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龍の棲む池  作者: 清竜
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第七話

 目を開くと、そこはやはりどんよりと暗いままの池の底だった。遙かな水面には、あるはずの太陽がない。

 泣き疲れて眠りについてから、どれだけの時間が経っただろう。ぼんやりと、まるであやめの心を映したかのような水面を横になったまま見つめては、また目を閉じて眠りにつく、の繰り返しだった。腫れ上がっていたはずの目が元に戻っているということは、丸一日くらいは経過しているのかもしれない。

「……目が覚めたか」

 頭上から龍神の声がした。あやめの枕元に立っているのが気配で解るが、そちらに目をやる気にもなれず、あやめはそのまま水面を見つめていた。

 返事をする様子もないあやめに、龍神がその場でかがんで顔を覗き込んできた。

「おい」

「ひゃあ!?」

 突然首元に冷たいなにかが触れ、あやめは驚いて飛び起きた。何が触れたのかと両手で首をさするあやめに、龍神がぽいと何かを放り投げる。

「え? 何?」

「スモモだ。食え」

 受け取ったものを見てみれば、赤く熟したスモモだった。

「別に……お腹すいてないし……」

「いいから食え。言っておくがな、ここにいる限りどれだけ断食しようが死なんぞ」

「え? どういうこと?」

「ここにいる以上はメシを食わなくても死なない、そういう身体になってる。そもそも空腹を感じないようになってるんだ。事実、お前がここに来てからもう三日だが、何も食ってないだろう」

 龍神に言われて、あやめは改めて思い返して驚いた。やってきた当初は気が動転していて空腹を感じる余裕もなかったし、翌日は悪夢を見てそれどころではなかった。あれから丸一日が過ぎたことになるが、確かにまったく何も口にしていないのに、空腹も喉の渇きも一切感じていない。

「じゃあ、別にこれ食べなくても……」

「うるさい。いいから食え」

 あやめの横にあぐらをかくと、龍神はイチジクにかぶりついた。その様子を見て、スモモを手の中で転がしてみる。少し押したら果汁がこぼれそうなほどによく熟れているのが解る。龍神がイチジクをひとつ食べ終わるだけの時間分迷ってから、あやめは袖でスモモを拭ってから少しだけかじりついた。

 思っていたよりもさらにやわらかな果肉は、あやめの口の中で溶けて一気に酸っぱさと、後を追うように甘みが広がった。かじられたところから果汁が滴り、あやめの唇と手を甘酸っぱい香りで濡らしている。

「……おいしい」

「そうだろう?」

 ふたつめのイチジクをかじった龍神が、ここに来てから初めて見る屈託のない笑顔を見せた。もしもこれが晴れた日であったなら、太陽の光を浴びた銀髪の輝きもあって、さぞや眩しいだろうなと思いながら、あやめはぼんやりとその笑顔を眺めていた。

「この池の下流に龍神を祀った小さな祠がある。そこの供え物だ。果実が多いんだが、生育がいいのかうまいのを選んでるのか知らんが、うまいんだ」

 小振りの西瓜を池の水に冷やしつつイチジクをあやめに差し出すと、まだスモモを一口かじったきりで、ぼんやりとした様子で龍神を見つめている。

「……何だ」

 差し出した手の行き場に困って、ふてくされたように龍神が呟いた。二口目をかじってから、あやめは龍神を見つめたままで、

「あのさ、何で私に気を遣ってくれるの?」

 イチジクを受け取ると、龍神は空いた手を引っ込めてどこか居心地悪そうに西瓜に目をやる。

「別にそんなつもりはない」

 龍神はそっけなく答えた。

 もしかしたら、ただの偶然かもしれない。だが捨てられたと嘆くあやめに、自分も捨てられたのだと身の上話をした。あやめが知れば苦しむであろう事実を、伏せようとした。事実を知って落ち込むあやめに、こうして食べなくても済むはずの果実を差し出して元気付けようとしている。

 花嫁を村に帰すことで後味の悪い思いをしたくない、という理由でこの池に匿っているのだとしたら、そんなことはしなくても良いはずだった。あやめがどう思おうと知ったことではないのであれば、そんな気遣いも、あやめのわがままを聞いて池の外に連れて行く必要などないのだ。

 特にこれといった答えを期待していた訳でもないあやめは、そっぽを向いたままの龍神の横顔を眺めながらスモモをかじった。

「……お前は変わっているからな。変に黙られるとつまらん」

「変わってる?」

 スモモの果汁と格闘しながら、あやめは首を傾げた。

「俺の代になってからここに来た花嫁は三人か四人か……そもそも金龍がいた頃から数えても、お前みたいに刃を持って挑みかかってきたのは他におらん。大抵は三日は泣いて暮らすんだ。あれがどれだけ鬱陶しいか想像がつくか? 泣き止んだかと思えば龍神様龍神様と顔を見せたくないのかと思うくらいにひれ伏しやがる。お前みたいに活きがいいのは初めてだ。

 ……まあ、ここでひとりでいるのはヒマだしな。お前がいれば多少は退屈しのぎに……」

 言いながらあやめに目をやると、食べ終わったスモモの種を左手に、右手にイチジクを持ってどうしたものかと周囲をきょろきょろと見回している。スモモの種の処分に困っているのだろう。

「……貸せ」

 深いため息をつき、龍神はあやめの手からスモモの種を奪い取ると、ひょいと後方に投げ飛ばした。床であるはずの水にぽちゃりと音を立てて、種はそのまますぐ下の池の底へと転がった。

「あ、ありがとう……」

 引っ込めようとしたあやめの左手を捕まえて、龍神はその手に滴る果汁を舐めた。驚いたあやめは手を引くことも忘れて、呆然とその光景を他人事のように見つめているしかできなかった。

 困ったような視線に気付いたのか、ふと顔をあげて、

「何だ?」

 龍神はどこか不機嫌そうにあやめの顔を覗き込んだ。

「……イチジク食べたいんで、手を放していただけると嬉しいです」

「片手で食えるだろう」

「え、でも皮……」

「は!?」

「え!? 皮はむくでしょう! イチジクだよ!?」

「お前馬鹿か」

「うるさいな! 手を放せってば!」

 果汁のついたままの手で顔面を押された龍神は、眉間に皺を寄せて一歩下がった。床である水で顔を洗って、ていねいに皮をむいているあやめに言った。

「……そういえばな。明日は雨だぞ」

「……雨? 降るの?」

 手を止めてあやめが顔を輝かせる。

「厚い雲が来てる。早ければ今夜から雨だな」

「じゃあ、村は……」

「さあな、お湿り程度じゃ意味があるまい。三日くらい続けて降らねば状況に変わりはなかろうよ」

 あやめは遙かな水面を見上げた。そこに太陽はない。暗くて陰鬱とさせる池の翳りが、急に希望に満ちたものに変わっていく。

「私、花嫁としての役目、ちゃんと果たせたんだ」

 実際には龍神が何かをした訳ではない。だがもし雨が降らねば、雨乞いの役に立てなかった花嫁という汚名を着ることになる。あるいは新たな花嫁が送られてくるかもしれない。果たして村の窮地を救うだけの雨が降るか否かは解らないが、とにかくそれらの懸念は回避されたのだ。

 あやめの弾けるような笑顔が、池に太陽を沈めたかのように周囲を明るくしたような錯覚を覚え、龍神は濡れたままの顔をようやく拭った。

 そんな龍神の様子に気付くこともないあやめは、おいしそうにイチジクにかぶりついた。

 雨の雫が池の水面に波紋を描くのは、この日の夜半過ぎのことである。


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