第11話 決闘
拳王会のリーダー、格闘士ローガンだ。素肌にレザージャケットを羽織り、丸太のように太い両腕にはガントレットが装着されている。
ローガンもまた、この猪鬼の棍棒亭で有望視されている探索者の一人だ。だが、素行に問題があり、よく揉め事を起こしている。
「はっ、でたらめ抜かしやがって。色街じゃどうか知らねぇが、そんな嘘はここでは通用しねぇぞ」
ローガンはこちらを見下ろし、太い唇を嗜虐的に歪ませた。
「おい、おまえは関係ねぇだろ。引っ込んでろよ」
ウォルフがローガンに詰め寄り睨みつける。並んだ身長差は頭二つ分。ウォルフも長身な方なのに、ローガンが相手では子どものようにしか見えない。だが、その闘気が萎えることはなく、むしろ膨らむ一方だ。
二人は前から仲が悪い。徹底的に性格が合わないためだ。血を伴う争いに発展したことはないが、互いにいつもきっかけを探していたように思える。だが、この場でのローガンの目的は、ウォルフではなくアルマだった。
「おまえだって部外者だろうが。引っ込むのはどっちだよ」
「うっ、い、いや、それは……その……」
反論できないウォルフは、指を突き合わせて狼狽える。
「まあ、俺だって部外者だ。本当なら、他のパーティの面接に口を出したりなんてしねぇさ。この馬鹿狼と違ってな」
「ぐぬぬぬっ……」
「だが、耳に入った話によると、この雌豚は、どうやら猪鬼の棍棒亭に相応しくない客らしい。しかも大嘘吐きときている。だったら、放っておくことはできねぇよなぁ? ノエル、俺は間違っているか?」
ローガンの問いに、俺は薄く笑った。
「嘘吐きかはともかく、店に相応しい客か否かは、おまえの言う通りだ」
とはいえ、アルマには意味がわからないだろう。状況の説明が必要だ。
「アルマは知らなかったみたいだが、探索者の酒場には、探索者の格に応じて入店制限というものがある。もし、それを破った場合、常連の探索者たちに袋叩きにされるのが慣例だ」
「初耳」
「非公式の裏ルールだからな。だが、これは誰にも適用されるルールで、面接の応募者だからといって例外は無い」
「でも、ボクは席に座ることができた」
「俺と紫電狼団が警告しなかったからな。普通は、このローガンみたいなのが正しい対応だ」
俺の説明に、アルマは興味深げに頷く。
「なるほど。理解した」
「だったら、さっさと出ていきな。ノエルに免じて、今日のところは見逃してやる。だが、また同じことをしやがったら、今度は容赦しねぇぞ雌豚」
ローガンは馬鹿にするように鼻で笑い、店の出口を顎で示した。
アルマはそれを無視し、真っ直ぐ右手を挙げる。
「ノエル、質問」
「なんだ?」
「探索者の格は、何で決まる?」
「一つは職能のランク。もう一つが活動実績だな。つまり、どれだけ探索者として名を上げてきたかが、問われることになる」
「なるほど、実績。理解した。だったら――」
アルマは椅子から飛び上がり、ローガンに向かって拳を構える。
「この偉そうな猿を叩きのめせば良いよね」
正解。
紫電狼団がいるせいで大分遅れたが、俺がアルマを黙認していれば、他の探索者が咎めてくるのはわかっていた。これを黙らせるには、アルマが自分の腕っぷしを証明するしかない。
しかも、俺にとって幸運なことに、相手は猪鬼の棍棒亭で対人最強のローガン。アルコルの孫というのが本当かを試すには、絶好の実験台だ。
「誰が猿だゴラァッ!」
アルマの挑発を受けたローガンは、怒りのあまり怒髪天を衝く。
「おい、ノエル! 一応、確認を取っておくぜ! この雌豚を殺しても、文句はねぇよなぁっ!? 殺さないようにブン殴るなんて、無理だからよぉっ!」
既に両者は戦うことに合意している。つまり、決闘だ。それによって、どちらかが死んでも、誰も責任を問われることはない。公正高潔なる結果である。
「構わないよ。そいつは、まだパーティメンバーじゃない。お好きにどうぞ」
俺が承諾すると、店中の客が立ち上がり、ギャラリーと化した。
「いいぞ、やれやれぇっ!」
「ローガン、先輩探索者の強さを見せてやれ!」
「ちっこい姉ちゃんも簡単に負けるなよ!」
「おい、どっちに賭ける? 俺はローガンに一万フィル賭けるぜ!」
「バーカ、賭けにならねぇよ!」
ギャラリーはローガンが圧勝すると信じているらしい。体格差、格闘士と斥候の対人戦闘能力差、なにより実績。その全てが、ローガンの勝ちを保証しているからだ。
だが、当のローガンの顔に油断は無い。それどころか、その額には汗が吹き出している。対峙したことでわかったアルマの実力に、困惑している様子だ。
対してアルマは、氷のような無表情で、悠然と構えている。
「……アルマの勝ちだね」
隣にいたリーシャが、ぼそりと呟いた。
「うおおぉぉぉぉっ!」
先に動いたのはローガンだ。気合一閃。雄叫びを上げ、鋭い右ストレートをアルマの顔面に放つ。直撃すれば、アルマの頭を吹き飛ばす一撃だ。
だが――
「遅過ぎ」
拳が貫いたのはアルマの残像。目にも止まらない速度で攻撃を躱したアルマは、そのままローガンの懐に潜り込み、跳躍と共に喉元目掛けて手刀を繰り出す。
「ぐほぉっ!」
急所に強烈な手刀を受けたローガンは、崩れ落ち血を吐いた。膝をつき前屈みになったことで、まるで斬首を待つ罪人のような姿勢となる。
「はい、おしまい」
ローガンの首に振り下ろされるのは、ギロチンではなくアルマのかかと落とし。強烈な一撃が延髄にダメージを与え、ローガンの意識を刈り取る。
戦いは、三秒足らずで決着がついた。
強い。あのローガンを、斥候が容易く倒すとは……。
祖父に鍛えられ体術の心得がある俺から見ても、アルマの戦闘能力は遥か高みにある。しかも、アルマは明らかに手加減をしていた。殺そうと思えば、最初の手刀で殺せていたからだ。
まさしく瞬殺。
勝負の結果にギャラリーが騒然とする中、俺は椅子を蹴ってアルマに叫んだ。
「おまえ、採用!」
†
†
決闘の後、俺たち客は、猪鬼の棍棒亭の大将に大目玉を喰らった。
「コラアアァァッ! 店の中で暴れるんじゃねぇぇっ!!!」
捕まったら延々と説教されるタイプの怒鳴り声。
それだけならまだしも、大将の気分次第ではペナルティとして、他の奴のツケを払わされる可能性もある。つまり、逆ジャックポットだ。
だから、俺たちは一人残らず、蜘蛛の子を散らすようにトンズラした。
「散れ散れっ! 捕まったら最後だぞ!」
出口は一つだが、そこは命懸けの戦いを経験してきた探索者たち、示し合わせずとも絶妙のタイミングで、詰まることなく外へと逃げていく。
去り際に後ろを確認すると、拳王会の奴らが、気絶しているローガンを必死に引きずっているのが見えた。無事に逃げられることを祈るばかりだ。
そうして、猪鬼の棍棒亭を後にした俺の隣では、何事も無かったかのように無表情のアルマが歩いている。
「見事な戦いだった。アルコルの孫ってのは、嘘じゃないみたいだな」
「ノエルも信じてなかったの?」
少し不満そうに、アルマは頬を膨らませた。
「いきなり、伝説の殺し屋の孫です、って言われてもな。俺だって、不滅の悪鬼の孫だと言っても、最初は誰も信じてくれなかった」
「でも、ボクはすぐに信じられたよ」
「へぇ、それはなぜ?」
「他とは眼が違う。勝つためなら、なんでもやる、って眼。じっちゃんが言ってた。不滅の悪鬼とは絶対に戦うなって。あの男は、常に予想の右斜め上を行くから、まともに戦っても勝てないって。ノエルの眼は、その教えを思い出させる眼」
苦笑するしかなかった。
祖父を想起させる眼、というのは悪い気がしない。だが、アルマが言ったことを要約すると、常識外れのイカレ野郎ということになる。
まあ、探索者なんて、頭のネジが何本も外れていないとできない職業だ。ここはあえて、誉め言葉として受け取っておこう。
「さっきも言ったが、俺はアルマを、蒼の天外の仲間にしたいと思っている。だが、探索者自体には、興味が無いんだよな? このままパーティメンバーになることに、不都合は無いのか?」
「無い。どうせ暇」
「暇、ね。アルマが強いことは認める。だが、あまり探索者を舐めていると、あっという間に死んでしまうぞ。悪魔は甘くない。アルマ一人ならともかく、俺や今後入ってくるだろう仲間も危険に晒すようでは困る」
「戦いに必要なのは、精神論ではなく実力。やる気はあまり無いけど、結果は出すから安心して。強さこそが絶対の正義。それは探索者も同じはず」
言い切るね。
傲慢さは感じるが、井の中の蛙の身の程知らず、というわけではないだろう。なにしろ、あのアルコルから指南を受けたんだ。しかも、同じ系統の職能。強くないわけがない。
不滅の悪鬼の孫でありながら、戦士になれなかった俺からすると、妬ましいことこの上ない話である。
「ノエル」
急に呼び止められたので振り返ると、アルマが腹を押さえていた。
「お腹が空いた。朝から何も食べてない」
「じゃあ、何か食べるか」
言われてみれば、俺も腹が減った。朝食は食べたが、既に昼時だ。濃い時間を過ごしたせいで意識していなかった空腹が、アルマの言葉ではっきりしてくる。
なにを食べようか、と一緒に飲食街を歩き回るが、評判の良い店は生憎どこも混んでいた。店に入るには、長い列に並ぶ必要があるほどだ。
「困ったな。並ぶことになりそうだが、構わないか?」
「長く並ぶのは面倒。――あれが良い」
アルマが指差したのは、揚げ饅頭の屋台だった。そこにも人だかりはできているが、回転率が良いので長く並ばなくても買えそうだ。
十分後、俺とアルマの手には、熱々の揚げ饅頭が握られていた。俺が肉餡、アルマがカスタードクリーム餡、両方ともボリューミーで美味そうだ。
「っ!? これは美味!」
揚げ饅頭に齧りついたアルマが、ぱっと花が咲くように顔を輝かせた。
俺も自分のを食べてみる。おお、たしかに美味い。表面をサクサクに揚げた、もっちりとした皮の中から、ジュワっと肉のジュースが溢れ出す。野菜もたくさん入っていて、その甘みが肉の味を一層引き立てていた。
「ノエル、そっちのも齧らせて」
「じゃあ、俺も一口」
アルマと揚げ饅頭をシェアする。うん、これも美味い。カスタードクリームの濃厚の甘みが、揚げ饅頭の皮とよく合っている。
この屋台を今まで知らなかったのが、悔やまれるほどの満足感だ。
「こんなに美味なものを食べたのは、生まれて初めて」
アルマは頬に手を当てて、うっとりと目を細めた。
いくらなんでも言い過ぎだろ、と思ったが、ずっと山籠もりをしていたって話だったな。それが本当なら、この揚げ饅頭が至上の絶品だと感じるのもわかる。
「山から下りたのは、今回が初めてなのか?」
「初めて」
「それにしては、そこまで浮いている感じはしないな」
「周囲に溶け込む術も、じっちゃんに教わったから」
「なるほど。――なあ、一つ気になっているんだが」
ついでだから、世間話の延長線上で質問を続ける。
「山での修行ってのは、やっぱり暗殺者になるためのものか?」
「そう。斥候から暗殺者に、そして、その上に行くための修行。Bランクへのランクアップはまだだけど、条件は修行中にクリア済み」
「ああ、やっぱり」
Cランクにしては強すぎると思っていたが、既にランクアップ条件を満たすレベルなら納得だ。ランクアップするためには、改めて鑑定士に頼る必要があるので、それをせず保留状態にあるということだろう。
「なのに、暗殺者教団には入らなかったんだな。御祖父がアルマを鍛えたのも、そのためだったんじゃないのか?」
「そう。ボクも、そのつもりだった。でも、入れなかった。ボクじゃ、暗殺者教団に相応しくないって、追い返された」
「アルマが? 実力に不足があるとは思えないが……」
「実力は認められた。でも、適性が欠けている、って言われた」
「どういうことだ?」
俺は更に質問を続けるが、アルマはゆっくりと首を振った。
「ごめん、これ以上は話せない」
「……そうか、こっちこそ悪かったな。色々と教えてくれてありがとう」
誰だって、話せない秘密の一つや二つ持っている。話したくないと言うなら、それ以上踏み入るつもりはない。秘密があっても、仲間でいることはできるのだから。
「なんか、組織を一新するから、古いタイプの暗殺者はいらないんだって」
「話すのかよ!?」
一瞬で手の平を返しやがって。何を考えているんだ、この馬鹿女。
「これまで暗殺者教団は、独立した秘密組織だったけど、近いうちに帝国の傘下組織に生まれ変わるって、今の教団長が言ってた」
「なに? つまり、これからは皇帝専属になるってことか?」
「そうみたい。殺しよりも、諜報活動とかを主にやっていくんだって。まあ、殺しもするみたいだけど。組織の在り方は、かなり変わることになる」
「おまえ……それめちゃくちゃ重要な情報じゃないか……。こんな風に、揚げ饅頭を頬張りながら話す内容じゃないぞ。ていうか、そもそも話すなよ!」
「はっ、そういえば絶対に秘密とも言われてた。……どうしよう」
「どうしよう、じゃないよ……」
これ、大丈夫か? この情報を知ったせいで、大量の暗殺者が送り込まれてきたりしないか? 俺の人生、そこで終わったりしないよね?
「ノエル、安心して」
「……何が?」
「もしもの時は、お姉ちゃんが守ってあげる。だから、大丈夫」
「誰がお姉ちゃんだ、誰が」
都合良く年上面をするな。だいたい、俺が危ない情報を知ったのは、誰のせいだよ。
もしもの時は、この馬鹿女を囮にして逃げ切ってやる。