第28話 その名は、轟雷
ノエル視点に戻ります。
ヤクザ編も残り一話となりました。
ラストを迎えつつある物語を、楽しんで頂けたら幸いです。
「あら、呼び捨て? フィノッキオお姉ちゃんって、呼んでくれないの? 同じ直参でも、盃の格はアタシの方が上なんだけどなぁ~?」
「な、なんで、あんたがここに……」
「なんでって、この決闘の立会人を務めるために決まってるじゃない」
「立会人だと!?」
自分が賢いと思っている馬鹿を嵌めることほど、気もちの良いことはない。
ただでさえ子分たちの裏切りで泡を食っていたアルバートは、フィノッキオの登場によって、もはや過呼吸で死んでもおかしくないほど動転していた。
フィノッキオを呼んだのは俺だ。決闘の立会人を務めてくれるよう頼んだ。
同じルキアーノ組の直参であるフィノッキオにとって、ガンビーノ組は仲間であると同時に商売敵。何のリスクも背負わず潰せるとわかれば、立会人ぐらい引き受けてくれるだろうとわかっていた。
なにより、ガンビーノ組は、例の覚醒剤のせいで本家の厄介者となっている。先代の功績のおかげで見逃されてきたが、内心ではすぐに制裁したかったはず。フィノッキオが立会人を務めれば、実質的に自分の功績となるため、ますます断る理由は無い。
案の定、フィノッキオは二つ返事で引き受けてくれた。
その際に、俺から出した条件は、五千万フィルの報酬だ。
アルバートが組長を追われれば、ガンビーノ組の跡目は自動的に若頭のライオスとなるが、それは暫定的なもの。実際には、立会人を務め、この決闘を仕切ることになるフィノッキオが、自身の管理下に置くだろう。
ガンビーノ組の年商は約三十億フィル。それを管理できるとなれば、五千万フィルなんて端金もいいところだ。
大金を吹っ掛けることもできたが、フィノッキオの不興を買うことは得策ではない。仮に認めてもらえたとしても、それは正当な取引ではなくフィノッキオへの借りとなってしまう。暴力団に借りをつくるのは危険だ。
だから、五千万フィル。これが搾り取れる限界。
「そ、そうか……わかったぞ!! おまえが黒幕だったのか、気狂い道化師ッ!!! 俺を陥れるために、おまえが裏で操っていたんだなッ!?」
勘違いしたアルバートは、したり顔でフィノッキオを指差す。身に覚えの無い話に、フィノッキオは気の抜けた溜め息を吐いた。
「違うわよ、お馬鹿さん。アタシは何にもしてないわ。アンタを嵌めたのは、そこにいるノエルちゃん。アンタは、あの子の手の平の上で踊っただけ」
「嘘だ、信じないぞッ!! あんなガキが俺を嵌めたなんてありえねぇッ!!」
「知らないわよ、そんなこと。アンタが馬鹿だっただけでしょ」
フィノッキオは冷たく突き放し、やれやれと首を振る。
「てかさぁ~、アタシってこのあと娼館の方にも顔を出さないといけないから、スケジュールがタイトなのよね。だから、さっさと代理決闘者を選んでよ。まあ、別にアンタが戦ってもいいけど。そしたら、すぐに終わるだろうし」
「俺は決闘なんて認めてねぇぞッ!! 勝手に話を進めるんじゃ――」
「この期に及んで、ごちゃごちゃ抜かしてんじゃねぇぞゴミ虫がッ!!! てめぇも直参なら、いい加減に覚悟決めんかいボケェッ!!! これ以上、このオレの前で無様晒すようなら、相応の覚悟はできてんだろうなぁッ!!?? ああァっ!?」
豹変したフィノッキオの大喝に、アルバートは震え上がった。
「……く、くそっ!」
逃げ道はどこにもない。アルバートはついに観念し、項垂れるように頷いた。
「……わかった、決闘をする。その代わり、約束しろ。俺が選んだ奴が勝てば、あんたが俺をガンビーノ組の組長だと認めると」
「構わないわよ。それどころか、こないだ探索者専用酒場に、大勢の子分を引き連れて乗り込んだことも許してもらえるよう、会長に頼んであげる」
「……なに?」
「あれ、まずかったわよ? 軽々しく全ての探索者に喧嘩を売ろうとしたどころか、アンタはノエルちゃんに騙されて泣きながら逃げ帰ったそうね? 会長、すっごく怒ってたんだから」
「ぐぅぅっ……」
悔しそうに奥歯を噛みしめ、俺を見るアルバート。本当に馬鹿な奴だ。考え無しに動くから、そうやって自分の首を絞めることになるんだよ。
アルバートは代理決闘者を選ぶため、自分の子分たちを見渡し長く悩んでいたが、やがて一人の男を指差した。
「コウガ! おまえだ、おまえが俺の代わりに戦え!」
まあ、そうなるだろうな。予想通りだ。
本心では、子分の中で最強のライオスを選びたかっただろう。だが、今のアルバートがライオスを信用するのは不可能だ。もし、わざとライオスが負けてしまえば、その時点で終わりだからである。となると、信用できるのは、隷属の誓約書によって縛っているコウガだけだ。
アルバートの呼びかけに応じたコウガが、俺たちの前へと出てくる。
「ノエルの言ってた通り、東洋人が出てきた。これで、あいつを殺せる」
決着をつけられると思ったのか、アルマは禍々しい殺気を放ち始めた。本当に山に籠って鍛え直していたらしく、触れる者全てを殺しそうな凶悪なオーラだ。
だが、アルマとコウガを再戦させるつもりはない。俺は前に出ようとするアルマの首根っこをつかみ、後ろに引き戻した。
「ぐえっ!? な、なにするの、ノエル!?」
「悪いな。あいつとは俺がやる。アルマは見学だ」
「はぁっ!? 何言ってるの!? ノエルが勝てるわけがない! それは身をもって知っているはず!」
その通り。普通にやれば俺は絶対に勝てない。だが、頂点を目指す俺の道に、敗北の汚点は残さない。あってはならない。
「終わったら今度こそ飯を奢ってやるから、大人しく待ってろ」
「その前に、ノエルが死ぬから!?」
「そう思うか?」
「誰が考えてもそう!」
「なら、おまえもまだまだ半人前だな」
「はぁ? あ、ちょっと!」
納得してないアルマを押し退け、俺は戦闘用覚醒剤を飲みながらコウガの前へと進む。アルマには悪いが、こうなってしまえば決闘者の変更はできない。
コウガとは、俺が決着をつける。
†
†
「三度目の正直、ってやつだな」
雨が降り始めた。濡れた前髪から雫が伝い落ちる。互いに対峙し、俺が笑うと、コウガも嬉しそうに頬を緩めた。
闘志を新たにするコウガ。その威圧感は、以前よりもずっと重く、また刃のように鋭く研ぎ澄まされている。
「へぇ、やる気満々じゃないか。アルバートごときの代理決闘者にされて、面倒にならないのか? 勝っても、おまえには何の得も無いぜ」
「あんな小物はどうでもええ。ワシは、おどれと戦えることが嬉しいんじゃ」
「一度勝った相手に大した期待だな」
「一度負けた相手が、こうやって再戦を望んどる。そん意味ぐらい、頭の悪いワシにもようわかっとるわ。あるんじゃろ、策が? それが楽しみなんじゃ」
「はっ、うちのムダ乳バカ女よりも賢いじゃないか。なら、わかっているな? 手加減はしない。おまえも、全力で殺しにこい」
「応。もう迷わん。これが、三度目の正直じゃ」
コウガは鞘に納まったままの刀に手を掛け、深く腰を落とした。
それはアルマとの戦いで見せた構え。帝都を離れている間、別の街の図書館で刀剣士のことを調べたところ、やはりスキルを発動するために必要な構えだった。
刀剣スキル:居合一閃。
鞘から抜刀した際の攻撃速度と攻撃威力が、5倍になるスキルだ。
迂闊に間合いに入ってしまえば、この黒鎧龍のコートを着ていようとも、また戦闘用覚醒剤の効果が働いていようとも、成す術も無く両断されることだろう。
俺が対応できる限界を超えた攻撃だ。
だが、種は既に蒔いてある。それは、コウガ自身が言ったことだ。
「これが最後だ。戦う前に、一つ良いことを教えてやろう」
「なんじゃ? 言うてみ」
「しつこい油汚れは、オレンジの皮でこするとよく落ちる」
「は、はぁ? いったい、何の話――っ!?」
コウガが首を傾げた瞬間、俺は走り出していた。互いの距離は既に肉薄している。不意を突いたことで、コウガは反応するのが遅れた。
それだけではない。俺が一気に間合いを詰めたことに、コウガは警戒していた秘策を使うつもりだと、身体を強張らせてしまった。
わかっているからこそ、余計に緊張してしまう。それが、俺の蒔いた種だ。
ガンビーノ組を手の平の上で転がすような男が、全くの無策で一度負けた相手に挑むはずがない、という先入観。
では、いったい何を仕掛けてくるのか? その思考時間が、コウガを縛る。
刀剣スキル:居合一閃を発動するために必要な条件は、納刀状態にある事と、鞘から一息に抜き放つ事。
俺に間合いを一方的に詰められたコウガは、そのタイミングを完全に逃してしまっていた。今から抜刀しようとしても、スキルが発動する前に俺は懐へ入ることができる。事ここに至れば、スキルを恐れる必要などない。
だが、コウガの思考は柔軟だった。
刀を抜き切るよりも先に懐に入られると悟った瞬間、即座に持ち手を逆手へと変える。そして、半分ほど抜刀し、構えた。完全に抜刀するのではなく、その状態で俺を押し切るつもりだ。
やるな。
刀の柄頭を手で押さえることで完全に抜刀を防ぐつもりだったが、計画を変えるしかない。俺は低い姿勢でコウガに突進しながら、右腕で首と頭をガードした。
「右腕はくれてやる!」
腰を回転させながら押し当てられる刃が、俺の右腕を骨の中ほどまで断つ。薬の効果のおかげで痛みは無い。筋肉を収縮させ刀を絡め取る。
「なっ、おどれ!?」
驚愕に眼を開くコウガ。その顎を、俺の左手による掌打が打ち抜く。
「がっ!?」
脳を揺らすことに成功した。気絶こそしていないが、コウガは掌打の勢いに耐え切れず仰け反る。俺は追撃をするため、脚に力を込めた。
祖父――不滅の悪鬼から教わった対人戦闘技術には、敵の胸を拳で強打することにより心臓震盪を引き起こす術がある。
だが、実戦での敵のほとんどは、鎧を身に纏っている。その胸を拳で強打したところで、心臓震盪を起こすことは不可能に近い。
だから、不滅の悪鬼は、一つの技を考案した。
俺は跳躍し一回転する。回転によって生まれた遠心力を乗せた強力な蹴撃を、鎧に守られたコウガの胸目掛けて解き放った。
不滅の悪鬼が考案した、スキルに頼らない対人戦闘技術の最強奥義。
その名は――
「轟雷」
回転蹴りが直撃した瞬間、その名の通り落雷のような凄まじい音がした。腕の筋力に倍する脚を使った打撃は、鎧の上からコウガの心臓を一時的に停止させる。
「……かっ……はっ…………」
崩れ落ち、倒れ伏すコウガ。
まともに戦えば、絶対に勝てない相手だった。だが、状況さえ整えれば、勝てない相手などいない。これが、祖父から教わり、俺が目指す道だ。
「カァァァッ……」
コウガに向かって構えたまま、深く息を吸い込み、深く吐く。
残心。敵を倒しても、すぐに臨戦状態は解かない。
やがて、フィノッキオが高らかに叫んだ。
「勝負有りッ!!! 勝者、ノエル・シュトーレンッ!!!」
戦いを見守っていた組員たちが、一斉に割れんばかりの歓声を上げる。
「……ふぅっ」
ようやく、俺は脱力することができた。
†
†
「ノエルは本当に馬鹿」
決闘が終わり、俺は身体を休めるために無人状態の民家に入った。雨足は強まり、窓を激しく叩いている。
コウガに切断されそうになった右腕は、治療系回復薬のおかげで、既に血は止まっている。今日中に完全回復することは無理だが、三日もあれば元通り動かせるようになるだろう。それよりも先に、優秀な治療師を頼ってもいい。
「ノエルは本当に馬鹿」
戦闘系覚醒剤の反動も、思ったよりは少なかった。ただ、これは体内に耐性が作られ始めた結果でもあるので、次に使っても望む効果は得られないかもしれない。
「ノエルは本当に馬鹿」
「……うるさいなぁ。三回も言うな」
無視していたアルマは、怒った顔で俺を見ている。
「ボクに任していたら、そんな大怪我をすることもなかった。本当に馬鹿」
「……はぁ、勝ったんだからいいだろ?」
「そういう問題じゃない。ボクはノエルの仲間で、戦うことが役目。ノエルの役目は司令塔でしょ? 仲間の役割を奪わないで」
珍しく真面目な顔で見据えられてしまい、流石に罪悪感が湧いてきた。
「……悪かったよ。もう二度としない」
「本当? 約束できる?」
「約束するよ。祖父に誓う」
「なら、信じる」
アルマは表情を和らげ、穏やかに笑った。
「これからは、ちゃんとお姉ちゃんを頼りなさい」
「だから、おまえは俺のお姉ちゃんじゃ……まあ、いいや……」
それにしても疲れた。凄く眠い。いっそのこと、少し仮眠を取るかな。
「そういえば、アルバートが逃げたんだって」
「ええっ!?」
一気に眠気が吹き飛んだ。
「逃げたって、どういうことだよ!?」
「ノエルが勝って皆が盛り上がっていた時、どさくさに紛れて逃げたみたい」
「おいおい、まずいだろ、それ」
「大丈夫。ガンビーノ組が、総出で探しているから。すぐに見つかるはず。明日の朝には、ドブ川に浮かんでいると思う」
アルマの説明に、俺は胸を撫で下ろした。
「そうか、ならいいんだ。……チェルシーも浮かばれるだろう」
「チェルシーって?」
「なんでもない。忘れてくれ」
不意に家のドアがノックされる。
「誰だ?」
「ライオスだ。入っていいか?」
俺はアルマと顔を見合わせてから返事をした。
「構わない。入ってくれ」
家の中に入ってきたライオスは、あの太い笑みを見せる。
「見事な戦いだった。おまえこそ、本当の漢だ」
「それは、どうも」
「おまえには迷惑を掛けたな。すまなかった」
「気にすることはない。アルバートはもう終わりだ。それで気は晴れた」
「そうか……。なら、安心した。何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。ガンビーノ組は、おまえのために戦ってやる」
「やめろ、暴力団の助けなんていらん」
「ははは、それは正しいな」
ライオスは踵を返した。顔が見えない背中越しに、言葉を続ける。
「おまえの漢が、俺の憧れた人を思い出させてくれた。ありがとう、ノエル・シュトーレン。この恩は一生忘れない」
ライオスが去ると、今度はフィノッキオがやってきた。
「ノエルちゃん、お疲れ~。ちょ~っと話があるんだけど、いい?」
ゆっくり休みたいのに忙しないったらない。だが、追い返すわけにもいかないだろう。フィノッキオを立会人として呼び出したのは俺なのだから。
「何の話だ? できれば手短に頼む」
「わかってるってば。アタシもこのあと予定があるしね。ただ、二人だけで話したいから、彼女には席を外してもらえるかしら?」
「……わかった」
俺が目配せすると、アルマは家から出ていく。
「それで、話ってなんだ?」
「まどろっこしいのは嫌いだから、単刀直入に言うわ。ノエルちゃん、うちの組に入りなさい。悪いようにはしないわ。なんだったら、ガンビーノ組を任せてもいい。アナタなら、組員たちも納得するでしょう」
「俺が暴力団の組長に?」
急過ぎる現実味の無い話に、俺は吹き出してしまった。
「ははは、本気かよ? 俺はまだ十六のガキだぜ?」
「年齢は関係ないわ。大切なのは漢の器。それは、探索者も同じでしょ?」
「まあな。だが、その話は前に断ったはずだぞ?」
「そうね。だから、改めてお願いしているの」
「……何度勧誘されても、俺の答えは変わらないよ、フィノッキオ」
「どうしても?」
「どうしても、だ」
俺が断言すると、フィノッキオは肩を落とした。
「そっか。意思は固いのね」
「悪いな」
「いいのよ。その答えは予想できたから」
フィノッキオは姿勢を正し、俺に向かって微笑む。
「ねぇ、ノエルちゃんは、アタシの職能を知っていたっけ?」
「……いや、戦闘系職能だということしか知らないな」
「じゃあ、せっかくだから教えてあげる。アタシの職能は、斥候系Aランクの、断罪者。直接的な戦闘能力は他の前衛に劣るけど、色々な特殊スキルを持っているの」
「……へぇ」
「これが見世物としても優れていてね、余興で披露することもあるのよ。ちょっと準備するから見ててね。ちゃららら~」
鼻歌を歌いながら、胸のポケットからハンカチを取り出すフィノッキオ。それを仰々しい身振りで、何もない手の平の上に乗せる。
「ちゃらら~ら、ちゃら~ら~らら~、はい! ここからは、瞬き厳禁よ! ワン、トゥ、スリー! ジャッ、ジャ~ン!」
ハンカチをどかした手の平の上には、得体の知れない赤い物が乗っていた。一見すると果物のようでもあるが、それにしてはグロテスクで気味の悪い形だ。
しかも、どくんどくんと脈動している……。
「これ、何だと思う? これね、ノエルちゃんの心臓」