転生する国 【1】
少年と少女は教会で祈りを捧げていた。
二人は兄妹で、兄は今年で十三になり、妹は兄の二つ下だった。
二人に親はいない。物心ついた時から、この兄妹はある貴族の使用人として働いていた。
獣人である二人に対する人々の風当たりは強かったが、兄は妹がいれば良かったし、妹は兄がいればそれで良かった。
妹は不治の病を持っていた。
足が石のように堅くなる病で、医者は匙を投げた。石化病と言われるこの病気は、魔法的な治療も錬金術を使った治療も意味をなさず、その治療法もその原因も分からない。
ただ判明している事と言えば、その石化は進行する、ということだった。つま先のほんの小さな部分から始まり、年齢を重ねるごとに足、腰、最後は心臓まで石化してしまう。
悪趣味な貴族は石化病で死んだ者を、愛でた。石化は死後も患者を蝕み、全身が完全に石になって、初めて進行は止まる。もしも患者が生きていれば、二十年。
二十年でこの獣人の少女は死ぬ。
兄は、妹を愛していた。
故に、祈った。
――石化病の進行を遅らせてください?
――病を治し元気に走れるようにしてください?
違う。
この教会で祈る内容は、通常の――神への――祈りとは異なる。
「どうか! どうか!
妹を元気な身体を持つ人間へと、転生させてください!」
この国は、転生が蔓延っていた。
◇◆◇◆
「ニック、教会に行ったら帰りに美味しいグランの実を買ってくるんだよ」
獣人の少年――兄のニック――は、仕えている主人、ラザルック伯爵の言葉を確りと覚えていた。
足が不自由で杖を使いながら健気に、ゆっくりと歩く妹のサシャを決して急かすことはせずに、与えられた使命を全うするよう誓っていた。
サシャの太ももから下は義足だった。
木彫りの、中が空洞になっている簡素なものだった。義足の付け根から上は、石化病の影響で灰色になっており、質感も石そのものだった。
ラザルック伯爵は、ニックにとっては父親のような存在だった。そして、二度の転生経験者でもあった。
だからこそ、ニックは転生に憧れを抱いている。
伯爵は、何度かニックに話をした。初めの人生は農民の貧しい家庭で生まれたが、必死に金を溜め、次は国の周りを囲むようにそびえ立つ壁を守る傭兵として生まれ変わったのだと言う。
再度資金を溜めて、次の転生で伯爵の地位を獲得したのだとニックは訊かされた。
まるで夢のような話だった。
獣人として虐げられていたニックにとって、伯爵の存在こそがサシャを救う唯一の術に思えていた。
ニックは振り返って、今出てきた教会を見る。
大きな教会だった。
ラザルック伯爵の屋敷も大きいものだったが、それとは比較にならないほど大きく、先程ニックが祈りを捧げた場所はそのほんの一部でしかない。
「祈りの部屋」以外にも「懺悔の部屋」や「治癒の部屋」、「恋慕の部屋」など色々あるみたいだが、ニックの興味をそそるのは、地下にあると言われている「転生の部屋」だけだった。
ニックは思考を巡らせる。
そして妹を見て、微笑む。
ニックはサシャを転生させてあげたいと考えていた。
◇◆◇◆
この世界には魔法があった。
錬金術とは似て非なるものではあった。錬金術が万人に仕える科学だとすれば、魔法は限られた人間にしか使えなかった。
魔法使いの数は決して多くはないが、少なくはない。
大よそ百人に一人は、魔法に対する素養を持って生まれてくることが分かっているが、魔法に対する理解や、教養、あるいは環境がないことによって、その才能が潰されるのは良くあることだった。
古くから獣人は迫害の的だった。
奴隷に堕ちることもしばしばあった。
ニックとサシャが良い例であり、二人はラザルック伯爵という貴族家に雇われているからまだ人間として扱われているが、通常、獣人は人としては扱われない。いや、獣人に限った話ではない。奴隷は、人間ではない。奴隷は道具だった。
理由としては諸説あるが、最も嫌悪されるべき点は、獣人が、人間と魔物の混合種である、ということだった。
欲にかられた人間が、魔物を慰み者とし、その生まれた子供は人間ではなく、獣に近かった。
同族嫌悪が、人間たちを支配した。
汚らしい。
それが人間の獣人たちに対する感情だった。だから、迫害した。石を投げた。
獣人は、人よりも体力がある。力がある。しかし知能は低く、思考は短絡的である、というのが人の学者の見解であったが、事実とは異なる。獣人は人間と同等の知能もあれば、思慮深い一面も存在する。が、それは人々の中に浸透していかない。獣人は人よりも劣ってなければならなかった。人にとっては。
人は、そして獣人には決して持ちえないものを持っていた。
それは、魔力だった。
大昔から存在し、今も生き続ける魔族や魔物を除いて、人だけが魔法を仕えた。
獣人が使えない理由は判明していない。
魔力の根源たる魔素が、筋肉を循環しているが故に、手元から離れるような魔法を扱う術がないのだと学者は言う。
魔法使いになれるのは、――魔族を除いて――人間だけだった。
百人に一人の人間だけだった。
遥か昔に、獣人が、人間に対して戦争を仕掛けたことがある。
度重なる弾圧と迫害から、彼らは武器を持ち、その特異な身体能力を生かして、人間を何人も殺した。腕を削ぎ、足を捥ぎ、首を千切った。この時の様子を記した書記に――すでにこの世にはいないが――正に『獣』のようだったと書き記してある。
その『獣』の進行を止め、完膚なきまでに戦況をひっくり返したのが、魔法使いだった。
毒魔法で動きを止めて、氷魔法で串刺しにし、火炎魔法で丸焦げにした後、土魔法で大地に返した。
獣人への弾圧は、以前よりも酷いものとなったが、すでに戦意を失っている獣人にとっては、自分たちの生は、ただ過ぎ去っていくものだと悟っていた。
この国に関して言えば、二人の獣人の兄妹を除いて。
前述したとおり、この世界には魔物が蔓延っており、人々に恐怖を与えている。
国々は小さく乱立し、統一はされておらず、『国』と称するよりも、『集落』と称した方が適切かもしれない。どちらにしろ、国は、『壁』を作って、外敵から身を守っていた。
『壁』の種類は様々だった。
高くそびえる鉄壁で外壁を囲む国もあれば、魔法的な結界で魔物の侵入を阻む国もあり、この国では前者でもあり後者でもあった。外壁を作り、内部に魔法言語を使用していて、通常のそれよりもよっぽど堅牢なものに仕上がっていた。外から入ってくる場合には、二重の結界を解く必要があった。そしてそれは中からも同様だった。
『何か』の流出を防ぐためである。
『何か』とは『情報』であり、『情報』とは『転生魔法』のことである。
転生魔法とは、正確にいえば、死んで生き返る魔法ではない。
魂を空っぽの肉体に移しかえるだけの、転移魔法に近しいものである。
だが、転移魔法とは肉体を別の場所へと移動させる際に使用される魔法のため、ここでは転生魔法と皆は呼んでいた。