第35話 英雄を愛する者たちの願い
「半年はどう考えても無理」
探索者協会館を出ると、アルマは耐えかねたように言った。恨みがましい顔で、じっとりとした視線を俺に向けてくる。
「探索者になってから、ボクも色々と調べたけど、やっぱり一年で七星になるなんて無理。なのに、半年? 無謀にもほどがある」
「無謀ではないさ。ハロルドの爺さんが言っていただろ? 条件に見合うクランを創設できれば、全面的にバックアップしてくれるって。そうなれば、七星まで一直線だ」
「……あの爺の言うことを仮に信じるとする。でも、どうやって条件に見合うクランにするつもり? しかも、たった一週間で」
「策はある」
「策って?」
「強い悪魔を倒すんじゃろ? そいが一番実績になる」
コウガの意見に、アルマは頭を抱える。
「それが一番なのは、ボクだってわかってる。でも、どれだけ無茶をしたところで、実力を大きく超える悪魔は倒せない。それはつまり、評価を改めるほどの実績にはならないってこと」
「ほいじゃあ、まずは新しい仲間を集めて戦力を強化せんとな」
「馬鹿? そんな簡単に、強い人材を仲間にできるわけがない。仮に仲間にできても、戦闘の連携訓練もしないといけないし、一週間じゃ戦力にはならない」
「あ、そうじゃった。連携訓練無しじゃ、戦闘には出せんのう……」
アルマの指摘は正しい。強い仲間を得るだけでは意味が無い。個々の動きが噛み合うように訓練を重ねて初めて、チームとして機能するのだ。コウガが仲間になった時も、半月を掛けて戦闘訓練を行った。今すぐにヒューゴを牢から出し、仲間にしたとしても、一週間ではとても日数が足りない。どのみち、ヒューゴの刑を撤回させるには、もう少し時間が掛かる。
また、ガンビーノ組の一件で手に入れた金を使い、既に死霊祓いを習得済みであるため、幽鬼系に限れば格上が相手でも勝てるだろうが、それにしても大きな実績に繋がるほどのレベルは無理だ。
つまり、正攻法で条件を達成することは不可能、ということである。
「だいたい、なんで一週間なんて言ったの?」
「期間を短く設定した方が、評価が上がるからに決まっているじゃないか」
「だからって、一週間は短過ぎ。何もできない」
「いや、一週間もあれば十分だよ。むしろ、長過ぎるぐらいだ」
「本当?」
「本当だとも。まあ、進んで使いたい手ではないがな」
「……どんな手なの? 危ない手じゃないよね?」
「危なくはないな。探索者に限らず、組織を拡大する時にはよく使われる手だ。二人とも、わからないか?」
「わからない」「わからん」
二人は仲良く首を振る。
「じゃあ、説明するよ。俺がやろうとしていることは――」
言葉が喉から出る寸前で、はたと思い出した。
「駄目だ。おまえら口が軽いからな。知らないままでいろ」
「「ええっ!?」」
「危ない危ない。危うく策が筒抜けになるところだった」
「ちいと待て、ノエル! 口が軽いんは、こん女じゃろうが! ワシは一度たりとも、秘密を漏らしたことなんてないぞ!」
「そうだな」
「じゃったら、ワシには教えてくれてもいいじゃろうが」
「駄目だ。仲間外れは可哀そうだろ。コウガも我慢しろ」
「そ、そんな……」
がっくりと肩を落とすコウガ。その隣で、アルマは気まずそうに口笛を吹いている。おしゃべり女め、少しは反省しろ。
「詳細は必要な時がきたら教える。それまで、各自ゆっくりと身体を休めておくように。だが、トレーニングを怠ることは厳禁だぞ」
「トレーニングで思い出した。この後、リーシャとお互いの戦い方を教え合う予定なんだけど、構わないよね?」
「構わないぞ」
リーシャは他のパーティのメンバーだが、技術交流を拒む理由は無い。むしろ、足を引っ張り合ったりするよりも、切磋琢磨する事こそが、正しいライバルの在り方だ。
「ノエル、ワシも一つええか?」
「なんだ?」
「下宿先の人手が足りんみたいでのう。暇な時は手伝っちゃろうと思っとるんじゃが、構わんじゃろうか?」
「バイトをしたいってことか? 当面の生活費は十分な額を渡したはずだぞ?」
もともと、コウガは奴隷だ。自由の身とはなったが、貯えなどあるわけがなく、その生活費は俺が貸し与えた。今後の活動報酬から少しずつ返済してもらう約束だ。
「いや、金はあるんじゃが、下宿先の大将が困っとってのう。こんまま見過ごすのも居心地が悪いんじゃ」
つまり、まったくの善意というわけか。困った奴だ。
「……わかった、好きにしろ」
副業を認めることは好ましくないが、この程度なら問題無いだろう。なにより、リーダーだからって、プライベートを縛る権利は無い。
「ありがとの! 助かるわ!」
俺は投げ遣り気味に手を振ってから、改めて二人を見る。
「本日のパーティ活動は以上だ。では、解散」
†
†
「ふむ、話はまとまったようですな」
窓の外、三人の若者たちが互いに手を振って別れていく。その光景を、ハロルドは目を細めながら眺めていた。
「ノエル・シュトーレン、やはり面白い逸材ですね」
彼の名前自体は、探索者に登録された時から知っていた。なにしろ、あの不滅の悪鬼の孫だ。注目しない方が無理というものである。
だが、その職能は話術士だった。がっかりしなかったと言えば、嘘になる。もしノエルが戦士なら、間違いなく彼の英雄の後継者となっただろう。
「そう、最初は期待外れでした。ですが、あなたは生まれついてのハンデをものともせず、着実に名声を得始めた」
探索者業界全体の中では、まだまだ将来有望なルーキーの一人でしかない。だが、長く探索者を見てきたハロルドは、ノエルに他の探索者とは違う可能性を感じていた。
実際、ノエルはパーティの崩壊を体験しながらも、即座に立て直すことに成功した。ガンビーノ組を打ち負かしたことも聞き及んでいる。
また、最弱の支援職でありながら、ハロルドの殺気に全く動じなかった。十六歳とは思えない見事な胆力だ。
「彼は、従来の英雄たちとは違う。だからこそ、新しい領域に辿り着けるのかもしれない。誰も辿り着けなかった領域に」
ハロルドは目を閉じ、彼の英雄を思い出す。
「喜びなさい、ブランドン。あの子は、間違いなくあなたの孫だ。例え、あなたの才能が受け継がれなくても、彼は必ずあなたを超える英雄になる」
「あたりまえだ、馬鹿野郎! 俺の自慢の孫だぜ?」
そんな幻聴が聞こえてくるほど、ハロルドの記憶は鮮やかに蘇っていた。伝説のクラン、血刃連盟を担当したのはハロルドだ。その騒々しくも満ち足りていた思い出は、何十年経っても色褪せることはない。
「ただいま、爺ちゃん! オレが会いに来てやったぞ!」
思い出に浸っていると、乱暴にドアが開けられた。
「あ~、疲れた。探索者ってのは、なんで馬鹿ばっかなんだろうな。まったく、やってらんねぇぜ」
部屋に入ってくるなりソファに座り込んだのは、同じ探索者協会の監察官にして、ハロルドの孫であるマリオン・ジェンキンスだ。
どうやら、どこぞのクランと闘り合ってきたらしい。燕尾服の下に着ているシャツには、点々と血の染みがついていた。
「マリオン、お疲れ様です。一仕事終えたようですね」
「しつこく査定に文句を言うからさ、全員ボコボコにしてきてやったよ。無能な奴ほど小狡くて嫌になるぜ。文句があるなら、結果を出せっつうの」
「まったくですね。ですが、それも監察官の仕事ですよ、二十六号監察官殿」
「わかってるってば。お説教はやめてくれよ爺ちゃん。ところで――」
マリオンは表情を真面目なものに改めた。
「爺ちゃんが新しいクランの担当になるってマジ? もう十年近く、どのクランの担当にもならなかったよね? そんなに凄いクランなの?」
興味津々という様子のマリオンに、ハロルドは苦笑しながら頷く。
探索者協会の監察官は、全員で三十六名。それぞれ一つ以上のクランを担当している。だが、この十年、ハロルドは高齢を理由に、どのクランの担当にもならなかった。
もちろん、年齢は方便だ。たしかに全盛期はとっくに過ぎているが、監察官の務めを果たせる能力は残っている。担当者にならなかったのは、単純にハロルドの胸を熱くしてくれるクランが現れなかったからだ。だから、この十年は、ずっと後進の育成に努めてきた。
「へぇ、おったまげだぜ! どんな奴らなんだ!?」
「ノエル・シュトーレン、という少年がリーダーを務めているチームですよ」
「知ってる! 不滅の悪鬼の孫のくせに、話術士に生まれた雑魚だろ! マジかよ!? そんな雑魚リーダーのクラン担当になるの!? 爺ちゃんが!?」
「そうですよ。何か問題でも?」
ハロルドが微笑みながら首を傾げると、マリオンは表情を強張らせた。微笑みの中に込められた、静かな怒りを敏感に感じ取ったからだ。
「……ま、まあ、爺ちゃんが現役復帰するなら、オレは嬉しいよ。うん……」
「マリオン、あなたの方はどうなんです? 百鬼夜行を上手く御せていますか?」
「無理だね。あれはどうにもなんねぇよ」
マリオンは腕組みをし、露骨に渋い顔した。
「そもそも、百鬼夜行が七星に入れたのは、マスターのリオウが出鱈目に強いからだ。他のクランメンバーの実力はそこそこ。なのに、リオウときたら高慢ちきの怠け者で、自分が気に入った依頼にしか出てこねぇ。サブマスターが頑張ってクランを維持しているが、見ていて可哀そうになるほど疲弊していたぜ」
「それは困りましたねぇ……」
「オレも色々と手を尽くしているんだが、このままだと七星から落ちるかもな。ていうか、クランメンバーのことを考えるなら、その方がいいかも。ちくしょう! リオウさえ本気になれば、いつだって一等星になれるのによ!」
「マリオン、気もちはわかりますが、監察官の立場を超えてまで肩入れするのは厳禁ですよ。それはお互いのためにならない」
「わかってるよ! うっさいな!」
ノエルはハロルドが贔屓するのを不思議がっていたが、監察官という人種は例外なく自分の担当クランを贔屓するものだ。
担当クランの成績が自身の評価に繋がるのはもちろんとして、監察官の誰もが英雄を好きだからである。自分たちが英雄になることができない陰の者だからこそ、表舞台で光り輝く彼らを愛してしまうのだ。
「しかし、百鬼夜行が七星から落ちてしまうと、エックスデーの戦力が心許ないですね……。彼らには期待していたのに……」
「ああ、それなんだけどよ、エックスデーの予測が変わったみたいだぜ」
「え、いつなんです?」
「半年後だってさ」
「半年後!? 最短で一年じゃなかったんですか!?」
「予測は変わるもんだよ爺ちゃん。陛下は、近日中に非常事態宣言を発令し、各主要都市の防衛を帝都上層部で掌握するみたいだ。冥獄十王によって発生する、深淵の浸食速度は尋常じゃないからな。あっという間に国全体が呑み込まれる。防衛の足並みを揃えなければ対抗できない」
「半年後……そんな……」
ハロルドの脳裏に、ノエルの言葉がよぎる。
「俺たちは『半年後』の査定時に、七星になる」
まさか、あの少年はこれを読んでいたのか? いや、流石にそれはありえない。だが、だとしても、これを単なる偶然だと見ることはできなかった。
「爺ちゃん! おーい、爺ちゃんってば!」
思考の迷路に入り込んでいたハロルドは、マリオンの呼び掛けで我に返る。
「大丈夫です。ちゃんと聞いていますよ」
「そっか。それでさ、爺ちゃんに聞きたいことがあるんだけど――」
「エックスデーの陣頭指揮を、どのクランに任せるか、ですね?」
「そう、それ。軍と他の探索者は都市の防衛にあたるから、冥獄十王と戦うのは七星たちだ。本来なら、一等星の覇龍隊に任せるのが筋なんだが……」
「マスターのヴィクトルが高齢であるため不安がある、ですね?」
「うん……」
同じく高齢のハロルドを気遣ってか、マリオンは小さく頷く。
「気にすることはありません。歳を取れば誰でも衰えるものです。身体も、心も。ヴィクトルも理解しているでしょう。陣頭指揮は別のクランに任せた方が良い」
「となると、二等星の、カーンと太清洞のどちらか、か」
「いえ、両方とも相応しくない」
「え、なんで?」
「カーンは血族のみで構成される特殊なクランです。そのためチームワークはどのクランよりも秀でていますが、血族以外を指揮する能力は欠けています」
「たしかに……」
「太清洞のマスターは、他国の者です。だから信用できない、と言うわけではありませんが、国を守るための戦いで最大の力を発揮できるのは、やはり同じ国の探索者でしょう。それは指揮下の者たちにも影響する」
「なるほど……。じゃあ、三等星から選ぶべきか……」
「他の監察官たちは何と言っているんですか?」
「他の皆は、問題はあっても、覇龍隊に任せた方がいいってさ。ただ、不安もあるから、爺ちゃんに聞いてこい、って頼まれたんだよ」
「頼りないですね……」
「しょうがないよ。冥獄十王との戦いを詳しく知っているのは、もう爺ちゃんだけなんだし。皆、どう対処すればいいかわからないんだ」
言われて思い出した。もう、あの戦いを知っている者は、ほとんど残っていないのだ。最愛の妻も、同僚も、不滅の悪鬼も死んでしまった。
「……マリオン、あなたはどうです? どのクランが相応しいと思いますか?」
「オレか? オレは……」
マリオンは長く悩み、それから断言した。
「オレは百鬼夜行が相応しいと思う」
「それはどうして?」
「たしかに、マスターのリオウは糞野郎だ。だが、その強さは歴代でもトップクラス。いや、オレはリオウこそが、史上最強の探索者だと思っている。爺ちゃんも知っているはずだ。あいつは、十五歳で探索者になった時、とっくにEXランクだったんだぜ」
リオウの強さは、ハロルドもよく知っている。その凄まじい武勇伝の数々も。
「ですが、リオウが指揮を取れますか?」
「指揮を取る必要はないよ。あいつを総大将にして敵陣に突っ込ませれば、必然的に皆の士気が上がる。どうせ、アクの強い七星たちを、完全に制御することなんて不可能なんだ。だったら、細かな指示なんて出さず、腕っ節一つで皆を導けるリオウこそが、総大将に相応しい。あいつには、それだけの力がある。冥獄十王が相手なら、あいつもやる気を出すだろうし」
「なるほど、一理ありますね……」
悪い提案ではない。深く考えることもなく無難に覇龍隊を推す者たちよりは、遥かに実際の戦いを想定できている。もし、今日よりも以前なら、ハロルドはマリオンの案に賛成していただろう。
だが、ハロルドは出会ってしまったのだ、あの少年と。
「爺ちゃんの推しは、どのクランなんだ?」
「私は、ノエル・シュトーレンを推します」
「はぁ? …………はああああああぁぁっ!? そいつって、今日クランを創設したばっかの探索者だろ!?」
「いえ、正確には保留状態です」
「じゃあ、クランも創設してねぇのかよ!? そんな奴を総大将にできるわけがないだろ! 爺ちゃん、ボケちまったのかッ!?」
大慌てするマリオンを見て、ハロルドは声を上げて笑った。
「なに笑ってんだよ!?」
「ははは、いや、すいません。マリオンが驚くのも無理はないと思いまして」
「当然だろ!」
「マリオン、賭けをしませんか? 私が推すノエルか、あなたが推すリオウ、半年後にどっちが総大将に相応しい立場となっているか、賭けるんです。もし、あなたが勝てば、ジェンキンス家の当主の座を、あなたに譲りましょう」
ハロルドの言葉に、マリオンの目の色が変わる。
「……爺ちゃん、それって本気か?」
「もちろん、本気ですよ」
「……ちなみに、万に一つも無いと思うが、もしオレが負けたら?」
「その時は、花嫁学校に入ってもらいます。礼儀作法と家事を完璧に極めた、最高の淑女に生まれ変わってもらいましょう」
「いいっ!? マジかよ!?」
ハロルド・ジェンキンスの孫娘、マリオン・ジェンキンス。年齢は十八。母親譲りの美貌と恵まれたスタイルを持つ少女。明るいオレンジがかった金髪をポニーテールにしていて、その艶やかな髪が、健康的な彼女を更に魅力的に見せている。
祖父の贔屓目を抜きにしても類稀な美少女だ。だが、いかんせん、がさつで粗暴過ぎる。これでは、どれだけ容姿に恵まれていても、嫁の貰い手が無いだろう。
女なら女らしく生きろ、なんてカビの生えたことを言うつもりはない。だが、最低限の品は備えてほしい、というのがハロルドの願いだった。
「どうします? 負けることが怖いなら、降りてもいいですよ?」
「ふ、ふざけんな! 誰が降りるか! その賭け、乗ってやるぜ!」
その瞬間、ハロルドは満面の笑みを浮かべた。