挙げる。
「俺に策がある。よければ聞いてくれないか?」
「策ってなんだ?」
「このままでは勝てない。だが、勝てなければ、俺たちに未来は無い。だから、俺の全てを懸けようと思う」
「全てって……まさか!?」
その言葉の意味を察したレオンは、驚愕するしかなかった。だが、当のカイムは平然としており、既に覚悟を決めていることがわかった。
「俺が囮になって奴を誘き出す。その瞬間、日輪極光を使え。俺たちが勝つには、もうそれしかない」
騎士スキル:日輪極光。
魔力を全消費することで、神聖属性と炎熱属性を複合した極大威力の光線を放つ、騎士の最強攻撃スキルだ。
たしかに、その威力があれば、魔眼の狒狒王に深手を負わせることができるだろう。だが、日輪極光には魔力を全消費するというデメリットの他に、攻撃範囲が広過ぎて仲間を巻き込む危険性があった。そんなスキルは軽々しく使えないし、カイムが囮となっている状態なら猶更だ。
「駄目だ! そんな作戦は認められない! 危険過ぎる!」
レオンが反論すると、カイムは静かに首を振る。
「この結界は、俺たちの存在を奴から遮断してくれる。だが、強力な攻撃スキルを発動しようとすれば、その余波で結界は崩壊するだろう。つまり、ここからでは奇襲はできない。奇襲するためには、奴と改めて対峙する必要がある。そして、オフェリアが負傷した以上、今までの戦い方では、その隙をつくることなんてできない」
「だ、だからって!」
「レオン、何も自殺しようってわけじゃないんだ。俺にだって、やりたいことは山ほどあるし、こんなところで終わるつもりはない。大丈夫、上手いタイミングで射線上から逃げるさ。俺を信じてくれ」
その言葉が嘘であることは、すぐにわかった。カイムとは赤ん坊の頃からの付き合いだ。心を読む能力なんて無くとも、考えていることは手に取るようにわかった。カイムは死ぬことも覚悟している。レオンたちを勝たせるために。
オフェリアとヴラカフも、その真意を察しているようだ。だが、カイムの決意が固いことも理解しているため、口を挟めずにいた。ただ沈鬱な表情でいる。
「……たしかに、ここから俺たちが勝つためには、誰かを犠牲にしないといけない。それは、俺もわかっている。だが、やはり認めることはできない」
「なら、どうする? 他に手段は無いぞ? 退却すれば敗者だ。天翼騎士団は解散し、俺たちも散り散りになる」
「いや、もう一つ策がある。――蒼の天外と合流しよう。彼らと協力すれば、カイムを犠牲にしなくても戦える」
「なっ!?」
レオンが告げた策に、カイムは唖然とする。
「ま、待ってよ、レオン! そんなことしたら、試験はどうなるの!?」
驚愕し取り乱すオフェリア。レオンは溜め息を吐き、その真意を話す。
「試験は……諦めよう。どのみち、蒼の天外も、単独では魔眼の狒狒王に勝てない。この試験には勝者がいないんだ。だったら、少しでも評価を下げないためにも、蒼の天外と協力して魔眼の狒狒王を倒す。両方が敗者ではなく、両方が勝者なら、クランの創設は認められないだろうが、少なくともパーティの解散は避けられるし、大きく評価を下げることも無いだろう」
クランの創設は残念だが、冥獄十王が討伐された後に、改めて申請するしかない。犠牲者を出さず乗り切るには、これが一番正しく確実な道だ。レオンは皆も理解してくれると思っていた。だが、三人の顔には、困惑と恐怖だけがあった。
「嘘でしょ……。あいつが言ってた通りになるなんて……」
「なるほど、彼奴の言葉は、こういう意味だったのか……」
オフェリアとヴラカフの言葉に、レオンは首を傾げる。
どういうことだ、と尋ねようとした瞬間、その肩をカイムに掴まれた。
「レオン、本気なのか? 本気で試験を諦めて、蒼の天外と共闘するつもりなのか? あいつたちは、敵だぞ! 俺たちが勝たないといけない相手だ!」
「わかっている。わかっているが――」
「いいや、わかっちゃいない! 何もわかっちゃいない! 俺を信じてくれ、レオン! 絶対に上手くやる! おまえを勝たせてやる! 絶対にだ!」
「カイム、冷静になれ……」
「俺は冷静だ! 冷静に、天翼騎士団のことを考えている! なのに、おまえは、俺ではなく、敵を――ノエル・シュトーレンを、信じるって言うのか!?」
カイムの鬼気迫る訴えに、レオンは思わず眼を逸らしそうになった。だが、リーダーとして、ここで決定を翻すわけにはいかない。例え、心を鬼にしても。
「そうだ。俺は、おまえよりもノエル君の方を信じる。今のおまえは、完全に冷静さを失っている。そんな状態で、どうやって信じろって言うんだ?」
レオンはカイムが憎いわけじゃない。信じていないわけでもない。ただ、誰も犠牲にしたくなかっただけだ。カイムは手を放して後ろによろめく。その顔は泣いていた。涙を流し、悔しそうに顔を歪めている。
「そうか……それが、おまえの答えか……」
「カイム、戦いが終わったら話し合おう。ともかく、今は――」
不意に、カイムがレオンを抱き締めた。そして、耳元で囁く。
「やっぱり、あいつが正しかった。裏切り者は、おまえだ……」
「……え?」
レオンの腹部を、鋭い痛みが襲う。たまらず膝を突き、傷む箇所に手を当てると、温かい液体が手を濡らした。それは、真っ赤な血だった。
「……カ、カイム?」
レオンが見上げると、カイムの手には血塗られたナイフが握られていた。
「安心しろ、急所は外した。だが、強力な麻痺毒が塗ってある。いくらおまえでも、しばらく身動きはできない」
「カイム、何やってんの!?」
オフェリアが駆け寄り、レオンの身体を支える。
「ヴラカフ、私のポーチから回復薬を取り出して! 早く!」
「あ、ああ! 待ってろ!」
オフェリアとヴラカフは、突然の事態に慌てながらも、レオンの治療を始めた。麻痺毒のせいで意識が朦朧とする中、レオンはカイムに向けて口を動かす。
どうしてなんだ、と。
「俺は、ずっとおまえに嫉妬していたよ。俺よりも才能のあるおまえが憎かった。でもな、仲間だから、弟分だから、俺を信じてくれていると思っていたから、今までやってこれたんだ。おまえのためなら、命を失うことだって怖くなかった……」
カイムは崩れ落ち、両手で顔を覆った。
「でも、もう無理だ……。もう無理なんだ……。俺は……自由になりたい……」
嗚咽と共に語られる告白に、レオンの眼からも涙がこぼれる。知らなかった。そんな辛い思いでいたなんて知らなかった。何でもわかっていると思っていたのに……。
「ミツケタ! ミツケタ! オモチャ、ミツケタ!」
突然、魔眼の狒狒王の狂喜する声が響く。レオンたちは身体を強張らせるが、どうにも様子がおかしい。こちらを見つけたわけではないようだ。
その視線の先に、黒いコートを着た少年が現れる。蒼の天外のリーダー、ノエル・シュトーレンだ。こちらを見えていないはずのノエルは、だがレオンたちに向かって慇懃に礼をした。
「天翼騎士団の皆さん、ここまでの露払いご苦労様」