第18話 デートではありません
日課である朝のトレーニング後、シャワーで汗を流し部屋に戻ると、ちょうどそのタイミングでドアがノックされた。
「ノエル、迎えに来た」
訪問者はアルマだ。特に予定が入っていない今日は、アルマに帝都を案内する約束となっていた。アルマ曰くデートだが、もちろん俺にそんなつもりはない。
俺が案内するのは、探索者に役立つ場所だけ。観光名所や遊ぶ場所は、自分で発掘しろ、と前もって伝えてある。
ドアを開けると、入口に立っていたアルマが、軽く右手を挙げる。
「おはよう」
「おはよう。まあ、入れよ」
アルマは部屋に入り、興味深そうに中を見渡した。
「やっぱり良い部屋。ボクもこの宿に下宿したかった」
本当なら、アルマもここ星の雫館に下宿する予定だった。だが、空いている部屋が無かったので、仕方なく別の宿を選ぶことになったのだ。
「そっちの宿はどうだ? もう慣れたか?」
「だいぶ。ここほどじゃないけど、あっちも良い宿」
「快適なら良かった。しかし、来るの早すぎないか?。まだ、朝の九時ちょいだぞ。どこの店も開いてないよ」
そもそも、迎えに来ると言い出したのは、アルマの方だ。どこか適当に待ち合わせ場所を決めればいいものの、わざわざ迎えに来ると言うのだから我慢を知らない奴である。
帝都にやってきたばかりだし、興奮してしまう気もちはわかる。先住者としては大目に見てやりたいところなのだが、それにしても時間調整ぐらいはしてほしいものだ。
「お姉ちゃんと早く会えて嬉しい癖に。ノエルは素直じゃない」
「黙れ。何度も言うが、おまえは俺のお姉ちゃんじゃない。ていうか、どうせ早く来るつもりだったんなら、トレーニングにも付き合えよ」
「無理。朝の五時には起きられない」
「……中途半端な奴め。おまえ、急に運動量減らしたら一気に太るぞ」
「大丈夫。乙女には乙女燃焼機関があるから太らない」
「なんだよ、乙女燃焼機関って……」
呆れる俺を尻目に、アルマはベッドに倒れ込んだ。
「はぁ、暇。ノエル、何か面白い話をして」
「死ね。俺はおまえの道化じゃない。暇ならこれでも読んでろよ」
俺は机の上に置いてあった本を、アルマに手渡した。
「なにこれ、ノエルの私小説?」
「惜しい。私小説じゃなくて、これまでの戦闘記録だ。蒼の天外結成時から、こないだの盗賊団との戦いまで、その全てを詳細に記してある」
「それは凄い。どれどれ」
アルマは俯けになり、足をバタバタさせながら読み始めた。
「むむっ! ノエルとボクとの濡れ場が無い!? これは偽りの記録!」
「そんな歴史は存在しない。黙って読んでろ。あと、勝手に変なことを書き足したら、また平手打ちだからな」
「……ちっ」
なぜ、舌打ちをする。まさか、本当に書き加えるつもりだったのか? ……信じ難い馬鹿だな。これで俺より五つも年上なんだから、呆れて物も言えなくなってしまう。
アルマが戦闘記録を読んでいる間、俺は椅子に座って組織論に関する専門書を開いた。クランを設立することは、当然まだ諦めていない。その時に必要となるだろう知識を、探索者業の傍ら学んでいる。
あと一人、優秀な仲間を得ることができたら、クランを設立する予定だ。
必要となる金の大半は俺が出すことになるが、それは構わない。以前と違って俺がリーダーである以上、金を惜しむ理由は無いからだ。ロイドとタニアの『おかげ』で、所持金にも余裕がある。その気になれば、いつだって設立自体は可能だ。
だが、深淵に潜れない状態でクランを設立しても意味は無い。設立するためには、やはり新たな仲間の存在が欠かせなかった。
一応、中央広場での募集は続けている。また、帝都の新聞社に、募集広告の掲載依頼を出すことも考えている。それで優秀な応募者が現れたら良し、現れなければヘッドハントに手法を切り替えるしかないだろう。
一番仲間にしたい傀儡師のヒューゴは、まだ準備に時間が掛かる。となると、他から探さないといけないわけだが、そう簡単に見つかるなら苦労はしない。
何かが奇跡的に噛み合って、道端にでも落ちていないだろうか?
そんな意味不明なことを考えてしまうほど、新しい仲間探しは難航していた。
「……飽きた」
十分ぐらいして、アルマは読んでいた戦闘記録書を閉じた。
「飽きるの早くないか?」
「そんなことはない。本ばっかり読んでたら虫になってしまう」
「逆に、虫並みの脳みそしかない、って認めてないか?」
「気のせい。それよりも、また暇になってしまった。ノエル、お願いがある」
「聞くだけなら聞いてやろう。だが、言葉は慎重に選べよ」
「身体触らせて」
「言葉は慎重に選べよ!?」
言った傍から、ド直球のセクハラ発言をぶつけてくるなんて、この馬鹿女どれだけ剛の者なんだよ。酒場によくいるセクハラ親父でも、もう少し頭を使うぞ。
「それじゃあ、触らせてもらうね」
「待て! 許可していないぞ!」
端から俺の意思を尊重する気なんて無いようだ。ベッドから立ち上がったアルマが、俺の身体をまさぐるため手を伸ばしてくる。だが、俺だって易々と触らせるつもりはない。寸前でアルマの手を掴み取り、押し退けようと力を込める。
「やめろ! 触るな触るな!」
「無理。観念して、その良い身体をお姉ちゃんに触らせて」
「だから、おまえは俺のお姉ちゃんじゃ……ぐおぉぉっ、つ、つよいッ!」
なんて腕力だ。小さくて細い癖に、俺の本気と同等以上の力が込められている。しかも、その涼しい顔は、実力の半分も出していない証拠だ。
「ふふふ、無理無理。お姉ちゃんよりも優れた弟なんて存在しない」
「ふざけるな、馬鹿!!!」
俺は歯を食いしばってアルマを押し返そうとするが、やはりびくともしない。こんなに小さい身体の癖に、まるで大きな岩を相手にしているような手応えだ。
「……必死になっているノエルも可愛い。チューしていい?」
「はぁっ!? 駄目に決まっているだろ!!」
「チューするね。チュ~~っ」
「やめろやめろ!! 馬鹿、やめろっ!!!」
口をすぼめて顔を近づけてくるアルマ。このままでは、このムダ乳バカ女に唇を奪われてしまう。もはや万事休すか、と思った時、勢いよくドアが開かれた。
「ノエルさん! 何の騒ぎれすかっ!?」
部屋に入ってきたのは、星の雫館の看板娘マリーだ。マリーは俺たちの取っ組み合う姿に目を丸くし、手に持っている洗濯籠を落とした。
「そ、そんな……。ノエルさんが女の子とチューしようとしているなんて……」
「いやいや、無理矢理だから! それよりも、この馬鹿を引っぺがすのを手伝ってくれ! お小遣いあげるから!」
だが、マリーに俺の言葉は届いていないらしく、わなわなと震え出す。
「なんれ……なんれ、男の人とキスしてないんれすかぁっ!? 女の子とキスしちゃ、らめれしょっ!!! イケメンはイケメンとキスしないと!!! うわぁぁぁんっ、ノエルさんの裏切り者ぉぉっ!!!!」
まったく理解できない理屈で号泣し、走り去っていくマリー。
「な、なに、あの珍妙な生物は?」
あまりにも唐突なイベントに、流石のアルマも口を開けて呆然としていた。その隙を衝き、俺は掴んでいた手を離すと同時に、アルマの首に手刀を叩き込む。
「うっ!」
一撃で意識を失うアルマ。その魔の手から解放された俺は、やっと一息吐くことができた。だが、俺の心は暗く重いままだ。
「なんで、俺の周りにはろくな女がいないんだよ……」
†
†
気絶したアルマは、すぐに目を覚ました。どうやら、この部屋に来てからの記憶を失っているらしく、寝落ちしたんだろと言うと、疑うことなく納得した。
こうして、俺の貞操は守られたのである。
「最初はどこを案内してくれるの?」
どたばたしていた内に時間が過ぎ、俺とアルマは外へと出ていた。帝都の賑やかさはいつも通り。多種多様な人種や馬車が、大河のように流れている。
「まずは馴染みの武具屋からだな。ドワーフの工匠が親方を務めている店で、腕が良いのはもちろん、値段も良心的だ。やや性格は気難しいが、親しくなれば気さくな良いオッサンだよ」
戦いを生業とする探索者にとって、装備ほど大事なものは無い。アルマは武器も防具も優秀なものを持っているようだが、メンテナンスを怠ればすぐに使い物にならなくなる。いつでも気安く頼れる武具屋は、やはり必要不可欠な存在だ。
「武具屋の次は、アイテムショップだ。こっちも信頼のできる店を知っているから、店主と顔見知りになっておくといい」
錬金術師が作る回復薬を始めとする各種戦闘用アイテムも、探索者の活動には欠かすことのできない必需品だ。魔弾の作製も行っているため、魔銃持ちの俺は特に利用頻度が高い。
「完成品だけじゃなくて素材の取引もしている店だから、斥候のアルマには絶対に役立つはずだ。ほら、斥候には、血から毒や薬を作るスキルがあるだろ? あれって直前に経口摂取したもので効果が変わるから、色々な種類の毒物や薬草がいるよな」
「うん、助かる。薬草採取は楽しいけど、まとめて買えるなら、そっちの方が良い。この地域の薬草分布図もまだ把握できていないし」
斥候は、自分の血から毒や薬を生成することができる。その効果の大半は錬金術師も作れるものだが、重要なのは持ち物としてかさばらない点だ。
敏捷さが一番の武器である斥候にとっては、血を消費するという対価を考慮しても、これほど有用なスキルは無い。極端な話、何一つ携帯することなく、あらゆる場面に対応できるのだから、まさしく斥候を象徴するスキルである。
「アイテムショップの後は、鑑定士協会だな。知っての通り、職能の鑑定とランクアップを行ってくれる場所だ。各職能の情報を閲覧することもできるから、ここの情報を基にランクアップ先を考えるといい。閲覧料は掛かるが、それは必要経費として俺が払うよ」
「わかった。行く場所は、それで全部?」
「いや、本命がまだだ。最後は技術習得書横丁に行く」
職能スキルは修練によって覚えることができ、必要な要素が整った時、頭の中に新たな機能が発現するかのように使用可能となる。そのため探索者たちは、スキルを覚えることを『閃く』と言い表している。
この閃くを外部から促すのが、技術習得書だ。本来なら長い修練が必要となるスキルの習得を、悪魔を素材とする特殊な本の力が、その知識と感覚を読んだ者の脳に直接植え付けることで、強制的に『閃く』を起こさせる代物である。
探索者にとって、技術習得書は夢のようなアイテムだ。製作コストの問題から非常に高価ではあるが、需要が高いため多くの技術習得書が流通している。
「帝都では、技術習得書の大半が、技術習得書横丁に集まっている。ここで技術習得書を購入し、俺たちの戦力を強化する」
「それも必要経費?」
「当然だ。金はパーティ資金を管理している俺が出す」
「おお、太っ腹」
出費は大きいが、その分リターンも大きい。今後の活動を考えるなら、絶対に損することの無い投資だ。払った分は、すぐに取り戻せる。
「今日の予定は理解できたな? それじゃあ、はぐれずついてくるんだぞ」
「了解」
俺たちは順番に各場所を訪問していく。
武具屋とアイテムショップでは、特に何かを購入する予定も無かったので、店主たちにアルマを紹介するだけで終わった。両者共、アルマに対する評価はかなり良く、特別なサービスを期待できそうな雰囲気だった。
優秀なルーキーは、それだけで歓迎されるものだが、加えてアルマは若く見た目も良い女だ。あと、胸もでかい。オッサン受けするのは当然である。
鑑定士協会では、アルマのランクアップ先をどうするかについて調べた。
俺としては後衛アタッカーになってもらいたいところだが、アルマ本人の意向や価値観を無視するわけにもいかない。十分な知識を基に、後悔しないランクアップをしてもらうべきだ。
アルマがランクアップ可能な職能は四つ。前衛アタッカーが暗殺者と拷問士、後衛アタッカーが追撃者と乱波だ。
それぞれの情報を閲覧したところ、拷問士と乱波は性に合わないとのことで除外され、暗殺者と追撃者でアルマは揺れることになった。
感情的には、目標だった暗殺者がやや優勢のようだ。ただ、拘りがあるわけではないようなので、当初の予定通り今後のパーティ構成に合わせて、暗殺者か追撃者かを決めてくれるらしい。
鑑定士協会での用事も済み外に出ると、時刻は昼過ぎを回っていた。
「お腹空いたぁ~。ノエル、ご飯食べに行こ」
「そうだな。いったん、昼休憩にしようか」
技術習得書横丁には、食事が終わってから行けばいい。
入れる飯屋を探していた時、ふと視界に足を止めるものが飛び込んできた。
「……アルマ、悪いが飯は先に食べていてくれ。少し用事ができた」
「えっ? 急にどうしたの?」
「俺にも色々あるんだよ。用事が終わったら思考共有を飛ばすから、入った店を教えてくれ。じゃあ、行ってくる」
「あ、ちょっと! ノエル!」
後ろから俺を呼び止めるアルマの声がするが、それを無視して走った。




