第33話 神の座に至りし剣士
「誰よ、あの女? ジーク様と親しそうじゃない?」
「え、女じゃなくて男の子でしょ?」
「嘘!? あんなに綺麗な顔をしているのに!?」
「私、知ってる! あの子って蒼の天外のリーダーだ!」
「な、なんだか知らないけど、とっても耽美な波動を感じるわ!」
「私もです、お姉さま! 二人の背景に満開の薔薇が見えますわ!」
勝手なことを言って盛り上がる女ども。俺はこめかみが軽く痙攣するのを感じながらも、ジークを真っ直ぐに見据えて笑みを作る。
「これはこれは、帝都最強クランである覇龍隊のサブマスター、ジーク・ファンスタインさんじゃないですか。お会いできて光栄ですよ。ええ、実にね」
「僕のことを知っているなんて、こちらこそ光栄だよ、ノエル君」
ジークは爽やかな笑顔で応える。
厭味な奴だ。おまえのことを知らない探索者がいてたまるか。
この帝都には、EXランクに至った者が三人いる。
一人は七星の三等星、『百鬼夜行』のマスター、王喰いの金獅子リオウ・エディン。
もう一人は七星の一等星、覇龍隊のマスター、開闢の猛将ヴィクトル・クラウザー。
そして、最後の一人が、覇龍隊のサブマスターである、この男だ。
アルマが酔っぱらった時に漏らした情報によると、暗殺者教団の教団長もEXランクらしいが、実際に会ったことはないので真偽は不明だ。
確実であり重要なのは、探索者だと三人しかいないということ。
だが、ヴィクトルは既に還暦間近の年齢であるため、とうに全盛期は過ぎている。EXランクではあるが、実際の戦闘能力はAランクほどしかない。もちろん、長年培った知識や経験や技術を有しているため、総合的には他のAランクを遥かに超える実力者ではあるが。
なんにしても、今まさに絶頂期にあり、EXランクの能力を最大限に活かせる探索者は、リオウとジークの二人だけだ。つまり、帝都で最強の探索者は、二人の内のどちらかということになる。
そんな男の謙遜なんて、厭味にしかならない。天然ならまだしも、言動の端々から見受けられる強い自信は、自分の立ち位置をしっかり理解している証拠だ。爽やかな風体に反して腹黒いという風評は本当だったらしい。
「それで、毎日二十四時間お忙しいはずのジークさんが、俺のような木っ端探索者に何の用でございましょうか?」
「木っ端なんてとんでもない! 君の噂は僕たちのクランでも持ち切りだよ。伝説の探索者、不滅の悪鬼のお孫さんであるだけでなく、あのガンビーノ組をたった二人で撃退したそうじゃないか」
「不滅の悪鬼の孫だってことは公言している事実ですが、ガンビーノ組については身に覚えがありませんね。人違いでは?」
俺がしらばっくれると、ジークは笑みを深くする。
「人違いじゃないよ。ガンビーノ組と君の間にトラブルがあったことは多くの探索者が目撃している。そして、これは表には出ていない情報だが、その一週間後にガンビーノ組の組長が入れ替わっている。たしかに、君自身がアルバートに手を下した場面を見た者はいないが、起こった事を察するには十分な情報じゃないかな?」
「仮にそれが真実だとすると、俺はとんだ危険人物だ。本家であるルキアーノ組が黙っちゃいない」
「そう! 僕が注目しているのはそこなんだ!」
ジークの細められていた目が、にわかに開かれた。その銀色の瞳には、埋火のような静かで暗い熱を感じる。
「単なる探索者でしかないはずの君が、どんな手品を使って事を成し遂げたのか、まったく興味が尽きないよ。それに、見たところ、ランクアップにも成功したようだね。支援職でありながらランクアップできる者は少ない。この探索者の聖地である帝都ですら、君を含めても二人だけだ」
「おやおや、奇遇だったにしては随分ときな臭くなってきましたね。この話は一体どこに行きつくのかな? 大変気になるところですが、俺も木っ端ながら忙しい身でしてね。よろしければ、ここらへんでお暇させて頂きたい」
俺が踵を返すと、その肩にジークの手が置かれた。
「おい、勝手に触ってんじゃねぇぞ」
「悪いね。でも、まだ僕の話が終わっていない」
「それが俺に何の関係があるんだ? あんた、帝都最強クランのサブマスターだからって、自分が偉いと勘違いしているんじゃないか?」
「なかなか辛辣だね」
ジークは俺から手を放し、一歩下がった。
「たしかに、君が察している通り、この出会いは偶然じゃない。僕は君に用があったから来たんだ。そのことで君を不快にさせたのなら謝ろう」
「謝罪は不要だ。あんたとは赤の他人だからな」
「まあまあ、待ってくれよ。僕が持ってきた話は、君にとっても悪い内容じゃない。とりあえず、どこかお茶を飲める場所でのんびりと――」
「あんた、俺の話を聞いていたか? 俺は忙しいんだ。あんたに付き合っている暇は無い。今も、これからも、ずっとな」
「頑なだねぇ」
「ふん、頑なも何も、あんたが俺に会いに来た理由は最初からわかっている。つまるところ、ヘッドハンティングだろ?」
大手クランが、有望なパーティを取り込もうとすることはよくある話だ。自分たちのクランを強化できるだけでなく、将来的なライバルも減らせるのだから、やらない方が損である。
七星レベルになると、既に十分な戦力が揃っているため、積極的に行動することは少ない。よほどの実力者でない限り、声を掛けたりはしないだろう。
頂点に立つ者に実力を認められることは素直に嬉しい。だが、それ以上に俺は不快だった。この男のやり口が気に食わない。
「やっていることがさ、小さいんだよ、あんた」
「なんだって?」
「偶然を装ってヘッドハンティングしに来た事といい、強引な誘い方といい、あんたやっぱり自分が偉いと勘違いしているだろ? あんたが相手だったら、誰でも素直に従うと思っていたのか? 勘違いも甚だしい。そのくせ、目的は将来のライバルを今のうちに潰す事なんだから、矛盾しているぜ。これが帝都最強クランのサブマスター? がっかりさせるんじゃねぇよ」
ウォルフや暴力団のフィノッキオにだって、もっと誠意があった。だが、ジークにはそれが微塵も感じられない。よろしくしてやろう、って傲慢さが滲み出ている。そんな奴の言葉に従うなんて、死んでも御免だ。
「どうやら、よほど気に障ったらしいね」
「らしい、じゃない。気に障ったんだよ」
「たしかに、君の言っていることは正しい。僕の目的は、君たち蒼の天外を覇龍隊に吸収することだ。でも、一つだけ間違っていることがある」
「あん?」
「僕はね、勘違いではなく、偉いんだよ」
瞬間、ジークの闘気が天を衝くほど増大する。
なるほど、これが現役世代のEXランクか。フィノッキオやライオスでさえ矮小に感じるほどのプレッシャーだな。だが、不滅の悪鬼ほどじゃない。俺如きじゃ手も足も出ないが、恐れるには値しないな。
「説得が無理だとわかったら、今度は力尽くか? ますます小さいな」
「そう、僕は小さい人間なんだよ。だからこそ、どんなことにも手を抜きはしないし、欲しいものはどんな手を使っても手に入れる。そうやって、今の地位に付くことができたんだ」
自分の精神的な弱さは理解している、ってことか。
探索者は強い弱い関係無く、見栄が先行して自分の弱さを認められない者が多い。身内だと、伝説の後継者であるアルマにだって、その気はある。
だが、ジークは違うようだ。俺のようなルーキーが相手でも、自分の弱さを隠そうとしない。はっきりと自分の弱さを認めている。帝都最強の一角としての自負や矜持もあるだろうに、信じられないほど柔軟な心だ。
こういう相手を話術でやり込めるのは困難だ。何を話そうと簡単に流されてしまい、最終的に力でねじ伏せられることになる。
「さて、僕も手荒な真似はしたくない。美味しいケーキを出してくれる店を知っているから、そこで話そうか?」
ジークは明るい笑顔で、俺の首に鎖をつけようとしている。
たしかに、やりづらい相手ではある。だが、どんな強者にも、決して流せない話題というものが存在することを、俺は知っている。
「帝都最強クランのサブマスターに、ここまでご執心してもらえるなんて、探索者冥利に尽きるね。オーケー、あんたの言い分はわかった。だが、俺にも譲れない条件というものがある」
「ふむ、それも当然だね。条件があれば何でも言っていいよ。叶えることが難しい物でも、クランに持ち帰って可能な限り検討してみよう」
「いや、クランに持ち帰る必要はない」
「うん? 何が望みなんだい?」
「俺は絶対に誰の下にもつかない。だが、もし仮に誰かの下につくなら、それは俺が認める最強であるべきだ。なあ、ジークさん。あんたとリオウ、どっちが強いんだ?」
差し出した話題の効果は覿面だ。ジークの余裕に満ちていた顔が、見る見ると困惑と嫌悪感を孕んだ形容し難いものへと変わっていく。
「……つまり、僕がリオウよりも強いと証明するのが、君の望む条件か?」
「その通り。道理には適っているだろ? 二番目に仕えるなんて、真っ平ごめんだ。あんたのクランはナンバーワンだが、それはマスターであるヴィクトルの功績によるもの。俺を従えたいなら、あんたこそが最強だという証を立ててくれ」
ジークは閉口して押し黙る。
帝都で最強なのは誰か?
それは一般人だけでなく、探索者の間でも頻繁に上がる話題だ。過去から現在を含めると、最強の称号に相応しい者は何人もいる。不滅の悪鬼もその一人だ。
だが、やはり誰もが一番興味を抱くのは、今世最強の存在。それは外野だけでなく、候補に挙がる本人たちにとってもそうだろう。特に、ジークは柔軟な心こそ持っているが、プライド自体は高い。そうでなければ、ここまで俺に拘ることもなかったはずだ。
だから、決して簡単に流すことはできない。かといって、簡単にどちらが強いかを証明することも不可能だ。ジークに雌雄を決める気があっても、リオウが乗らなければ無意味である。なにより、実力が拮抗した者同士が本気で戦えば、必ずどちらかが大怪我を負うか死亡する。ただの探索者ならともかく、仮にも組織のナンバーツーの立場にいる者が、そんな軽率な行動を取れるわけが無かった。
もちろん、言葉だけで俺こそが最強だと言うこともできるが、そんなものは何の証拠にもならないし、流石のジークもそこまで厚顔無恥ではないだろう。
つまり、ジークが俺の条件を叶えることは、ほぼ確実に不可能ということだ。
「……なるほど、理解した。君は、そういう人間か。ガンビーノ組と渡り合えたのも納得だ」
「お褒め頂き、どうもありがとう。さて、条件は伝えた。達成できたら、また会いに来てくれ。楽しみに待っているよ。バイバイ」
俺は笑顔で手を振って、この場を離れる。今度はジークも呼び止めようとはしなかった。だが、その時だ。どこかの馬鹿が余計なことを口にした。
「おい、見てみろよ。帝都で『二番目』に強い探索者のジークだぜ」
竜の逆鱗、という言葉がある。数多ある鱗の中で一枚だけ逆さまに生えている鱗のことで、それに誰かが触れると、竜は烈火の如く激怒する、と言われている。
「今言ったのは、君かな?」
ジークは言葉が聞こえた方向を指差した。そこにいたのは、何の変哲もない若い探索者の男だ。おそらく、養成学校を卒業したばかりのルーキーだろう。
「えっ、お、俺ですけど? 何かまずかったですか?」
察しの悪い男は、謝ることもなく首を傾げるだけだった。
「まずくはないさ。ただ、はっきりと僕のことを、二番目、と言ったよね? それはどうしてかな? 僕はリオウと戦ったことはないよ?」
「あ、そ、それは、リオウはクランのマスターだから……」
「つまり、僕はサブマスターだから、実際に戦うまでもなく、リオウよりも劣っていると君は言いたいんだね?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
男も異変に気がついたようだが、もう遅い。仮に地面に額をこすりつけて謝っても手遅れだろう。既に、ジークの間合いに入っている。
「じゃあ、どういう意味なんだい?」
「あ、あの、ジークさん……ちょ、ちょっと待ってくれません――」
「いいや、待たないよ」
その時、何が起こったか、全くわからなかった。ただ気がつけば、ジークに軽口を叩いた男が空を舞っていた。そのまま物凄い勢いで彼方へと飛んでいく。
男を吹き飛ばしたのが、ジークの剣撃によるものだとわかったのは、その手に鞘に納まったままのロングソードが握られていたからだ。
一応、殺さないように手加減はしたらしい。だが、あんな風に吹き飛ばされてしまっては、腕の良い治療師でも簡単には治せない大怪我を負ったはずである。
そんな恐ろしい光景の一部始終を、俺は腕時計のワイヤーギミックを使って上った屋根の上で眺めていた。
「いくら憲兵を黙らせることができる立場だからって、往来で堂々と暴力沙汰を起こすとはな。恐れ入るぜ」
あの場に残っていたら、俺に飛び火する可能性もあった。一歩間違えば、俺もああなっていたかもしれないと思うと、背筋がぞっとする。
だが、危険を伴っても、ジークには毅然とした態度で立ち向かう必要があった。俺が覇龍隊のヘッドハンティングを断り続けても、弱腰で応じていたら周りの者が勘違いしてあらぬ噂を立てかねないからだ。聞屋にでも伝わって記事になれば、半ば既成事実となり、クランを創設しても組織としての価値が下がってしまう。
あそこまで明確に拒絶すれば、ジークが改めてヘッドハンティングにくることはないだろう。口では欲しい物を手に入れるためなら手段は選ばないと言っていたが、仮にそれが真実だとしても、あの男も忙しい身だから実際の行動には移せないに違いない。
だが、ジークと同じことを考えている奴は他にもいるはずだ。もたもたしていると、また同じような面倒事を対処しなければいけなくなってしまう。
「余計な茶々が入る前に、さっさとクランを創設しないとな」
俺は人目につかないよう気をつけながら、屋根から屋根へと飛び移り、探索者協会を目指した。