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おとぎ話異聞

幸せの在処 ~鶴の恩返し異聞~

作者: 曲尾 仁庵

 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ふたりが住む土地は寒さのとても厳しい場所で、冬になるとふたりの家はしばしば深い雪に閉ざされてしまうほどでした。子供のないふたりは、まるで肩を寄せ合うように、ふたりで力を合わせて毎日を懸命に、誠実に、生きていました。しかし暮らし向きは貧しく、お正月のお雑煮に入れるおもちさえ用意することができないのでした。

 その日も、朝からしんしんと雪が降っていました。おじいさんは背負子に薪を積み、歩いて町へと売りに行きました。町の人たちは薪を買ってくれて、薪は全て売り切れましたが、おじいさんひとりで背負える薪はそう多くありませんし、薪がそれほど高く買ってもらえるわけでもありません。おじいさんが薪を売って得たお金で塩や端切れといったどうしても必要なものを買いそろえると、銭袋の中にはほんの小銭しか残ってはいませんでした。おじいさんは銭袋にそっと触れると、小さくため息を吐きました。


「せめて、ばあさんにもちの入った雑煮を食わせてやりたかったのぅ」


 おばあさんはいつもニコニコとしていて、辛いことや悲しいことがあってもそれを口に出さない女性でした。働き者で、不平も愚痴も言わず、ずっとおじいさんを支えてくれていました。そんなおばあさんに好物も買ってあげることのできないことに、おじいさんはしょんぼりと肩を落としました。


「……帰るか」


 気を取り直すようにそう言って、おじいさんは雪道を帰り始めました。年々年老いていく体には、冬の凍えるような寒さや足に絡まる深い雪はこたえるものです。おじいさんはふぅふぅと苦しそうに息を吐きながら、ゆっくりと歩みを進めていました。


---


――クゥクゥ


 雪に四苦八苦しながら歩くおじいさんの耳に、なにやら悲し気な鳴き声が聞こえてきました。その声の辛く寂しそうな響きに、おじいさんは思わず足を止めて周囲を見渡しました。おじいさんは誰かが困っていたり、辛い気持ちに俯いていると、それを放っておくことができない人でした。おかげで何度も人にだまされたけれど、それでもやっぱり、見かけると声を掛けてしまうのです。それはもはや生まれながらの性分ということなのでしょう。こりずになんどもだまされて、おじいさんが落ち込むたびに、おばあさんは笑って言いました。


「おまえさまは正しいことをしたのだから、胸をお張りなさいな」


 おばあさんのその言葉に、おじいさんはいつも助けられていました。

 そんなわけで、おじいさんは今回も聞こえてきた声を聞き流すことができませんでした。耳を澄ませ、声のする方向を探して、慎重に進んでいきます。声は道を少し外れた、雑木林の方から聞こえてくるようでした。おじいさんは道の端に積もった雪を踏み越えて、声の主に近付きました。


「ありゃまあ」


 驚きの声を上げるおじいさんの視線の先には、一羽の鶴がおりました。猟師の仕掛けた罠でしょうか、その足には縄が巻き付き、鶴は飛ぶことができずにいるようでした。


「こんな雪の中で、心細かったろうなぁ」


 おじいさんはそうつぶやくと、鶴を驚かせないように、ゆっくりと近づきました。鶴は怯えたようにおじいさんを見つめています。おじいさんはこわくないぞ、と言いながら、鶴の足元にしゃがみ込むと、足に巻き付いた縄をほどいてあげました。


「ほれ、もうだいじょうぶじゃ。早く家へお帰り」


 鶴はじっとおじいさんをみつめると、まるでお礼を言うようにクゥと鳴き、翼を大きく羽ばたかせて空へと飛び去りました。おじいさんは目を細めて、鶴の飛んで行った方を眺めました。


「さて」


 おじいさんは足元に目を落としました。足元には鶴を捕えていた罠の残骸が転がっています。猟師は罠にかかった動物を肉や毛皮などに加工して生計を立てています。罠を壊され、獲物を逃がされれば、きっと生活は苦しいものになるでしょう。おじいさんは懐から銭袋を取り出し、罠のあった場所にそっと置いて、家までの道を再び歩き始めました。


---


 自分の家の玄関先で、おじいさんは緊張気味に大きく深呼吸をしました。少しだけ、おばあさんに顔を合わせづらいのです。なにせ、薪を売ったお金の残りを全部、置いてきてしまったのですから。小銭しか残っていないとはいえ、貧しい二人の暮らしでは、その小銭さえ貴重なのです。


「ただいま」


 意を決したように、おじいさんは玄関の戸を引きました。いろりのそばに座っていたおばあさんが立ち上がり、おじいさんを迎えます。


「遅かったですね。何かあったかと心配しましたよ」


 おじさんから荷物を受け取りながら、おばあさんはほっとしたように言いました。


「ああ、実は……」


 おじいさんは言いづらそうに、今日あったことをおばあさんに話しました。薪があまり高く売れなかったこと。帰り道、罠にかかった鶴を見つけたこと。鶴を罠から逃がしてあげたこと。罠猟師のためにお金を置いてきたこと。おばあさんはじっとおじいさんの話に耳を傾けていましたが、話を聞き終わると、にぱっと笑って言いました。


「それは良いことをしましたねぇ」


 おばあさんの笑顔に、おじいさんも笑顔になって、ふたりは声を上げて笑いました。ひとしきり笑い合った後、「さあ、夕餉にしましょう」とおばあさんはいろりのそばに座り、掛けていた鍋の中身をかき回し始めました。お湯に少しだけみそを溶いて、一握りの雑穀を入れて作ったぞうすいです。それでもおばあさんは、機嫌よく鼻唄なんて歌いながら、木じゃくしを回しています。


(ワシは、果報者じゃなぁ)


 おばあさんの横顔を見つめながら、おじいさんはしみじみとそう思ったのでした。


---


 日が落ちて、外はどうやら吹雪になったようでした。びゅうびゅうと風がうなり、おじいさんたちの家はギシギシと音を立てました。


「けっこうな吹雪になったのう」

「そうですねぇ」


 そんな会話を交わしていたふたりに、


――コンコン、コンコン


 遠慮がちに戸を叩く音が届きました。こんな強い吹雪の日に、しかも、もう日の暮れたこんな時間に、いったい誰が訪ねてきたというのでしょう? おじいさんは不思議に思いながら戸を開けました。するとそこには、腰まである美しい黒髪を後ろで束ね、透き通るような白い肌をした、年若い娘が立っていました。


「夜分遅くに申し訳ございません。不躾とは存じますが、一夜の宿をお願いできないでしょうか」

「おお、こんな吹雪の中を難儀じゃったろう。ささ、早う中へ」


 おじいさんはそう言って、娘を家の中に招き入れました。

 娘は自分をおつると名乗り、両親がすでに他界したこと、遠い親戚を頼って旅の途中であること、不慣れな土地で道に迷ってしまったこと、吹雪にあい日も落ちて途方に暮れていたところにこの家の灯りが見え、助けを求めたということを話しました。


「ご苦労をなさったの。何にもない家じゃが、泊っていっておくれ」

「ええ、ええ。そんな細い身体で長旅は大変だったでしょう。お腹は空いてない?

 体が温まるものを作るから、少し待ってね」


 食事の用意をしようと立ち上がるおばあさんの背に、おつるは慌てて声を掛けます。


「お、お構いなく。泊めていただくだけで」


 おばあさんは振り返り、お茶目に片目をつぶって、


「遠慮はなし。若者は年寄りの言うことを聞くものよ」


 そう言ってカラカラと笑うと、厨に行って料理を始めました。


「……申し訳ございません」


 少し俯き、身を小さくしてそうつぶやいたおつるに、おじいさんは小さな声で、いたずらっ子が告げ口をするように耳打ちしました。


「ばあさんはな、ああ見えて結構、強引なんじゃ」


 おじいさんのその言葉に、おつるは思わず吹き出してしまいました。硬くこわばっていたおつるの表情が和らいだことに安心して、おじいさんは優しく微笑みました。おつるはおじいさんに微笑み返すと、居住まいを正し、床に手を突いて頭を下げました。


「お世話になります」

「なんの。こういうのは、相身互いじゃよ」


 ひらひらと手を振って笑うおじいさんに、おつるはもう一度、深く頭を下げました。


---


「おじいさん、おじいさん!」


 おばあさんに身体を揺さぶられ、おじいさんは目を覚ましました。窓からは頼りない朝の光が部屋の中に射し込んでいます。どうやら吹雪はもう止んだようです。おじいさんは寝ぼけまなこでゆっくりと身体を起こしました。おばあさんはおじいさんの袖を掴んで、ひどく慌てた様子です。


「なんじゃ、ばあさん。キツネに化かされたような顔して」

「あれ、見てください、あれ!」


 おばあさんは動転しているのか、言葉でうまく説明することができないようで、あれ、あれと言いながらある方向を指さしています。おじいさんは訝しげな顔をして、おばあさんの指さす方を見ると、


「こ、これは!?」


 おおきく目を見開き、あんぐりと口を開けました。おじいさんの視線の先には、三人分の朝餉の膳が用意されていました。お茶碗によそわれた白米、ウグイの塩焼き、山菜のみそ汁。そのどれもが湯気を立て、食欲をそそるいい匂いが辺りに立ち込めています。


「み、見ろ、ばあさん! 膳に白米と魚が並んでおる!」

「そ、そうよね、そうよね! 夢ではないですよね?

 これは、その、あれかしら。わたしたち、もうすぐお迎えが来るのかしら?」

「違います!」


 ふたりのあまりの動揺ぶりに、おつるは思わず声を上げました。


「お米は私が持っていたもの、ウグイと山菜は今朝早く起きて私が採ってきたものです。泊めていただいたお礼ですから、どうか召し上がってください」


 おじいさんとおばあさんは、まだ信じられないというように、おつるとご飯を交互に見つめていましたが、やがておつるの顔を、困ったような顔で見つめました。


「一晩泊めただけで、こりゃもらいすぎじゃ」

「そうね。もらいすぎだと思うわ」


 おつるは少し苦笑いして、首を横に振りました。


「そんなことはありません。あのまま外にいれば、私はきっと凍えて死んでしまっていたでしょう。

 命のお礼と思えば、こんなことではとても足りないわ」


 おつるの言葉を聞いても、ふたりは困った顔のまま、「うーん」と唸っています。きっとふたりは本当に、自分たちのしたことを大したことではないと、当たり前のことだと思っているのです。おつるは困ったまま固まっているふたりをしばらく見ていましたが、やがておばあさんに向かってこう言いました。


「お気に召しませんでしたか?」

「そんなことないわ。夢かと思うくらい」


 おばあさんはぶんぶんと首を横に振って言いました。おつるは今度はおじいさんに視線を向けて、少し首をかしげて言いました。


「食べたくありませんか?」

「すっごく食べたい」


 すっごく、という部分に力を込めて、おじいさんが答えます。間髪を入れず、おつるは少し身を乗り出します。


「でも」


 おつるはそこで言葉を切り、しっかりと間を取って二人を見つめました。


「冷めたら美味しくありませんよね?」


 ふたりはお膳に目を落としました。あつあつのご飯はとてもおいしそうです。しかし、お米も焼き魚もみそ汁も、まさに今、この瞬間にも温度を失い続けています。おじいさんとおばあさんは互いに顔を見合わせると、観念したようにふぅっと息を吐きました。


「……おつるちゃんは、上手ねぇ」

「それじゃ、ありがたくいただくとするかの」

「はい。召し上がってください」


 おつるは笑顔でふたりに頷きました。ふたりはお膳の前に正座すると、両手を身体の前で合わせました。おつるも自分のお膳の前に正座して手を合わせます。三人は軽くお辞儀をすると、声を合わせて言いました。


「いただきます」


---


 午後になり、掃除や洗濯が一通り終わって、おつるはおじいさんとおばあさんにかしこまった様子で言いました。


「実は私、以前は機織りで生計を立てておりました。この家にも機織り機がありますよね?

 どうか私に使わせていただけませんか?」


 三人が住むこの家には、いろりがあってご飯を食べたり布団を敷いて寝たりする、普段から皆が使う部屋の隣に、障子で隔てられた部屋がもう一つありました。そこは機織り部屋で、小さな機織り機が置かれており、昔はおばあさんが使っていましたが、今はほこりをかぶっていました。布を織るための糸を買うお金が工面できなかったのです。


「使ってもらうのはええが、糸がなくてのぅ」


 おじいさんは申し訳なさそうにそう言いましたが、おつるは軽く首を振り、


「糸は私が持っていますから心配いりません」


とふたりを安心させるように微笑むと、今度は真剣な表情を作りました。


「ただ、機織りには集中力が必要なのです。

 私が布を織る間、どうか部屋の中を決して覗かないでください」


 おじいさんとおばあさんはしばらくお互いに顔を見合わせていましたが、やがておつるに向かって頷きました。おつるは「ありがとうございます」とお礼を言って、機織り部屋に入ると、障子をしっかりと閉ざしました。


---


 機織り機の前に座り、おつるは大きく息を吐きました。おじいさんとおばあさんに嘘を吐くのは心が痛みます。しかしそれは必要なことなのだと、おつるは信じていました。あの、バカが付くほどにお人好しのふたりには、本当のことを知られてはならないのです。

 機織り機のほこりを丁寧に払い、壊れていないことを確認して、おつるはそっと目をつむりました。おつるの身体が不思議な光に包まれていきます。いびつにゆがめられた姿が、本来あるべき姿に戻ろうとしているのです。おつるは身体を包む光の明滅に自分の意識を委ねました。そして。


――スパァンっ!


 小気味良い音を立てて、障子が勢いよく開かれました。


「え、えぇっ!?」


 おつるは思わず目を開き、驚きの声を上げました。開かれた障子の向こうにはおじいさんが立っていて、にこにことおつるの方を見ています。おつるは激しい戸惑いと共に、おじいさんに言いました。


「あの、えっと、その、中を見ないでって、言いました、よね?」


 言った気がしたのだけれど、もしかして言っていなかったのかしら? という不安に苛まれつつおじいさんの様子を伺うおつるに、


「うん。でもな、ばあさんがお茶を淹れてくれたから、一緒に飲もう」


 おじいさんは満面の笑みで応えます。


「え、いや、私、機織りを……」


 おつるはちらりと機織り機に目を遣りました。ほこりを払っただけで、布を織るどころかまだ糸を通してすらいません。しかしおじいさんはみるみるしょんぼりとした顔になって、悲しそうな声で言いました。


「柿の葉茶、嫌いかの?」

「いえ! そんなこと! いただきます、ぜひ!」


 おつるは思わず立ち上がり、おじいさんに向かって柿の葉茶への愛を語りました。おじいさんの顔がぱぁっと明るさを取り戻します。おじいさんはおつるの手を取ると、


「干し柿も出してもろうたんじゃ。ばあさんの干し柿は絶品じゃよ」


 そう言って手を引いて、機織り部屋から連れ出しました。おじいさんのうれしそうな様子に、おつるはまあいいか、と微笑んで、

(まだ時間はある。始めるのは明日からでもいい)

 そう心の中でつぶやいたのでした。


---


 翌日になり、おつるはおじいさんとおばあさんに向かって、真剣な表情で言いました。


「反物を織って町で売れば、きっと良い値になるはずです。そうすればもう少し暮らしも楽になる

 でしょう。だから、今日は私に機織りをさせてください。集中したいので決して障子を開けないで。

 いいですね?」


 おじいさんとおばあさんは互いに顔を見合わせると、少し寂しそうな表情を浮かべ、そしておつるに向かって頷きました。おつるは少し心が痛むのを感じながら、「ありがとうございます」とお礼を言って機織り部屋に入ると、障子をしっかりと閉ざしました。


---


 機織り機の前に座り、おつるは大きく息を吐きました。ふたりの寂しそうな顔を思い出すと、とても悪いことをしたような気になります。おつるだって、ふたりと一緒にいて、他愛ない話をして時間を過ごせたらどんなにいいだろうと思います。しかし、それではダメなのです。おつるの願いをかなえるためには、障子を閉ざし、ふたりから離れなければならないのです。

 おつるがそっと目をつむると、その身体を不思議な光が包みます。おつるはその光の明滅に自分の意識を委ね


――スパァンっ!


「早いっ!」


 小気味良い音を立てて障子が開かれ、おつるは思わずそう声を上げて障子の向こうに顔を向けました。そこにはやはり、にこにことこちらを見るおじいさんの姿がありました。


「あの、ついさっき言いましたよね? 集中したいから開けないでって」


 つい強めの口調になってしまったことを内心で後悔しながら、おつるはおじいさんに言いました。おじいさんはいたずらをとがめられた子供のように、おろおろしながら答えました。


「うん。でもな、今日はとってもいい天気じゃから、みんなで散歩でもと思うての」


 おつるは脱力したように俯き、できるだけ感情を抑えた声で言いました。


「……お散歩は、また今度。今日は機織りをさせてください」


 するとおじいさんはしょんぼりと肩を落として、小さな声で言いました。


「……やっぱり、ワシらみたいな年寄りと一緒に散歩するのは嫌かの?」

「~~っ!」


 おつるはくちびるをかみしめ、声にならないうめき声を上げると、勢いよく顔を上げてにこやかな笑みを浮かべました。


「そんなことありません! ぜひ、連れて行ってください!」


 おつるの言葉におじいさんの顔がぱぁっと輝きます。おじいさんはおつるの手を取ると、早く早くと急かすように手を引いて、機織り部屋から連れ出しました。


「ばあさんがな、おべんとうを作ってくれるんじゃ。楽しみじゃのう」


 子供のようにはしゃぐおじいさんの様子に、おつるは思わず笑ってしまって、


(こんなに喜んでくれるなら、今日くらい、いいか)


 心の中でそうつぶやくのでした。


---


 夜が明け、日が昇り、新しい日がやって来ました。おつるは今日こそは、という固い決意を胸に秘め、おじいさんとおばあさんに厳しい表情で言いました。


「今日はお茶もお散歩も結構です。どうか私に機織りをさせてください。決して障子を開けないように。

 いいですね?」


 おじいさんとおばあさんは互いに顔を見合わせると、少し不満げに口を尖らせながら、しぶしぶといった風情で頷きました。おつるは「絶対ですよ」とふたりに念押しすると、機織り部屋に入ってしっかりと障子を閉めました。


---


 機織り機に手をついて、おつるは深いため息を吐きました。一昨日はおじいさんたちとお茶を飲み、干し柿を食べて談笑して一日が終わりました。昨日はふたりとお散歩をして、辺りを案内してもらいながらきれいな景色を眺めたりしました。このままでは、おつるはただ家計を圧迫するだけの居候です。それではおつるがこの家に来た意味がありません。とにかくまずは一反でも織り上げて、それを町で売ってもらえば、きっともう機織りを邪魔するようなことはしなくなるでしょう。反物を売って手に入れたお金を目の当たりにすれば。

 おつるは機織り機の前に座ると、そっと目を閉


――スパァンっ!


「昨日よりもさらに!?」


 おつるは驚愕に目を見開き、開け放たれた障子の向こうを見つめました。そこには、もはや見慣れたおじいさんの笑顔がありました。


「開けないでって、言ったのに、どうして……」


 おつるは情けないような気持ちになって俯きました。おじいさんは慌てたようにあたふたと答えます。


「うん、でも、でもな」


「どうして言うことを聞いてくれないのですか!? 私はおふたりに恩を返したいのです!

 私の織った布を売れば、この貧しい暮らしから抜け出せる! 幸せになれるのですよ!?」


 おじいさんの言葉をさえぎり、おつるはおじいさんに向かって叩きつけるように叫びました。おつるの目には、涙の粒が浮かんでいます。おじいさんは笑顔をおさめると、真剣な瞳でおつるを見つめました。


「でもな、おつるちゃん。恩返しっちゅうもんは、自分を犠牲にしてやるもんじゃないよ」


 おつるははっと息を飲み、おじいさんから視線を逸らせました。


「なんの、ことでしょう?」


 おじいさんは穏やかに言葉を続けます。


「何をしようとしとるかはわからんがの。おつるちゃん、なんか大変なことしようとしとるじゃろ?

 でもな、そんなんせんでええんじゃよ」


 おじいさんの言葉に、おつるは視線を逸らせたまま、小さく首を振りました。


「私は、ただ機織りをしようとしているだけです」

「嘘を吐かなくていいわ。私たち、ただ何となく年寄りなわけじゃないのよ」

「おばあさん……」


 おじいさんの隣にはいつの間にかおばあさんがいて、優しく包むように微笑んでおつるを見ていました。おつるはきゅっと目をつむり、少し唇をかんで俯いていましたが、やがて意を決したように顔を上げて言いました。


「でも、私は命を救っていただきました! その御恩に報いなければ」

「命の恩を返すっちゅうのはな、おつるちゃん」


 おじいさんは優しく穏やかなまま、諭すように言いました。


「お前さんが幸せになった姿を、ワシらに見せてくれることじゃよ。

 ワシらが助けた命が、ちゃあんと幸せになったと、知らせてくれることじゃよ。

 それだけで、充分なんじゃよ」


 おつるの目から涙が一粒、こぼれて頬を伝いました。胸の奥から温かいものがあふれて、おつるの身体を満たしていきます。ああ、この人たちは本当に、ほんの数日前に会った私を、大切に思ってくれているのだ。おつるはそう信じることができたのです。

 助けなければならないと思っていました。この優しい人たちが、貧しさにあえいでいることが許せませんでした。たくさんのお金があれば、きっとふたりを幸せにできると、そう信じていました。でもそれは、どうやら間違いだったようです。ふたりの幸せは、ぜいたくで何も不自由のない暮らしの中にあるものではなかったのです。

 おつるは深く呼吸をして、そっと目をつむりました。おつるの身体が淡い緑の光に覆われていきます。光は徐々に強くなり、やがてまぶしくて目を開けていられないほどになりました。おじいさんとおばあさんは思わず手をかざして目を閉じました。光はすぐに消え、ふたりはおそるおそる目を開きます。


「ありゃ」

「まあ」


 ふたりは思わずそう声を上げました。ついさっきまでおつるがいた場所におつるの姿はなく、代わりにそこにいたのは、一羽の鶴だったのです。


『私は先日、罠にかかっていたところをおじいさんに助けていただいた鶴です。

 命の御恩をお返しするために、人の姿となってこちらに参りました』


 目を丸くして驚くふたりに、鶴はそう告げました。ふたりは驚きのあまり、口をパクパクさせて言葉を失っています。すると鶴は淡い緑の光に包まれ、ふたりの見ている前で今度は人に、おつるの姿に変わりました。おつるは床に正座すると、手をついて額を床につけるように深く頭を下げました。


「私は人ではありません。でも、もし叶うならば、私をおふたりの娘にしてくださいませ。

 おふたりのそばに居たいのです。どうか、お願いいたします」


 おつるの声は緊張で震え、表情は硬くこわばっています。ふたりはしばらくほうけたような顔でおつるを見つめていましたが、やがておじいさんが信じられない、というようにつぶやきました。


「……すごいぞ、ばあさん。ワシらに家族が増えた」

「ええ、ええ、本当に。こんなにうれしいことはありませんねぇ」


 弾かれたように、おつるは顔を上げました。おじいさんは本当にうれしそうに笑っています。おばあさんはおつるの前にしゃがむと、その手を取って言いました。


「よろしくね、おつるちゃん」

「ありがとう、ございます。ありがとう……」


 おつるの目からは涙がとめどなくあふれました。おばあさんはおつるの身体を優しく抱きしめました。おばあさんの胸に抱かれながら、おつるは心の中で固く誓いました。

 幸せになろう。ふたりが私の幸せを望んでくれるから。そして、必ず幸せにしよう。私の幸せはふたりの幸せの中にしか存在しないのだから。三人の誰か一人でも幸せでないのなら、他の二人の幸せも決してあり得ないのだから。


---


 おつるはよく働き、おじいさんとおばあさんをよく助けました。おじいさんとおばあさんも、おつるを本当の娘のように大切にしました。おつるが一生懸命働いたおかげで、暮らし向きは少し良くなって、お正月にはおもちの入った雑煮を食べることもできるようになりました。そうして三人は、末永く幸せに暮らしたということです。


「おじいさん。おじいさん宛てに手紙が来ていますよ」

「めずらしいのう。誰からじゃ?」

「……督促状? おじいさん、なんだかわからないけれど、

 払わなきゃいけないお金を払い忘れているみたいですよ」

「お金を? うーん、なんじゃろ。心当たりがないがのう」

「明日までに連絡しないと、なんだか大変なことになるって書いてありますよ」

「なぬ!? そりゃ大変じゃ。今から急いで行ってくる」

「待って待って行かなくていいから。それ詐欺だから」


 おつるちゃんは今日も大活躍。


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